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新選組・土方歳三を中心に取り上げるブログ。2004年大河ドラマ『新選組!』・2006正月時代劇『新選組!! 土方歳三最期の一日』……脚本家・制作演出スタッフ・俳優陣の愛がこもった作品を今でも愛し続けています。幕末関係のニュースと歴史紀行(土方さんに加えて第36代江川太郎左衛門英龍、またの名を坦庵公も好き)、たまにグルメねた。今いちばん好きな言葉は「碧血丹心」です。
 永倉新八が会津に滞在していた時の宿の名前がわかった(通説を変えた)というニュースをトップでお送りしています。

北海道
永倉新八の会津城下の宿:通説覆す 「石塚」でなく「石津屋」
 新選組の元幹部、永倉新八が1868(慶応4)年8月の会津戦争の際、現在の福島県会津若松市内で宿泊した先は、通説の「酒造家石塚」ではなく、「酒造家石津屋」とみられることが、幕末明治史の研究に取り組んでいる札幌市教育文化会館館長、好川之範氏らの調査でわかった。好川氏は長い年月の中で「いしづや」が「いしづけ」「いしづか」と誤って伝わったと推測している。
 永倉は晩年を小樽で過ごした。小樽新聞記者に語り伝えた「新撰組顛末(てんまつ)記」(新人物文庫)によると、宿泊先については「会津城下へ着いて酒造家の石塚という家に一泊し……」と記されている。
 好川氏は会津藩士の子孫。札幌市在住の永倉のひ孫、杉村悦郎氏と親交があり「『石塚』という酒造家が現存するなら、子孫としてお礼がしたい」と話したことがきっかけとなって今年夏、「石塚」探しを思い立った。
 地元紙の福島民報や知人を通じて情報を呼びかけるなどした結果、「石塚」という酒造家は存在せず、屋号が「石津屋」という酒造家がかつて会津若松市行仁町にあったことが判明。その子孫が東京に住んでおり、調査に協力してくれた同市の遠藤健一氏が確認したところ「戦争当時、武士が何人か泊まったという話を祖母から聞いた」「土蔵に弾跡が残っていた」という証言を得た。
 永倉が取材を受けたのは、死去する2年前の1913(大正2)年だった。好川氏は「いしづや」が「いしづか」と変化した理由として(1)永倉の記憶違い(2)記者の聞き間違い--などと推測。「『石塚家』でも『石津屋』でも歴史上の大きな問題ではないが、多くの人の協力によって歴史の空間を埋めることができた。大人の遊びと思って満足している」と話している。
 永倉は近藤勇や土方歳三らとともに新選組を創設。剣客として知られ池田屋事件や油小路事件など、数多くの修羅場をくぐり抜けた。【筑井直樹】


秋田
康楽館の常設公演が千穐楽 来年は4月10日から
 小坂町の芝居小屋・康楽館のことしの常設公演が29日、千穐楽(せんしゅうらく)を迎えた。大衆演劇界のスター・松井誠さんの弟子たちでつくる「下町かぶき組」の構成劇団の一つ「劇団 誠流(せいりゅう)」が熱のこもった舞台で、最後の公演を締めくくった。
 ことしの常設公演には下町かぶき組の6劇団が出演。いずれも芝居と舞踊ショーの2部構成で、4月11日の開幕以来、205日、計471回の公演を行い、4万1580人が来場した。
 誠流は10月31日から登場。千穐楽も幕末を舞台にした人情芝居・唐人お吉物語や、華やかな踊りで340人の観客を魅了し、客席から盛んな拍手が送られた。
 来年の常設公演は4月10日から11月28日まで。下町かぶき組の5劇団が舞台を繰り広げるほか、創建100年を記念し、環境問題をテーマに小坂町の歴史を取り入れた特別公演も行う。


埼玉
幕末写真が縁 ひ孫対面
◇川越藩重臣を京都で撮影 141年ぶり

 江戸時代末期に京都で撮影された川越藩の重臣の写真が縁で、重臣と撮影者の双方のひ孫が、撮影から141年後の今秋、初めて対面した。重臣の子孫として写真を受け継いできた歴史研究家の講演がきっかけだった。

◇講演がきっかけ「大切に」

 対面を果たしたのは、川越藩の史実を調べている東京都目黒区の歴史研究家池上俊之さん(73)と、川越市の薬剤師堀内慶治さん(84)。
 池上さんによると、藩の年寄役だった曽祖父・七郎右衛門の写真が保管されてきた桐(きり)箱のふたには、慶応4(1868)年6月29日、京都・東山で「堀内辰蔵」によって撮影されたと記されている。当時、藩は官軍に恭順の意を示し、七郎右衛門ら藩士約100人は藩主松平康英とともに京都に滞在していたという。
 池上家には七郎右衛門の日記や康英からの書状も残る。池上さんは5月、市文化財保護協会の会合で、康英の京都入りについて講演。京都市での調査もふまえ、七郎右衛門の写真のコピーを示し、堀内辰蔵が京都・知恩院で撮影したと説明した。
 これを聞いた服部民俗資料館(川越市)の服部安行館長は、川越の歴史と文化を著作で紹介している同市の龍神(りゅうじん)由美さん(52)の祖先が知恩院の写真師だったと思い出し、龍神さんに伝えた。
 10月27日、龍神さんの伯父の堀内さんと、池上さんが市内で対面。七郎右衛門の写真が桐箱から取り出され、堀内さんと龍神さんは「立派な方ですね」と見とれた。池上さんは「不思議なご縁ですね」と応じた。
 川越市立博物館の大野政己館長によると、川越藩は康英ら藩主2人の写真が残っているが、家臣の写真は「珍しく貴重なもの」という。
 堀内家に伝わる文書などによると、「堀内信重」の名でも知られた辰蔵は知恩院に仕えた武士で、幕末・維新時には近くに茶屋を開き、参拝客らを相手に写真業も営んだ。
 堀内さんの父は、京都から札幌などを経て、1930年ごろ川越市に移住。堀内さんは、辰蔵が撮ったとされる京都・嵐山などの写真を保管しており、「(池上家との)ご縁を大切にしたい」と言う。
 康英は、1868年2月まで幕府の老中も務めた。池上家に残る書状によると、同年3月、京都にいた康英が七郎右衛門に「一同申し合わせの通り、勤皇勉励の心得にて、皆に徹底するように」と通達。朝廷への恭順の姿勢を重視したことをうかがわせる。
 同年4月の江戸城開城後、彰義隊の「上野戦争」の前後も川越は戦火を免れ、七郎右衛門は6月5日に京都に入った。写真撮影後の夏、康英と家臣の一行は川越へ戻ったという。池上さんは「川越藩の情報収集力は素晴らしく、朝廷や官軍の動きを逐一つかんだ」とし、「七郎右衛門は中枢で指示を出していた」と曽祖父の役割を説明している。


愛知
東三河法人会で松平氏講演
 NHKテレビの歴史検証番組「その時歴史が動いた」の司会を担当した松平定知氏が来豊、番組制作の意図、勝者の薩長からしか見られなかった幕末から明治維新までの歴史観の裏側などについて話した。
 同講演会は、東三河法人会豊橋支部(高須博久支部長)主催で29日、ホテル日航豊橋で開いた第6回市民講演会。
 松平氏は、1昨年11月に同放送を退職、現在は、早稲田大学と立教大学大学院客員教授。同番組は、今年3月で終了した。
 講演テーマは「私の取材ノート~その時歴史が動いた~の現場から」。
 松平氏は「勝ったものが正義なのかということだ。歴史観は、勝利者側が作った一面だ。負けた側からみた史実を掘り起こそうと番組が始まった」と制作意図を話した。
 薩長戦争に始まる倒幕の戦いについて「必要ない戦争だった」とし、「新しい史実を視聴者に提示することで支持を得た。同時にいくつもの新しい研究のスタートになった」と同番組の成果を話した。


奈良
講演会:平城京遷都の真実探る 650人、専門家の知見傾聴 /奈良
 「いま解き明かされる平城京遷都の真実」と題した講演会(奈良文化財研究所主催)が28日、奈良市のなら100年会館大ホールであった。参加した約650人は、文化財を研究する専門家の知見に耳を傾けた。
 講演会では田辺征夫同所長が「これからの平城宮跡~遷都1300年を迎えて」と題し、幕末以降、官民一体で進んだ平城宮跡保存の歴史や国営公園化後の展望を語った。田辺所長は「保存は簡単ではなかった。市民の力あってのこと」と強調。近年、平城宮跡が市民に身近になった一方、不審火なども多発する現状を取り上げ、「多様に利用されようやく、国民の遺跡になった。国営公園化後も市民型の遺跡としてより発展させることが大きな課題」と総括した。
 また、都城発掘調査部の井上和人部長は、藤原京から平城京へ遷都された理由について、唐による軍事侵攻を防ぐため、遣唐使らの助言で巨大なスケールの都が作られたとの見方を話した。【泉谷由梨子】



大阪
寄贈品は最後の薩摩藩主の夫婦甲冑か 大阪・高槻の歴史館が所蔵
 大阪府高槻市の市立しろあと歴史館が所蔵する甲冑(かっちゅう)2領が、江戸時代末期の薩摩藩最後の藩主、島津忠義(1840~1897)と同夫人のものだった可能性が高いことが、市教委と歴史資料センター黎明館(鹿児島市)の調べで分かった。甲冑研究の専門家は「夫婦の甲冑が確認された例は聞いたことがなく、研究資料としても価値が高い」と注目している。
 2領の甲冑は愛好家が平成2年に高槻市に寄贈したもの。同館は昨年から所蔵する甲冑について調査を進めており、所蔵品からは、米沢藩最後の藩主、上杉茂憲の甲冑も確認された。
 高槻市教委によると、夫人用とされる「紅裾濃胴丸(くれないすそごどうまる)」は、室町時代様式で着用者の身長は140センチ程度とみられている。島津家の家紋が随所に施されているほか、包み布などに忠義夫人の所有を示す記述や制作年とみられる「慶応三丁卯歳二月日」との表記もあった。
 黎明館は「記述通りならば島津斉彬の娘にもあたる●(=日へんに偉のつくり)子(てるこ)夫人のものではないか。裏付け調査を進めたい」としている。
 女性用甲冑は林原美術館(岡山市)や彦根城博物館(滋賀県彦根市)にも残されている。婚礼道具などともいわれているが、その用途はまだ不明だといい、甲冑研究の第一人者でもある奈良県立万葉文化館(同県明日香村)の宮崎隆旨参与は「女性の甲冑は現存数が少なく、夫婦で正式に確認された例は聞いたことがない。用途も不明で、研究資料としても価値が高い」と話していた。
 一方、忠義のものとみられる甲冑「紫糸威腹巻(むらさきいとおどしはらまき)」も室町時代様式。かぶとには島津家一門の特徴であるキツネの飾りがつけられている。豪華な陣羽織やずきん、金紙製の采配(さいはい)などと一緒に収められていたという。
 しろあと歴史館の千田康治学芸員は「幕末期における大名文化の一端を示す貴重な資料。明治維新の主役でありながら、伝統の復古調の作りを守っており、島津家の気風を感じる」としている。


香川
レジャー情報
(中略)
■土佐・龍馬伝フリーきっぷ
 JR四国と土佐くろしお鉄道は、坂本龍馬ら幕末の志士たちが生まれ育った高知・安芸・奈半利の観光に便利な「土佐・龍馬伝フリーきっぷ」を2010年末まで販売している。JR高知―御免間の特急・普通列車自由席、土佐くろしお鉄道御免―奈半利間の快速・普通列車自由席が1日乗り放題になる。大人2100円、子ども1050円。購入はJRみどりの窓口やワープ支店などで。問い合わせは〈0570(00)4592〉。


山口
下関市吟剣詩舞道大会:500人、日ごろの成果披露--あす市民会館 /山口
◇多くの来場を
 下関市吟剣詩舞道大会(市、市教委、市吟剣詩舞道連盟など主催)が29日、竹崎町の市民会館で開かれる。
 第32回市長杯合吟コンクールを兼ね、大会名誉会長に中尾友昭市長、大会顧問に湖舟流吟剣詩舞道江湖会宗家の一木湖舟さん、大会会長に市吟剣詩舞道連盟理事長の中野吼関さんらが名を連ねる。
 6部構成で幼少年から高齢者の約500人が出場。独吟のほか、複数による合吟、連吟、剣詩舞など、日ごろのけいこの成果を披露する。今年は幕末の志士で思想家、吉田松陰没後150年とあって、吟詠や吟舞などでその遺徳をしのぶプログラムを組んだ。一木さんは「各会が結集して吉田先生の精神をたたえ、追慕する構成にしました。多くの皆さんに見て、聞いていただきたい」と話す。
 午前9時半開場、同10時開会。入場無料。【三嶋祐一郎】
〔下関版〕



佐賀
タウンTOWN:茂義収集の蘭学資料紹介--武雄 /佐賀
 幕末の武雄領主、鍋島茂義が集めた蘭学資料を紹介する「日蘭通商400年 武雄の蘭書展」が、武雄市武雄町の市図書館・歴史資料館で開かれている。12月13日まで。
 科学や医学の書など170点を展示。資料は、茂義が亡くなった1862年までに集めた138冊で、特にフランスの農学者、ショメルの「日用百科事典」は正編、続編、簡約の3種ともそろっている。
 茂義は西洋の技術や文物を積極的に取り入れ、佐賀藩の近代化に貢献した。展示物は、昨年9月、所有していた武雄高同窓会が市に寄贈した。【原田哲郎】



長崎
江戸初期創建の時津茶屋を公開 町民ら郷土の歴史堪能
 西彼時津町教委は29日、同町元村郷に江戸時代から残る時津茶屋(本陣)跡を一般公開し、町民ら約270人が郷土の歴史に触れた。
 町教委によると、時津茶屋は1633(寛永10)年、当時の大村藩が時津街道を往来する幕府役人や諸大名の休憩所として浦郷の港近くに設置したとされる。62(寛文2)年に現在地に移築、1848(嘉永元)年に建て替えられた。
 近年は民家として使用されていたが、書院造りの座敷や縁側、庭園などが残っており、大村藩が宿場町に設けた茶屋の中で建物が現存するのは時津だけという。屋敷の門は1995年、町の有形文化財に指定された。2008年に所有者から建物の寄贈を受け、町が保存管理している。
 一般公開は寄贈後初。庭園を開放し、訪れた人たちは町史談会の小田教治会長らの案内で、外から座敷内に飾られている幕末に活躍した大村藩士、渡辺昇の書などを見学した。
 訪れた同町浜田郷の永友重之さん(62)は「一度見てみたいと思っていた。時津町が発展する中で、古い建物が残っていることは意義深い」と話した。


龍馬に会いたい:/番外編 鹿児島・塩浸温泉 /長崎
◇激動の中、唯一平穏な旅
 鹿児島空港から車で約10分、北東方向に向かうと、新川渓谷(しんかわけいこく)温泉郷の一角にたどり着く。ここは、坂本龍馬がその妻お龍(りょう)と共に訪れた場所だ。
 1866年1月、京都市伏見区の船宿「寺田屋」で龍馬が刺客に襲われた事件は「寺田屋事件」として知られる。龍馬は所持する拳銃を撃ち、九死に一生を得る。一緒にいたお龍が龍馬救出に一役買ったことでも有名だ。
 同年3月、寺田屋で負傷した龍馬は、薩摩藩(鹿児島県)の西郷隆盛らの勧めで、お龍と共にこの温泉郷を訪れた。温泉郷の塩浸(しおひたし)温泉で傷を癒やしながら、霧島を楽しんだという。よほど楽しかったのか、その時の様子を姉の乙女に手紙で書き送ってもいる。
 後世、この時の旅行は「日本最初の新婚旅行」と呼ばれるようになった。幕末の激動の中で結ばれた2人にとって、この旅行は唯一の平穏な時間だっただろう。龍馬はこの旅行の翌年、京都市中京区のしょうゆ商・近江屋で、盟友の中岡慎太郎と一緒に暗殺された。
 旧牧園町塩浸温泉福祉の里には龍馬とお龍の銅像が立つ。霧島市観光課によると、この施設は老朽化のため、今年7月から解体・改修工事を実施。現在は立ち入り禁止だが、来年4月1日から日帰り入浴や足湯、龍馬関連資料が楽しめる公園に整備されるという。
 同課の担当者は「来年1月からNHK大河ドラマ『龍馬伝』がスタートする。龍馬ゆかりのこの地を観光資源として活用できれば」と語った。【下原知広】
〔長崎版〕


対馬藩主の銅印など17点を一般公開 対馬歴史民俗資料館で宗家史料展
 県立対馬歴史民俗資料館(対馬市厳原町)は28日、「新たに発見された宗家史料展」を同町の市交流センターで開き、朝鮮国王が対馬藩主に発給した銅印「図書」(としょ)とみられる二つの印など計17点を一般公開した。
 県の文化財公開月間の一環。本年度から3カ年で始まった宗家文庫史料調査の途中報告として企画した。
 図書は15~16世紀、倭寇(わこう)対策として通行を統制するため、朝鮮国王が貿易権を与えた九州や中国地方の大名や商人などに発給。日本の正式な使節としての証明をするため、外交文書や渡航証明書に押していた。江戸時代は、朝鮮との外交・貿易を独占した対馬藩だけに発給。藩主交代のたびに返還したため、近世の図書は国内に存在しないとされてきた。
 二つの印には第13代、宗義章(よしあや=在任1839~42年)、第14代、宗義和(よしより=同42~62年)の名をそれぞれ刻印。市民らが幕末の日朝交流史を物語る貴重な資料に見入っていた。
 江戸時代の動植物絵図(写真パネル)や万病に効くとされた漢方薬「みいら」、測量道具「大方儀」なども展示された。
 「若い専門職員によるリレー講座」では、同資料館学芸員の山口華代さんが「対馬にあった東照宮の謎~近世日朝交流の舞台裏」、県教委主任文化財保護主事の中尾篤志さんが「弥生時代における海上交易民の謎」と題して講演した。


鹿児島
西南戦争 語り10年
 西南戦争で没した薩摩志士らが多く眠る鹿児島市の南洲墓地で、語り部のボランティア活動に10年間取り組んでいる男性がいる。薩摩川内市の森田重徳さん(68)だ。「少しでも多くの人に鹿児島の歴史を知ってもらいたい」と戦史を独学。観光客らを相手に毎週土曜日と日曜日、独特の節回しで語り継いでいる。あなたも「森田節」を聞きに足を運んでみては?(白井伸洋)
 語り部のボランティアを思い立ったのは、11年ほど前のことだ。南洲墓地を訪れたときのガイドの説明が気になった。一部史実と違うところがあったという。「自分がきちんと説明したい」と決意。薩摩川内の自宅から南洲墓地に通うように。半年に一度、3カ月に一度とペースを上げ、退職後は毎週末、駆けつけている。
 中学生時代、刀剣や城に興味を持った。「刀や城を知るためにはその時の時代背景を知らないとだめだ。どんどん調べるようになった」と振り返る。語り部になるべく仕事の合間を縫って、西南戦争関連の書物などを渉猟。マイカーを駆って、県内外の史跡を訪ね、勉強を重ねた。
 今では、墓地内に建つ約750基の墓のうち、約200人分の生涯などをそらんじているという。
 サービス精神が旺盛で、説明は節をつけて講談調ですることもある。「聞く人の興味を引きつけることができ、楽しんでもらえると思った」。一番得意なのは西郷隆盛が敗戦を覚悟し、部下を連れて城山の洞窟(どう・くつ)から出て、自害するまでの場面を語るものだ。西南戦争の始まりから終わりまでの一部始終を語ると、50分かかる説明もある。2日間、延べ10時間かけて案内した観光客もいたという。
 半年ほど前から、南洲墓地を管理する南洲神社からお墨付きをもらった「南洲神社公認」と書かれたカードを首から下げ、資料と差し棒を手に観光客らを幕末前後の時代に案内している。
 錦江町から来た前田真吾さん(24)はついつい森田節に引き込まれた。「知らないことをいろいろ聞けてよかった。興味を持たせてくれるのがありがたいですね」と話す。
 全国から礼状が届く。「手紙は一番うれしい」。観光客の喜びが、森田さんにとって、何よりの活力源だ。
 雨の日や年末年始を除いて毎週土曜日と日曜日の午前9時~午後3時ごろまで、南洲墓地にいる。11月中は都合で休んでいるが、12月からは再開する予定だ。




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