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新選組・土方歳三を中心に取り上げるブログ。2004年大河ドラマ『新選組!』・2006正月時代劇『新選組!! 土方歳三最期の一日』……脚本家・制作演出スタッフ・俳優陣の愛がこもった作品を今でも愛し続けています。幕末関係のニュースと歴史紀行(土方さんに加えて第36代江川太郎左衛門英龍、またの名を坦庵公も好き)、たまにグルメねた。今いちばん好きな言葉は「碧血丹心」です。
 今日はぐっと冷えました。でも日が出たので、ちょっと散歩してきました……ちょっと遠くまで歩いてしまったもので、帰りはバスに乗って戻ってきました^_^;。

京都
開催日:2010年1月11日(月)~2010年2月28日(日)
京都新酒造り特別公開

1月11日(月)~2月28日(日)9時15分、【曜日により公開酒蔵が変わります】月・火・木・金曜日=招徳酒造(京都市伏見区舞台町16。京阪本線「丹波橋」より西へ徒歩約15分)。水・土・日曜日=松本酒造(京都市伏見区横大路三栖大黒町7。京阪本線「伏見桃山」より西へ徒歩約15分)。

 普段は一般公開されていない、伏見にある酒造の特別見学。全国的にも珍しい女性が杜氏を務める招徳酒造(月・火・木・金)に、枯山水庭園や迎賓館のある松本酒造(水・土・日)。どちらも見ごたえある見学内容。見学のあとは利き酒の体験あり。

 参加費2500円(特製おちょこ、幕末にちなんだ伏見散策マップ付き)。
 チケット取り扱いWeb京都新酒造り特別公開/TEL075・254・0789(株式会社のぞみ・白井)。
 市内のホテルフロントにて予約可能(宇多野ユースホテル・京都新阪急ホテル・ホテル日航プリンセス京都・ホテルモントレ京都・ホリデイ イン 京都・三井ガーデンホテル京都三条・三井ガーデンホテル京都四条・リーガロイヤルホテル京都)。

※イベントの性質上、20歳以上のみ参加対象
※イベントの性質上、公共交通機関をご利用ください


福岡
伝統工芸品:福岡県で初の指定解除…4品対象 後継者なく
 福岡県は、県指定の伝統的工芸品35品のうち、博多絞など4品の指定を年内にも取り消すことを決めた。実態調査の結果、後継者がおらず、生産が途絶えていることが判明したためで、77年の指定制度の創設以来、取り消しは初めて。熊本、鹿児島両県も同様な実態調査に乗り出す方針で、伝統工芸の消滅の実態がさらに拡大する可能性もある。

 指定が取り消されるのは▽博多絞(福岡市)▽手吹きガラス(北九州市)▽筑前ブンブン凧(直方市)▽広川下駄(広川町)。

 制度は伝統工芸の振興が目的で、指定要件は(1)県内で生産されている(2)日常用品として使われている(3)原材料を含め特定の製造方法がある--の3点。指定品は県庁などで展示され、観光パンフレットにも掲載されるが、国指定のような経済的な支援措置はない。

 博多絞など4品は、県が昨年から今年にかけて実施した初の実態調査で、職人の引退や廃業によってこの10年近く生産されていないことが判明。県は指定要件を満たしていないと判断した。

 木綿と絹の絞り染めの博多絞は、戦前までは浴衣や小物が海外でも高い評価を受け、国指定の伝統的工芸品「博多織」と肩を並べる生産量を誇った。だが和装人口の減少などで約10年前に唯一の業者が廃業。他の3品も含め、生活様式の変化などで売れなくなったことが大きく影響している。

 県中小企業振興課によると、残りの指定31品の中にも、生産者が高齢の職人しかおらず、「自分たちの代で終わり」という伝統品が5品ほどある。同課は「県財政が厳しく経済支援は難しい。地元の保存活動に頼るしかない」と話す。

 熊本、鹿児島両県もそれぞれ69品、35品を指定しているが、既に生産が途絶えているものがあると見ている。このため今年度中に実態調査を終え、指定要件を満たしていなければ取り消す可能性もあるという。【三木陽介】

◇伝統工芸 熱意頼り

 福岡県が生産の途絶えた伝統工芸品の指定取り消しを決め、伝統工芸の継承難が改めて浮き彫りとなった。時代の変化に伴う需要減で「伝統工芸では生活ができない」との声が上がり、職人の高齢化と後継者不足は深刻さを増している。県指定は行政支援が限定的で、多くが地元の保存会などの地道な活動と熱意によってかろうじて支えられているのが実情だ。

 九州・山口では国の指定工芸品が9県で計36品。県指定は、制度がない山口と大分を除き7県で計219品ある。国指定には後継者育成や技術保存事業などに一部補助金が出るが、県指定にはなく、継承難に直面している品は少なくない。

 福岡県太宰府市の「木うそ」もその一つだ。毎年1月7日に行われる太宰府天満宮の祭事「うそ替え」に使われる祭具で、天神様の使いの鳥といわれる「鷽(うそ)」が木に止まった姿を現した木彫りの人形。300年近い歴史を持ち、梅ケ枝餅と並ぶ天満宮名物の一つだ。

 定年退職した元サラリーマンら地元の有志が保存会を起こしたのは98年。以来、毎月第2日曜に市の観光施設「太宰府館」で観光客らを対象に絵づけ教室を開いたり、地元の小中高で出張授業を行ってきた。毎年夏には、後継者育成のために市民を対象に講習会を開いてきたが、会員の一人、吉田幸一さん(74)は「これを生業としてやっていくのは難しいこともあり、僕たちの後に続く世代がなかなかいない」と嘆く。

 現在、約30人の会員がいるが、職人は5人程度で平均年齢は60代。今年から講習の対象を市民以外に広げるなど伝統継承の模索は続いている。

 久留米市の「筑後和傘」はさらに深刻だ。12年前に地元住民15人で保存会を作ったが、すでに10人が亡くなった。現在、70~80代の5人が4~10月に毎月2回ほど集まって手作業で製作を続けているが、洋傘の普及により、売れるのは飾り用などで年間20本前後。

 江戸時代に生産量を伸ばし、幕末にはオランダにも輸出された実績を持つが、保存会代表の橋本渉さん(73)は「継ぐ人が出てきてほしいが、売れないからどうしようもない。みんな高齢だし、いつまで続けられるのか……」と肩を落とす。

 県中小企業振興課によると、指定が取り消された工芸品については資料は残すが、現在のところ、抜本的な保存・振興策はないという。

 指定伝統的工芸品 74年に「伝統的工芸品産業振興法(伝産法)」が制定され、国の指定制度が始まったのを受け、都道府県でも独自基準による指定制度が広がった。県によって名称は異なり、福岡県の正式名称は「県知事指定特産民工芸品」。ただ全国的に多くの指定品が後継難と高齢化に悩んでおり、全国の06年度の伝統産業界の従事者は9万3400人で、79年と比べ約3分の1。30歳未満の比率は74年は28.6%だったが、06年度は6.1%。



長崎
「失われた洋館」など特Aランク さるく推進委が公募古写真を認定
 さるく観光幕末編推進委員会(松藤悟会長)は12日、長崎市の県勤労福祉会館で、「わが家のお宝古写真鑑定」認定式と「わが町さるくマップコンテスト」授賞式を開いた。古写真鑑定では、4点が極めて貴重な特Aランクに認定された。

 同推進委が市民から公募し、古写真は専門家が鑑定。さるくマップは長崎さるくガイドが選考した。

 古写真鑑定で、長崎市滑石1丁目の歯科医、松井貴志さん(55)の古写真は、「失われた洋館」(1953年ごろ)「闇市の様子」(52年ごろ)の2点が特Aランクに認定され、「永井隆博士の市葬、浦上天主堂の廃虚」(51年ごろ)など5点がAランクを独占した。20年ほど前に亡くなった写真愛好家の父聰夫さんが生前、撮影した写真群で、3年前に亡くなった母強子さんがアルバムに大事に整理、保管していたという。松井さんは「父と母の思いがこもったアルバム。賞は両親のもの」と感慨深げに話した。

 マップコンテストは、市立戸町中2年、伊藤大志君(13)の「戸町の海のコース、山のコース」が最優秀賞に輝いた。伊藤君は「歩き回って新しい発見がたくさんあった」と話した。

 同推進委は、マップや写真の複写を今後のイベントなどで活用する。

 そのほかの認定写真、マップ入賞作と受賞者は次の通り。(敬称略)

 【古写真】▽特A 料亭迎陽亭の室内写真を含む旧家のアルバム(松田勝三)上野撮影局写真の数々(松岡弘親)▽A 端島の波止場、松山に降り立つ進駐軍の様子、東山手洋館群、中町教会と路面電車(松井貴志)▽B 飽の浦公民館前での集合写真(中尾晴子)聖福寺での書道大会集合写真と鶴鳴女学校の卒業写真(坂本容子)

 【わが町さるくマップ】▽優秀賞 休日のためのお散歩コース・新大工町商店街(松下洋子=長崎中1年=)小榊四島巡り(小野健=小榊小6年=)しぜんコース・戸町地区(川本愛莉=戸町小2年=)▽同推進委特別賞 滑石太神宮から道ノ尾駅へ-原爆の悲劇と被爆者の救護にかけた人々の思い(滑石中平和推進委員30人)


文化芸能
東が次郎長なら、西は佐兵衛…侠客の救済心意気
 「大相撲通券」と印刷された、やや黄ばんだ紙が3枚、手元にある。

 「通券」とは入場券のこと。セットになった「寄附大相撲御案内書」は、大阪市北区真砂町(現・西天満)にあった、貧困者の収容施設「私立小林授産場」の支援をうたう。言わばチャリティー相撲だ。興行主の名は「小林佐兵衛」。幕末から明治にかけ、大阪で名をはせた侠客(きょうかく)だった。興行や土木請負だけではなく、消防業務を請け負う「消防頭取」を務め、慈善事業を行った。いくつもの顔を持つ、小林佐兵衛の足跡を追った。

 伝記などによると、1830年生まれの小林は当初、明石屋万吉と名乗り、11歳で任侠(にんきょう)の世界へ。「勤王論」に共鳴して桂小五郎らを助けたこともあり、維新後は米相場で資産を築き、府知事の依頼で73年、消防頭取に就く。

 小林授産場は、地裁などが入る合同庁舎の西側にあった。自宅を開放して火事の被災者や貧困者らを収容、85年には府知事の認可を得て一時は300人以上の面倒をみた。

 寄付相撲は、1901年(明治34年)3月13日から10日間、ミナミで開催。料金は15銭(現在の1500円程度)だった。案内書は開催理由を、「授産場を自費のみで運営してきたが、予算もなく高齢となり、寄付を募って授産場を整理、改良すべしという忠告を受けたため」と説明する。

 16年後に87歳で死亡。その年、船橋半三郎編「小林佐兵衛伝」が刊行された。司馬遼太郎は、小林をモデルに小説「俄(にわか)―浪華遊侠伝―」を著し、そこに描かれた姿は破天荒で痛快だ。

     ◇

 今では地元でも知る人は、ほとんどいなくなった。授産場があった場所について、西天満周辺に軒を連ねる商店などの人々に聞いても、首を振るばかり。ようやく出会ったのが幕末から続く質屋の4代目、一瀬禎三さん(86)。「直接は知らないが、祖父から店の筋向かいに小林授産場があったと聞いた。祖父は『慈善事業をたくさんして、たいしたもんや』と話していた」

 入場券と案内書は、西天満でそば店を営む高木浩也さん(49)が10月末に、京都市内の古美術商から入手した。高木さんは1909年に起きた「北の大火」の関連資料を収集。小林が大阪天満宮の類焼を防いだ、という言い伝えがあったことから関心を持った。「『東の(清水)次郎長、西の佐兵衛』と呼ばれた大親分だったらしい。地元にこんな人物がいたとは驚き」と言う。

 飯田直樹・大阪歴史博物館学芸員は「小林の実像を知る資料は少なく、入場券や案内書は貴重。行政がすべき貧困者の救済を侠客が行い、相撲という娯楽を利用していたことを裏付けている」と話す。(関口和哉)

(2009年12月13日21時45分 読売新聞)





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