新選組・土方歳三を中心に取り上げるブログ。2004年大河ドラマ『新選組!』・2006正月時代劇『新選組!! 土方歳三最期の一日』……脚本家・制作演出スタッフ・俳優陣の愛がこもった作品を今でも愛し続けています。幕末関係のニュースと歴史紀行(土方さんに加えて第36代江川太郎左衛門英龍、またの名を坦庵公も好き)、たまにグルメねた。今いちばん好きな言葉は「碧血丹心」です。
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今日は『篤姫』総集編が放送されますね。予定が入っているので、見られるかどうかわかりませんが。
長野
修復完了の山内稲荷社に天井絵2枚奉納
山本秀麿さん描く
愛知
旅ナビ:見る 東海市・平洲記念館 興味深い人となり /愛知
三重
桑名藩領の苦労記す 愛好家団体が古文書解読本
和歌山
紀州漆器「黒江ぬりもの館」 再開住民の手で
来月中旬にも 「海南のシンボル」支援
訃報
早乙女貢さん死去 82歳、「会津士魂」など歴史小説
小説「会津士魂」、作家の早乙女貢さんが死去
長野
修復完了の山内稲荷社に天井絵2枚奉納
山本秀麿さん描く
「狐の嫁入り」「白狐の邪気払い」
山ノ内町戸狩の箱山中腹に建築される山内稲荷社にこのほど、日本美術教育学会会員で角間出身の山本秀麿さん(長野市)作の天井絵2枚が奉納された。
幕末の慶応2年に創建された山内稲荷社は、屋根の損傷が激しく、一時は取り壊しがささやかれたものの、地域の有志17人が昨年8月に発足させた山内稲荷社保存会(山戸治吉会長)の努力が実って、資金を得て9月に屋根の修復工事が完了した。
愛知
旅ナビ:見る 東海市・平洲記念館 興味深い人となり /愛知
来年のNHK大河ドラマ「天地人」は、安土桃山時代の武将・上杉景勝(かげかつ)や家臣の直江兼続(かねつぐ)を描く。県内のドラマゆかりの人物を探したら、江戸中期の儒学者・細井平洲(へいしゅう)(1728~1801)が浮かんだ。
現在の東海市出身の平洲は景勝の子孫で米沢藩主の上杉鷹山(ようざん)の恩師だ。鷹山は藩の財政危機を一代で立て直し、世界的な金融危機で苦しむ今日の自治体首長らとも重なる。平洲の人となりを知るため、東海市荒尾町の平洲記念館を訪れた。
記念館は小高い丘の雑木林に囲まれていた。74年に市が開設した鉄筋コンクリート2階建て延べ926平方メートル。建物の正面屋外に平洲のコンクリート座像がたたずむ。脇差しに羽織姿。面長の優しそうな中年男だ。玄関を入ると、側壁に平洲と鷹山の晩年の肖像が掲げられていた。平洲の顔は大きな目と額の数本のしわが特徴で、風格がにじんだ味わい深い知的な表情だった。
展示室には平洲直筆の漢詩や書画、手紙などの掛け軸15本が並ぶ。儒教の書「忠信孝弟」、漢詩「花を看る」、書画の「青緑山水画賛」や「夏の景色と詩」などが目を引く。中でも雪舟が描いた中国の絵「西湖の図」を見て作った詩の巻物は幅32センチで長さ14メートルもの和紙に書かれた圧巻だ。
平洲と鷹山の書物約300冊や多数の資料を見られるのが「平洲ホール」。中央壁面に大きな日本地図が描かれ、平洲ゆかりの土地34カ所が記されている。平洲の書物では、江戸で開いた塾「嚶鳴(おうめい)館」時代の漢文体遺稿集「嚶鳴館遺稿」10巻と国字遺書「嚶鳴館遺草」6巻が見もの。遺草は幕末の吉田松陰や西郷隆盛らにも読まれ、明治維新に影響を与えた。
さらに大正時代以降に教師や作家らが著した「鷹山公世紀」や「鷹山公と平洲先生」「細井平洲の教師像」「細井平洲の言葉」も興味深い。平洲の生い立ちや教え、業績などを映像に収めたDVDが多数そろっている。
廊下の壁の額に「学思行相まって良となす」と大書されていた。「学んだことをよく考え、実行してこそ、初めて学んだことになる」という平洲の教えのシンボルだ。80席の講義室は、嚶鳴館と名付けられている。
記念館の裏山には「細井平洲先生旧里碑(きゅうりひ)」が建つ。平洲の死後、尾張藩の門人らが師の業績を刻んだ石碑で市指定文化財。市内には平洲の生誕地や菩提(ぼだい)寺の西方寺をはじめ、平洲像がある小中学校など5カ所、鷹山と平洲の石像が並ぶ市役所、学思行モニュメントがある聚楽園(しゅうらくえん)駅前など、平洲にちなんだ観光スポットが多い。【安間教雄・61歳】
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◇メモ
平洲記念館へは名鉄常滑線の太田川駅前から東海市内循環の「らんらんバス」で約25分。マイカーの場合は西知多産業道路の加家インターを出て約15分、または国道247号の名鉄新日鉄前駅付近から約15分。毎週月曜が休館日。開館時間は午前9時~午後4時半。入館無料。毎年5月29日に旧里碑と西方寺で平洲祭が催される。
三重
桑名藩領の苦労記す 愛好家団体が古文書解読本
北勢地域の古文書の愛好者らでつくる「滴の会」が、江戸時代に桑名藩内の豊田一色村(現在の川越町)の庄屋を務めた大塚家に残る2冊の古文書を常用漢字に置き換えた冊子を出版した。
幕末の文久元(1861)年、皇女・和宮が14代将軍・徳川家茂に嫁ぐため中山道を通って江戸へ向かう際、中山道から離れている桑名藩領からも助郷(すけごう)として人や金を差し出したことなどが詳しく記されている。
滴の会は、四日市市文化会館の古文書セミナーの受講生たちが1999年に結成。顔ぶれは一部が入れ替わり、現在は40代から80代の28人が月2回、集まって古文書の読解をしている。
会員に大塚家の子孫がいるため、同家が所蔵する江戸時代の古文書を中心に解読。研究成果をまとめた冊子の出版は今回が2冊目で、約1年間かかった。
文書は、中山道の細久手宿(現在の岐阜県瑞浪市)などへ人を出すようにとの通達などを、庄屋の大塚桂蔵が控えとして書き残した。豊田一色村だけでなく、領内の各村に割り当てられた人馬の数や、宿場役人が他領からも人を雇い入れるための賃金に充てたとみられる米の石高と金額などが細かく書かれている。
会長の岡田香代子さん(71)は「一人の女性が嫁ぐためにこの地域も含む多くの農民が動員されたことがよく分かり、苦労がしのばれる」と話す。
冊子は200冊を発行し、四日市市立図書館や県立図書館などに寄贈した。希望者には実費で分ける。申し込みは岡田さん方=〒510 0942 四日市市東日野町1288の63=にはがきで。
和歌山
紀州漆器「黒江ぬりもの館」 再開住民の手で
来月中旬にも 「海南のシンボル」支援
11月末に休館した海南市黒江、紀州漆器直売店「黒江ぬりもの館」を存続させようと、住民らが中心になって「『黒江ぬりもの館』ほっとサポーターズ」(仮称)を年明けにも結成する。「漆器の街のシンボルで江戸時代から続く建物を自分たちで守っていきたい」という思いで、来年1月の再開を目指す。
同館は、1988年に漆器製造販売業の池原庸夫さん(63)ら4業者が出資し、幕末に建てられた木造2階建ての空き家を借りて開いた。直売だけでなく、店内に昔の街並みの写真を展示し、漆器作りの体験教室を開くなどして、情報発信拠点とした。
ピークの90年頃には、年間約2万人が訪れたが、中国製の安い漆器の参入などで漆器産業は衰退。4業者のうち、2業者が倒産や廃業に追い込まれた。同館の利用者も年間約6000人に落ち込み、池原さんは今年11月、休館を決めた。
しかし、休館を知った住民らから、「街のシンボルがなくなるのは寂しい」と惜しむ声が相次いだ。このため、同館近くの商店主や主婦ら10人が同サポーターズを結成し、運営を引き継ぐことになった。
和歌山大経済学部の鈴木裕範准教授らをアドバイザーに迎え、経営や広報活動について指導を受ける。今後、同館を改装し、カフェや市民に貸し出すギャラリースペースを作る。再オープンは、来年1月中旬を予定。運営費には会費や館の利用料などを充てるという。
館長として引き続いて運営にあたることになった池原さんは「本当にありがたい。協力しながら、住民に愛されるぬりもの館にしたい」と話している。
訃報
早乙女貢さん死去 82歳、「会津士魂」など歴史小説
「会津士魂(しこん)」など歴史・時代小説で知られる作家の早乙女貢(さおとめ・みつぐ、本名鐘ケ江秀吉=かねがえ・ひでよし)さんが23日午前2時53分、胃がんのため死去した。82歳。旧満州(現中国東北部)ハルビン生まれ。自宅は神奈川県鎌倉市長谷4の11の15。葬儀・告別式は近親者のみで行う。お別れの会を来年2月4日午後6時から、東京都千代田区丸の内3の2の1、東京会館で行う。喪主は未定。
慶応大中退。同人誌に参加する一方、山本周五郎に師事した。1969年に「僑人(きょうじん)の檻(おり)」で直木賞。敗者の側から幕末・維新史をとらえ直し、精力的に作品を発表した。
会津藩士を曾祖父に持ち、幕末から明治にかけて会津の人々の苦難の歴史を描いた「会津士魂」は月刊誌に31年間連載され、2001年に完結、全21巻の超大作となった。89年には13巻までの幕末編で吉川英治文学賞を受賞した。
他の作品に、新選組の全容と真実に迫った「士道遙(はる)かなり」、弟子の視点から描いた「わが師山本周五郎」など。
中日新聞には77年9月から79年2月まで夕刊で小説「独眼竜政宗」を、88年4月から89年6月まで朝刊で小説「志士の肖像」をそれぞれ連載した。
小説「会津士魂」、作家の早乙女貢さんが死去
会津藩の立場から幕末を見た小説「会津士魂」などで知られる歴史小説作家の早乙女貢(さおとめ・みつぐ、本名・鐘ヶ江秀吉=かねがえ・ひでよし)さんが23日午前2時53分、胃がんのため死去した。
82歳だった。告別式は近親者で行い、お別れの会を来年2月4日午後6時から、東京都千代田区丸の内3の2の1東京会館で開く。喪主は未定。
満州(現中国東北部)生まれ。戦後、21歳で日本に引き揚げ、山本周五郎の知遇を得て本格的に小説を書き始める。1969年、同人誌「小説会議」に連載した「僑人の檻(おり)」で直木賞。曽祖父が戊辰戦争で敗れた会津藩士だったことから、敗者の視点から幕末を描くことをライフワークとし、会津・鶴ヶ城落城までを記した「会津士魂」と、明治維新後に青森・下北半島へ移住させられた会津の人々を描く「続会津士魂」の計21巻を70年から31年かけて執筆、その分量は原稿用紙1万1000枚にもなった。「会津士魂」で89年、吉川英治文学賞。
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