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新選組・土方歳三を中心に取り上げるブログ。2004年大河ドラマ『新選組!』・2006正月時代劇『新選組!! 土方歳三最期の一日』……脚本家・制作演出スタッフ・俳優陣の愛がこもった作品を今でも愛し続けています。幕末関係のニュースと歴史紀行(土方さんに加えて第36代江川太郎左衛門英龍、またの名を坦庵公も好き)、たまにグルメねた。今いちばん好きな言葉は「碧血丹心」です。
 雨で洗濯物がなかなか乾かず、大量に部屋干ししているせいか、結露がすごいことに(汗)。

東京
立川発、貨物線経由の伊豆急下田行「黒船電車」を運行 - 伊豆急とJR東日本
 伊豆急行とJR東日本横浜支社は、1月9日~11日に「黒船電車」を使用した臨時特急「リゾート踊り子91号・92号」を運行する。JR立川駅と伊豆急下田駅を、南武線、東海道貨物支線などを経由して結ぶという。全席指定席でグリーン車は連結しない。乗車するには乗車券のほかに指定席特急券が必要となる。
 「黒船電車」は伊豆急行が保有する特急用車両「リゾート21」の1編成(4次車)を、伊豆下田に来航した黒船に見立てたラッピング車両とのこと。先頭車はハイデッカータイプで運転席越しの展望を楽しめる。中間車は海に向いたパノラマシートとなっている。車内には車内には、「黒船の来航と幕末」「当時の下田」を紹介する資料や図版などを展示しているという。
 「リゾート踊り子91号」はJR立川駅10:30発 - 伊豆急下田駅14:08着。南武線、南武線支線、東海道貨物線、東海道線、伊東線、伊豆急行線を経由する。途中停車駅は府中本町・登戸・武蔵溝ノ口・武蔵小杉・横浜・小田原・湯河原・熱海・伊東・伊豆高原・伊豆熱川・伊豆稲取・河津。「リゾート踊り子92号」は伊豆急下田駅16:17発 - JR立川駅20:04着。経由路線と停車駅は同じ。なお、途中、浜川崎駅で車両の方向転換を実施するとのこと。

 「黒船電車」については以前にも取り上げました。
5月13日~14日の幕末ニュース
 乗りたいなぁと思っているのですが、立川か横浜から乗り込むというのは自分にはやや不便……せめて川崎に停まってくれればいいのに(爆)。

遊ナビ:美術 /東京
■江戸の粋・明治の技柴田是真の漆×絵

 5日~来年2月7日10~17時、三井記念美術館(地下鉄三越前駅)。幕末から明治期に活躍した漆芸家で画家、柴田是真(1807~1891)は、和紙に色漆を用いて描く「漆絵」も発展させ、海外の評価が高い。今回は米国テキサス州のエドソン夫妻のコレクション約70点が初めて里帰り。国内所蔵の約30点と合わせて。一部展示替えあり。1200円。月曜(1月4・11日除く)と12月28日~1月3日、1月12・31日休。電話03・5777・8600
(以下略)


新潟
「天地人」後 始動
 県内が主な舞台となったNHK大河ドラマ「天地人」の放映が11月22日で終了した。1月の放送開始以来、県内のゆかりの地には連日多くの観光客が詰めかけた。この効果を来年以降も生かそうと、「戦国時代」をテーマにした観光拠点づくりやイベントを行う動きも出始めている。(伊木緑)

   ◇

■「観光客、来年以降も」各地で模索

 主人公の直江兼続生誕の地、南魚沼市。JR六日町駅前で1月から開催している博覧会「愛・天地人博 南魚沼」の入場者数は11月末、42万人を超えた。主催者側が当初、会期終了の年末までに見込んでいた入場者数は20万人。すでに2倍以上だ。平日でも、団体客を乗せた県外ナンバーの観光バスが次々と到着しては、駐車場を埋め尽くした。
 「わしはこんなとこ来とうはなかった」の名ぜりふの舞台となった古寺「雲洞庵」(同市雲洞)も10月末までの10カ月間で入場者が40万人を超えた。昨年の7倍のペースだという。
 観光客の増加は、飲食店や土産物屋にも「特需」をもたらした。同市の国道沿いのそば屋「田畑屋」(同市目来田)は観光客が増えるのを見越して昨年10月、従来の店の隣に団体客用のスペースを作った。春から11月末まで一日も休まず営業。多い日には観光バス十数台分の客が入っり、売り上げは例年の約4割増になったという。店主の田畑敏晴さんは「これほど来てもらえるとは思わなかった」と満足げだ。

   ◇

■大河の「先輩」は軒並み苦戦

 だが大河ドラマによるブームがそう長くは続かないことは、これまでに舞台となった自治体の経験から明らかだ。
 山内一豊と妻千代の夫婦愛を描いた「功名が辻」が放映された06年、静岡県掛川市に開設された展示館の入場者は年間30万人を超えた。ブームが続くことを当て込み、翌年も改装して再オープンしたが、来館者は見込みの4割にとどまった。
 山内が城主を務めた掛川城には06年、年間約35万人が来場したが、翌07年には15万人に減少。現在は10万人前後だという。
 同市商工労働観光課の担当者は「放映中の年に来るお客さんは、『歴史ファン』ではなく『ドラマファン』。掛川市の『顧客』ではないんです」とやや自嘲(じちょう)気味。それでも「全国での知名度アップは間違いない。遺産は大切にしていかないと」と話す。
 昨年放送された「篤姫」のふるさと鹿児島県は、放送終了後の対策について昨年の早い時期から検討を始めた。09年が篤姫の養父・島津斉彬の生誕200周年とJR肥薩線の全線開通100周年に当たることをアピールするキャンペーンを張った。
 「ゆかりの地」として話題になった島津家の別邸・仙巌園(鹿児島市)は今年、入場者が昨年より13%ほど落ちるなど「昨年上がった分だけ反動はあった」(県観光課)が、博覧会「篤姫館」(同市)を模様替えして再オープンした「維新ふるさと館」は昨年比103%の入場者をマーク。いまのところ、「篤姫ブーム」の延長に成功している。それでも「ブームが去った後の観光地づくりに力を入れなければ」と同課の担当者は気を引き締める。

   ◇

■「戦国」をテーマにイベント

 翻って県内は――。
 南魚沼市は、最近の戦国武将ブームに目を付けた。「天地人」に加え、「イケメン武将」が次々と登場する人気のゲーム「戦国BASARA」は今年、歴史好きの若い女性を指す「歴女」なる流行語を生んだ。
 大河ドラマのブームは去っても、戦国ブームは簡単には去らないと見込み、「愛・天地人博」の会場を来年、戦国時代をテーマにした博覧会に模様替えする計画を進めている。
 今月6日には市内で、「戦国BASARA」のプロデューサーや声優を招いてトークイベントを開催する。「ポスト天地人」に向けて、新たなスタートを切る。
 上越市は07年の「風林火山」から立て続けに大河ドラマの舞台となり、「謙信のまち」として知名度を高めた。市観光企画課の担当者は「大河ドラマはきっかけにすぎない」と言い切り、「民間と協力して、リピーターの受け入れ態勢を改善していくことが今後のテーマ」と話す。

 「放映中の年に来るお客さんは、『歴史ファン』ではなく『ドラマファン』。掛川市の『顧客』ではないんです」という掛川市関係者の言葉が耳に痛いですねぇ。今の「戦国」「幕末」人気も、ドラマやアニメやゲームによって生まれたものという一面を否定できませんし。その中から史実に目を向ける人が生まれてくれれば(自分も小説やマンガから入りましたし(^^ゞ)。


静岡
広域行政の推進支援 サンフロント21懇話会
 県東部の活性化策を探る静岡新聞社・静岡放送「サンフロント21懇話会」(代表幹事・岡野光喜スルガ銀行社長)の第15回全体会が2日、三島市内のホテルで開かれ、伊豆の国市在住の女優、藤田弓子さんが「いくつになっても旬」と題して記念講演を行った。全体会に先立つ運営委員会で、2010年度活動方針となる四つの地区テーマについて協議した。
 全体会は約80人が出席した。あいさつで松井純静岡新聞社・静岡放送社長は、藤田さんが10月の国民文化祭・しずおか2009で、幕末の代官「江川坦庵」の演劇を演出したことに触れ「藤田さんの活動は清涼剤。地域文化を掘り起こし、活躍されている」と評価し、講演に期待した。
 運営委員会(委員長・井口賢明あさひ総合法律事務所長)では、事務局から▽広域行政の推進支援▽ファルマバレープロジェクトの推進支援▽東部地区におけるコンベンション機能の促進▽富士、箱根、伊豆を束ねた広域観光の促進―の地区別4テーマが示された。
(以下略)

 『江川坦庵』、また公演しないかなぁ……見損ねたのがとても残念です。

三重
人気ドラマ「JIN-仁-(じん)」-音楽担当は伊勢出身の長岡成貢さん
 高視聴率で人気を集めているドラマ日曜劇場「JIN-仁-(じん)」(TBS系)の音楽制作に伊勢出身の長岡成貢さんがかかわっている。
 「JIN-仁-」は、2000年9号から「スーパージャンプ」(集英社)に連載されている漫画作品をテレビドラマ化したもので、毎週日曜21時から放送中で全11話。10月11日の放送の第1話の視聴率は16.5%で、以降16.4%、17.2%、17.2%、20.3%、20.2%、16.8%(視聴率は関東地区・ビデオリサーチ社調べ)の高視聴率を維持している。
 幕末の江戸へタイムスリップしてしまった脳外科医「南方仁」が、満足な医療器具も薬もない環境で人々の命を救っていき、その医術を通して坂本龍馬・勝海舟・緒方洪庵ら幕末の英雄たちと交流を深め、いつしか自らも歴史の渦の中に巻き込まれていくというストーリー。
 主人公の「南方仁」役には大沢たかおさん、仁の現代での恋人「友永未来」とタイムスリップした江戸・吉原の最上級位の花魁(おいらん)「野風(のかぜ)」の二役を演じる中谷美紀さん、幕末の江戸で仁の世話をし公私共に支えになる「橘咲」役を綾瀬はるかさん。そのほか内野聖陽さん、小日向文世さん、武田鉄矢さんらが出演する。
 長岡さんは、中島美嘉、EXILE、SMAP、CHEMISTRY、MISIAなどJ-POPのトップアーティストのプロデュース、アレンジ、リミックスなどを手掛ける一方、ベルリン・国際映画祭ワールドプレミア上映の映画「白銀帝国」の音楽を作曲するなど世界的に注目される作曲家、音楽プロデューサー。
 長岡さんは「今回は高見優さんと作曲を分担している。ドラマのキーワードの一つである手術の緊迫したシーンで特徴的に使われる和太鼓サウンドや、主人公の精神的な葛藤、ミステリアスな世界観、江戸時代という時代を演出する日本的で優美な旋律などを僕が担当。そもそも『斎宮物語』(長岡さん作曲の明和町の斎宮テーマの曲)など、日本的なメロディー・サウンドはわたしの最も得意とするところ。僕の中では江戸時代=『伊勢』と結びついているので何の違和感もなかった」と話す。
 12月2日には同ドラマのオリジナル・サウンドトラックが発売されたばかり。

 『JIN-仁-』、音楽もいいなぁと思ってました。オリジナルサウンドトラック、気持ちが動きます。

コラム
【幕末から学ぶ現在(いま)】(39)東大教授・山内昌之 渋沢栄一
■日本資本主義の父

 鳩山由紀夫首相と新政権には「マクロ経済政策がない」とか、「成長戦略がない」という声をよく聞く。確かに、福祉や教育をめぐって国民への分配や再分配を熱心に進めようにも、基礎となる税収が落ち込むなら持続的な社会発展は期待できない。
 このあたりの舵(かじ)取りに巧みだったことが、明治新国家の成功した秘訣(ひけつ)であろう。19世紀のアジアやイスラムの世界は、外国資本主義の圧迫にあえいでいた。そのなかで、遅く開国しながら、日本がいちはやく産業化に成功して、欧米に伍(ご)する近代国家に成長した理由は、リーダーシップの問題とも関係している。  

近代国家へ任務分担

 幕末明治に活躍した日本の政治家やエリートくらいの外国語能力なら、はるかに優秀な人材がオスマン帝国やエジプトにも多かった。しかし、政界と官界だけでなく、実業界や学界が有機的に結びつきながら、類まれなリーダーシップを発揮して協力しあう構図は日本独特のものであった。
 ことに役どころを任務分担するかのようだった3人が日本にいなければ、明治に始まる近代日本国家の成長はありえなかった。それは財政の松方正義、理財学の福沢諭吉に加え、各種銀行をつくった金融の渋沢栄一の活躍であった。
 渋沢は武蔵の血洗(ちあらい)島という変わった名前の村に生まれた。藍(あい)玉の製造販売と養蚕を兼営し、米、麦、野菜の生産も手がける大農家に育ちながら、原料の仕入れや藍の販売に従事した経験が、やがて欧米の合理的な資本主義システムにもいちはやく適応できる素地を形作った。
 しかし、彼は尊皇攘夷(じょうい)の気風に染まり、高崎城の乗っ取り、横浜の焼き討ち、幕府転覆などの物騒な計画を練り上げた。従兄弟(いとこ)の渋沢成一郎はやがて上野で薩長軍に抵抗する彰義隊の指導者になったが、栄一は一橋家の家臣になって穏健な変革の道を志した。

西欧見聞で人生観一変

 彼の人生観を大きく変えたのは、パリの万国博覧会見学による西欧での知見の広がりであった。主君の慶喜(よしのぶ)が将軍となった際に、名代としてパリに派遣された弟、徳川昭武(あきたけ)の随員としてフランスを訪れたのである。パリなど西欧滞在の経験を誰でも生かせるものではない。
 しかし、栄一は渡航の途中にエジプトの悲惨な半植民地状態の観察などを通して、日本が欧米に従属しない道とは何かを考え続けたのである。この救国の問題意識こそ、帰朝後に彼を政界や官界よりも実業の道に向かわせる大きな動機になったのだ。第一国立銀行、王子製紙、日本郵船、東京証券取引所などの企業や団体の設立と経営は、誰かが果たさなくてはならない仕事であった。
 この事業に、養蚕農家経営、尊攘志士、徳川家臣、外国視察など多彩な経験を積んだ教養人の栄一があたったのは、黎明(れいめい)期の日本資本主義にとって幸いなことであった。しかも栄一の偉いのは、三井や岩崎や安田と違って「渋沢財閥」をつくらなかったことだ。

私利を追わず公益を図る

 これは、彼の経営姿勢が「私利を追わず公益を図る」という全体への奉仕に貫かれていたからかもしれない。実際、渋沢ほど社会活動に熱心だった資本家もいない。当世風に言えば、メセナにも関心があったのだ。東京養育院、東京慈恵会、日本赤十字社、癩(らい)予防協会の設立、聖路加国際病院やYMCAの指導にもあたっている。
 また、高等商業教育を振興したのは、渋沢の大きな功績にほかならない。商法講習所(一橋大学)、大倉商業学校(東京経済大学)は渋沢の熱意と協力があって初めて誕生した。
 早稲田、二松学舎、国士舘、同志社、日本女子大、東京女学館などの設立や発展の背景には必ず渋沢の姿があった。まさに、言葉以上に「日本資本主義の父」としての重みをもつ逸材であった。(やまうち まさゆき)
                   ◇

【プロフィル】渋沢栄一

 しぶさわ・えいいち 実業家。天保11(1840)年、武蔵国榛沢(はんざわ)郡(埼玉県深谷市)生まれ。一橋家につかえ、幕臣となる。慶応3年、後に最後の水戸藩主となる徳川昭武とともに渡欧し、パリ万国博覧会を見学、西洋の近代産業や財政制度を学ぶ。維新後、大蔵省に出仕。明治6年に退官すると、第一国立銀行のほか、保険・運輸・鉄道など多くの近代的企業の創立、発展に尽力する。実業界の地位向上や実業学校の創設、「論語」を通じた道徳教育にも努めた。昭和6(1931)年、92歳で死去。

 土方ファンには知られていることだけど、渋沢栄一と土方歳三は幕末の京都で出会っているんですよね。
渋沢栄一と土方さんの遣り取り♪
 土方ファンにはちょっと嬉しいエピソードです。

文化
山田風太郎の直筆原稿435枚見つかる
 兵庫県養父市関宮出身の作家、山田風太郎(1922~2001)が、月刊誌などに連載した時代小説の短編「笊(ざる)ノ目万兵衛(まんべえ)門外へ」の直筆原稿全78枚と、風太郎が旧制豊岡中(現・県立豊岡高校)時代に、社会科教諭だった歴史家の奈良本辰也氏(1913~2001)の思い出をつづった原稿「拝啓 奈良本先生」の7枚が新たに見つかった。
 一部が見つかっている古今東西の著名人の死に際を描いたノンフィクション「人間臨終図巻」350枚も新たに見つかった。いずれも同市の山田風太郎記念館に寄贈され、開催中の特別展で公開している。
 風太郎の妻の啓子さん(東京都在住)が、自宅の庭にある物置で見つけ、10月下旬に同館に寄贈した。400字詰め原稿用紙に書かれており、編集者が赤ペンで修正した個所はあったが、書き直しなどはほとんどなく、完全原稿に近いという。
 「笊ノ目万兵衛門外へ」は1972年に発表。幕末の老中・安藤信正が、志士に襲撃された坂下門外の変(1862年)をモチーフに、安藤の部下だった主人公の笊ノ目万兵衛の活躍と悲劇を描いた。志士たちの暗躍を防ぐため、妻と母ら家族3人を犠牲にし、最後は安藤を襲う刺客の一人として加わったという筋立て。
 風太郎の研究家の有本倶子さん(65)(養父市中瀬)は「風太郎独特の歴史観と人物観がよくでており、弱者への優しさがかいま見られる」としている。
 「拝啓 奈良本先生」は、風太郎が授業中、奈良本氏の似顔絵を描いたことや、さっそうとした雰囲気が映画俳優の嵐寛寿郎に似ていたことなどが記されている。編集者らの校正の跡はなく、風太郎の随筆「風眼抄」の中で、こうしたエピソードが触れられているという。
 「人間臨終図巻」は、正岡子規やモーツァルトら約300人の死に際が描かれており、今回の発見で計520枚分がそろった。

(2009年12月2日22時27分 読売新聞)




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