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新選組・土方歳三を中心に取り上げるブログ。2004年大河ドラマ『新選組!』・2006正月時代劇『新選組!! 土方歳三最期の一日』……脚本家・制作演出スタッフ・俳優陣の愛がこもった作品を今でも愛し続けています。幕末関係のニュースと歴史紀行(土方さんに加えて第36代江川太郎左衛門英龍、またの名を坦庵公も好き)、たまにグルメねた。今いちばん好きな言葉は「碧血丹心」です。
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 今日はマッサージを受けてきました。猛烈な肩凝りと腰の冷え性がちょっと軽かった今日は、「普通の人」がマッサージで気持ちよくなるってこんな感じなのかなぁとリラックスして楽しみました……いつもは、かちかちに固まったのをほぐしてもらうので、痛みがどうしてもありますから(苦笑)。今日は、そのまま居眠りしたいぐらい気持ちよかったです。

宮城
上遠野秀宣栗駒山紀行:栗駒山の参拝紀行録を出版 仙台の深野さんが訪ね歩き /宮城
◇武士の畏敬の念を今に 「現在と昔を対照的に伝えたい」
 幕末に栗駒山を参拝した武士の紀行録を基に現在の栗駒山を訪ねた仙台市若林区のデザイン事務所経営、深野稔生(としお)さん(66)が「上遠野秀宣(かどのひでのぶ)栗駒山紀行」(無明舎)を出版した。執筆を終え編集中の6月、岩手・宮城内陸地震が発生。訪ね歩いた場所も大きな被害を受けた。「江戸時代に栗駒を歩いた人の畏敬(いけい)の念を今に伝え、復興をめざす栗駒の人たちの故郷への思いに重ねたい」としている。
 上遠野秀宣は岩出山伊達家に生まれ、大川口(現栗原市一迫)の上遠野家の養子となった。文久2(1862)年夏に栗駒山を参拝登山した時の道中記や和歌などを記した直筆の「栗駒山紀行」が残されている。


群馬
【憩いの名園】
藩主一族ら楽しんだ庭 楽山園(群馬県甘楽町)

 一番高い築山に「梅の茶屋」、手前の築山には五角形の「腰掛(こしかけ)茶屋」が立っている。「昆明池(こんめいいけ)」には滝口から水が流れ込む。
(中略)
 織田・小幡藩は一七六七年、第八代信邦のとき、家臣が幕政批判にかかわったとして出羽国高畠(たかはた)(山形県)に転封となった。その後、若年寄の松平忠恒が入る。松平家で明治維新を迎え、藩邸は廃藩置県により小幡県庁となったが、群馬県に編入されたことで不要となった一八七三年、楽山園とともに競売に付された。


茨城
芸能と文化展:戦国から江戸の地図や盃など展示--桜川 /茨城
 桜川市真壁町真壁の同市歴史民俗資料館で「桜川流域に花開く、戦国から江戸の芸能と文化展」が開かれている。14日まで。
 幕末から明治初期にかけて作られたとみられる桜川の源流から霞ケ浦までの名所の地図のほか、桜川市の真壁城跡とつくば市の小田城跡の庭園から出土した中国産の高級陶磁器や土器などの資料などを展示している。
 また、1569年11月の手這坂(てばいさか)(現石岡市)の合戦で真壁氏が、小田氏を破り、真壁氏が小田城に進駐した際に持ち込んだとみられる土器で作られた盃なども展示している。【小林昭雄】


大阪
わが町にも歴史あり・知られざる大阪:/102 綿レース 大阪市西区 /大阪
 「安治川を愛する会」の西島一晴さんから、「江戸時代、綿を運ぶ船のレースがあって、この辺からスタートしてたそうです」と聞いた。それは面白そうだ。06年に企画展「浪華商人船レース」を催した大阪市立海洋博物館「なにわの海の時空館」を訪ねた。
 ドーム型の館内には全長約30メートル、帆柱約27・5メートルの復元された菱垣(ひがき)廻船(かいせん)が鎮座する。大坂から日用品を江戸に運んだ大型船で、綿レースもこの船で競われた。
 大坂は河内木綿など綿の産地で、二十四組問屋と呼ばれた綿問屋は、秋に収穫された綿の初荷を江戸に届けるのを競った。このレースに参加する船を「新綿番船」といった。
 幕末の1840年代にスタート地点を描いた錦絵が所蔵されている。大坂の絵師、含粋亭芳豊(がんすいていよしとよ)の筆になる「菱垣新綿番船川口出帆之図」。実物にはお目にかかれないが、図録に掲載されている絵を見ると、安治川の両岸には綿問屋の蔵が並ぶ。左手に「くにつ橋」の文字が見える。国津橋は先に見たように、交差点の名称に残っている。富島から西へ渡る橋だ。このスタート地点は安治川1丁目の辺りと類推される。



兵庫
赤穂城本丸御殿間取り図:修復終えあすから公開 市立歴史博物館で特別展示 /兵庫
 赤穂市教委は、浅野家断絶後の森家の時代(1706~1868)のものとみられる「赤穂城本丸御殿間取り図」の修復を終え、報道陣に公開した。浅野時代に比べて建物の規模が約3分の2に縮小されていることなどから、財政難に陥っていた小藩の悲哀が読み取れる貴重な資料だ。
 6日~1月12日、赤穂市上仮屋の市立歴史博物館で特別展示される。
 図面は市内の塩田地主の流れをくむ旧家から寄贈された。8枚の美濃紙をつなぎ合わせており、大きさは縦97センチ、横112センチ。約60室が詳細に記され、浅野時代にはなかった坪庭池泉があることなどから、森家の間取りと推定される。
 各部屋には藩主の居室「金ノ間」や執務室「大書院」、「御番所」「御台所」などの名称が記入され、六畳や八畳など広さを記しただけの部屋もあった。板や竹など縁側の材質も記されていた。
 森家の図面は県立赤穂高校にも所蔵されているが、全室の間取りは記されていない。たつの市立龍野歴史文化資料館蔵の浅野家の間取り図と比較すると、奥御殿が3分の1に縮小されるなど、5万石の浅野家と2万石の森家の規模の違いが分かる。
 藤田忠彦・赤穂市立歴史博物館館長代理は「森家は財政が窮迫し、幕末には藩邸を売却した。塩田地主が売却先を探すなどの手伝いをした際、この図面を使った可能性もある」と話している。
 博物館(電話0791・43・4600)は火曜日と28日~1月1日が休館。特別展示期間の入館料は高校生以上300円、小中学生150円、小学生未満は無料。【石川勝己】

 「幕末には藩邸を売却」というところが、ちょっとどきっとさせられます。やはり、中小の藩は財政に行き詰まったのですね。

山口
一中新聞:紙面に新時代への息吹 下関一中1期生・浜崎さん、大切に保管 /山口
一中新聞:紙面に新時代への息吹 下関一中1期生・浜崎さん、大切に保管 /山口
◇よみがえる60年前の中学校新聞
 1948年発行の下関第一中学校(現・日新中学校)の「一中新聞」が今も大切に保管されている。新聞は傷み、黄ばんでいるが、卒業生らは青春時代に思いをはせつつ、教師も生徒も新しい時代に向かって必死に模索していた様子が紙面から伝わってくる。【尾垣和幸】
 編集長は、後に高杉晋作ら幕末の志士を資金面で支えた豪商、白石正一郎を世に伝える郷土史家となった故・中原雅夫さん(元下関図書館長)。当時、同中の国語教師だった。


高知
高知・いの町 和紙の魅力に一度は触れて
 昔ながらのレトロな路面電車が、高知市中心部と周辺を結ぶ土佐電鉄。市街地から約40分間電車に揺られ、到着したのは伊野線の終点になる高知県いの町。合併前の旧伊野町は土佐和紙の産地として知られ、今も多くの製紙工場が立ち並ぶ「紙の町」。古い建物や狭い路地が残る町中心部を歩けば、土佐和紙の良質さを伝える店や施設に出会える。中心部は半径1キロ以内とエリアも狭く、気軽に散策が楽しめるのも魅力だ。ゆっくりと時間が流れるような町並みは気分を和ませてくれる。(加藤浩二)
(中略)
 ギャラリーを出て町道を西に向かった。製紙工場や小学校、製材所などが目につく中、「吉井源太翁生家」の看板を発見。源太は幕末から明治にかけて大型の簀桁を考案するなど製紙業界の発展に尽くした人物。今は町文化財に指定されている築約150年の建物を管理するのは源太の孫の吉井健晃さん(78)。突然の来訪にもかかわらず源太の人となりや偉業、和紙の歴史などを親切に教えてくれた。



長崎
「龍馬伝まで待てない!」坂本竜馬が身を隠した「秘密の部屋」を初公開。
 大河ドラマ「龍馬伝」の2010年放送に合わせて「坂本竜馬」縁の地である、長崎市は新たな観光名所を公開する事を明らかにした。
長崎で竜馬がもっとも多く滞在した「亀山社中」にいまだ公開されたことがない秘密の部屋があったのだ。同市はその部屋を初公開することを12月4日に発表したものだ。
(12月5日西日本新聞朝刊より)
 「龍馬伝」がどのようなストーリーになるかは不明だが、同郷の出身で三菱財閥の創始者でもある、”岩崎弥太郎から見た坂本竜馬を書いたもの”になると発表されている。
 坂本竜馬が日本初の会社(カンパニー)である「亀山社中」を設立して、その後「海援隊」に発展していった長崎の地が重要な舞台になることは間違いないだろう。
 しかも、竜馬の役に決まった福山雅治は長崎市出身であり、さらに縁が深くなった。
 坂本竜馬が師の勝海舟と長崎を訪れたのは1864年の事だった。彼は外国人との情報交換が容易なこの地に「カンパニー」を興そうと考えて「亀山」の地に人の集まる所「社中」を作ったのだ。
 「亀山社中」の建物は現存しており、「亀山社中ば活かす会」の努力によって一般公開されていたが平成18年3月に事情により公開終了していた。
 しかし、「龍馬伝」の放送が決まり長崎市がそれまで行ってきた交渉も進展。2009年8月の一般公開再開が決まった。
そして、12月4日に同市は「亀山社中にある『隠し部屋』」を初公開すると発表したのだ。
 この隠し部屋は、2000年に本格調査されて明らかになっていたが、未だ公開された事はなかった。
一階の押し入れ天井から出入りする六畳程の屋根裏部屋で、竹格子ののぞき窓があり竜馬が身を隠す為につくられたのではないかと思われる。
 竜馬ファン、幕末ファンにはワクワクする話であるのだが、「龍馬伝」で新たなファンとなった人々が坂本竜馬が身を隠してのぞき窓から外をうかがった様子を体験できるということに感動すら感じる。
(編集部:真紀和泉)

 筆者が「真紀和泉」さん……「真木和泉」と一字違いですなぁ^_^;。

宮崎
都城市:島津邸の史料館デザイン、洋風から和風に変更 /宮崎
都城市:島津邸の史料館デザイン、洋風から和風に変更 /宮崎
 都城市は、10年3月の一般公開を目指す都城島津邸内に新設する史料館のデザインを、洋風から瓦ぶき屋根の和風へ変更することを決め、改修費などを盛り込んだ1億1200万円の補正予算案を12月定例議会に提案した。
 島津邸は敷地が1・5ヘクタール。1935年建築の本宅や、幕末~昭和初期の建造物が現存している。事業は島津邸を補修して公開し、市に提供された約1万点の島津家の美術工芸品などの史料を収蔵・展示する史料館を新設する。
 デザイン変更について、市経営戦略課の丸田勉参事は「住民説明会などで『瓦ぶき屋根の方が雰囲気にあっている』などの意見が出た」と説明している。
 補正予算が可決されれば、09年3月にも改修と新設工事に着手する。【小原擁】
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