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新選組・土方歳三を中心に取り上げるブログ。2004年大河ドラマ『新選組!』・2006正月時代劇『新選組!! 土方歳三最期の一日』……脚本家・制作演出スタッフ・俳優陣の愛がこもった作品を今でも愛し続けています。幕末関係のニュースと歴史紀行(土方さんに加えて第36代江川太郎左衛門英龍、またの名を坦庵公も好き)、たまにグルメねた。今いちばん好きな言葉は「碧血丹心」です。
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会津の歴史見つめ直す 若松司馬さんしのび献花祭
 会津に深い思いを寄せた作家の故司馬遼太郎氏をしのぶ献花祭は司馬氏の命日「菜の花忌」の12日、会津若松市で催され、参加者が司馬氏の好んだ菜の花を鶴ケ城三の丸の司馬遼太郎文学碑前などに手向けた。
 戊辰戦争150周年などを記念し、会津若松商工会議所が主催した。文学碑前では宮森泰弘同文学碑実行委員長と会津松平家14代当主の松平保久さん、渋川恵男会津若松商工会議所会頭らが献花した。
 市内の香寿庵でセレモニーを開き、約25人が出席した。宮森委員長が執筆50年となる司馬氏の小説「王城の護衛者」を挙げ、「(執筆当時の)歴史観に一石を投じた。戊辰戦争150年を機に歴史を見つめ直し、全国の人に会津の真の姿を知ってほしい」と述べた。菅家一郎、小熊慎司両衆院議員、室井照平市長があいさつした。宮森委員長と松平さんが献花した。
 文学碑は2013(平成25)年11月に建立され、幕末の会津藩主松平容保公の至誠を描いた「王城の護衛者」や随筆「歴史を紀行する」の一節が刻まれている。献花した菜の花は司馬氏の地元の大阪府東大阪自治協議会意岐部校区自治連合会の大西信弘会長から贈られた。

■松平家当主保久さん講演 容保公の文書紹介

 セレモニーでは松平さんが「鶴ケ城開城と容保公」と題して講話し、戊辰戦争の会津戦争終結時に容保公が記した降伏文書の内容などを紹介した。
 「晩年の容保公は戊辰戦争の責任を一身に受け止めていた。容保公の思いを未来永劫(えいごう)に持ち続けなければと改めて強く感じている」と語った。

戊辰降伏、容保の思い語る 松平家14代当主・保久さん講演
 会津若松市で12日行われた「戊辰150周年記念 司馬遼太郎顕彰事業 菜の花忌『献花祭り』」では、松平家14代当主の松平保久(もりひさ)さんが「鶴ケ城開城と容保公」と題して講演、松平容保に秘められた会津藩への思い、生き様を語った。

 松平さんは戊辰戦争における鶴ケ城での籠城戦の末、容保が携えた降伏文書の一部を朗読し、「文書の内容は容保公の考えとは180度違う内容が書かれており、相手に差し出す容保公の悔しさは大変なものだったに違いない」と語った。

 さらに、容保が鶴ケ城で降伏し、東京などでの謹慎後、日光東照宮(栃木県)の宮司を務め、幕府に代わり日光東照宮の維持管理を行う「保晃会(ほこうかい)」の初代会長にも就いたことを紹介、「容保公は徳川家康を奉り、守っていく使命感を持っていたはずだ」と述べた。

仙台
闇に紛れ連戦連勝…戊辰戦争
ゲリラ部隊「からす組」隊長 細谷 十太夫
 戊辰戦争で新政府軍に敗走を強いられ、降伏に至った仙台藩。その中で、30余りの戦いに連戦連勝したゲリラ部隊があった。「からす組」と呼ばれ、高杉晋作の奇兵隊と同様に、隊員は侍ではなく、博徒や侠客きょうかく、猟師などの荒くれ者が集められた。

 隊長は下級武士の細谷十太夫。仙台藩の探索方(諜報ちょうほう員)として、戦争が勃発すると虫売りに身を変え、他藩に潜入して情勢を探ったと伝えられるが、謎の多い人物だ。

 1868年(慶応4年)5月1日、白河城の攻防戦で仙台藩が新政府軍に敗れると、十太夫は「衝撃隊」を結成。白河、二本松、駒ヶ嶺、旗巻峠など藩内外で新政府軍に対し、闇夜にヤリや刀でゲリラ攻撃を続けた。「からす組」の呼び名は、メンバーが黒装束を身にまとっていたことにちなむ。

 「細谷からすと十六ささげなけりゃ官軍高枕」と、市井では新政府軍を脅かす精鋭とうたわれた。隊旗にはカラスが描かれ、実際にカラスを連れて歩いたともいわれる。東北歴史博物館(多賀城市)には、十太夫がまとっていた陣羽織の複製が常設展示されている。


 戦後、十太夫は行方をくらまし、各地を転々とした。西南戦争には陸軍少尉として出征。その後は、現在の石巻市大街道周辺に士族を集めて移り、開墾に励んだ。北海道にも渡り、現在の幕別町に開拓民のため入植し、和人として初めて住んだ。日清戦争にも従軍した。

 晩年は仙台に戻り、仏門に入った。「寛政の3奇人」の一人と言われ、幕府に海防政策を説いた学者・林子平を慕い、その菩提ぼだい寺である仙台市青葉区の龍雲院の住職を務める。戦死した将兵の霊を弔いつつ、1907年に死没した。法名は「竜雲院八世鴉仙直英和尚」。「鴉からす」の一文字から、からす組がその人生を象徴するものだったことがうかがえる。死後、寺の境内には十太夫を模した「細谷地蔵」が立てられた。


 からす組の活躍は、映画や劇などにも幾たびか取り上げられ、作家・大佛次郎は小説「細谷十太夫―からす組」を残す。

 1991年には、十太夫を題材にしたドラマ「疾風からす組」がテレビ東京で放送され、主役の十太夫を俳優・風間杜夫が演じた。企画を担当したのは十太夫のひ孫・辰馬。その次男で、玄孫やしゃごにあたる伸之(46)は現在、同じテレビ東京のアニメ制作部のプロデューサーの職にある。

 「いつか、からす組の活躍を題材にアニメを制作してみたいですね」と伸之は語る。圧倒的優位にあった新政府軍に一矢を報いた先祖に再び光を当てる日も、そう遠くないのかもしれない。(敬称略)

茨城
<ひと物語 幕末~明治>日本の金融界の発展に貢献 川崎八右衛門(中)
 「海老沢地内には海士部(あまべ)神社や駒形神社など三つのお社がありますが、どの神社にも川崎家は寄付をしてます。とくに海士部神社の銅板屋根を修復したときには、多額の寄付をされるなど地元を大切にし、貢献してますね」

 茨城町で『水戸屋菓子店』を営む小山正浩さんはこのように言い、川崎八右衛門に感謝と誇りを持ち、彼の功績を讃(たた)えます。小山さんは海士部神社の氏子であり、祭礼のときにはお餅や農・海産物などの供物の調達を引き受けている地元の製菓店です。

 川崎は地元思いの人でした。これも成功の秘訣(ひけつ)だったかもしれません。

 涸沼のほとりにあった川崎家は北海道や東北から海路で運ばれた物資を、今度は陸路や水路で江戸に運搬する回船問屋でした。このため十代の青年時代から早くも金銭、利益、経営などに対する感覚を身につけ、起業家としての能力をやしなってゆきます。

 これが後に彼を三井、住友、三菱などと並ぶ、わが国屈指の八大財閥のひとつに数えられる「川崎財閥」をつくりあげるまでに成長させるのでした。

 けれど、川崎の私生活は質素でした。ともすると蓄財に励むような人は吝嗇(りんしょく)と思われがちですが、彼は、人には温厚で、華美な服装は求めず、食事もけっしてぜいたくではなく、質素倹約の人でした。その反面ビジネスには厳しく合理的であったといいます。

 この点を分家にあたる川崎正則さんにただしたところ、「墓地の近くに立っている招魂碑に書かれた通りの人でしたよ」と教えられたので早速参ったところ、このように刻まれており、なるほどと納得しました。

川崎八右衛門(常陽芸文から)

 「-川崎八右衛門の資性は俊邁(しゅんまい)、人には温厚、事に臨んではよく決断、独力経営。産業を殖(ふ)やし-」

 川崎財閥が所有する不動産の管理会社である川崎定徳株式会社(東京都中央区)は、先述した海士部神社の屋根改修のほか老朽化した拝殿、本殿の改修工事、参道の舗装化、境内をつつむ広大な山林を寄贈するなど、いまも故郷とのつながりを大切にしています。

 (ノンフィクションライター・岡村青)

<参考文献> 「日に新なり 加倉井砂山物語」(堀口真一、崙書房出版)

 「川崎財閥を築いた川崎八右衛門」(常陽芸文1994年10月号)

幕末の紀州藩士・茂田一次郎の壮絶人生、わかやま歴史館で企画展示
 幕末に波瀾(はらん)万丈の人生を歩んだ紀州藩士、茂田一次郎について紹介する企画展示「紀州藩士 茂田一次郎、幕末を生きる。-龍馬のハッタリに敗れた男-」が10日、和歌山市一番丁のわかやま歴史館で始まった。3月21日まで。

 一次郎は、紀州藩の下級藩士の家に生まれたが、事務方としての能力や人脈を生かして重役の勘定奉行にまで出世した。しかし、慶応3(1867)年、坂本龍馬が乗る「いろは丸」と紀州藩船「明光丸」が瀬戸内海で衝突し、いろは丸が沈没する「いろは丸事件」が発生。紀州藩の現地責任者だった一次郎は、高額な賠償金を巡る交渉に失敗し、御役御免(免職)となった。

 企画展では、茂田家の系譜や一次郎が作成した親類書、一次郎が暮らしていたとされる屋敷の絵図などの史料を展示。同館の担当者は「下級藩士ながら、まるでジェットコースターのような壮絶な人生を歩んだ一次郎。ゆかりの史料から、その生き方を感じてもらえれば」と話している。

 一般100円。中学生以下無料。和歌山城天守閣の入場券でも入館できる。午前9時~午後5時半(入館は午後5時まで)。問い合わせは平日のみ、市和歌山城整備企画課(電)073・435・1044。



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