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新選組・土方歳三を中心に取り上げるブログ。2004年大河ドラマ『新選組!』・2006正月時代劇『新選組!! 土方歳三最期の一日』……脚本家・制作演出スタッフ・俳優陣の愛がこもった作品を今でも愛し続けています。幕末関係のニュースと歴史紀行(土方さんに加えて第36代江川太郎左衛門英龍、またの名を坦庵公も好き)、たまにグルメねた。今いちばん好きな言葉は「碧血丹心」です。
 4月並みの陽気で何を着ようか迷った一日でした(汗)。そして、楽しんで視聴している『浪花の華~緒方洪庵事件帖』の第8話・第9話に加藤虎ノ介さんがゲスト出演すると知って、ますます喜んでます(^^)。

北海道
函館開港150年、映像に はこだて未来大生らがDVD
【函館】公立はこだて未来大の学生らが、今年の函館開港百五十周年に合わせ、幕末の函館開港当時から残る建物や史跡を映像や郷土史家らの語りで紹介するDVD作品「函館開港のすべて」の制作に取り組んでいる。三月末に完成予定で、学生らは「異文化を受け入れて発展した開港時の函館を思い起こし、今後の街のあり方を考える材料に」と話している。
 同大の鈴木克也教授と研究室の学生、OB計五人が企画し、昨年十二月に撮影を開始した。
 撮影しているのは、ペリー提督上陸の一八五四年(安政元年)に水兵を埋葬した外国人墓地や、船大工の続豊治が港に出入りする西洋帆船を研究して一八五七年に完成させた箱館丸の復元船など約五十のテーマ。開港から昭和初期まで時代を追って百分に編集する。
 作品には、語り部として函館の称名寺住職で郷土史家の須藤隆仙さん、函館日米協会顧問の井上能孝(よしたか)さんら地元の研究者約三十人が登場。「明治期の和洋折衷の家屋では船を見るため二階の窓を港側に付けたという説もある」「来訪した外国人が初めに住んだ寺を気に入り、なかなか居留地に移らなかった」といったエピソードも紹介している。
 DVDは百枚制作し、地元の小中学校や観光施設に配り、インターネット上でも公開する。鈴木教授は「観光客や地元の子供たちに函館の誇るべき歴史を知ってもらいたい」と話している。


栃木
岡の台瀬戸焼で初の企画展 黒羽芭蕉の館
【大田原】幕末から明治期の県内陶業では最も古いとされる「岡の台瀬戸焼」の作品を集めた企画展が十四日から、前田の黒羽芭蕉の館で開かれる。旧黒羽藩が設置した窯は残っていないため、現存する作品を一堂に鑑賞できる初めての展示となる。二十七日まで。
 岡の台瀬戸焼は、十一代藩主大関増業が一八一一-二〇(文化八-文政三)年ごろ、現在の前田、黒羽田町両地区の境に御用窯を設置して始まった。素朴な造形や上薬の使い方が特徴で、日用雑器を中心に造られた。同地区で「かなめ焼」が盛んになる明治期まで続いたと考えられている。
 史料に詳しい起源は記されていないが、同館の新井敦史学芸員は「藩内の殖産興業を目的に始まったのでは」と分析する。焼き物の表面に縦すじを入れる「飛び鉋」と呼ばれる手法は、後年起こった益子焼にも見られ、県内陶業に影響を与えた可能性もある。
 展示は、那須塩原市の焼き物研究家広瀬久之進さんが〇七年、約八十点の陶器を寄贈して実現。このうちかめや土瓶、小鉢など計六十七点が展示される。
 入場は一般三百円で小中学生は百円、未就学児は無料。午前九時から午後五時ま。月曜休館。問い合わせは同館電話0287・54・4151。


埼玉
写真博物館:小学校教諭を退職した中島さん、自宅に300点を展示--草加 /埼玉
写真博物館:小学校教諭を退職した中島さん、自宅に300点を展示--草加 /埼玉
◇江戸末期のカメラなど「社会教育に役立てば」
 小学校教諭を退職した草加市松江2、中島清治さん(61)が今月、趣味で収集した写真機や古い写真などを展示したミニ写真博物館を自宅に開設した。江戸時代末期から戦後までの各種カメラ、古い木造校舎や街並みを撮影した写真など、約300点を展示している。【飯嶋英好】
 中島さんは「写真やカメラを通して子供らがふるさとを理解し、ささやかな博物館が社会教育に役立てばうれしい」と話している。
 東京電機大を卒業後、71年から昨年3月に退職するまで、草加市や越谷市などで小学校教諭を務めた。この間、週末を利用して全国の骨董(こっとう)市を回ったり、知人から譲り受けるなどして古今東西のカメラ約800台や、幕末から昭和期の写真など約3000点を収集した。
 主な展示品は、▽幕末に英国人が篤姫を撮影した写真機と同型の組み立て蛇腹式の暗箱▽米国の上流婦人を撮影した銀板写真▽春日部市の有名な藤の花を撮影した明治期の立体写真▽絵を障子に映す明治期のランタン幻灯機--など。
 中島さんの写真好きは、母方の祖父で写真師だった豊田清光さん(1882~1947)譲り。
 豊田さんは旧川柳村(現草加市)出身で、東京で写真術を学んだ後、地元で1900年に写真館を開き、明治・大正・昭和の県東部の街並みや住民を撮影した。特に、病床に伏す俳人・正岡子規を撮影した写真は、子規の最後の一葉として知られている。中島さんは、豊田さんが使った折りたたみ式の携帯暗箱や現像器材のほか、日光街道沿いの古い家並みや上棟式などの古い写真も保管している。
 中島さんは「母からいつも祖父の偉大さを聞かされて育ち、尊敬している。祖父の残した品々も歴史の証人です」と話す。
 毎週水曜(午前10時~午後3時)に開館していて、入場無料。問い合わせは中島さん(電話048・931・3844)。


東京
『品川は龍馬の地』 活性化へ有志の会発足準備
 幕末の風雲児、坂本龍馬が青春の一時期を過ごしたことから、東京都品川区の有志らが、来年放送予定のNHK大河ドラマ「龍馬伝」にあやかって、「龍馬で町おこしをしよう」と活動している。6月には劇団わらび座のミュージカル「龍馬!」を地元で上演してファンら賛同者を募り、ゆかりの地巡りや講演会、グッズ販売などを通じて、地域と商店街の活性化を目指す。 (社会部・松村裕子)
 同区東大井には、江戸時代末期、土佐藩(高知県)下屋敷やペリーの黒船来航に備えた浜川砲台があった。龍馬は二十歳前後の短期間、下屋敷に住み、砲台で沿岸警備に当たったとされる。
 この史実を知った有志が、大河ドラマを機に町おこしをしようと呼びかけ、歴史研究家や商店街、町内会の代表らと、一月に「品川龍馬会」の設立準備委員会を発足した。
 下屋敷跡には現在、区立浜川中学校があり、浜川砲台は立会川河口の都下水道局ポンプ所付近にあったとされる。準備委は九月にも品川龍馬会を設立するが、この後、現地にゆかりの地を示す案内板の設置を目指す。
 また、かつて高知市から区民に贈られ、その存在があまり知られていなかった龍馬像を日の当たる場所に設置して、観光資源として積極的に活用する計画を進めるほか、龍馬の誕生日で命日でもある十一月十五日には盛大なイベントを開きたいとしている。
 発起人で区商店街連合会長の浦山嗣雄さん(76)は「龍馬が過ごした期間は短いが、品川は龍馬の人生に影響を与えた場所。ゆかりの地で龍馬を顕彰し、彼のパワーにあやかり衰退気味の商店街も元気を取り戻したい」と話している。
 <坂本龍馬> 1835-67年。土佐藩(高知県)出身で、幕末の動乱期、幕臣勝海舟のもとで航海術を学び、後に海援隊を組織。薩長同盟の締結に尽力し、大政奉還を画策するなど明治維新を進める原動力となった。新しい国づくりを見据えた先見性と自由奔放な生き方で人気が高い。2010年のNHK大河ドラマ「龍馬伝」は、龍馬の波瀾(はらん)万丈な生涯を経済人・岩崎弥太郎の目線で描く。




岐阜
伝統芸能で子供ら交流
郡上おどり披露 東京・港区できょうとあす
 郡上市は14、15の両日、東京都港区で青少年交流の会を催す。昨夏に東京都港区と友好交流協定を結んだのが縁で、郡上おどりなどの伝統芸能を披露する。市では次代をになう子供たちの交流を今後も続けていくという。
 訪問するのは、郡上おどり保存会ジュニアクラブと磨墨(するすみ)太鼓ジュニアの小中学生25人。港区・赤坂区民ホールで両地域の伝統芸能を互いに披露する。翌15日は、郡上の子供らが港区の子供に郡上おどりを指導したり、赤坂茜囃子(あかねばやし)太鼓を学んだりする。
 郡上市によると、徳川家の重臣であった郡上・青山家が1590年、現在の赤坂から渋谷近辺を拝領し、その屋敷跡にちなみ、「青山」の地名がついたといわれている。1758年には青山幸道が郡上藩主となり、郡上青山藩として幕末まで続いた。
 そうした経緯で青山家の菩提(ぼだい)寺である梅窓院(南青山)では、1994年から毎年6月の2日間、郡上おどりを開催している。
 郡上市は今年の夏、赤坂、青山の子供らを招き、自然体験交流を計画しており、今後も相互訪問を続けていく予定だ。
 同市では「地域の伝統や自然を学び、体験することで、次代を担う子供たちが育ち、交流を深めていきたい」としている。

 東京・青山の地名には、そのような縁があったんですね。

徳島
大日本史:原田家住宅所有者、徳島市に版本100冊寄贈 徳島城博物館で式典 /徳島
大日本史:原田家住宅所有者、徳島市に版本100冊寄贈 徳島城博物館で式典 /徳島
◇来年度の公開検討
 歴史書「大日本史」の版本100冊を徳島市に寄贈する式典が13日、徳島城博物館(徳島市徳島町城内)であった。大日本史は「水戸黄門」こと徳川光圀が編纂(へんさん)を始め、明治に至ってようやく完成した紀伝体の歴史書。贈られたのは幕末期の木版刷りで、徳島藩とも深いつながりがあるという。【深尾昭寛】
 大日本史は、南北朝合一ごろまでの歴史をまとめたもの。歴代天皇について書いた本紀(帝王)73巻や皇族、臣下についての列伝170巻、志・表154巻の全397巻で構成される。今回の100冊は、印刷などから嘉永4(1851)年のものと推測される。
 当時、質量ともに全国でも抜きんでた文庫だった徳島藩の「阿波国文庫」の押印があることから、同文庫所蔵だったことがうかがえる。明治初期ごろ、蜂須賀茂韶(もちあき)が元藩士の原田一平に託したようだ。
 寄贈したのは原田一平の末えいで、国の登録有形文化財「原田家住宅」(同市かちどき橋3)の所有者でもある原田弘基さん(87)=大阪市住吉区。原秀樹・徳島市長から感謝状を受けた原田さんは「徳島城にお返ししないといけないもの。ささいなことのつもりだったのに恐縮している」と話していた。同館では来年度の公開を検討しているという。
 この日は、贈呈式に先立って、NPO法人「蜂須賀桜と武家屋敷の会」の会合もあり、同館の根津寿夫・学芸員が「徳島藩主蜂須賀家の姫君達」と題し特別講演。城下町徳島の成り立ちや人口推移などを概説した上で、蜂須賀家の姫君の逸話を紹介するなどした。



佐賀
世界遺産:三重津海軍所跡など、暫定リスト追加目指し21日にシンポジウム /佐賀
世界遺産:三重津海軍所跡など、暫定リスト追加目指し21日にシンポジウム /佐賀
◇佐賀藩の功績、世界遺産に--盛り上がる機運
 08年に文化庁が世界文化遺産の国内暫定リストに追加した「九州・山口の近代化産業遺産群」に、近代海軍の国内発祥の地とされる三重津海軍所跡(佐賀市)など県内の史跡を加えようとの機運が盛り上がっている。幕末にいち早く近代化を進めた旧佐賀藩の史跡が遺産群から漏れていることに市民らが声を上げ、行政も同調し始めた。21日にはシンポジウムも開かれる。
 遺産群は、非西洋地域で初めて近代化した日本の発展の原動力は九州・山口、という視点から関係県市が提案し、国の国内暫定リストに追加された。
 しかし、県内で該当したのは、炭鉱王として知られた高取家の旧住宅(唐津市)だけ。他の史跡などは国の文化財指定を受けるなどの条件を満たしていなかったためという。
 これに対して佐賀藩の功績が漏れていることを不満とした市民らは「佐賀伝承遺産研究会」(土師俊資会長)を結成。三重津海軍所のほか、佐賀市立日新小の校庭にあるとみられている国内初の反射炉「築地反射炉」跡や、理化学研究所「精煉方」跡などを含めるべきだと主張している。
 文化庁も県内にある幕末の製鉄・造船関連の史跡について「国の文化財として指定する可能性も含めて検討する必要がある」と付記している。
 シンポジウムは21日午後1時、佐賀市本庄の佐賀大理工学部6号館。参加無料。問い合わせはNPOまちづくり研究所(050・3448・6155または0952・33・8961)。【上田泰嗣】






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