新選組・土方歳三を中心に取り上げるブログ。2004年大河ドラマ『新選組!』・2006正月時代劇『新選組!! 土方歳三最期の一日』……脚本家・制作演出スタッフ・俳優陣の愛がこもった作品を今でも愛し続けています。幕末関係のニュースと歴史紀行(土方さんに加えて第36代江川太郎左衛門英龍、またの名を坦庵公も好き)、たまにグルメねた。今いちばん好きな言葉は「碧血丹心」です。
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昨日今日の幕末ニュースです。
埼玉
鳥インフル見舞い感謝
宮崎・清武町長が川口訪問
鳥インフルエンザ:被害の宮崎・清武町長、川口の小中生にお礼 /埼玉
広島
着物で鞆(福山)散策しよう 地元有志が来月3、4日にイベント
佐賀
“写真の開祖”が佐野常民撮影 竜馬と同ポーズ
コラム
あの街、この酒 油小路の森帳
以下、飲み屋さんの紹介。
埼玉
鳥インフル見舞い感謝
宮崎・清武町長が川口訪問
鳥インフルエンザが発生した宮崎県清武町の市ノ瀬良尚町長らが二十日、川口市を訪れ、お見舞いや励ましの手紙、千羽鶴を現地に送った市内の小中学校の児童生徒らに感謝の言葉を伝えた。
川口市と清武町は、幕末を代表する同町生まれの儒学者安井息軒(一七九九~一八七六年)が縁で、二〇〇三年度から文化交流事業を始め、小中学生が相互訪問している。
鳥インフルエンザ:被害の宮崎・清武町長、川口の小中生にお礼 /埼玉
鳥インフルエンザ被害に遭っている宮崎県清武町の一ノ瀬良尚町長が20日、お見舞いの手紙と千羽ヅルを贈ってくれた川口市の小中学生へお礼に訪れた。「意気消沈していた時に本当に心強かった。手紙と千羽ヅルは地元の小中生が東国原英夫(そのまんま東)知事に届けた。知事も喜んでくれた」と感謝の言葉を繰り返した。
同市領家は清武町出身で幕末の儒学者として知られる安井息軒(1799~1876)が生活したゆかりの地。03年から小中学生文化交流が続いている。06年の夏休みに清武町へ派遣された小学生23人、中学生9人が同町の鳥インフルエンザ問題を知り、2日に手紙や千羽ヅルを送っていた。
広島
着物で鞆(福山)散策しよう 地元有志が来月3、4日にイベント
ひな祭り開催中の福山市鞆地区で3月3、4の両日、同市の有志らが、着物で散策するイベントを計画している。同市出身のストリートミュージシャン森恵さん(22)のライブやゆかりの坂本龍馬そっくりさんの登場も企画。実行委員長の渋谷勝彦さん(51)=同市芦田町下有地=は「着物は江戸時代の町並みが残る鞆にぴったり。着て歩いて、堪能して」と参加を呼び掛けている。
(中略)
鞆では幕末、海援隊のいろは丸と紀州藩船が沖合で衝突した(いろは丸事件)。「龍馬そっくりさん」には、はかま姿で町並みを歩いてもらう。
佐賀
“写真の開祖”が佐野常民撮影 竜馬と同ポーズ
日本赤十字社を創設した佐野常民の帯刀姿をとらえた写真が、日本の“写真の開祖”とされる上野彦馬(1838-1904年)による撮影であることが専門家の鑑定で分かった。彦馬が撮影した幕末の志士、坂本龍馬と同じ台座にひじをかけており、佐野常民記念館(佐賀郡川副町)は「よく知られている龍馬像と似たポーズをとっていて興味深い」と話している。
写真には、彦馬の写真場で使っていた黒い台座が写っていた。鑑定した日本大学芸術学部写真学科の高橋則英教授によると、全国で6例目となるという。
写真は、東京の日本赤十字社が収蔵しており、研究者の間でもほとんど知られていなかった。同社が1979年にまとめた「人道―その歩み 日本赤十字社百年史」(共同通信社刊)に収録されていた。
佐野は明治政府で活躍した時代など洋装の写真が多いが、まげを結った帯刀姿で、右ひじで台座に寄りかかっている。坂本龍馬が懐手で写っている写真と比べると、台座の高さから佐野が小柄だったのも分かる。当時は露出に10秒から30秒かかっており、ぶれを防ぐために台を使っていた。
コラム
あの街、この酒 油小路の森帳
日経新聞のサイトの記事です。2ページ以降を読むには、無料のID登録が必要です。油小路を取り上げる記事は珍しいので、ご紹介。
「久しぶりに京都のB級グルメを堪能しませんか」との誘いに負け、新快速に乗ってしまった。誘いをかけてきたのは自称B級グルメの達人・竹田氏。以前このコラムでも河原町六角にある“赤”なる酒を紹介してくれた人物である。
竹田氏の招きに従い、京都駅七条口を出て東へと。このまままっすぐに行けば、リーガロイヤルホテル京都に辿り着く、という一歩手前で竹田氏は立ち止まった。住居表示を見ると、どうやらここが油小路七条の辻らしい。「この辻の少し北側に伊東甲子太郎殉難の碑があるんですよ」と竹田氏は突然しゃべり出す。2年ぐらい前まで私は「西の旅」という雑誌に、“歴史の舞台を行く”的な記事を連載していた。その第1回目が新選組の池田屋事件。壬生の屯所跡を訪ね、池田屋跡を歩き、歴史が伝える「嘘」を書いたことがある。そのことを竹田氏も覚えていたのであろう。この地に立って“油小路の決闘”場所を教えてくれたのだ。
新選組の最盛期には局長の近藤勇、副長の土方歳三の他に、伊東甲子太郎なる隊士が力を持っていた。伊東は他の隊士と比較するとインテリにあたる。そのためだろうか、近藤や土方と微妙なズレが生まれ、やがて何名かの隊士を連れ離脱する。慶応3年(1867)11月18日、新選組はこの伊東を暗殺しようと計画。当時、この近くには近藤の妾宅があったのだが、そこに誘い出し、酒を飲ませたあげく、帰路に隊士4人で暗殺実行を。殺害した伊東の死体を広い通りまで引きずって行き、御陵衛士(伊東の仲間)をおびき寄せ、決闘した。それが油小路七条の辻というわけだ。
現在、この辻の北側には本光寺という寺があり、その門前に前出の碑が建てられている。油小路の決闘ばかりではなく、この辺りは新選組ゆかりの地であるようだ。七条通りの辻の南にあるのが不動堂明王院。ここの提灯には“新選組の幻の屯所”と書かれている。向かいにある酒屋「森帳酒店」の若主人に聞くと、「西本願から最後はどうもこの辺りに屯所を移したらしですよ」とのこと。その主人の酒屋はビル群に囲まれた昭和レトロ漂う所。どうも竹田氏は私をこの店に連れて行きたかったようだ。
以下、飲み屋さんの紹介。
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