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新選組・土方歳三を中心に取り上げるブログ。2004年大河ドラマ『新選組!』・2006正月時代劇『新選組!! 土方歳三最期の一日』……脚本家・制作演出スタッフ・俳優陣の愛がこもった作品を今でも愛し続けています。幕末関係のニュースと歴史紀行(土方さんに加えて第36代江川太郎左衛門英龍、またの名を坦庵公も好き)、たまにグルメねた。今いちばん好きな言葉は「碧血丹心」です。
 今日は幕末・維新関係ニュース、検索に引っかかったのは1件だけでした。寂しいですわ。

広島
街並みの記憶:所蔵写真から/26 山陽記念館(1940年) /広島
◆山陽記念館(1940年)=中区袋町

◇研究拠点後世に継承
 江戸時代後期を代表する漢学者・頼山陽が代表作「日本外史」の草稿をまとめた居室(中区袋町)は、原爆で焼失したものの復元され、高層マンションに囲まれながら、今も同じ場所にある。
 頼山陽の叔父・春風の子孫である頼祺一・比治山大教授(日本近世思想史)は、「今でも同じ場所に居室があるのはすごいこと。ここが研究拠点になり、後世に継承する役目を果たしてほしい」と話す。
 居室の横に1935(昭和10)年、鉄筋コンクリート2階建ての「山陽記念館」が竣工(しゅんこう)された。当時としてはモダンな建物だった。だが原爆で、木造の居室は焼失。記念館は崩壊は免れたものの、中は全焼。門の横にある石碑は折れた。
 居室は58年に復元された。95年には、「頼山陽史跡資料館」がオープンした。頼山陽の書画や書簡など3000点以上を収蔵し、展示を行っている。
 頼山陽は1780年に生まれ、敷地内の屋敷で育った。その後広島藩を脱藩し、京都へ行くが連れ戻され、居室に5年間幽閉された。その間、日本外史の草稿をまとめた。
 日本外史は、没後の幕末~明治初期にかけてベストセラーになった。25年の歳月をかけて書き上げた全22巻の歴史書は、日本で初めて一般向けに書かれたもので、頼山陽の尊王思想が反映されており、尊王倒幕運動を鼓舞した。
 頼教授は「頼山陽は、自分の生き方を貫いた人。小さいころの夢を、実際にやり遂げた。多くの人に、資料館を訪れてもらいたい」と話した。【大沢瑞季】





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