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新選組・土方歳三を中心に取り上げるブログ。2004年大河ドラマ『新選組!』・2006正月時代劇『新選組!! 土方歳三最期の一日』……脚本家・制作演出スタッフ・俳優陣の愛がこもった作品を今でも愛し続けています。幕末関係のニュースと歴史紀行(土方さんに加えて第36代江川太郎左衛門英龍、またの名を坦庵公も好き)、たまにグルメねた。今いちばん好きな言葉は「碧血丹心」です。
 一昨日昨日と比べると、ずいぶん暖かい一日でした。明日はもう少し気温が上がるとの予報で、春らしくなってきたなぁと嬉しいです。
 ……明日朝は寒いんですね(苦笑)。

宮城
火伏せの護符50年ぶり神事
高僧・栄存ゆかり代々お札守る高橋家
新しい菰で包む/

 仙台藩主・伊達政宗の知遇を得て、法力で石巻の発展に努めたとされる天台宗の高僧・栄存法印ゆかりのお札(火伏せの護符)を、新しい菰(こも)で包む神事が先ごろ、石巻市の牧山零羊崎神社内にある栄存神社であった。湊地区が大火に遭った際、お札を守っていた高橋家(石巻市湊町1丁目)だけが難を逃れたというエピソードがある。高橋家では今後もお札を大切に保管する決意を新たにした。
 神事は、江戸時代からお札を保管してきた高橋家17代目当主の高橋英一さんが、栄存法印330年祭という節目と、自分自身が9日に70歳の誕生日を迎えることから企画。親類ら7人が集まり、桜谷鎮雄宮司に依頼して実施した。
 英一さんによると、神事は1代に1回限り、当主の判断で行う。亡父英雄さんが実施して以来約50年ぶりで、古い菰の上から新しい菰を巻くなどして神事を終えた。「高橋家を継いだものとして無事に終えてほっとしている」と英一さんは話していた。
 栄存と高橋家の関係は、高橋家初代が米蔵の役人で、地域振興に法力を発揮したとされる栄存との付き合いが始まった。3代目まで約40年間かかわりがあった。お札は、栄存が無実の罪で江島へ流される前、高橋家に感謝の意味を込めて贈ったらしい。
 その際、栄存は「四つ足の動物を食べたり、飼ったりしなければ、火事から高橋家を守る」と伝え、以来、高橋家は教えを守ってきた。江戸時代から幕末にかけて3度あった湊地区の大火でも、いずれも難を逃れた。
 お札は、歴代当主が包んできた菰で太さを増している。神事後は、英一さんが自宅のはりに再び結び付け、大切に保管している。
 栄存法印 豊臣秀吉の家臣・片桐且元の孫に当たるとされる。大坂冬の陣後、仙台へ。川村孫兵衛と北上川開削や産業振興などに力を注いでいた領主・笹町但馬が1641(寛永18)年、石巻に招いた。栄存は但馬の信頼に応えて貢献したが、但馬の養子・新左衛門には良く思われなかった。但馬の死後、新左衛門は、栄存が世の中を乱すとして、江島へ流刑。栄存は81(天和元)年に死去するまでの3年間、新左衛門をのろい、湊地区は大火に見舞われたという。栄存の遺骨は後に江島から牧山に移され、栄存神社に祭られた。


東京
【集う】早乙女貢さん一周忌しのぶ会(2月8日、東京・丸の内の東京会館)
■歴史作家の“士魂”会津へ
 呵々(かか)とした笑い声が、パネルから聞こえてきそうだった。着流し姿に満面の笑顔。献花台は、参加者の供えたウメですぐさまにぎやかになった。「会津士魂(しこん)」などの歴史小説で知られ、平成20年12月に逝去した作家、早乙女貢さん(享年82)の一周忌しのぶ会は終始、和やかな雰囲気で執り行われた。
 戊辰戦争を戦った会津藩士を曾祖父に持つ早乙女さん。幕末の会津藩の悲劇を描いた「会津士魂」は単行本で正続21巻に及ぶライフワークで、平成元年には吉川英治文学賞を受賞した。
 あいさつに立った作家で日本ペンクラブ会長の阿刀田(あとうだ)高さん(75)は、二十数年前に偶然同じマンションに越したのをきっかけに、常任理事だった早乙女さんからペンクラブへの入会を勧められたエピソードを紹介。「入会後、『ペンクラブ会員証はアメックスより信用性がある』と祝福された。でもその後、言われたほどいい思いをしたことがない気がします」と笑いを誘った。
 この後、遺言に基づき遺品整理などに取り組む「士魂の会」メンバーで文芸評論家の高橋千劔破(ちはや)さん(67)が、相続した遺産を使って日本文芸家協会の富士霊園に眠る早乙女夫妻の墓を今夏、近藤勇の墓もある福島県会津若松市の天寧寺に移すことを発表。「会津は先生が『心のふるさと』と言い続けてきた土地。皆さんのご協力をお願いしたい」と話し、今後同市内に早乙女文学を保存・検証する施設の設立を目指すことも明らかにした。
 会場には、テレビドラマ「白虎隊」主題歌で歌手、堀内孝雄さんの「愛しき日々」が、繰り返し響いていた。“会津色”一色に染まった会場で、参加者は早乙女さんの写真や趣味だった絵を眺めながら、在りし日の人気作家に思いをはせていた。(三品貴志)


神奈川
南下浦地区の歴史学ぶ、13日に史跡巡り/三浦市
 三浦市内の歴史や文化に親しんでもらおうと、市教育委員会は13日、「三浦市史跡めぐり 三浦の歴史探訪」を開催する。史跡巡りはおととし、約25年ぶりに復活した企画。今回は全3回シリーズの最終回で、南下浦地区の史跡や文化財を見て回る。
 市内には神社仏閣など貴重な文化財や伝統芸能が受け継がれている。こうした魅力を伝えようと市教委は1965年に史跡めぐりを始め、83年まで実施。その後は専門性を高めた形で継続したが、08年からさまざまなジャンルを網羅した史跡めぐりが復活した。
 今回は、同市在住の郷土史家田中健介さんが講師となり、幕末の海防陣屋跡(同市南下浦町上宮田)や三浦義村が愛用したと伝わる鞍(くら)と鐙(あぶみ)がある福寿寺(同町金田)など約20カ所を1日かけて見学する予定。
 参加費無料。事前申し込みが必要。申し込みは、市生涯学習課電話046(882)1111。


長野
演奏会や野だてに活用 駒ケ根の「旧木下家住宅」
 駒ケ根市は、同市中沢にあり、市有形文化財に指定している古民家「旧木下家住宅」で、音楽鑑賞会や野だてなどの催しを開く準備を進めている。市民に同住宅を広く知らせ、地域づくりに役立ててもらうよう促す初の試み。市は、市議会3月定例会に提出済みの2010年度一般会計当初予算案に関連予算13万円を盛った。
 市教委によると、同住宅はかやぶき屋根の木造平屋(床面積約200平方メートル)で、江戸時代後期の建築。市が所有者から寄贈を受け、1994年に有形文化財に指定した。これまでは傷んだ個所の修復を重視してきたが、市文化財審議委員からの指摘で活用にも取り組むことにした。1月には、幕末から明治にかけて伊那谷を放浪した俳人井上井月を描く映画のロケ地にもなっている。
 催しは計3回の計画。春は同住宅周辺に咲く桜やハナモモの見ごろの時期に大正琴の演奏会や野だてを開く。夏は、日本体育協会日本スポーツ少年団などの主催で交流を続けている日本、ドイツ両国のスポーツ少年団に対し、同住宅を滞在先として提供するとともに、地元を巻き込んで交流会を開催。秋には参加者を募り、キノコやそばなど旬の味覚を楽しみながら音楽鑑賞をする集いを用意する。


静岡
雇用創出で歴史資料続々 県、民間に調査委託
 県が民間に委託し、昨年秋から実施してきた歴史資料状況調査の現地調査がこのほど終了し、2000点を超える新しい資料を確認した。相良油田(牧之原市)の採掘にあたって事業家石坂周造が述べたとみられる祝辞など地域史上価値の高い資料も多く含まれ、県は今後、本格調査の必要性を検討する。
 調査は、県が募集した緊急雇用創出民間アイデアの一部。県立中央図書館の県史関連資料情報の充実を目的とし、提案した調査会社が昨年12月から調査員を雇用、情報提供があった県内の旧家など20件について現地で簡易調査を行った。
 石坂周造の祝辞は、油田開発にかかわった牧之原市相良の民家の土蔵に残っていた。昨年8月の駿河湾沖地震で土蔵が崩れ、家人が存在に気付いたという。墨文字で記され、試掘開始以来の苦労に触れつつ、「彼ノ輸入ヲ墜シ此輸出ヲ増シ富強ノ基ヲ開キ」などと、国内での石油産出により豊かな国をつくる決意を述べている。
 相良油田は明治5年(1872年)に発見され、翌年石坂が採掘を開始。最盛期には年間720キロリットル余りを産出した。祝辞には明治12年8月20日の日付と石坂の名があり、採掘がいったん不調に終わった後、米国研修を経て、再度採掘を開始した時のあいさつとみられる。
 そのほか、西南戦争に出征した兵士が家族にあてた18通もの書簡や、昭和まで9代続いた和傘職人の家に伝わる江戸時代の家業の由緒書きなども見つかった。書簡の中には戦況を詳細に記した手紙もあった。
 調査内容について意見を求められた静岡大の山本義彦副学長は「いずれも史実を裏付ける上で貴重な資料。県史編さん以来、12年ぶりの収集作業だが、継続的な調査の必要性をあらためて感じる」と話した。
 事業を所管する県立中央図書館歴史文化情報センターの担当者は「跡継ぎのいなくなった蔵などのとりつぶしがここ10年ほどで進み、貴重な資料が急速に失われている」と危機感を募らせる。

 石坂周造(1832~1903年) 幕末の尊皇攘夷論者。事業家。浪士組の中心人物として知られた。維新後石油事業に取り組み、日本の石油王とも呼ばれた。


「山岡鉄舟と静岡」紹介 駿府博物館
 幕末の激動期に日本の近代化に貢献した山岡鉄舟と静岡ゆかりの人物を紹介する「山岡鉄舟と明治の群像」展(県文化財団など主催、駿府博物館特別協力)が10日、静岡市葵区の同館で始まった。22日まで。
 文化庁地域文化芸術振興プラン事業の一環。西郷隆盛と駿府で交渉して江戸城の無血開城を果たしたり、牧之原開拓への資金協力をしたりと静岡にも縁深い鉄舟が残した手記、初代県知事の関口隆吉と交わした書簡など177点を展示している。
 開幕と同時に歴史愛好家が詰め掛け、県内外から集まった資料に見入った。鉄舟ゆかりの全生庵(東京都)住職平井正修氏が講演し、「剣術や書道など、やろうと決めたことに誠心誠意向き合った」と鉄舟の人となりを紹介した。
 13日午後2時から、講演「教育事始メ―寺子屋から学校へ―」を同館講座室で開く。問い合わせは県文化財団<電054(203)5714>へ。


岐阜
歴史講演会:上石津で生きた人々の暮らし探る--大垣で22日 /岐阜
 「上石津歴史講演会~古文書にみる明治維新と大垣」が22日午後2時から、大垣市上石津町上原の上石津地域事務所で開催される。市上石津郷土資料館主催。入場無料。
 講師は岐阜聖徳学園大学の秋山晃則(まさのり)教授。名古屋大学や地元に残る、江戸時代に上石津町の多良、時地区を治めていた旗本・高木家の古文書を通して、この地域に生きた人々の暮らしなどを探る。定員70人。先着順。問い合わせは同資料館(0584・45・3639)。【子林光和】



三重
名張藤堂家発給の知行文書、市指定文化財に 名張市
 名張市教育委員会は、市文化財調査会から答申を受けていた江戸時代の書跡「村部家旧蔵田中文兵衛知行文書」を3月9日付で市の文化財に指定したと発表した。同文書は名張藤堂家の祖、藤堂高吉から家臣に発給されたもので、同家の内政を知る貴重な資料。市内の指定文化財としては76件目となる。【文化財に指定された「知行文書」の1通目】
 市教委生涯学習室によると、同文書は江戸時代初期の1637年から53年にかけ、高吉から家臣の田中文兵衛へ与えられた。文兵衛は晩年、高吉から「村部次左衛門」の名を授かり、村部家は幕末まで8代にわたって名張藤堂家に仕えたとされている。
 文書は3通あり、奈良県内に住む村部家の子孫から市へ2007年に寄贈。文書からは、藩主が家臣に村を指定し、その村からの年貢を家臣の収入とする「地方知行(じかたちきょう)制」をとっていたこと、現在の名張市や松阪市にあった村を給付されていたことなどが読み取れるという。【写真右=「知行文書」の2通目(上)と3通目】
 ※写真提供:いずれも名張市教育委員会


京都
江戸後期のポンプ・龍吐水、東山へ
右京の男性遺品を消防署に

 江戸後期の消火ポンプ「龍吐水(りゅうどすい)」が、京都市東山区の東山消防署にこのほど寄贈された。1864(元治元)年の東本願寺の火災や81(明治14)年の東福寺の火災にも使われ、右京区の男性が「2度の火災をくぐり抜けた守り神」と大切に保管していた。同消防署は「今度は、東山を火災から守る守り神になってほしい」と署内に展示している。
 龍吐水は、高さ40センチ、幅100センチ、押し手約2メートル。幕末から明治にかけ、多くの龍吐水を作った消火用具職人「平井権七」の焼き印がある。
 所有していたのは故・竹内嘉信さん。竹内家はもとは東本願寺の近くにあったが、約100年前に東福寺の近くに製針工場を構えた際、工場近くに移り住んだ。このため東本願寺と東福寺、いずれの火災にも出動し、「2度の火事からわが家を守った守り神」と代々伝えられてきた。75年前に右京区に引っ越した際も、嘉信さんが「何より大事な家宝」と持ち運んだ。
 2年前、嘉信さんが90歳で亡くなり、「このまま置いていても、いずれ処分されるかもしれない。大事にしてもらえるところがあれば譲りたい」と譲渡先を探していた。
 9日には妻の登美代さん(84)と、次女の丹羽美代子さん(59)が東山消防署を訪れ、展示された龍吐水を見学した。林敏哉署長(53)が「貴重な守り神をいただき、感謝しています」と謝辞を述べた。


高知
宿毛人物伝:宿毛ゆかりの偉人8人を絵はがきに /高知
◇宿毛駅の産直市やホテルなどで販売
 吉田茂元首相や早大建学の母と言われる小野梓など、宿毛市ゆかりの偉人8人の絵はがき「宿毛人物伝」が発売され、話題になっている。早大関係者や住民有志で作る「梓会」(浜田俊久会長)が企画。小野の誕生日の2月20日に発行した。
 8人は吉田や小野のほか、吉田の兄で小松製作所を創設した竹内明太郎▽岩崎弥太郎の右腕と呼ばれた三菱財閥大番頭の小野義真▽幕末の陸援隊士の大江卓▽出版社「冨山房」を創立した坂本嘉治馬▽日本飛行機協会創立者の伊賀氏廣▽西本願寺の執行長を務め、武蔵野女子学園を創立した後藤環爾--。
 はがきは、同市やそれぞれの子孫などから提供を受けた本人のモノクロ写真をあしらい、経歴なども掲載。8枚セットで1セット800円。土佐くろしお鉄道宿毛駅の産直市や同市内のホテルなどで販売されている。【真明薫】


 
鳥取
友禅画展:あだち幸さん、仏画中心に25点--米子高島屋 /鳥取
◇胡粉仕上げで淡い印象
 友禅染の技法で仏画を描く友禅画家、あだち幸さん(岡山県井原市)の友禅画展が10日、米子市の米子高島屋美術サロンで始まった。16日まで。
 あだちさんは、友禅染の技法に独自の技法を加えた「友禅画」で知られる。07年に新撰組ゆかりの壬生寺(京都市)で極楽浄土へと連なる命のつながりを表現した障壁画を描きあげた。09年には唐招提寺(奈良市)にびょうぶを奉納している。
 今回は絹に菩薩(ぼさつ)を描いた作品を中心に25点を展示。貝殻を砕いた胡粉(ごふん)仕上げの独特なぼかしで淡い印象を与えている。【小松原弘人】


山口
晋作遺品の所有権争い 東行庵が萩市と子孫提訴
 幕末の志士、高杉晋作の遺品69点の引き渡しなどを求め、晋作の墓がある下関市吉田の東行庵を管理している宗教法人「東行庵」が9日、遺品を保管している萩市と晋作の子孫の男性(77)を相手取って山口地裁下関支部に訴訟を起こした。
 訴状によると、遺品は高杉家から寄贈を受けて1966年から同庵の東行記念館で保管していた。2003年に高杉家が修繕を理由に200点以上を搬出して萩市に寄託したため、同庵が返還を要請。同庵と下関市、萩市などで協議し、09年1月に下関市であった晋作の企画展を契機に多くが返還されたが、産着や剣道免許皆伝書など69点が企画展後に萩市に戻され、萩博物館で保管されている。
 東行庵は「遺品は高杉家から東行庵に贈与されたもので、萩市が持ち出しを一方的に進めた」と主張。遺品が搬出されたことで記念館の入館料が減少したとして300万円の損害賠償も求めている。同日、下関市役所で会見した同庵の松野實應兼務住職(78)は「裁判になるのは心苦しいが、遺品を東行庵に返してほしい」と述べた。
 萩市の野村興児市長は「遺品の所有権は高杉家にある。不当訴訟以外の何ものでもない」との談話を発表。晋作の子孫の男性は「遺品の所有権は私にあると思っている。晋作には萩と下関で歴史があるので両市で大事に分けてほしい」とコメントした。


晋作遺品返還求め提訴、東行庵が萩市・ひ孫相手取り
 幕末の志士、高杉晋作(1839~67年)ゆかりの品を展示する山口県下関市の東行記念館(休館中)を運営する宗教法人東行庵(松野實應代表役員)が9日、同県萩市と晋作のひ孫の男性(77)(東京都三鷹市)を相手取り、萩市が保管している遺品69点の返還などを求める訴訟を山口地裁下関支部に起こした。
 訴状などによると、東行庵は晋作の墓を管理し、産着や木刀、書簡などの遺品を記念館で保管。だが、高杉家側が2003年2月、「管理が不十分」として遺品の大半にあたる227点を引き揚げ、04年11月から晋作の生誕地・萩市の萩博物館で展示してきた。その後、施設改善などを条件に、高杉家が記念館での保管を了承。下関、萩両市と東行庵の合意で08年9月以降、萩博物館が69点、記念館が残り158点を管理していた。
 東行庵の代理人弁護士は9日記者会見し、「高杉家から記念館に寄贈されたことは、長年の周知の事実」と主張。08年の合意については「東行庵が萩市に貸し出しただけ」と強調した。
 一方、萩市の野村興児市長は「そもそも晋作の遺品は高杉家のもの。不当訴訟以外何ものでもない」とコメント。ひ孫の男性は「遺品の所有権は私にある。晋作には萩と下関での歴史があり、両市で大事に分け合ってほしい」と話している。



清酒:「龍馬の休日」 下関酒造が発売 /山口
 幕末の志士、坂本龍馬が幾度も足を運んだ長州。その下関市幡生宮の下町にある酒蔵、下関酒造(内田忠臣社長)が、維新にかけた龍馬の情熱を現代に伝える清酒「若き獅子の酒 龍馬の休日」を売り出した。
 山田錦などが原料米で、辛口の純米酒。下関酒造によると「キリッとした飲み口」という。龍馬が土佐藩を脱藩し、最初に訪れたのが下関とされ、下関の豪商、白石正一郎らが龍馬の活動資金を支えたという。龍馬は妻お龍と新婚生活を下関で過ごし、赤間町(当時の稲荷町)にあった遊郭から朝帰りをした際にはお龍にたしなめられ、その文も残る。
 「龍馬の活躍は、下関での休暇があったからこそ」が内田社長の持論で、「維新に向け奔走した龍馬を思い起こしながら一杯」とPRする。720ミリリットルで、1380円(税込み)。【尾垣和幸】


福岡
幕末志士の母、野村望東尼ゆかりの「平尾山荘」改装記念式典 開催
 福岡市教育委員会では、「平尾山荘」(福岡市中央区)の改装記念式典を開催する。
 「平尾山荘」は幕末の女流歌人・野村望東尼ゆかりの福岡市指定史跡で、草庵の茅葺きや補修工事などの改装を行なっていた。
 野村望東尼は、幕末に多くの志士たちと交流をもったことでも有名である。特に長州・高杉晋作の交流は厚く、その最期を看取ったと言われている。その際、晋作の辞世の句「おもしろきこともなき世をおもしろく」に続いて、下の句の「すみなすものはこころなりけり」と詠じたエピソードが残っている。

<日時>
 3月20日(土) 10:00~14:00
<場所>
 平尾山荘
 (福岡市中央区平尾5-2-28)
<入場料>
 無料
<事前申込>
 不要
<内容>
 記念式典
 アトラクション(平尾子ども太鼓)
 望東会によるぜんざいの振る舞い
 松風園による野点
<主催>
 福岡市教育委員会
<協賛>
 平尾望東会
<詳細・お問い合わせ>
 福岡市 平尾山荘改装記念式典について(3月8日発表)


最初で最後の一般公開 柳川市三橋町 ヨシ葺き住宅「吉開邸」 3月末の解体前に 21日まで
 柳川市三橋町下百町に残る、築140年のヨシ葺(ぶ)き住宅「吉開邸」が、今月末の解体を前に、21日まで一般公開されている。市内で開催中の「柳川雛(ひな)祭り・さげもんめぐり」に合わせ、座敷には「さげもん」が飾られ、吉開邸が建てられた幕末や明治初期のたたずまいを感じることができる。
 地域に残る文化を広く知ってもらおうと、同市の市民グループ「柳川まちづくり樂校」(西嶋洋代表)が、1月末からもちつきや座談会を開催。今回は“最初で最後”と銘打って、ひな壇とさげもんを飾り付け、西嶋代表が市内で撮影した、城下町の雰囲気あふれる写真25点も展示している。
 ヨシ葺きを夫婦で守り続けてきた吉開順子さん(74)は「最後に一花咲かせてくれてとてもうれしい。この屋根も喜んでいると思います」と感慨深げ。吉開さんが嫁いできた1959(昭和34)年ごろには、近くにわら葺きの民家が数軒あり、屋根の葺き替えを手伝いに行っていたという。
 20、21日には、吉開邸や同市三橋町百町の目野酒造を訪ねるイベント「ハルイロ柳川日和-むかし柳川へでかけやう」を開催。参加無料で両日とも定員30人。目野酒造では酒蔵見学や試飲もできる。女性の希望者には、有料で“大正浪漫風”着物のレンタルと着付け(先着5人で要予約、2千円)を行う。
 吉開邸は、西鉄柳川駅から徒歩10分ほど。

■季刊誌「ゆらり」創刊

 柳川まちづくり樂校の西嶋洋代表は季刊のフリーペーパー「ゆらり」を創刊した。自ら写真と文章を手がけた創刊号は、A5判でカラー16ページ。春の水郷の風景とともに、さげもん祭りや、吉開邸のイベントを特集している。
 西嶋代表は「古いものや懐かしいものは、癒やしや落ち着きを与えてくれる。筑後のスローな時間を感じてもらいたい」と話し、次号以降では、筑後地区の中でも、旧柳河藩の地域を取り上げていくという。


大分
佐伯藩の歴史を一冊に…佐伯市教委長が執筆
 佐伯市教育委員長の宮明邦夫さん(52)(佐伯市大手町3)が、歴史読本「シリーズ藩物語 佐伯藩」(A5判、206ページ)を現代書館から出版した。佐伯藩について研究した資料や、合併前の旧市町村が発行した史料集を基に約半年かけて執筆した。
 全6章のうち、豊臣秀吉の子との説もある初代藩主毛利高政(1559~1628年)の生い立ちから、戦国武将として幾多の戦いを経て、佐伯藩を治めるまでの経緯を3章にわたって紹介。
 八代藩主毛利高標(たかすえ)(1755~1801年)が収集した国内外の書物約4万冊を収める「佐伯文庫」が、現在の貨幣価値で150億円以上も投じていたことや、凶作や飢饉(ききん)が相次いで一揆も起こった江戸中期から幕末にかけての出来事も取り上げた。
 種田山頭火を題材にした「山頭火の恋」を昨年2月、現代書館から出版した友人の古川敬さん(58)が同社の担当者に、宮明さんが佐伯藩について研究していることを話したのがきっかけで、執筆を依頼された。
 古川さんは「宮明さんの文章は明快で、楽しみながら読める」と話す。
 宮明さんは「自分の古里を知り、自慢できる人間は幸せだと思う。この本がふるさとづくりの一助になれば。次は高政を主人公にした歴史小説を書きたい」と意気込んでいる。
 1680円。問い合わせは現代書館(03・3221・1321)へ。


佐伯藩の歴史書 宮明市教育委員長が執筆
 大分合同新聞「灯」同人で、佐伯市教育委員長の宮明邦夫さん(52)が、「シリーズ藩物語」(現代書館)の「佐伯藩」を執筆した。分かりやすく、読みやすい文章で初代藩主の毛利高政(たかまさ)らを紹介しており、「佐伯の歴史を知って郷土自慢になってほしい」と話している。本は全国の書店で販売中、A4判変形、206ページ。1680円。
 第1章は「秀吉子飼いの戦国武将・毛利高政」。高政が成功に導いた高松城水攻めや織田信長の死に伴う「中国大返し」、毛利輝元の申し出で、森から毛利に改名する経緯などを取り上げている。
 第2章は「大友氏改易から高政の佐伯入封まで」。豊臣秀吉の九州征伐、朝鮮出兵、石田三成との確執や佐伯に入るまでを記述。
 以下は第3章「佐伯藩制の確立」、第4章「凶作・藩政の乱れに中興の祖登場」、第5章「学者大名・高標(たかすえ)の功罪」、第6章「農民の反乱、一揆から幕末へ」。各章は、当時の魅力あふれるエピソードを満載している。
 宮明さんは「この人なくして秀吉の天下取りはあり得なかった」と、高政を高く評価。将来は高政を主人公にした小説を書きたいという。「この本を読んでますます佐伯が好きになったり、訪れてみたくなることで、佐伯の元気に役立てれば」と話す。


佐賀
唐津市の旧大島邸 保存求め署名、要望書を提出
 唐津市の大志小の新校舎建設用地となるため、新年度に解体される方針が示されている旧大島邸について、「大島邸を守る会」(辻いく子代表)のメンバー8人が10日、県内外から集まった保存を求める3264人分の署名と要望書を坂井俊之唐津市長に提出した。大塚稔市教育長は「子どもたちに安心安全な校舎と運動場を提供する義務がある」と解体に理解を求め、溝は埋まらなかった。
 要望書は「地域に残る唯一の武家屋敷で、江戸時代の建築様式を残す貴重な建物。何億をかけても再現できない」として現地保存を求めた。進藤健介市議会議長と古川康佐賀県知事にも提出した。
 守る会は昨年末、1800人の署名を提出。その後約3カ月で3200人余りの署名があり、5000人を超えた。先日旧大島邸で開いたひな祭りの観光客の多くが署名したという。
 旧大島邸は佐賀銀行頭取だった大島小太郎氏の旧宅で、明治12~13年に建てられた。茶道宗徧流の普及に貢献したとされる茶室があり、建具などには江戸後期~明治初期の特徴的な細工が施されている。文化財指定がなかったことなどで管理が行き届かず、床や屋根の一部が崩れ落ちている。
 市は「財政面を含めて保存は困難」とし、敷地活用で仮校舎建設費(5~6千万円)が節減できることなどを含めて解体を決め、3月議会に新校舎建設費4億3300万円と土地契約に関する議案を提案しているが、「守る会」のほか、文化財保存県協議会も「幕末から明治維新にかけての唐津城下町を後世に伝える上で、欠落させてはならない文化財」などとして保存を求めている。

【写真】旧大島邸の茶室。障子など建具の一部が老朽化しているが、今でも茶会などで市民が活用している=唐津市西城内



長崎
竜馬ゆかりの地<上>(長崎市) 坂の街で聞いた土佐弁
「おう、よう来たのぉ」
 懐かしい土佐弁が耳に飛び込んできた。どっしりとした、低くて太い声。なんだか安心感すら覚える。
 声の主は幕末の志士、坂本竜馬。長崎市に今年オープンした「長崎まちなか龍馬館」で、骨格を基に復元した声を聞けた。
 竜馬とは縁を感じる。私の母は高知県出身で、旧姓は「坂本」。親類から竜馬の話を聞くたび、心が熱くなった。今年はドラマ「龍馬伝」が始まり、竜馬がブームに。私ももっと竜馬を知りたい。そう思い、商社「亀山社中」を結成した、長崎市へ足を運んだ。
 龍馬館は、旅行者でにぎわうベルナード観光通りにある。館内に入ると、長崎での軌跡を紹介する大スクリーンが目に飛び込んできた。興味を引かれたのは、霧島を新婚旅行中に姉の乙女にあてた手紙。達筆な文字と山の絵に、分かりやすく伝えようとする優しい人柄が出ていた。
 館の中央には、竜馬の肖像写真そっくりに記念撮影できるコーナーも。友人と撮影していた地元の40代女性に出会った。「世の中のことを一番に考えていた竜馬がすてき」と語ってくれた。館内で「船中八策」を学んだ私はうなずいた。
 竜馬の活躍ぶりに胸を躍らせ、実際に足跡をたどってみたくなった。参加したのが「龍馬が見上げた長崎の空」と題するガイドツアー。街歩きイベント「長崎さるく」の人気コースだ。坂本龍馬之像がある風頭(かざがしら)公園や亀山社中跡を巡る。
 風頭公園では、ボランティアガイドの小杉徳寿(のりひさ)さん(67)が、竜馬の肖像写真を撮った上野彦馬の墓に案内してくれた。「彼がいなかったら、竜馬がどんな容姿をしていたのか想像もできなかった」と小杉さん。竜馬の写真は数パターンあり、それを名刺代わりに使っていたという。西郷隆盛にはどんなふうに渡していたのだろうか。そう想像しながら、墓のそばの高さ約3メートルの銅像を見上げた。
 坂を下ると「龍馬通り」と名づけられた細道。竜馬が描かれた手作りの案内板をいくつも見かけた。会員が140人もいる「亀山社中ば活(い)かす会」が作ったものだという。顔はひとつひとつ違っていた。坂の街・長崎に暮らす人々が、それぞれ独自のイメージを持っているのだと感じた。
 「この街には時代を変える力があるがよ」。来た坂道を振り返ると、竜馬の声が聞こえてきた気がした。

●ちょっと より道=しっぽく料理堪能

 竜馬がよく通っていたという史跡料亭花月(長崎市丸山町)の「竜の間」で、長崎名物のしっぽく料理を堪能した。おかみ加藤公子さん(61)が「長崎流のおもてなし」を教えてくれた。
 「まずはお鰭(ひれ)をお召し上がりください」。おかみの合図でわんのふたを開けると、タイのひれが入った吸い物だった。食べた後に、あいさつと乾杯をするのだという。一口味わうと、カツオと昆布のだしがのどを潤し、はしが止まらなくなった。豚の角煮や中華風スープといった料理が次々に並び、すぐにおなかいっぱいに。最後は甘さ控えめの上品な汁粉で締めた。花月=095(822)0191。

 「長崎まちなか龍馬館」はJR長崎駅から10分ほど、長崎電気軌道の路面電車「観光通り」電停下車。入場料は大人300円、高校生200円、小中学生150円。2011年2月28日まで無休。同館=095(821)2112。長崎さるくの問い合わせは長崎国際観光コンベンション協会=095(811)0369。ホームページ=http://www.saruku.info。亀山社中ば活かす会=095(828)1454。


フレーム切手:「龍馬の駆けた長崎」発売 /長崎
 郵便局会社九州支社はこのほど、幕末の志士・坂本龍馬をテーマにしたオリジナルフレーム切手「龍馬が駆けた長崎」の販売を、鹿児島県を除く九州各県の郵便局で始めた。
 昨年5月、長崎市内の郵便局長らが、龍馬の商社「亀山社中」があった風頭山(長崎市)に建つ龍馬の銅像の建立20周年を記念して発行したのに続いて2回目の「龍馬切手」。前回は1万枚を完売した。
 今回の切手デザインには、龍馬像や亀山社中跡、グラバー園など長崎市内の龍馬ゆかりの名所に加え、NHK大河ドラマ「龍馬伝」で副主人公となる岩崎弥太郎の銅像も登場。郵便局長らは「長崎と龍馬の関係を、切手を通じて全国に知ってもらえれば」と話す。
 80円切手10枚のシートで1200円。1万6000枚を発行。郵便局会社のホームページ上の「通販ショップ」(http://www.postal‐jp.com/psc/goods/index.html)でも販売する。【錦織祐一】



コラム
【幕末から学ぶ現在(いま)】(53)東大教授・山内昌之 世良修蔵
■成り上がりの末路

 悪役や敵役のいない政治の歴史などはあるはずもない。勢いで国会議員に成り上がった男女でも人品骨柄の良くない人のなかには、これまで刑事罰すれすれの行為でマスコミをにぎわした人もいた。

◆全面戦争を引き起こす

 それでも、いかなる嫌われ者であれ、幕末屈指のアンチヒーロー、長州藩の世良修蔵にはまずかなわないだろう。この人物を欠いて、戊辰戦争や幕末維新の歴史を語れないのは、東北諸藩をほぼ全部敵に回して、せずともよい全面戦争を引き起こした男だからである。ずっと前に読んだ子母沢寛の長編小説『からす組』にも出てきた記憶がある。最近、復刻された藤原相之助著『奥羽戊辰戦争と仙台藩』(マツノ書店)には、彼の事績がいろいろと出てくる。
 世良は大島(屋代島)の漁師の出身ながら、第二奇兵隊の軍監にのし上がり、戊辰戦争では奥羽鎮撫(ちんぶ)総督府の下参謀を務めた。行く先々で酒色に耽(ふけ)った破廉恥な行状は、「官軍」ならぬ「官賊」に過ぎないという批判を受けるに十分であり、「勤王」の軍隊の低いモラルを満天下に知らしめた。
 もともと武士でない世良には、そもそも名を惜しむという観念がない。同じ長州藩の品川弥二郎が、世良の参謀任命の話を京都で聞き、仙台藩の家老、但木土佐に「世良とはひどいのが行くな」と同情したのだから処置なしである。世良の仙台出発の前に米沢藩士が大坂にやってきて「どうかひとつ穏便に」と訴えると、芸妓(げいぎ)に膝(ひざ)枕をさせたまま応対し公文書を足で蹴(け)飛ばして威嚇したというのだから話にも何にもならない。
 世良は奥羽諸藩に会津討伐の出兵を督促したが、出張の先々で、錦旗と官軍の勢威をよいことに伊達陸奥守など名門の藩主や重役に威張り散らしてやまなかった。

◆「軍務」と称し遊興の日々

 世良は、「軍務」と偽り旅籠(はたご)の部屋に引きこもったきり、朝から酒を飲みながら遊興(ゆうきょう)の日々を送った。二本松城下から少し南の本宮宿では、お駒なる19歳の遊女に惑溺(わくでき)して流連(いつづけ)してしまい、上参謀の公卿(くぎょう)でまだ20歳の醍醐忠敬少将まで“甘い生活”に引き入れたというから呆(あき)れてしまう。
 以上については中村彰彦氏の短編「上役は世良修蔵」(『禁じられた敵討(あだうち)』所収、文春文庫)が小説ながら詳しく、氏のご教示にも負うところが多い。会津藩救済を願う各藩使者の陳情を、ちっとも受けつけようとしない傲岸(ごうがん)な様子の描写は史実に近いだろう。もともと会津藩に同情的だった東北諸藩は怒って奥羽越列藩同盟を結成したのである。
 仙台藩重役の手に入った世良の手紙には、「奥羽はみな敵だ。とくに朝廷を軽んじる米沢藩や仙台藩は片時も油断できない」という趣旨が書かれていたからたまらない。心ある侍たちは激昂(げきこう)した。
 慶応4年閏(うるう)4月20日、福島城下の金沢屋で世良が遊女と同衾(どうきん)していたところに仙台藩士の姉歯武之進らが踏みこむと、世良は敵娼(あいかた)の名を叫びながら、慌ててピストルを撃つが、不発に終わった。
 まことの武士でない見苦しさが土壇場で露呈してしまう。裏口に引きずり出された世良は、ぶるぶる震えながら命ごいをした。しかし、会津救済を一顧だにしない男が、自分の命を惜しむ見苦しさに刺客たちは呆れ果てた。斬首された胴体は、阿武隈川の河原に埋められるという悲惨さであるが、同情する者はいない。

◆勝者と敗者から爪弾き

 後日談も後味が悪い。世良にも妻がいた。その千恵の末路は哀れで言葉にもならない。誰からも見放された世良の未亡人は掘っ立て小屋や野宿で命をつなぐのが精々であったが、78歳まで生きたのだから気の毒というほかない。毒キノコまで食べて精神に異常を来したという説もある。
 ここでも、誰一人この寡婦に救いの手を差しのべなかった長州人の酷薄さが気になる。勝者と敗者の大きな落差は悲惨に違いない。
 しかし、世良がもう少し情けのある士なら無事生きながらえ、千恵も維新功労者の夫人として綺羅(きら)を飾ったかもしれない。勝者と敗者から共に爪弾(つまはじ)きにされる悲惨さは、歴史の悲劇性の極致である。(やまうち まさゆき)

                   ◇

【プロフィル】世良修蔵
 せら・しゅうぞう 天保6(1835)年、周防(山口県)生まれ。長門藩重臣、浦靫負(ゆきえ)の養子となり、世良氏を継ぐ。江戸遊学後、奇兵隊に入って書記となり、第二奇兵隊の編成に当たって軍監となる。長州征討で大島口に戦い、戊辰戦争では奥羽鎮撫総督府下参謀となって仙台藩に会津藩攻撃を命ずる強硬論を主張した。会津藩への寛容な処置を求める仙台藩からの使者が送られたが、拒否。慶応4(1868)年、福島で仙台藩士らに殺害された。享年34。

 自分はばりばりの旧幕府側ファンだからでしょうか、西軍はなんでこんな人物を仙台に派遣したのかと……その後の東北での戦火での犠牲者のことを思うと、やりきれないです。

ビジネス
坂本龍馬の生涯を辿る、セブン-イレブン限定ドリンクキャンペーン
「海洋堂フィギュアコレクション 坂本龍馬 ─ その生涯の軌跡 ─ 」
3月15日(月)より全国のセブン-イレブンで開催

 株式会社セブン-イレブン・ジャパン(所在地:東京都千代田区、代表取締役社長 最高執行責任者〔COO〕:井阪 隆一)とフィギュア製作会社の株式会社ケンエレファント(所在地:東京都千代田区、代表取締役社長:石山 健三)は、2010年3月15日(月)より全国のセブン-イレブン店舗にて、ドリンクキャンペーン「海洋堂フィギュアコレクション・坂本龍馬 ─ その生涯の軌跡 ─ 」を実施いたします。対象飲料1本につき海洋堂オリジナル・坂本龍馬フィギュア1個が付き、フィギュアを介して彼の生涯の軌跡を辿ることができます。

■今年注目の人物・坂本龍馬にクローズアップ
 ドラマも放映され、今年注目の人物「坂本龍馬」。「海洋堂フィギュアコレクション・坂本龍馬 ─ その生涯の軌跡 ─ 」は、新しい日本を築くために龍馬が駆け巡った日本中の土地に焦点をあて、その土地での龍馬の姿をフィギュア化したコレクションシリーズです。幕末風雲児、33年間の生涯を凝縮したフィギュアシリーズをお楽しみ下さい。

■企画・制作は世界の海洋堂
 フィギュアの企画・製作は、食玩ブームを起こした株式会社海洋堂(所在地:大阪府門真市、代表取締役社長:宮脇 修一)です。海外の博物館の展示物製作も手がける、世界にも認められた海洋堂のハイクオリティな造形により、龍馬が生きた時代を生き生きと表現。おりょうとの新婚旅行や、新撰組とすれ違うなど、誰も見たことのないシーンを海洋堂ならではの豊かな発想で、リアリティのある造形に仕上げています。

【フィギュアラインナップ】〈全7種類〉
 誕生の地・高知から、命を落とすことになる京都まで、龍馬が駈け巡った日本各地から龍馬の偉業やエピソードを知るにふさわしい土地をピックアップ。その土地で起きた歴史的事件や龍馬の人間性がよくわかる7つのテーマをラインナップしました。

〈1〉龍馬誕生(1835年)~高知~
〈2〉黒船来航(1853年)~浦賀港~
〈3〉海軍操練所練習船「観光丸」(1863年)~神戸~
〈4〉グラバー邸(1865年)~長崎~
〈5〉新婚旅行(1866年)~鹿児島~
〈6〉龍馬落命の地(1867年)~京都~
〈7〉坂本龍馬銅像(1928年)~高知桂浜~

【解説書】
 各フィギュアごとについている解説書には、造形についての解説だけではなく、高知県立坂本龍馬記念館の監修のもと、それぞれのテーマと龍馬との関わりやエピソード、当時の歴史的背景なども解説されています。


■「海洋堂フィギュアコレクション・坂本龍馬 ─ その生涯の軌跡 ─ 」概要
実施期間:2010年3月15日(月)より ※景品がなくなり次第終了
実施場所:全国のセブン-イレブン店舗
実施内容:セブン-イレブンにて対象飲料1本につき
     フィギュア1個がついています。
対象飲料:ファンタ オレンジ  500ml/147円
     ファンタ グレープ  500ml/147円
     カルピスウォーター 500ml/147円
     午後の紅茶 茶葉2倍ミルクティー   460ml/157円
     TEAS'TEA GREEN&RED アップルティー 500ml/147円
     C1000 レモンウォーター       500ml/147円
     7&i 黒麦茶 490ml/147円
※表示価格は全て税込みです。        以上

 ……えーと、「龍馬落命の地」というタイトルのフィギュア、なんで新選組隊士のダンダラ羽織を着てる人がいるんですか?(汗)
 今どき、坂本龍馬を殺したのは新選組だという説を取るとは……史実よりも見た目のインパクト優先というのは悲しいです(涙)。

エンターテインメント
「仁―JIN―」の真実味はどこから?京都で養老とトーク
 「仁―JIN―」村上もとかと養老孟司による対談が、3月22日に京都国際マンガミュージアムにて開催される。
 対談では村上とマンガミュージアムの館長である養老が、「仁―JIN―」を題材にマンガにおける医療や歴史描写について語り合う。村上はフィクションとして描かれたマンガでいかにリアリティを演出できるか、その創作方法についても話す予定だ。定員は250人。事前の申し込みは不要で、当日午前10時より会場にて整理券が配布される。
 「仁―JIN―」は、スーパージャンプ(集英社)にて連載中。現代から幕末の日本にタイムスリップした脳外科医を描いた人気作で、2009年に放送されたTVドラマも話題となった。

村上もとか×養老孟司対談
マンガのリアリティ~「JIN―仁―」の人気のわけ~
日時:2010年3月22日(祝) 14:00
場所:京都国際マンガミュージアム
料金:無料 ※ミュージアムへの入場料は別途必要
出演者:村上もとか、養老孟司、吉村和真






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