忍者ブログ
新選組・土方歳三を中心に取り上げるブログ。2004年大河ドラマ『新選組!』・2006正月時代劇『新選組!! 土方歳三最期の一日』……脚本家・制作演出スタッフ・俳優陣の愛がこもった作品を今でも愛し続けています。幕末関係のニュースと歴史紀行(土方さんに加えて第36代江川太郎左衛門英龍、またの名を坦庵公も好き)、たまにグルメねた。今いちばん好きな言葉は「碧血丹心」です。
 ひそかにアニメ『幕末機関説いろはにほへと』を途中から見ています……土方さん登場以降ですね(苦笑)。途中から見たせいもあるのかも知れませんが、オリジナルのストーリーは何だかなーという感じで、特に最新話の第23回はツッコミどころ満載でしたわ。土方さんはじめ箱館の旧幕府軍の史実キャラはいいんですがね……いっそ史実通りのストーリーをなぞる幕末史アニメであったらと思わずにいられません(毒舌^_^;)。

栃木
宇都宮城140年ぶり雄姿、市民パワーで1億調達
 宇都宮市の宇都宮城が約140年ぶりに一部復元され、25日から一般公開される。事業費36億円のうち約6億円を市民の募金や市発行の公募債で賄った。
(中略)
 城主・本多正純が、からくり仕掛けの天井を作り、2代将軍徳川秀忠を暗殺しようとした「釣り天井事件」伝説で有名。1868年、戊辰戦争で大半が焼失した。

 土方さんたち旧幕府軍が攻め落とした城(焼失したのは守備側が火をかけたため)、復元された城郭を見に行きたいです。

東京
『海苔の食文化』歴史探る
包装紙や広告など1000点以上収集

 かつて海苔の養殖が盛んだった大田区。同区に住む石田晃浩さん(27)は、江戸時代以降の海苔(のり)の包み紙、広告などを千点以上集めて、海苔が、いつごろから人々の食生活に登場し、広まっていったかを研究している。現在の研究テーマの一つが、「おにぎりに海苔がまかれるようになった時期の特定」だ。
(中略)
 最近は、江戸時代の「大森海苔」養殖の様子を描いた掛け軸を、銀座の古書市で入手。コレクションをさらに充実させた。江戸時代の絵師、長谷川雪旦が幕末ごろ描いたと伝えられる「江戸名所図会」を元にした掛け軸。江戸名所図会は一八三四-三六年に刊行され、江戸中心部や近郊の暮らしや名所旧跡を紹介した書物。

 父が移り住んだ頃(昭和初期ですが)の羽田周辺はまさしく海苔の養殖が盛んだったと、以前に聞いたことがあります。


奈良
<上方連続線>プロとアマが狂言競演──大和の芸能(3)
 大和には大蔵流のようなプロに伍(ご)して活躍する狂言集団もいた。室町時代ごろから台頭した春日大社の神職たちによる南都禰宜(ねぎ)流だ。江戸の幕末に衰退したが、1957年に「禰宜座狂言」の名で復興し、今も春日大社の神職が取り組んでいる。師匠として迎えたのが、先代の大蔵流宗家。今は弥太郎氏が指導に当たっている。


岡山
幕末かけた岡山の人 岡山城春季特別展開幕
 激動の幕末期を生きた岡山ゆかりの人物などを紹介する岡山城春季特別展「幕末、維新をかけぬけた岡山の人びと」(岡山市、同市観光協会、山陽新聞社主催)が17日、岡山城天守閣(同市丸の内)で始まり、初日から大勢の歴史ファンらが貴重な史料に見入った。
 会場には、ペリー来航から明治維新まで時代ごとに5つのコーナーを設置し、約90点を展示。備中松山藩の財政改革に尽力した儒学者山田方谷が4歳で書いたとされる「竹虎」の揮ごうや、岡山藩の農兵隊らが参加した新政府軍と、幕府軍が会津城下で戦う様子を伝える「会津戦争の図」などが並んでいる。
 岡山藩兵とイギリス人が衝突した神戸事件で責任を問われた滝善三郎が、切腹前に家族にあてた遺書などもあり、来場者は混乱と変革の世相を映す品々をじっくりと鑑賞している。


高知
古墳時代の土坑出土 高知城北曲輪跡
 高知市教委は16日、同市丸ノ内2丁目の高知城跡北曲輪(くるわ)跡地区の遺跡調査で、古墳時代(4―6世紀)から中世の15世紀までの土坑や土師(はじ)器、須恵器など遺物が多数出土したと発表した。
(中略)
 さらに藩政期の遺構からは石灰岩の割石を並べた建物の基礎のほか、山内家家紋である三ツ葉柏の軒丸瓦の破片なども出土し、「幕末の絵図にこの場所は藩の武器方役場があったことが示されており、その建物の可能性が高い」(同)とも。


高知城北側の遺跡:古墳期、中世の遺構出土 土地利用の変遷、実態解明に期待 /高知
 高知市丸ノ内2の高知城北側を発掘していた高知市教委は16日、古墳時代(4~6世紀)や中世(15世紀)の遺構、江戸時代の建物跡などが見つかったと発表した。高知城周辺で古墳時代や中世の遺構が出土したのは初めて。同市教委は「これまで書物でしか分かっていなかった高知城北側の土地利用の変遷について、実態解明につながる貴重な史料」としている。
(中略)
 また、江戸時代では、建物の基礎部分に当たる縦8・5メートル、横2・5メートルの石の列が見つかった。『高知郭中図』という幕末の書物に、この辺りに武器庫があったという記述があるため、石の列が武器庫の基礎と推測されるものの、武器は出土されなかった。さらに、山内家の三ツ葉柏家紋入りの瓦が見つかったことから、土佐藩との関連がある施設が多くあったことがほぼ裏付けられた。
PR
この記事にコメントする
           
お名前
タイトル
メールアドレス
URL
文字色
絵文字 Vodafone絵文字 i-mode絵文字 Ezweb絵文字
コメント
パスワード   コメント編集用パスワード
 管理人のみ閲覧
この記事へのトラックバック
トラックバックURL:
カレンダー
04 2024/05 06
S M T W T F S
1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31
最新コメント
[12/14 白牡丹(管理人)]
[12/14 ゆーじあむ]
[11/08 白牡丹(管理人)]
[11/07 れい]
[01/21 ゆーじあむ]
[11/15 白牡丹@管理人]
[11/15 ゆーじあむ]
[05/25 長谷川誠二郎]
[07/23 白牡丹@管理人]
[07/23 伊藤哲也]
最新TB
ブログ内検索
アーカイブ
カウンター
プロフィール
HN:
白牡丹
性別:
非公開
自己紹介:
幕末、特に新選組や旧幕府関係者の歴史を追っかけています。連絡先はmariachi*dream.com(*印を@に置き換えてください)にて。
バーコード
Livedoor BlogRoll
本棚
Copyright ©  -- 白牡丹のつぶやき --  All Rights Reserved
Designed by CriCri / Material by White Board

忍者ブログ  /  [PR]