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新選組・土方歳三を中心に取り上げるブログ。2004年大河ドラマ『新選組!』・2006正月時代劇『新選組!! 土方歳三最期の一日』……脚本家・制作演出スタッフ・俳優陣の愛がこもった作品を今でも愛し続けています。幕末関係のニュースと歴史紀行(土方さんに加えて第36代江川太郎左衛門英龍、またの名を坦庵公も好き)、たまにグルメねた。今いちばん好きな言葉は「碧血丹心」です。
 『実伝 江川太郎左衛門』仲田正之、読み始めて1センチぐらい進みました。あと4センチはあります^_^;。敬愛する坦庵先生の生涯に関する本ですので、楽しいです。
 そしたら、「江川文庫」に関する新聞記事が!!

代官の蔵から見える幕府 「江川文庫」貴重文書が4万超

 江戸時代に伊豆韮山(静岡県伊豆の国市)の代官をつとめた江川家に伝わる資料群「江川文庫」の調査が最終段階を迎えている。10年に及んだ調査では文書だけでも約4万5千点が確認され、全体像が見えてきた。

 珍しい資料が2月に確認された。幕府転覆を狙ったとされる「慶安の変」(由井正雪の乱、1651年)での手配書で、歌舞伎などで知られる金井半兵衛ら7人の人相や特徴が記されていた。

 勘定奉行から代官にあてた書状の形式で、「この度悪事を企てた徒党」の「男ぶり」(特徴)を伝える。金井半兵衛は「つら長く色くろぐろく候、せいたかくしてすらりといたし」とある。

 計画は密告により発覚し、正雪は7月26日に静岡で自害。手配書はその4日後の30日付で出されていた。半兵衛は正雪門下で丸橋忠弥に次ぐ存在。大阪での決起を担当することになっていたが、手配書の出された同じ日に、大阪で自決した。

 「正雪の死の報が静岡から江戸に届き、東海道筋を押さえることを目指したのだろうが、事件の緊迫感が伝わってくるようだ」と調査した保谷徹東京大教授は話す。

 江川文庫の調査は2002年、江川家41代当主の滉二さんが湯之上隆静岡大教授に依頼したのがきっかけで始まった。江川家は全国の天領の代官のなかでも数少ない世襲。当主は代々、太郎左衛門を名乗っており、幕末に西洋の軍事制度を紹介したことで知られる英龍は36代目に当たる。二つの蔵には伝来の品々がぎっしりとつまっており、「後世に伝えるため、しっかりした態勢が必要だ」として調査団が組織された。団長には東京大教授だった宮地正人さんが就いた。

 調査はまず東蔵から。文書、書画、典籍、工芸品、写真など2万点を調べた。3巻で1200ページにのぼる報告書を刊行すると当初予定の5年は終わってしまった。 計画を5年延長し、西蔵の調査がスタートしたのが07年。内容を確認する作業がようやく終わる見通しがたち、第2次調査の報告書をまとめる作業が4月から始まる予定だ。

 一連の調査を通して江川文庫の全体像が見えてきた。

 当初注目されたのは幕末の軍事資料だった。韮山代官所は幕府の軍制改革センターの役割を果たし、オランダ語の軍事書は国内きってのコレクション。大砲の鋳造、銃隊の訓練、洋式船の建造、東京湾での台場の築造などの資料が保管されていた。「幕府の軍事改革や対外政策の実態を知る貴重な資料」と宮地さん。

 多かったのは代官所の行政書類。「江戸時代の行政がどのように運営されていたのか、どう変わったのかを知ることができる類例のない文書群」と湯之上さんは語る。慶安の変の手配書はその一例で、数年前には大塩平八郎の手配書も見つかった。大名家の文書と比べて、「幕府の行政をそのまま伝えている点で価値が高い」という。

 戦国期の資料も発見され、当初は小田原の北条家に仕えていたことが判明。「戦国と明治維新という激動を江川家は乗り越えた。優秀な人材を登用する仕組みがあったからだ」と保谷さんは語る。

 国の重要文化財に指定される見通しというが、まだ保管のめどは立っていない。「何があるのかがようやくわかっただけで、この資料をもとにした研究はこれからがスタート。そのために研究と保存を両立できる施設がほしいですね。江戸時代研究の拠点になるはずです」と湯之上さんは力を込めた。(渡辺延志)

 これ、すっごい楽しみです。江戸時代〜幕末維新の歴史を書き換えるような発見が出てくるかも知れません。
 江川家が当初は小田原の北条家に仕えていたことも判明、ですか。坦庵先生こと36代英龍のご正室様も北条家出身……小田原北条家につらなる方なんでしょうかね。

三重
松浦武四郎:「蝦夷人機織図」 松阪市、資料保存で購入 8月から公開 /三重
◇8月から記念館「アイヌ展」で公開
 松阪市ゆかりの幕末の探検家で、北海道の名付け親として知られる松浦武四郎が晩年にアイヌの人々の生活を描いた掛け軸「蝦夷人機織図」が東京都の古美術商で発見され、松阪市市教委が武四郎の資料保存のための「コスモス文化振興基金」を活用し、89万2500円で購入した。8月9日から同市小野江町の松浦武四郎記念館で開かれる「武四郎とアイヌ民族展」で、一般公開される。

 「蝦夷人機織図」は幅約51センチ、高さ約30センチで、ニレ科の樹木、オヒョウの樹皮をはぐアイヌの男性や樹皮の繊維を使って機織りをする女性などが描かれている。また、左端には「機織りから無数の着物が織られていく」などと詠んだ七言絶句の自賛と武四郎が好んで押した「北海道人」のほか「甲申春日」の落款があり、武四郎67歳の1884(明治17)年の作と判明した。

 山本命・同記念館学芸員によると、図柄は武四郎が最終の6回目の北海道探検を終えた1859(安政6)年に出した「蝦夷漫画」と似た構図という。ただ、武四郎はアイヌ政策に反発して1870年に政府を去っている。今回の掛け軸は14年後の東京に戻ったころの作であり、アイヌに対する思いを物語る貴重な資料だとしている。【橋本明】


コラム
(105)東大教授・山内昌之 藤田東湖
安政の大地震に母を庇う

 マグニチュード9・0は国内観測史上の最大の地震記録である。東日本大震災で亡くなられた方の御冥福を祈るとともに、行方不明の方々が早く発見されることを願っている。同時に、被災地で苦労の多い生活を強いられている住民に共感し、生存者の捜索に全力を尽くす自治体関係者や自衛隊員の努力にも国民あげて感謝しなくてはならない。

 忘れてはならないのは、福島第1原子力発電所の復旧に危険な最前線で取り組んでいる東京電力と関係企業の作業員への激励である。会社の危機対応や広報能力へのゆきすぎた批判よりも、まずは献身的な作業員と東電幹部を問題解決に集中させる冷静な配慮も政府とメディアの双方に求められている。

 ◆埋め立て地の被害大きく

 幕末最大の震災といえば、何といっても安政の大地震であろう。安政2年10月2日(1855年11月11日)午後10時頃に関東地方南部で発生したマグニチュード6・9の直下型大地震である。震源は東京湾北部・荒川河口付近といわれている。被災地は江戸など関東平野南部の狭い範囲に限られたが、事実上の首都が直撃された被害は甚大であり、死者約4700人、倒壊家屋1万戸以上を出したとされる。

 武蔵野台地の地盤が固い山の手の武家屋敷や、埋没した洪積台地が地表面のすぐ下にある日本橋や銀座は町方でも被害は少なかったが、庶民の住む下町、とくに隅田川から東の深川など埋め立て地の損害は大きかった。武家方でも、江戸城西の丸から日比谷や大手町など谷を埋め立てた地域では被害が大きい。小石川の水戸藩邸が倒壊して、藤田東湖が圧死した悲劇はこの時に起きた。

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 東湖は水戸学者として幕末の尊皇攘夷(じょうい)のイデオロギーと運動に決定的な影響を与えた人物である。尊皇攘夷派のバイブル『弘道館記述義』を著した東湖は、藩主、徳川斉昭(なりあき)の腹心として藩政にも参与し、後の諸生党につながる門閥派との党争にも加わった。東湖は、彰考館(しょうこうかん)総裁の儒者、藤田幽谷(ゆうこく)の子として生まれたのだから、学者としてこれ以上ない毛並みに恵まれていた。しかし、この父はやや物騒なことに、文政2(1819)年に大津浜へ英艦が来着したとき、子に命じて英国人を斬って攘夷を天下に示そうとしたが、艦が退帆(たいはん)したために失敗している。江戸の幕閣が漂着者の前例に従って寛大に扱い、事を穏便に済ますように下達(かたつ)しているのに、幕府の権威をはなから無視しているのだ。

 ◆藩主、斉昭にも痛手

 文政12年の水戸藩主継嗣(けいし)問題に当たって斉昭を擁立して以来、東湖は郡奉行、江戸通事御用役、御用調役と順調に昇進し、天保11(1840)年には側用人として藩政改革に当たる。その後も斉昭が幕府から謹慎処分などを受ければ失脚、海防参与に任じられると東湖も海岸防禦御用掛かいがん防御ご用がかり)として主君の補佐に返り咲くなど、君臣形影(けいえい)のように行動を共にした。それでも東湖には、経世済民の理想と政治リアリズムを併せもつ懐の深さがあった。東湖を大地震で失ったのは、斉昭の痛手となり晩年の政治判断をしばしば狂わせる原因となったのではないか。

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 東湖については、母を地震から庇(かば)って圧死したという逸話を子供のときに何かの本で読んで以来、その名がずっと記憶に沈殿した。正確にいえば、一度は無事に脱出した母が火鉢の火を心配して邸内に戻ったために、東湖も心配して後を追ったらしい。落下してきた鴨居(かもい)か梁(はり)から母を守るために東湖が自分の肩で受け止め、何とか母の命を救って無事に現場から脱出させたというのだ。圧死というのは、自分の体力や気力がついに尽きて木の下敷きになって絶息したからであろう。子供心に自分には東湖のような孝行を尽くせるだろうかと自問したことを憶(おぼ)えている。

 今回の大地震津波でも東湖とその母のような親子は無数にいたはずである。夫婦はもとより、親が子を慈しみ、子が親の命を大切にするのは、緊急時こそ本能的に発揮されるものだ。どちらかの生命を助けるために片方が犠牲になった事例も多いかもしれない。まことに痛ましいことである。死者には、いまはただ安らかに眠りたまえと祈るのみである。(やまうち まさゆき)



【プロフィル】藤田東湖

 ふじた・とうこ 文化3(1806)年、水戸藩士の儒学者、藤田幽谷の次男として生まれる。徳川斉昭を藩主に擁立し、その腹心として藩政改革を推進。嘉永6(1853)年、斉昭の幕政参与とともに海防掛となり、江戸で活躍。尊皇攘夷を説く水戸学の大成者として広く影響を与える。安政2(1855)年、安政の大地震で江戸藩邸が倒壊し、圧死した。


ブックレビュー
ブック】海舟の妹の目から動乱期の幕末描いた大作
★諸田玲子さん「お順 勝海舟の妹と五人の男」毎日新聞社・各1680円

 不良オヤジに努力家の息子。幕末の“父子鷹”、勝小吉と海舟を間近に見て育ったお順は、25歳年上の洋学者、佐久間象山の妻となり、父や兄に負けない波瀾の生涯をたどる。幕末の動乱期、志を持って生きたのは男だけではなかった。自らの意志を貫いた女性、順の目から、幕末を描きあげた大作である。(文・青木千恵、写真・大山実)

 --お順への興味は

 「2007年に作家の半藤一利さんと対談して、“勝海舟の妹のお順が面白いですよ”と勧められたのがきっかけ。私が子供の頃によく遊んでいた清水山(静岡市)のふもとのお寺に順のお墓があるとわかり、俄然、興味がわきました」

 --父、初恋の人、夫、兄、夫の死後恋に落ちた人…。5人の男たちが、順の人生を彩ります

 「順の周りにいた実在の男たちが非常に個性的なので、5人の男とのやり取りから順の生涯と幕末史を描く構成にしました。父は放蕩者、夫は変わり者、惚れた相手は怠け者と、順はなぜかダメ男に縁がある(笑)。でも、5人それぞれに魅力があり、自立心旺盛な順が彼らに惹かれた理由がわかりましたね」

 --兄は英才の勝海舟

 「幕軍も官軍も大勢の武士が戦って命を落とす中、平和裡に生きのびた海舟を批判する声は多くて、私もあまり好きではありませんでした。しかし、この小説を書いて、凄い人だと思いました。とにかく忍耐強い。一方、父の小吉は気性は激しいが人情味豊か。不遇だけど一生懸命に生きている親を見て、海舟や順のような強い子が育ったのでしょう」

 --史料調べは

 「大変でした。勝海舟の史料が大量にあっても、順をはじめ女性についてはほとんど書かれていない。ごく断片的にある事実を点として、点と点の間を想像で結んでいきました。順がなぜ、25歳も年上で、子供もいる象山に嫁いだのか。象山の死後、なぜ俊五郎のようなダメ男に恋してしまったのか。この2点における順の心情が最大の謎でした。断片的な史実から何をとらえて、人物の気持ちをどう解釈するかが重要。納得できないと書けないですから」

 --順の目でみた幕末

 「順が象山に嫁いだのは、当代随一の学者の仕事を支えることで、自分も世の中の役に立ちたいと考えたからだと思います。幕末期は、国の大事に対し国中の人々が志を強くした時代でした。各地で優れた思想や志士が輩出した熱は、女たちにも伝わっていた。象山と吉田松陰、海舟と坂本龍馬ら、私利私欲を捨てた人々が続々登場して、順の生涯を描くのはとても気持ちがよかったですね。幕末は血なまぐさくて苦手でしたが、井伊直弼の愛人の生涯を『奸婦にあらず』で書き、さらに今回、順を書いて、また幕末を書きたいなと思うようになりました」

 ■もろた・れいこ 1954年、静岡県生まれ。上智大学文学部英文科卒業。1996年『眩惑』でデビュー。2003年『其の一日』で吉川英治文学新人賞、07年『奸婦にあらず』で新田次郎文学賞。『天女湯おれん』『美女いくさ』『炎天の雪』など著書多数。

【“歴男”も増えて】

 最近は歴史好きの女性が増え、“歴女”という言葉も生まれている。

 「若い男性には“草食系”が増えているというし、今は荒々しく戦うと生きにくい時代なのだと思います。戦国武将の生きざまなど、過去の日本人の姿を憧憬したブームなのかもしれないですね」(諸田さん)

 昨年は、『お順』のほか4作の単行本と6作の文庫を上梓。平安から現代まで描く時代は極めて広い。「勝小吉と海舟については、子母澤寛氏の名作『父子鷹』があり尻込みもしますけれど、歴史の見方はひとつではないんですね。私は“歴男”も増えてもらいたい。日本人はもっと、自分の国の歴史を知った方がいいと思いますから」

■「お順 勝海舟の妹と五人の男」毎日新聞社・各1680円

 将軍家に仕える直参だが無役で微禄、しかも放蕩者の父・勝小吉のせいで、勝家の家計は常に火の車。そんな勝家の末娘で、父に似て気性が激しい順の、波乱の人生を描いた長編歴史小説。

 昨日書店で手に取りました。5人目の男が村上俊五郎ってのが気になる自分はやっぱり『組!』ファン(苦笑)。「俊五郎のようなダメ男」という諸田さんのコメントに、あ、やっぱりと思っちゃうのは『組!』で山南さん相手にムダにすごむ俊五郎イメージが染みついてますなぁ。






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