忍者ブログ
新選組・土方歳三を中心に取り上げるブログ。2004年大河ドラマ『新選組!』・2006正月時代劇『新選組!! 土方歳三最期の一日』……脚本家・制作演出スタッフ・俳優陣の愛がこもった作品を今でも愛し続けています。幕末関係のニュースと歴史紀行(土方さんに加えて第36代江川太郎左衛門英龍、またの名を坦庵公も好き)、たまにグルメねた。今いちばん好きな言葉は「碧血丹心」です。
 夕方になって冷えてきました。明日明後日は雨模様のようですので、暖かくしてお休みください。

栃木
英国大使館別荘:栃木県へ譲渡、改修し一般開放 アーネスト・サトウが1896年建築
◇中禅寺湖の紅葉を一望
 栃木県日光市の中禅寺湖のほとりに建つ英国大使館別荘が4月1日に栃木県に無償譲渡される。別荘は英外交官として幕末から明治にかけて活躍したアーネスト・サトウ(1843~1929)が1896(明治29)年に建てた。県は別荘を改修後、一般開放するための整備を進める方針。【浅見茂晴、葛西大博】
 標高約1300メートルの湖畔は明治以降、避暑地として数多くの大使館別荘が建てられた。明治末期には30カ国の別荘があり、英国は最も古い。木造2階建て延べ床面積は約495平方メートル。外観は和風建築だが、室内には暖炉などがある。現在、湖畔に建つ四つの外国大使館別荘(記念公園含む)の中で最も眺望がよいとされ、2階からは紅葉で有名な八丁出島が眼前に広がる。
 明治以降、日光が観光地として発展する過程などを記した「日光避暑地物語」(平凡社)などの著書がある元市職員、福田和美さんによると、英国大使館通訳だったサトウが、湖畔の家を借りて夏場を過ごした際、現地を気に入り、明治天皇から土地を提供されて別荘を建てた。その後、大使館別荘として使用したという。
 別荘は老朽化が進み、2年前から使われていなかった。09年1月に大使館側から県に譲渡の打診があった。時期は未定だが県は補強工事後、一般公開する。福田富一知事は「歴史的な建築物を譲渡していただけることになり、大変ありがたい」と話した。
 サトウは「一外交官の見た明治維新」の著者として知られる。


静岡
器でかくて強くて あこがれた
 「お~い!竜馬」の漫画家から見た龍馬の魅力は?  小山 ゆうさん(62)


 幕末の志士、坂本龍馬。テレビドラマの影響もあり、龍馬人気が再燃している。漫画「お~い!竜馬」を描いた小山ゆうさんが龍馬の魅力を語った。



――龍馬ブームが起きています
 ゆかりの地でイベントが開かれていますね。NHK大河ドラマ「龍馬伝」の影響でしょうが、下田に木像が建てられたり、高知や長崎など全国各地で龍馬に関する催しが開かれていることは、すごくうれしく思います。

――人間として魅力的ですね
 出会った相手の考えに納得すれば自分の考えを改め、受け入れる。でも、決して人に流されるというわけではない。そんな柔軟な考えを持っていますね。器がでかくて、強くて……。すべてのものを備えている男です。
 「お~い!竜馬」では、こんなかっこいい男が日本にいたんだよ、というのを多くの人に知ってほしかった。読者が龍馬の生き方にあこがれたり、どこか龍馬的でありたいと思ってくれたりしたらと……。

――漫画家を目指したのは
 最初は作曲家志望だったんです。中学生のころに先生から音感が素晴らしいと褒められたのを思い出して、18歳の夏に上京しました。
 絵が得意だったのでアニメ会社でアルバイトをしながら作曲の勉強をしていました。そのとき初めて「少年マガジン」や「少年サンデー」を読みました。
 ある時、「ゴルゴ13」で有名なさいとう・たかを先生のプロダクションでバイトをすることになったんです。そこで漫画家や原作者を志す人たちと出会って、刺激を受けました。いつのまにか、作曲家の夢は薄れ、漫画が大好きになっていました。

――龍馬との出会いもそのころですか
 20歳の頃です。司馬遼太郎先生の「竜馬がゆく」を読んで、生き方にあこがれました。龍馬のようなタイプを主人公にした作品を描けたら最高と思っていました。
 ただ、当時は漫画家はオリジナルの主人公を作るべきだという考えがあったので、別の漫画を描いてきました。でも、常に作品の中のどこかに龍馬っぽさを入れようという気持ちはあったと思います。

――そしてついに龍馬を描くチャンスがきたわけですね
 40歳ぐらいの時に編集者から勧められました。司馬先生の龍馬が18歳のころからがメーンでしたから、私は18歳までを描く約束でした。しかし、好評だったので、もう最後まで描いちゃおうと。他の漫画家にとられたくなかったので本当によかった。


――龍馬のような活発な少年だったのですか
 違いますね。中学までは順風満帆でした。しかし、高校生の時に変声期がきて、身長も急に伸びたので、声が出なくなってひざを痛めました。人としゃべれず、走れない。最悪の3年間で、当時の記憶がほとんどないんです。
 この先どうやって生きていけばいいのか、真剣に悩みました。いまの僕があるのはその3年間のおかげ。だから、龍馬のような強い男にあこがれたのかもしれません。

――今の日本に龍馬がいたら
 何をしていたかは想像はつきませんが、政治家にはなっていなかったでしょうね。そういうタイプじゃないですし。龍馬は時代が生んだ英雄ですよ。(山口裕起)




 菊川町(現菊川市)出身。1973年「おれは直角」でデビュー。代表作に「がんばれ元気」など。ビッグコミックスペリオールで「AZUMI―あずみ―」を連載中。



福井
足羽山でぼんぼり取り付け始まる 桜開花待つだけ
 福井市足羽山の夜桜を照らすぼんぼりの取り付け作業が23日、始まった。個人やグループが協賛金を寄せた「市民オーナー」分を含む約400個が設置される。4月1日に点灯式が行われ、花見シーズンを盛り上げる。
 福井観光コンベンション協会が今春から、足羽山のぼんぼり事業を中止したことを受け、地元自治会や足羽山公園茶屋組合が「さくら灯(あか)りの会」をつくり引き継いだ。市民から協賛金を募る「ぼんぼりオーナー」制を設け、協力を呼び掛けてきた。協賛企業分のぼんぼり以外に、市民オーナー分は224個集まった。
 この日は小雨の中、4人の作業員がぼんぼりを取り付けた。高所作業車を使い、約5メートルの高さに張った電線に、1・5メートルから2メートルの間隔で配置。高さ約90センチと45センチの大小のぼんぼりを、銅線で結び付けた。市民オーナー分のぼんぼりには、福井の幕末の歌人、橘曙覧にちなんだ全国コンクール「平成独楽吟」の入賞短歌が描かれており、花見の風情を引き立てる。
 作業は28日まで行われる。点灯式後は4月30日まで明かりがともされる。
 気象情報会社「ウェザーニューズ」(東京)によると、足羽山のサクラの開花予想は昨年より5日遅く、過去5年間の平均より1日遅い4月5日。満開期間は同13日から16日までという。


滋賀
狂言オペラ観客魅了 開国150年祭閉幕前催し
 彦根市で開催中の「井伊直弼と開国150年祭」のフィナーレイベントとして狂言オペラ「たぬきのはらづつみ」が22日、市内のひこね市文化プラザで上演され、市内外から850人が詰めかけた。
 幕末の大老井伊直弼が復曲した狂言が題材。大蔵流狂言の茂山千五郎家の監修で、オペラの要素を組み合わせて仕上げた。タヌキ退治をする男と、男の叔母に化けて退治をやめさせようとするタヌキを軸にした物語になっている。
 地元のオーケストラや合唱団、バレエ教室のメンバーら計250人が出演。狂言師とオペラ歌手がそれぞれの節回しで掛け合ったり、大勢の子ダヌキが一斉に腹鼓を打ったりした。観客は狂言オペラの独特の世界に引き込まれていた。
 井伊直弼と開国150年祭は2008年6月から始まり、今月24日に閉幕する。
 (古根村進然)



京都
マンガのリアリティ:村上もとかさん、創作の裏話披露 養老孟司さんと対談 /京都
 漫画家の村上もとかさんと、京都国際マンガミュージアム館長で解剖学者の養老孟司さんの対談「マンガのリアリティ」が22日、中京区の同館であった。幕末にタイムスリップした医者を描いた村上さんの作品「JIN 仁」を題材に、架空の物語にいかに読者を夢中にさせるかを話し合い、漫画ファンら180人が聴き入った。
 村上さんは「現代人の目線から幕末を描くにはタイムスリップしかなかったが、あり得ない舞台設定には読者の評価は分かれるだろう」と当初は不安だったいう。作品に真実味を持たせるため、「格好いい男」として描かれることの多い坂本龍馬を肖像写真通りの顔で描いたり、医学面では専門家に監修を依頼したりした。村上さんは「建物や風景一つでも、空想しながら迫真的に描くのが大変だった」と話した。
 養老さんも「過去の見方は人それぞれ。そこが歴史漫画の面白さだ」と応じた。【熊谷豪】


龍馬電車でファンら幕末に思い
京阪石坂線 LIVEや寄席も

 「龍馬電車でLIVE&寄席」が22日、大津市の京阪電車石坂線であり、歴史ファンら60人が龍馬をモチーフにしたラッピング電車に乗り込み、幕末を駆け抜けた志士の生き様に思いをはせた。
 ファンら80人で作る「近江龍馬会」(柴田與一郎会長)が、湖国と龍馬のかかわりを探るため市民にアピールしようと企画した。側面に龍馬や青龍をあしらった電車は企画やデザイン、ラッピングを会員が仕上げた。15日から運行している。
 午後6時に参加者が大津市の浜大津駅に集まった。坂本や石山寺を経由して浜大津に戻る約1時間半の行程で、会関係者が龍馬ゆかりの大津出身の人物について話し、龍馬と滋賀の関係を深めて観光に生かそうと訴えた。車内ではこのほか、カントリー音楽や落語も楽しんだ。


大阪
堺市の小さな山が11センチ成長!?
 一等三角点がある山としては全国で最も低い「蘇鉄(そてつ)山」(堺市堺区大浜北町4丁)の標高が、以前よりも約11センチ高い6・96メートルとなっていたことがわかった。国交省が6年前に実施した調査で変更されていたが、周知されておらずに市の看板表示は以前のまま。地元住民らでつくる「蘇鉄山山岳会」も気付いていなかったため、登山認定証の表記を変えるという。
 蘇鉄山は堺市臨海部の大浜公園内にある。ふもとから山頂までゆっくり歩いても1分ほど。市の看板などによると、幕末には黒船来襲に備えて砲台が置かれ、明治時代に公園が整備された際、見晴らしの良い築山として整備されたという。ソテツの木があちこちに生えているため、その名が付いた。
 国土地理院が地図を作製する時に基準とする一等三角点が設置されたのは1939年。標高は若干の修正を経て、阪神大震災直後の調査で6・846メートルとなった。全国屈指の低さのため、「堺の新名所に」と盛り上がる地元の願いに押された形で、国土地理院は2000年に発行した2万5千分の1の地図に山名を記した。
 ところがその後、04年に人工衛星を使って調べ直したところ、標高が6・96メートルに変わっていた。国土地理院測地基準課は「日本列島はプレート(岩板)の上に乗っており、数字が変わること自体は珍しくない」と説明する。ただ、観測手法の変更の影響かもしれず、理由は一概に言えないという。
 山岳会が登山認定証の発行を始めた99年8月以来、北海道から沖縄まで3万人近くが訪れ、認定証を受けている。エベレスト登山経験のあるお年寄りが「もう高い山は登れないから」と孫を連れて来たこともあったという。正月には登山安全祈願祭、6月には山開きをしている。
 蘇鉄山に近い神明神社の宮司で山岳会会長の北正史さん(85)は朝日新聞の取材で初めて高さの変更を知った。「それなら、認定証を変えないといけないなあ」と意外そうな表情。北さんの妻で自称「蘇鉄山の母」こと貞子さん(63)は「大勢の人が踏みしめているので、もっと低くなったらどうしようと思ってました。低いのが売りですが、高くなるのもうれしいです」と冗談を交えながらほほ笑んでいた。




兵庫
文化審答申:加西から国登録有形文化財に2カ所 「水田家住宅」と「大信寺」 /兵庫
 加西市にある「水田家住宅」(北条町横尾)の主屋など4棟と「大信寺」(北条町北条)の本堂の計2カ所5件が、国の登録有形文化財(建造物)に登録される見通しになった。いずれも古民家を核とした地域活性化に行政・住民が一体となって取り組んでいる旧市街地のエリアに属しており、加西市教委は「良い観光資源になる」と歓迎している。【大久保昂】
 2カ所については、国の文化審議会が19日、川端達夫文科相に登録するよう答申した。文科省は近く答申通りに登録を行う方針。これで加西市内の国登録有形文化財(建造物)は計16件となる。
 水田家住宅の主屋は、大正11(1922)年の築造。丹波経由で京都に至る旧街道「丹波往来」に面した古民家で、装飾と防火機能を兼ね備えた構造物「袖卯建(そでうだつ)」などに当時の面影が残る。主屋とほぼ同時期に築かれた書院、内蔵、北蔵の3棟も文化財登録される。
 一方、大信寺本堂は弘化2(1845)年に建立された。本尊などを安置する空間(内陣)や礼拝などを行う空間(外陣)などに分かれたオーソドックスな構造の浄土宗本堂で、各空間の境界が簡素な造りになっているのが特徴。幕末の雰囲気を今に伝えている。
 加西市教委市史・文化財室の立花聡室長(55)は「古民家を生かしたまちづくりへの弾みになる。更に登録文化財を増やしたい」と今回の答申を喜んだ。一方、水田家住宅に現在住んでいる水田加代子さん(60)は「生活しながら保存するのが大切。気負わず自然に残していきたい」と話していた。
〔播磨・姫路版〕



山口
白虎隊:会津・長州の友好碑建立を 子孫が来県--逸話の地・美祢市に /山口
◇郷土史家らと交流
 戊辰(ぼしん)戦争で集団自刃した白虎隊二十士のうち唯一生き残った飯沼貞吉(後の貞雄、1854~1931)の孫、飯沼一元(かずもと)さん(67)=東京都在住=が20日、生存後に貞吉が敵方の長州で一時養育されたとの言い伝えが残る美祢市を訪れ、郷土史家らと交流会を開いた。少年の貞吉を連れ帰ったとされる長州藩士・楢崎頼三(1845~75)の同市東厚保町(ひがしあつちょう)川東小杉の屋敷跡を訪れた後、飯沼さんは「戦い合った会津藩と長州藩の友好の記念碑を建てたい」と提案した。
 貞吉は明治時代に逓信省の技師になり、下関や山口に勤務。退職後、31(昭和6)年に仙台で78歳で亡くなった。
 一方、幕末に美祢の楢崎家に奉公していた高見フサの証言で頼三が戊辰戦争から帰郷した際「サダさあ」と親しく呼び掛ける少年を伴い、しばらく家で養育したという逸話が残っている。楢崎は1875(明治8)年にパリ滞在中に31歳で死去。屋敷は高見家が受け継いだ。歴史資料が少ない中、研究家の間で「少年は貞吉ではないか」と議論になっていた。
 飯沼さんは08年に初めて美祢市を訪問。フサの子孫の高見和子さん(83)や吉井克也さん(63)と面会し、言い伝えを聞いた。その後も飯沼さんは自身で研究を続け、今回の訪問で「史実」と確信したという。
 この日の座談会には、会津藩があった福島県内の研究家と山口県内の郷土史家ら約30人が参加。飯沼さんが「来年にも楢崎家の屋敷跡地に記念碑を建てたい」と提言。高見さんとともに出席した吉井さんも「『サダさあ』の話は先祖から語り継いできた。建立に協力したい」と答えていた。【中尾祐児】
〔山口版〕




高知
土佐・龍馬であい博:10万人突破 /高知
 来年1月までの観光イベント「土佐・龍馬であい博」のメーン会場で、高知市のJR高知駅前にある「高知・龍馬ろまん社中」の入館者が22日午前、10万人を突破した。今年1月16日の開館から66日目、予想より41日早い達成となった。
 10万人目となったのは、福岡県遠賀町から観光で来た自営業、藤井達也さん(55)ら親子3人。認定証を手渡され、くす玉を割った藤井さんは「幕末から明治にかけ、多くのスターが生まれた高知の歴史に魅力を感じる。満喫して帰りたい」と顔をほころばせた。
 であい博推進協議会は40万人以上の入館を目指しており、「会場だけではなく、県内を周遊してもらえるようPRしていきたい」と話していた。【服部陽】


龍馬の心意気児童らが再現
 幕末の志士・坂本龍馬の脱藩時の心意気を後世に伝えようと21日、高知市神田の和霊神社で「第26回龍馬脱藩祭」(同祭実行委主催)があった。県内外から約300人が訪れ、市立神田小学校5年生5人による「脱藩宣言」や脱藩シーンの再現を見守った。
 龍馬は1862(文久2)年3月24日に脱藩した。この時、「花見に行く」と和霊神社に立ち寄り、成就を祈ったとされる。
 脱藩祭では、はかま姿の児童5人が「龍馬の心意気を受け継ぎ、新しい時代をつくります。世界に羽ばたいた龍馬のように大きく飛び立っていきます」と宣言。水杯を交わした後、たいまつを持ち、桜が咲く約200メートルの参道を下った。先頭を歩いた柏原優花さん(11)は「龍馬が見ていただろう景色が広がって、桜もきれいだった」と話した。



佐賀
佐賀城本丸けんてい:「幕末の佐賀」知ってる?--佐賀 /佐賀
 幕末~明治維新期の佐賀に関する知識を問う「佐賀城本丸けんてい」(同実行委員会主催)が22日、佐賀市の県立佐賀城本丸歴史館で約70人が参加して開かれた。
 検定は、同館で説明員などをしている市民ボランティアら約90人が、09年の開館5周年にちなみ、「来館者に恩返しを」と企画した。問題作成から参加者募集、採点まですべて手作りで行われているのが特徴という。
 検定は「初代司法卿で近代司法制度の基礎を確立した人物は」など基礎的な内容から「幕府が佐賀藩に発注した鉄製大砲の数は」など“通好み”のものまで50問。正答率70%以上が合格で、11日に発表される。
 実行委メンバーの田中猛善さん(69)は「幕末から維新期の佐賀について、多くの人に知ってもらいたい」と話していた。【田中韻】


我こそ佐賀城「博士」
 佐賀城本丸歴史館(佐賀市城内2丁目)のボランティア約90人が問題を作成した「第1回 佐賀城本丸けんてい」が22日、同館であり、中学1年生から83歳までの66人が挑戦した。県内だけでなく、石川県や奈良県からも受験者が訪れた。
 1問2点で全50問の100点満点。70点以上が合格となる。城郭、歴史、人物の3分野から出題されており、同館職員でも悩むほどの難問も織り込まれている。奈良県大和高田市の無職、樋口俊夫さん(75)は「高校まで佐賀で過ごした。佐賀を離れて佐賀の良さが分かったので受験した。良い企画だと思う」と話した。
 定員50人を上回る好調な出だしで、ボランティアのメンバーによると、2回目の実施については未定だが「これから検討したい」という。4月11日に合格発表があり、4月25日には表彰式がある。

◇「第1回 佐賀城本丸けんてい」の問題の一部

1・江戸時代の佐賀城には、東西南北に広い堀があります。江戸時代中期に描かれた「佐賀城分間御絵図(ぶん・げん・おん・え・ず)」には、堀の幅が各所に記入されています。南堀で一番広いところは何間(約何メートル)あったでしょうか。
(1)31間(約62メートル) (2)42間(約84メートル) (3)56間(約112メートル)
2・佐賀平野は地盤が軟弱で重い石垣を支えることが困難でした。そのために工夫されたのが胴木(どう・ぎ)といいます。胴木の材質は。
(1)樫(かし) (2)ヒノキ (3)松
3・仙台出身林子平(はやし・し・へい)が1791(寛政3)年、江戸の日本橋から中国やオランダまで境なしの水路であると説き、海国日本、特に江戸湾の警備強化のため大銃などの設置の必要性を書物にします。その書物を何と言ったでしょうか。
(1)海外憶測 (2)海国兵談(へい・だん) (3)海外新話(しん・わ)

◇答え
1・(3)  2・(3)  3・(2)


初の「佐賀城本丸けんてい」 維新前後の郷土史問う 66人が挑む
 幕末から明治維新後にかけての佐賀の歴史を問う“ご当地検定”「第1回佐賀城本丸けんてい」が22日、佐賀市城内2丁目の佐賀城本丸歴史館で開かれ、中学生から80代までの歴史愛好家66人が難問に挑戦した。
 昨年8月、同館が開館5周年を迎えたのを機に解説ボランティアのスタッフたちが「佐賀の歴史にもっと親しんでもらおう」と企画。問題作成から広報活動まで、すべて手弁当でまかなった。
 問題は3択形式で「城郭」「歴史」「人物」の3部門。郷土史の基本的な知識を問うものが大部分だったが、中には、本丸御殿の部屋の名称を問うなど専門的な内容のものもあり、参加者は頭を悩ませていた。
 受験した鳥栖市の大学生田中健一さん(26)は「手作り感が伝わって良かった。佐賀のことをもっと勉強したくなった」。開館以来のボランティアスタッフ、内田貞子さん(59)は「これだけ多くの人が来て感無量。今後も継続開催できるよう努力したい」と話した。
 合格ラインは正答率70%以上。合格者は4月11日に発表され、同25日に同館で開かれる表彰式で認定証が授与される。



社会
竜馬の極秘行動マーク 中津川宿の商人、高い情報収集力
 幕末期の政局転回を決定づけた「薩長盟約」(1866年)の立役者、坂本竜馬の動静を、旧中山道中津川宿(岐阜県中津川市)の商人らが的確に把握していたことが、宮地正人東大名誉教授(日本近代史)が分析した史料から分かった。当時、竜馬の行動はごく一部の関係者しか知らない極秘情報で、国家を憂慮し、自ら行動した商人らの高い情報収集能力を示している。
 この商人は、尊王運動に大きな影響を与えた国学者、平田篤胤(あつたね)没後の門人で、中津川宿の本陣を務めた市岡殷政(しげまさ)や、問屋の間(はざま)秀矩(ひでのり)ら。
 市岡家に残る聞き書き書の「風説留(ふうせつどめ)」によると、市岡は間らとともに1865(慶応元)年10月末から約1カ月、京都に滞在し、関白二条斉敬(なりゆき)などに「攘夷(じょうい)断行」を求める建白書を提出するなど国事に奔走する。その在京中に「薩長合体(薩長盟約)」に向けた動きを察知するとともに、薩長を仲介する竜馬に関する情報も入手している。
 風説留には「土脱坂本某、中(国)四(国)より、10月18日長州出立登京、西郷吉之助江也、今大嶋三右衛門、囃…」などと記されている。竜馬が西郷隆盛の内命で長州藩から兵糧米を入手するため、下関で長州藩の木戸孝允と会談し、再上京して西郷に状況報告するなど、竜馬の行動をほぼ正確に伝えている。
 また、これとは別に、滋賀大に残る近江八幡(滋賀県近江八幡市)の国学者、西川吉輔が間の子息から伝え聞いた風説留にも、「薩長盟約」締結直後に起きた寺田屋事件に触れ、竜馬を「薩長合体の基本を開く人」と指摘、「だからこそ幕府から狙われた」と襲撃された背景もきちんと見抜いている。
 市岡家では7年前、「薩長盟約」が軍事的な攻守同盟だったことを裏付ける書簡も見つかっている。宮地氏は「薩長盟約前後の竜馬の極秘行動とその真価を的確につかんでおり、中津川の平田国学者たちの情報収集能力は驚くほどレベルが高い」と評価している。


エンターテインメント
映画:森田芳光監督の新作「武士の家計簿」 初の京都撮影、順調に
◇「人間の面白さ出したい」
 森田芳光監督が新作映画「武士の家計簿」を製作中だ。時代劇の本場である京都に初めて乗り込み、大きなセットを建てて思う存分に撮影した。【勝田友巳】
 原作は磯田道史の「武士の家計簿『加賀藩御算用者』の幕末維新」。加賀藩士が残した家計簿を読み解いたベストセラーだ。
 この本の中のエピソードをもとに、加賀藩に仕える猪山家が苦しい家計を立て直すドラマを作り上げた。刀を抜いての立ち回りではなく、そろばんを駆使したやりくりが見どころ、という一風変わった時代劇である。
 森田監督は黒澤明監督の「椿三十郎」をリメークしており、時代劇の経験はある。だが、京都で撮影するのは初めてという。時代劇の作法を知り尽くしたスタッフの技量と職人気質に接し、「もっと若いころに来たかった」と感心しきり。
 記者が現場を訪れた日は、猪山家の朝食場面を撮影していた。堺雅人(主人公の直之役)、中村雅俊(直之の父親役)、松坂慶子(直之の母親役)ら5人がコの字形に膳(ぜん)を並べ、会話を弾ませるところだ。
 森田監督は「食事のときの会話は、江戸時代でも今と変わらないはず。ここはリアリティーを大切に」と、セリフのニュアンスを俳優たちに伝える。カメラ位置を変えながら、撮影はテンポよく進んでいく。予定の時間より大幅に早い。ベテランの俳優たちは本番の合間に雑談に花を咲かせ、和気藹々(わきあいあい)とした雰囲気だった。
 森田監督の作品では、昨年公開の「わたし出すわ」に続く“経済もの”となる。「たまたまなんですけどね。今回は社会全体の逼迫(ひっぱく)がいかに家庭に響いてくるか、家族の後ろ盾になるものを描きたい。大事にするのは、やはり人間のドラマ。時代が変わっても人間の面白さは変わらない」。いつもながらの「森田節」が期待できそうだ。
 他に仲間由紀恵らが出演する。12月に公開される予定。


黄門様も仁もいる!?春のサカスは江戸時代 TBS春のイベント「赤坂 維新伝心」
 [eiga.com 映画ニュース] 赤坂サカスで黄門様や仁に会えるかも!? 3月20日よりスタートするTBS春のイベント「赤坂 維新伝心」で、赤坂サカス一帯が“江戸”で彩られる。オープニングセレモニーには「水戸黄門」御一行が登場。昨秋の大ヒットドラマ「JIN 仁」の衣装も展示されている。
 季節ごとに趣向を凝らしたイベントが行われるTBSのサカス広場。この春のテーマは江戸時代。江戸情緒あふれる太鼓橋が架けられ、春の新番組とコラボレーションした巨大迷路が登場。赤坂の街中を、威勢のいい人力車が行き交い、江戸時代の衣装をまとった一行が練り歩く。
 20日のサカス広場で行われるオープニングセレモニーには、お昼に水戸黄門役の里見浩太朗はじめレギュラーキャストが勢ぞろい。また期間中、幕末を舞台に脳外科医の活躍を描いた「JIN 仁」の撮影で実際に使用した衣裳が、赤坂Bizタワー内に展示される。
 他に、「東京フレンドパーク2」などの人気番組を体験できるアトラクションや、「すし屋」など江戸ならではのフードブースも登場。4月4日まで開催(巨大迷路は5月9日まで)。一部有料。(eiga.com×文化通信)


IT
空前の龍馬ブームの今、日本史が熱い!
iPhone / iPod touchアプリ『サクッと★近現代』『サクッと★幕末』がリリース

株式会社ニーニャス(所在地:東京都品川区、代表取締役社長:齋藤 紀美子、以下:ニーニャス)は、株式会社桐原書店(所在地:東京都杉並区、代表取締役社長:ブレンダン・デラハンティ、以下:桐原書店)刊行の高校向け教科書を使用した大人のための再学習コンテンツ、iPhone / iPod touch用アプリケーション『サクッと★シリーズ』に、「近現代」と「幕末」を新たに追加しました。
大河ドラマ「龍馬伝」が平均視聴率20%を超えるなど、今、日本史がブームです。日本史の教科書を大人向けにアレンジした本もビジネスパーソンを中心に人気を博し、出版不況の中5万部超を売り上げる異例のベストセラーとなっています。「歴女」に続き「歴士」という新語まで生まれています。そんな今だからこそ是非お薦めしたいiPhone / iPod touch用アプリがこの『サクッと★近現代』、『サクッと★幕末』です。忙しい中でもスキマ時間を見つけてサクサク学べるこの「大人のための教科書」が、大人の知的好奇心を満たし、人生をより豊かなものにするお手伝いをします。中学や高校で「学ばされた」日本史を、今度は自分の意志で学びたいという方のためのアプリケーションです。

■『サクッと★シリーズ』の特徴
文部科学省検定教科書出版社である桐原書店の高校向け教科書が、重要項目をフィーチャーするスクラッチカード方式という新しい表現方法によって生まれ変わりました。画面に出てくる隠されたキーワードを指でなぞり、削って削って削りまくりながら覚えることができる、iPhone / iPod touchならではの画期的な学習シリーズです。これまで世界史、政治経済、漢字など3種類のアプリが出ています。
今回新たにシリーズに加わったのは、有料版の『サクッと★近現代』と、幕末にフォーカスした無料版の『サクッと★幕末』の2つです。スクロール式の年表など新たな機能も加わり、さらに使いやすくバージョンアップしています。

■『サクッと★近現代』の特徴
ブーム再燃中の「日本史」、その中でも熱い「近現代」を取り上げました。江戸の終わりから、明治・大正・昭和・平成と5つの時代にまたがる歴史を振り返ります。
幕藩体制の動揺からバブル崩壊、京都議定書まで、1825~2002年の政治や文化をカバーしています。政権交代、急激な円高、大手企業の経営破綻と、混迷の時代である現代につながる「近現代」はぜひともおさえておきたい重要な時代です。
〔収録問題数:567問〕

■『サクッと★幕末』の特徴
大河ドラマで話題沸騰の「幕末」を『サクッと★近現代』からピンポイントで抜き出しています。
「世の人はなんとも言わば言え、我が為すことは我のみぞ知る」・・・幕末のヒーロー坂本龍馬が生きた疾風怒涛の時代をサクッと振り返りつつ、無料で商品仕様を体感していただける構成となっています。ペリー艦隊の来航から開国、明治にいたるまでの激しい動乱の中での日本人の生き様を再学習!大河ドラマのお供にもお薦めです。
〔収録問題数:58問〕
(以下略)






PR
この記事にコメントする
           
お名前
タイトル
メールアドレス
URL
文字色
絵文字 Vodafone絵文字 i-mode絵文字 Ezweb絵文字
コメント
パスワード   コメント編集用パスワード
 管理人のみ閲覧
この記事へのトラックバック
トラックバックURL:
カレンダー
03 2024/04 05
S M T W T F S
1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30
最新コメント
[12/14 白牡丹(管理人)]
[12/14 ゆーじあむ]
[11/08 白牡丹(管理人)]
[11/07 れい]
[01/21 ゆーじあむ]
[11/15 白牡丹@管理人]
[11/15 ゆーじあむ]
[05/25 長谷川誠二郎]
[07/23 白牡丹@管理人]
[07/23 伊藤哲也]
最新TB
ブログ内検索
アーカイブ
カウンター
プロフィール
HN:
白牡丹
性別:
非公開
自己紹介:
幕末、特に新選組や旧幕府関係者の歴史を追っかけています。連絡先はmariachi*dream.com(*印を@に置き換えてください)にて。
バーコード
Livedoor BlogRoll
本棚
Copyright ©  -- 白牡丹のつぶやき --  All Rights Reserved
Designed by CriCri / Material by White Board

忍者ブログ  /  [PR]