新選組・土方歳三を中心に取り上げるブログ。2004年大河ドラマ『新選組!』・2006正月時代劇『新選組!! 土方歳三最期の一日』……脚本家・制作演出スタッフ・俳優陣の愛がこもった作品を今でも愛し続けています。幕末関係のニュースと歴史紀行(土方さんに加えて第36代江川太郎左衛門英龍、またの名を坦庵公も好き)、たまにグルメねた。今いちばん好きな言葉は「碧血丹心」です。
今日もニュースの件数は少ないですが、まめに更新した方がいいと思うのでご紹介です。
北海道
松浦古文書に記された漁太地区の番屋・船着場はどこ?
千歳民報、同ページ4つめの記事です。
「恵庭市郷土資料館は、幕末の探検家松浦武四郎の古文書などに記録された市内漁太地区の番屋・船着場の所在地の特定作業を進めている。昨年、大正期の千歳川の経路を伝える記録を発見したことで絞り込みが一気に進んだが、依然として遺構・遺物の発見には至っていない。記録によると、同地区の船着場は昭和初期ごろまであったとされ、当時を知る人が現在も存命していると推察されることから、同館は、手掛かりになる『生きた証言』の提供を求めている」。
「各種古文書の記録によると、漁太の船着場は、松浦が樺太探検の帰りに寄り、アイヌの人々からお土産をもらうなど交流があった場所だ。また、北陸から恵庭に集団入植した祖先が初めて恵庭の土を踏んだ地でもあり、仮に遺跡が見つかれば、文化財保護法に基づき、郷土の歴史ロマンを伝える重要史跡として永年、保護されることになる」。
昭和初期の当時を知る方々からの証言が寄せられて特定できますように、お祈りします。
兵庫
三田出身、幕末の蘭学者・川本幸民をテーマに講演会
3月22日付とちょっと古いですが、神戸新聞からの記事を見つけましたのでご紹介します。
「三田出身で、ビールを醸造した初の日本人とされる幕末の蘭学者、川本幸民をテーマにした講演会が二十一日、神戸市北区赤松台のキリンビール神戸工場で開かれた」。
「幸民は一八一〇年に摂津三田藩(現在の三田市)の藩医の子として生まれた。江戸で蘭学を学び、『化学新書』など、多くの書物を翻訳し、化学という言葉を初めて使った。また、多くの実験や試作も行い、マッチや写真機を初めて製作したと言われている」。
「幸民に関する著書がある北さんは講演で、当時は未知の学問だった化学に興味を持ったのは『三田藩主は元々、海賊の出身で、海や外部への渇望や憧れが強く、その遺伝子が幸民にも受け継がれている』と指摘」……確か先日の『その時歴史が動いた』で織田信長の水軍の話で「三田《さんだ》」の地名が出てきたよなーと調べましたら、やはり、織田水軍の長だった鳥羽の九鬼氏が江戸時代に山の中の三田藩に転封されていた、ということでした。
熊本
小楠・海舟・龍馬ウォーク:小楠の足跡再発見 幕末の歴史をたどる−−熊本 /熊本
「熊本が生んだ幕末の思想家、横井小楠と坂本龍馬、勝海舟の交流の足跡をたどる『小楠・海舟・龍馬ウォーク』が25日、熊本市で始まり県内外から約400人が参加した」。
「肥後藩からその開明な思想で福井藩に迎えられた小楠は、幕政改革も論じ海舟や龍馬が師事した。有名な龍馬の『船中八策』も小楠が幕府に提言した『国是七条』の影響を受けているとされる。1864年には幕臣の海舟が長崎からの帰りに龍馬と来熊。幕府から謹慎を命じられていた小楠に届けるよう龍馬に金品を託した史実が残っている」。
北海道
松浦古文書に記された漁太地区の番屋・船着場はどこ?
千歳民報、同ページ4つめの記事です。
「恵庭市郷土資料館は、幕末の探検家松浦武四郎の古文書などに記録された市内漁太地区の番屋・船着場の所在地の特定作業を進めている。昨年、大正期の千歳川の経路を伝える記録を発見したことで絞り込みが一気に進んだが、依然として遺構・遺物の発見には至っていない。記録によると、同地区の船着場は昭和初期ごろまであったとされ、当時を知る人が現在も存命していると推察されることから、同館は、手掛かりになる『生きた証言』の提供を求めている」。
「各種古文書の記録によると、漁太の船着場は、松浦が樺太探検の帰りに寄り、アイヌの人々からお土産をもらうなど交流があった場所だ。また、北陸から恵庭に集団入植した祖先が初めて恵庭の土を踏んだ地でもあり、仮に遺跡が見つかれば、文化財保護法に基づき、郷土の歴史ロマンを伝える重要史跡として永年、保護されることになる」。
昭和初期の当時を知る方々からの証言が寄せられて特定できますように、お祈りします。
兵庫
三田出身、幕末の蘭学者・川本幸民をテーマに講演会
3月22日付とちょっと古いですが、神戸新聞からの記事を見つけましたのでご紹介します。
「三田出身で、ビールを醸造した初の日本人とされる幕末の蘭学者、川本幸民をテーマにした講演会が二十一日、神戸市北区赤松台のキリンビール神戸工場で開かれた」。
「幸民は一八一〇年に摂津三田藩(現在の三田市)の藩医の子として生まれた。江戸で蘭学を学び、『化学新書』など、多くの書物を翻訳し、化学という言葉を初めて使った。また、多くの実験や試作も行い、マッチや写真機を初めて製作したと言われている」。
「幸民に関する著書がある北さんは講演で、当時は未知の学問だった化学に興味を持ったのは『三田藩主は元々、海賊の出身で、海や外部への渇望や憧れが強く、その遺伝子が幸民にも受け継がれている』と指摘」……確か先日の『その時歴史が動いた』で織田信長の水軍の話で「三田《さんだ》」の地名が出てきたよなーと調べましたら、やはり、織田水軍の長だった鳥羽の九鬼氏が江戸時代に山の中の三田藩に転封されていた、ということでした。
熊本
小楠・海舟・龍馬ウォーク:小楠の足跡再発見 幕末の歴史をたどる−−熊本 /熊本
「熊本が生んだ幕末の思想家、横井小楠と坂本龍馬、勝海舟の交流の足跡をたどる『小楠・海舟・龍馬ウォーク』が25日、熊本市で始まり県内外から約400人が参加した」。
「肥後藩からその開明な思想で福井藩に迎えられた小楠は、幕政改革も論じ海舟や龍馬が師事した。有名な龍馬の『船中八策』も小楠が幕府に提言した『国是七条』の影響を受けているとされる。1864年には幕臣の海舟が長崎からの帰りに龍馬と来熊。幕府から謹慎を命じられていた小楠に届けるよう龍馬に金品を託した史実が残っている」。
PR
カレンダー
04 | 2024/05 | 06 |
S | M | T | W | T | F | S |
---|---|---|---|---|---|---|
1 | 2 | 3 | 4 | |||
5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 |
12 | 13 | 14 | 15 | 16 | 17 | 18 |
19 | 20 | 21 | 22 | 23 | 24 | 25 |
26 | 27 | 28 | 29 | 30 | 31 |
カテゴリー
最新記事
(02/12)
(08/11)
(08/16)
(08/15)
(12/12)
最新コメント
[12/14 白牡丹(管理人)]
[12/14 ゆーじあむ]
[11/08 白牡丹(管理人)]
[11/07 れい]
[01/21 ゆーじあむ]
[11/15 白牡丹@管理人]
[11/15 ゆーじあむ]
[05/25 長谷川誠二郎]
[07/23 白牡丹@管理人]
[07/23 伊藤哲也]
最新TB
ブログ内検索
アーカイブ
最古記事
カウンター
プロフィール
HN:
白牡丹
性別:
非公開
自己紹介:
幕末、特に新選組や旧幕府関係者の歴史を追っかけています。連絡先はmariachi*dream.com(*印を@に置き換えてください)にて。
リンク
アクセス解析
Livedoor BlogRoll
本棚