新選組・土方歳三を中心に取り上げるブログ。2004年大河ドラマ『新選組!』・2006正月時代劇『新選組!! 土方歳三最期の一日』……脚本家・制作演出スタッフ・俳優陣の愛がこもった作品を今でも愛し続けています。幕末関係のニュースと歴史紀行(土方さんに加えて第36代江川太郎左衛門英龍、またの名を坦庵公も好き)、たまにグルメねた。今いちばん好きな言葉は「碧血丹心」です。
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今日は有休取得して自宅で休養中です。このブログのカウンターが通算5万ヒットを超えていました……大河ドラマ『新選組!』放送中ほどには回りませんが、地味な幕末ニュース中心になっている当ブログを読んでくださっている方々に感謝致します。今後も地味に続けていきたく思います。
京都
幕末の浮世絵テーマごとに 京都で「大江戸の賑わい」展
奈良
大学生と「観光ボランティアガイドの会」の協働で、日本一の山城「高取城」のCG再現が完成
宮崎
都城西ロータリークラブが郷土史資料読本制作
コラム
【思い出図書館】落語家・林家木久蔵 『鞍馬天狗・角兵衛獅子』大仏次郎著
最後に「落語家に転身、昭和44年、日本テレビ『笑点』のレギュラーになり、『杉作、日本の夜明けは近い!』のフレーズで売り出した。私と鞍馬天狗の因縁は深い」とあり、かつて日曜の夕方は茶の間で『笑点』を見ていた自分は、にやっとしました。
【ひとすじの蛍火-吉田松陰 人とことば】秋編(28)飛耳長目
京都
幕末の浮世絵テーマごとに 京都で「大江戸の賑わい」展
神戸在住の浮世絵コレクター、中(なか)右(う)瑛(えい)さんの所蔵品を基にした「幕末浮世絵展 大江戸の賑(にぎ)わい」が四月十二―二十四日、京都市下京区の大丸ミュージアムKYOTOで開かれる。美人画、風景画、戯画、武者絵など、バラエティーに富んだ内容。江戸の世の庶民文化の豊かさを生き生きと伝える。
浮世絵版画は、色彩や絵柄の美しさ、奇抜さ、ニュース性などに加え、量産可能で安価な版画というスタイルゆえ、庶民に広く愛され流行した。
江戸後期から幕末にかけ活躍した絵師は、森羅万象を筆にした巨人・葛飾北斎、日本的な叙情に満ちた風景画を手掛けた歌川広重、役者絵の名手・歌川国貞、奇想天外な武者絵などで名をはせた歌川国芳ら。
奈良
大学生と「観光ボランティアガイドの会」の協働で、日本一の山城「高取城」のCG再現が完成
日本最大級の山城「高取城」(奈良県高取町)の往年の姿を、奈良産業大学(同県三郷町)の学生らが1年半かけて、コンピューター・グラフィックス(CG)を使ってよみがえらせた。
(中略)
高取城は、16世紀末、豊臣秀吉の実弟で大和郡山城主だった秀長が、高取山(標高584m)の山頂に本格的な山城の築城を始めた。江戸時代は譜代大名、植村氏(高取藩)2万5000石の居城。広さ約10ha、周囲3km、高低差約100m、武家屋敷が約50、櫓は27、城門は33もあり、奈良盆地の南にそびえ立つ白亜の姿は美しく、「芙蓉城」とも呼ばれた。
幕末(1863年)、この城を勤皇の志士集団「天誅組」が攻略しようとし、失敗したことは、司馬遼太郎の短編小説「おお大砲」で知られるが、明治の廃藩置県後に廃城。建物は自然崩壊し、19世紀末には石垣を残して草木に埋もれた。
宮崎
都城西ロータリークラブが郷土史資料読本制作
都城西ロータリークラブ(鎌田博文会長、65人)は、明治時代の戊辰(ぼしん)戦争で奮闘した郷土の先人を若者に知ってもらおうと、郷土史資料読本「維新戦争 先鋭都城島津隊記」を制作した。
A5判、68ページ。都城市がまとめた「都城市史通史編 中世・近世」と京都女子大の籠谷真知子教授著「戊辰戦争と都城」から抜粋、転載した。
コラム
【思い出図書館】落語家・林家木久蔵 『鞍馬天狗・角兵衛獅子』大仏次郎著
胸躍らせた少年小説は大仏次郎の『鞍馬天狗・角兵衛獅子』である。
昭和22年、小学3年のとき級友に吉田君という仲良しがいた。遊びに行くと、本のない時代に彼の部屋の本棚には講談社の「少年倶楽部」がズラリとそろっていてうらやましかった。戦中出版されたその雑誌に『鞍馬天狗・角兵衛獅子』は連載されていた。夢中で、彼の家に通いその少年誌をむさぼったものだ。
京の夕暮れ、角兵衛獅子の杉作と新吉は稼ぎを落としてしまう。2人に金をめぐんで救ってやる宗十郎頭巾の鞍馬天狗。十手をあずかる角兵衛の親方長七が新選組に通報するが、杉作の機知で天狗をとり逃す。杉作ら角兵衛の子供たちを薩摩屋敷の西郷隆盛に託した天狗は、密使に化けて単身大坂城に乗り込むが、正体を暴かれ水牢に投げ込まれてしまう。しかし水牢の取り入れ口を見つけた杉作の働きで、2人とも城内より脱出する。
ころは幕末、勤王(朝廷派)か佐幕(徳川派)か、天下入り乱れた京の巷にあらわれた正義の士鞍馬天狗、天狗を慕う杉作少年! 多感な少年時代である、挿絵の覆面姿の格好よさ、いつも少年を思う侍の優しさに自分を重ね合わせ、杉作少年は私の分身になった。
最後に「落語家に転身、昭和44年、日本テレビ『笑点』のレギュラーになり、『杉作、日本の夜明けは近い!』のフレーズで売り出した。私と鞍馬天狗の因縁は深い」とあり、かつて日曜の夕方は茶の間で『笑点』を見ていた自分は、にやっとしました。
【ひとすじの蛍火-吉田松陰 人とことば】秋編(28)飛耳長目
安政5(1858)年春から夏にかけて、松下村塾は最盛期に入る。教育者・吉田松陰にとって最も充実し、楽しくもあったときだったことだろう。
塾生はほぼ100人を数えた。うち5人は寄宿生で、実家・杉家の敷地内にある平屋建ての塾舎で文字通り松陰と寝食をともにした。
教科としては大まかにいって松陰の家学である武科(兵学や武術)と文科(歴史や地理、倫理、経済など武科以外の学問)に分かれていた。
「先生は何を主として教育されたかといえば、地理、算術、歴史を主とし、塾生に何時もやかましきことを言われた。(中略)余は先生よりいつも地誌(地理?)でいぢめらるるを以(もっ)て実に閉口したものだ。(中略)算術はこのころの武家の風習として、一般に武士たるもの、かようなことは心得るに及ばず、といって卑(いや)しんでいた。ところが、先生は『大切なことだ』といって九九から教えられた。余もほかの算術は忘れたが、九九だけはいまだに記憶しておる」
維新後、内相や枢密顧問官などを歴任する一方で師・松陰の顕彰に尽くした品川弥二郎の「思ひ出」である。
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