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新選組・土方歳三を中心に取り上げるブログ。2004年大河ドラマ『新選組!』・2006正月時代劇『新選組!! 土方歳三最期の一日』……脚本家・制作演出スタッフ・俳優陣の愛がこもった作品を今でも愛し続けています。幕末関係のニュースと歴史紀行(土方さんに加えて第36代江川太郎左衛門英龍、またの名を坦庵公も好き)、たまにグルメねた。今いちばん好きな言葉は「碧血丹心」です。
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 昨日は午後、にわか霙が降りました。今日は夕方、にわか雨が降りました……住まいまで歩いてあと2分というところで傘が必要になりましたが、珍しく折りたたみ傘を持ち歩いていたので濡れずに済みました。
 明日は全国的に真冬並みの寒さになるという予報です。暖かくしてお過ごし下さい。

北海道
ブルーインパルス 8月8日飛行ショー…開港150周年記念事業
 宮城県東松島市にある航空自衛隊第4航空団に所属する第11飛行隊(通称ブルーインパルス)の展示飛行が、函館開港150周年記念事業のメーンイベント初日の8月8日に行われる見通しだ。
 防衛省航空幕僚監部の幹部と同隊のパイロット2人が26日、展示飛行に向けた視察を兼ねて西尾正範市長を訪れ、09年度のイベントスケジュールに組み込んだことを報告した。
 同飛行隊は、展示飛行専門の部隊で、6機の訓練機が上空で華麗な編隊飛行を繰り広げる航空ショーを全国各地で行っている。
 函館では初めての開催で、当日は約20分間のショーを予定している。さまざまな編隊飛行やジェット噴射の煙でさまざまな形を描くなどのパフォーマンスを行う。
 パイロット2人はフライトスーツ(飛行服)を着て西尾市長と懇談。4番機を操縦する浅岡浩和1等空尉(34)は「函館は函館山を基点に街並みがきれいで、今から飛ぶのが楽しみ。港の魅力を引き出して開港150周年を盛り上げることができれば」と意気込みを見せ、ナレーターを務める濱井佑一郎1等空尉(31)も「市民にブルーインパルスを身近に感じてほしい」と話していた。




東京
産経志塾で山内東大教授が講義「日本文化大切に」
 21世紀を担う若者の人間力育成を目指す「産経志塾」が26日、東京都千代田区の産経新聞東京本社で開かれ、3期生45人が参加した。初日は、山内昌之東京大学教授(国際関係史)が講義に立ち、「諸外国と渡り合うためにも、日本人としてのバックグラウンドを大切にしてほしい」と塾生に呼びかけた。
 「世界史と外交」をテーマに講義した山内氏は、「日本人として日本の歴史や文化を説明できないことは恥ずかしい。日本史を学び、世界史と結びつけて理解することで、世界の中の日本の立ち位置を考えることができる」と指摘。
 幕末の薩摩藩主、島津斉彬(なりあきら)とオスマン帝国下のエジプト総督、ムハンマド・アリーという19世紀の政治家を取り上げ、列強国の圧力に危機感を感じ、改革に臨んだ点から、日本史とイスラム史を結びつけた。
 その上で薩摩藩の改革は成功し、エジプトが衰退したことについて、「自分の基盤がしっかりしていないと列強国にからめ捕られてしまう。島津斉彬は日本文化という基礎があったからこそ、外国文化を学びながらも新しい日本を作っていくことができた」との見解を示した。


産経志塾で塾生「歴史好きになった」
 「多くの先人が積み重ねたものを学ばないのはもったいない。多くの文学を読んで、文化や教養を身につけてほしい」-。26日に始まった「産経志塾」で、山内昌之東大教授(国際関係史)は、厳しい世界情勢の中で生き残っていくためのヒントを塾生に投げかけた。
 「日本人が外国に行くと必ず文化や歴史について尋ねられる。自国のバックグラウンドを知らずに海外で暮らすことはできない」と山内氏。歴史を学ぶことの重要性を強調し、「今の日本が内向きで自己主張できないといわれるのは、自国の文化を説明できないことと無関係ではない」ときっぱり。
 イギリスやフランス、米国などの列強と渡り合い、近代化を成功させた幕末の薩摩藩の外交術や政治力について、「藩主の島津斉彬(なりあきら)に日本文化という基盤があったからこそ、現実から目をそらさず、政治のリアリズムを見据えることができた」と指摘。その上で「政治家の甘い言葉で幻惑されるような国民であってはいけない」と訴えた。
 横浜市の中学2年、吉山貴士郎さん(14)は「難しい世界史の話も、有名な出来事と関連させると楽しく勉強できることが分かった。苦手だと思っていた歴史が好きになった」。仙台市から参加した東北大理学部2年、花篭(はなかご)紘さん(21)は「歴史はほとんど勉強してこなかったが、今日の講義はとても興味深い内容だった。学生のうちにたくさん本を読んで、社会学の知識も広めたいと思った」と話していた。


橋本左内の墓の旧套堂完成 東京・荒川区で落成祝う
 東京都荒川区の回向院にある幕末の福井藩士、橋本左内の墓を覆い守ってきた旧套堂(さやどう)が同区南千住6丁目の区立荒川ふるさと文化会館前に移築、再建され26日、現地で落成式が行われた。本県から西川知事も出席。左内の功績をたたえるとともに、今後の交流拡大に期待を示した。
 套堂は1933(昭和8)年、左内の顕彰団体である景岳会が、墓石の風化や破砕を防いで史跡として後世に受け継ぐため建てた。2005年に回向院が境内整備をするのに伴い、行き場がなくなりかけたが、保存を求める地元の熱意を受けて区が譲り受け、移築された。
 落成式には西川知事や荒川区の西川太一郎区長、地元の歴史愛好家ら約70人が出席。西川区長は「左内が亡くなって150年の節目に無事、落成できた。さらに(福井県との)友好を強め、区民が東尋坊や永平寺などを訪れ交流していければ」とあいさつした。
 西川知事も「大切にこれまで見守ってくれた皆さんに感謝したい。これからも交流を重ね、ともに発展していこう」と述べた。引き続いて除幕を行い、落成を祝った。
 この日は県立歴史博物館が所蔵する景岳橋本左内先生座像が特別に套堂内に安置され、通りかかった区民らが興味深そうに見入っていた。
 套堂の保存に尽力した南千住コツ通り商店街振興組合の杉山六郎理事長は「一時は廃棄の話も出たが、署名が集まり助かった。今後は観光資源として活用していきたい」と語っていた。
 座像は約1カ月間、同会館内に展示して区民らに公開される。


橋本左内の墓の套堂復元 東京・荒川区、知事ら完成記念式
 幕末に福井藩の藩政改革に力を尽くし、安政の大獄で刑死した橋本左内の墓を覆う套堂(さやどう)が東京都荒川区の荒川ふるさと文化館に復元され、26日、西川一誠知事らが出席して、完成記念式典が催された。
 左内は斬首(ざんしゅ)後、荒川区内の回向院に埋葬された。在京の福井県人らが中心となってつくった左内を顕彰する景岳会が1933(昭和8)年に縦横約2メートル、高さ4メートル余りの套堂を建設した。しかし、院内の整備に伴って解体。2005年に荒川区に寄贈され、区はふるさと文化館に移設、復元することを決めた。
 套堂は史料価値とともに、著名な建築家の伊東忠太が監修した関東大震災後のコンクリート建築の先駆けであることなどから、区は登録有形文化財に指定。昨年夏から復元工事を進めていた。
 式には、西川太一郎荒川区長や地元住民ら50人余りが出席。西川知事は左内の業績を紹介し「これを機に福井県と、より深い関係を持っていただきたい」とあいさつ、関係者とともに除幕をした。


歴史ある家具から新たな「横浜クラシック家具」まで
新宿OZONEで横浜開港150周年記念展示開催中
ダニエル

 日本の洋家具発祥の地とされる、横浜で洗練された技術を活かした家具を製造・販売する、株式会社ダニエルは、横浜開港150周年を記念した展示会“新たな「横浜クラシック家具」の挑戦”を新宿・OZONEで3月31日(火)まで開催している。
(中略)
 幕末の総領事館ハリスが使用したチェア、1900年初頭に製作されたベンチなど、当時の生活スタイルを偲ばせる作品、当時の職人技が活きた精巧なつくりの木工家具の展示に加え、貴重な資料として1950年代に製作されたサロンセット等を紹介。


岐阜
火災:大垣・正林寺で3棟全焼、市重文の掛け軸焼失か 2人軽傷 /岐阜
火災:大垣・正林寺で3棟全焼、市重文の掛け軸焼失か 2人軽傷 /岐阜
 26日午前10時半ごろ、大垣市上石津町称宜上の正林寺=高木茂光住職(71)=の庫裏から出火、木造2階建て庫裏や南側の木造平屋建て本堂、北側の木造平屋建てトイレの3棟計延べ約500平方メートルを全焼した。高木住職が消火作業の際、手に軽いやけどをし、妻・洋さん(65)も腰を打って軽傷。
 市教委によると、同寺は江戸時代の1728年創建。本堂には市重要文化財に指定されている幕末の掛け軸「絹本着色十六善神図」が保管してあったが、焼失したとみられる。
 養老署の調べでは、高木住職が庫裏にいたところ、庫裏2階の倉庫から火が出ていたという。【子林光和】


京都
江戸後期の俳人の短冊ずらり
北区・立命大

江戸後期の俳人の短冊ずらり 北区・立命大
 江戸後期の俳人が古歌などを記したさまざまな地模様の短冊を集めた「時代鑑-俳人短冊展」が京都市北区の立命館大アート・リサーチセンターで開かれている。
 グローバルCOEプログラム「日本文化デジタル・ヒューマニティーズ拠点」で、系統的研究を進めている俳諧資料を紹介する。短冊を張り付けた幕末期の屏風からは、当時の俳人たちのすそ野の広がりも分かる。
 短冊の美を保つ作法も解説している。4月17日まで(土、日曜休館)。28日は開館し、午後1時から展示を監修した小林孔大阪城南女子短大教授が講演する。いずれも無料。


大分
豊後大友宗麟鉄砲隊 あす高崎山で演武披露
 「豊後大友宗麟鉄砲隊」(大倉正憲隊長、十五人)が、大分市で古式火縄砲術の保存と歴史の伝承活動をしている。貴重な工芸品でもある火縄銃を保存するとともに、国内でいち早く火縄銃の製造に乗り出した豊後大友氏の進取の気性を学び、広く紹介することを目指していて、各地で演武を披露している。
 鉄砲隊は四年余り前、古式火縄銃の愛好者だった塚本政弘さん(故人・初代隊長)のもとに仲間が集まり、発足した。隊員は「豊後火縄銃保存会」(秦洋一会長)の会員でもある。
 隊全体で、全国各地から集めた幕末の古式火縄銃六丁を所有している。中には二十キロもの重さがある大筒もある。各隊員は甲冑(かっちゅう)を骨董(こっとう)品店から取り寄せたり、手作りしたものを着用して演武に臨む。




長崎
幕末の儒家、楠本端山の旧宅公開 所有の親和銀、平戸瓦使い復元
幕末の儒家、楠本端山の旧宅公開 所有の親和銀、平戸瓦使い復元
 幕末に活躍した平戸藩の儒学者、楠本端山の旧宅(佐世保市針尾中町)の保存整備が完了し二十六日、所有者の親和銀行が報道陣に公開した。平戸藩独特の「平戸瓦」を使い、往時のたたずまいを復元している。
 端山は一八二八年、平戸藩士の子として針尾島に生まれ、江戸留学などを経て平戸藩校「維新館」の教授を務めた。ペリー来航時に意見を述べるなど藩主の厚い信頼を受けて藩政にかかわり、尊王思想を広めた。
 旧宅は端山の父が一八三二年に建て、端山は少年時代と晩年を過ごした。木造一部二階建てで、離れには先祖を祭った儒教形式の祠堂(しどう)が設けられている。
 屋根には、藩士と三川内焼の藩御用窯にだけ許されていた平戸瓦を使用。一般的な瓦は左側に桟(さん)と呼ばれる山形の留め部があり屋根の左側から敷かれるが、平戸瓦は右側にあり、右側から敷かれる。
 旧宅は一九六九年に県文化財に指定された。雨漏りなどで傷んでいたため、二〇〇六年から親和銀行が県や市の助成を受け保存整備工事(総額約千五百万円)を進めていた。
 工事では、同市三川内町の窯元だった民家が解体された際に寄贈された平戸瓦約千枚を活用。儒家の風格漂う質素な家屋に違和感なく溶け込んでいる。
 見学は要予約で無料。問い合わせは管理者の田中キクエさん(電0956・58・2144)。





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