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新選組・土方歳三を中心に取り上げるブログ。2004年大河ドラマ『新選組!』・2006正月時代劇『新選組!! 土方歳三最期の一日』……脚本家・制作演出スタッフ・俳優陣の愛がこもった作品を今でも愛し続けています。幕末関係のニュースと歴史紀行(土方さんに加えて第36代江川太郎左衛門英龍、またの名を坦庵公も好き)、たまにグルメねた。今いちばん好きな言葉は「碧血丹心」です。
 今日は5月上旬並みの陽気で暑いぐらいでしたが、明日は大荒れの天気だそうです。

北海道
十勝文化賞に斎藤さん 陸別開拓の祖・関寛斎を紹介
 十勝の文化振興を目指す「NPO法人十勝文化会議」は二日、本年度の十勝文化賞に陸別町の郷土史家斎藤省三さん(73)を選出したと発表した。
 斎藤さんは、陸別町の開拓の祖と呼ばれる幕末・明治期の医師、関寛斎(一八三○-一九一二)の研究に心血を注ぎ、町史編さん室長時代には町郷土叢書(そうしょ)「原野を拓(ひら)く 関寛開拓の理想とその背景」を執筆した。現在も町関寛翁顕彰会の事務局を務め、さまざまな文献で関寛斎を紹介している。


茨城
偕楽園に日本一の梅林を 復活に向け市民が活動
 日本3名園の1つ偕楽園(水戸市)で、かつて「日本一」とされた梅林を復活させようと、市民有志が、品種数では国内最多の規模となる約430種の梅の苗木を新たに植える活動に取り組んでいる。
 偕楽園は江戸末期につくられ約200種、1万本の梅が植えられていた。しかし幕末の動乱や戦争中の空襲で縮小し、現在は約100種、3000本。毎年100万人以上が訪れるが、30年前に比べると3分の1程度の人出という。


愛知
【三河】能面で「豊橋・魚町」PR
精巧な模作など常設展示

 豊橋市中心部にある魚町でかつて盛んだった能文化を知ってもらおうと魚町能楽保存会は、会が管理する能面の精巧な模作と写真の常設展示を町内のつくだ煮店「浜金」で始めた。「能面で町の魅力をPRしたい」と意気込んでいる。
 魚町は、戦国時代から明治初めまで、伊良湖岬から浜名湖にかけて取れた魚介が独占的に売買された。富裕な商家が軒を並べ、能楽に親しんだ。明治維新で、能面や能装束などが吉田藩主から商家に譲り渡され、魚町が受け継いできた。能面67点は県文化財に指定されている。


岐阜
村のお医者の生活展:生田家の資料展示--大垣・上石津郷土資料館 /岐阜
 江戸時代から地域住民の健康を守り、現在の大垣市上石津町を治めていた旗本・高木家の医師も務めた同町上の生田家に残る資料を展示した「村のお医者の生活展」(市教育委員会主催)が、同町の市上石津郷土資料館で開かれている。18日まで。
 高木家は時・多良地区を領地とする旗本。大名の格式を与えられ、参勤交代もしてきた。木曽三川分流の宝暦治水工事では水奉行も務めた。生田家に残る資料などから、生田家は元は川添と名乗り、明智光秀に使えていたが、光秀滅亡の後に現在地へ来た。功績があり、高木家から「生田」の苗字を与えられた、と伝えられる。明治維新後も1945年ごろまでは、地元の村医師だった。


味噌屋:5代目の老舗、81歳女性が一人暖簾を守る--高山 /岐阜
 「ゑび坂辻 〓味噌(まるごみそ)屋」。古めかしい屋号の暖簾(のれん)を掲げ、味噌の量り売りをしながら幕末のころから5代続く老舗を細々と守り続ける高山市馬場町の後藤郁津子(かつこ)さん(81)。高山城跡近くにある観光スポットのえび坂の頂上。近所の人たちの「〓の味噌でなければ駄目」という根強い人気に支えられている。
(中略)

島根
松江で鏝絵講習会 伝統技術学ぶ
 日本の近代建築の一翼を担った島根県西部の石州左官が描いた鏝絵(こてえ)の技術の継承を図る左官彫刻技術講習会が三日、松江市乃木福富町の県立松江高等技術校であり、県内の左官技術者二十三人が島根が誇る伝統技術の習得に努めた。
 鏝絵は、幕末から近代にかけて左官職人が壁塗りの材料・漆喰(しっくい)を使って描いたレリーフ。江戸時代に石見銀山の銀の採掘で潤った島根県西部には富裕層の需要を背景に高い技術力を持った石州左官が生まれ、今も民家や寺に多数の鏝絵が現存している。


コラム
定輔と吟香
 「萬(よろず)朝報」は一八九二年に東京で創刊された新聞で、高校生のころだったか、歴史の授業で学んだ記憶がある。創刊したのは高知出身の黒岩涙香(るいこう)。これと発行部数を競ったのが「二六新報」で、創刊者は秋山定輔という倉敷市出身の新聞人だった。横浜市の日本新聞博物館で開催中の企画展「言葉の戦士 涙香と定輔」(四月二十二日まで)が二人の足跡を伝える。
(中略)
 ここで思い浮かぶのが岡山県美咲町出身の岸田吟香(一八三三~一九〇五年)だ。幕末に横浜で民間による日本で初めての邦字新聞を発行した。


【ひとすじの蛍火-吉田松陰 人とことば】秋編(10)狂
■「道を興すには、狂者にあらざれば興すこと能はず。此(こ)の道を守るには、狷(けん)者にあらざれば守ること能はず」

 吉田松陰が、“心の師”である孟子を論じる勉強会は安政2(1855)年6月、萩・野山獄ではじまった。

 「仁徳への道は高く美しい。かつわかりやすくて身近である。人間というものは、その高く美しいところだけをみて、『ああ、とても及ばない』と考え、わかりよく身近であり、この道が非常に親しい存在であることをわかっていない」
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