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新選組・土方歳三を中心に取り上げるブログ。2004年大河ドラマ『新選組!』・2006正月時代劇『新選組!! 土方歳三最期の一日』……脚本家・制作演出スタッフ・俳優陣の愛がこもった作品を今でも愛し続けています。幕末関係のニュースと歴史紀行(土方さんに加えて第36代江川太郎左衛門英龍、またの名を坦庵公も好き)、たまにグルメねた。今いちばん好きな言葉は「碧血丹心」です。
 今日はとても暖かかったので、ダウンジャケットではなく革のジャケットを着て外出しました。今年に入って初めてです。

福島
京都府庁に「容保桜」
●「勤皇の志」再び花開く

 幕末に京都守護職を務めた会津藩主、松平容保(かたもり)(1836―93)が、京都府庁の桜の木に名を残すことになった。府は、山桜の変種とわかった府庁旧本館中庭の桜を「容保(かたもり)桜」と命名した。敷地に江戸時代、京都守護職の上屋敷があった縁で、最後の守護職だった容保の名をあてることにした。

◎山桜の変種、府が命名/最後の守護職の縁

 府によると、この桜は山桜の遺伝子を持ちながら、大島桜の両方の特徴も持つという珍しい品種。府内の桜守、佐野藤右衛門さんが昨春に気づき、府側に「容保桜」の名を提案したという。
 高さ約7メートル、枝は約8メートルに広がっている。樹齢は不明。3月下旬から4月上旬にかけてピンク色の花が咲き誇り、一般的な山桜より花が大きいという。
 容保は幕末、京都で配下の新撰組(しんせんぐみ)などを使い、倒幕を目指す薩長の武士らを厳しく取り締まり、薩長の恨みを買った。明治新政府からは「朝敵」と見なされ、鶴ケ城も舞台に旧幕府軍と新政府軍が激しく戦った「戊辰戦争」に発展した。
 そうした半面、容保は守護職当時、天皇の信頼が厚かったとされる。会津若松市の郷土史家鈴木邦意さんは「容保は決して『天皇の敵』ではなかった。こうした事実を知ってもらえるきっかけになって欲しい。容保の『勤皇の志』が再び花開きました」と喜ぶ。
 府は12日、容保桜の案内板の除幕式をする。県大阪事務所長や、会津にゆかりがある京都府民らでつくる「京都会津会」の関係者も参加する予定。府庁の桜を管理する府府有資産活用課参事の植村義弘さん(56)は「この春、福島県からのお越しをお待ちしています」と話している。


神奈川
明治の消防 備え怠らず
「ポンプ取り扱い文書」発見 横浜

 明治時代初期、横浜の九つの消防隊が導入した西洋式消防ポンプを取り扱う際の規則を記した文書が、横浜市の民家で見つかった。横浜では当時、消防隊員やポンプを押す要員ら計約460人が在籍していたことがわかっているが、具体的な規則が判明したのは初めて。調査した横浜開港資料館(横浜市中区)は「横浜の近代消防事情がわかる極めて貴重な記録」としている。
 文書は、現在の横浜市中区や西区内の元町、野毛町、戸部町など9消防隊の消防ポンプを統括していた石橋六之助の子孫で、中区の無職石橋サク子さん(71)方にあり、昨年12月、同資料館に寄託された消防隊の記録に含まれていた。
 ポンプは蒸気の力で放水するもので、それまで使われていた手押し式ポンプに比べて放水する際の圧力は数百倍高まったという。西洋式ポンプの登場によって、周囲の建物を壊して延焼を防ぐ破壊消防から火を水で消す消防に変わっていった。
 当時の東京府がイギリスから1870年(明治3年)に最初に輸入したとされる。横浜の9消防隊には翌71年に各1台が配置された。
 横浜の消防隊の規則は76年に定められ、和紙3枚につづられていた。〈1〉出火の際には消防ポンプをすみやかに出火場所に持って行く〈2〉消防ポンプを持ち帰った際、ポンプの放水口を掃除して道具が壊れていないか調べる〈3〉ポンプの番人が不在になる際には神奈川県に届け出る〈4〉常にポンプの放水口と付属の機械をしっかりと磨いておく――という内容。
 また、「頭取」と呼ばれる各消防隊の代表者が、六之助に「不都合のないよう消防ポンプを保存し、出火の際には少しも差し支えないようにする」と誓った別の文書も見つかった。
 同資料館主任調査研究員の西川武臣さんは「横浜では幕末に大火が繰り返し起きており、街を守る消防ポンプにかける期待は大きかったのではないか。そのため、消防ポンプがいつでも出動できるように点検を怠らなかっただろう」と話している。


滋賀
華やか、4隻目の屋形船 彦根城内堀で就航
 春の観光シーズンを前に、彦根城(滋賀県彦根市)の内堀で運航される4隻目の屋形船「柳王(りゅうおう)丸」が2日、就航した。江戸時代の藩主用の船を復元し、伝統工芸の彦根仏壇の技術で漆や金箔(きんぱく)を施して華やかに装飾した。
 柳王丸は、船体が長さ11メートル、幅2・4メートルで、高さ1・4メートルの屋形を取り付けた。屋形の屋根の破風を漆や金箔で飾り、幕末の大老で13代彦根藩主の井伊直弼(なおすけ)の雅号「柳王舎(やぎのわや)」から命名した。彦根城北側の玄宮園前の船着き場で発着し、内堀約3キロを往復する。
 3年前から屋形船を運航するNPO法人小江戸彦根が、県産業支援プラザの補助金を得て約600万円をかけて製造した。これに合わせて彦根城西南側に、2カ所目の船着き場「山崎郭(くるわ)前船溜(だま)り」を新設した。3月20日からここで下船できるようにして、周辺にある米国人建築家ヴォーリズ設計の洋館や和風キリスト教礼拝堂のスミス記念堂など近代遺産を見られる観光ルート作りに役立てる。
 就航を祝う式典がこの日あり、法人メンバー約20人が参加した。棚橋勝道理事長(50)は「屋形船の新造はこれが最後。彦根の観光資源として定着させたい」と意気込みを語った。

高知
須崎・まちかどギャラリー入場500人目
 須崎市青木町の空き店舗に2月12日にオープンした「まちかどギャラリー」の入場者が3日、500人を超えた。500人目となった中土佐町久礼の喫茶店経営、政岡千恵子さん(59)に、笹岡豊徳市長から花束と記念品が贈られた=写真。
 政岡さんは友人の日林千恵さん(60)と津野町に行く途中、立ち寄ったという。幕末に活躍した土佐の絵師、絵金の芝居絵などの展示品を見た政岡さんは「展示もすごいし、気軽に立ち寄れるのもいい」と喜んだ。
 4日は展示替えのため休館。5日から再開する。オープン以来、17日目(休館日を除く)の好成績に、企画した市教委の担当者は「派手さはないが、じっくりと作品を鑑賞できる施設です」と満足そうに話していた。


長崎
グラバーゆかりのラン、長崎県が増殖・限定販売へ
 幕末に長崎で貿易商として活躍した英国出身のトーマス・グラバー(1838~1911年)が日本に持ち込み、国内最古とされる洋ラン、通称「グラバーさん」(学名・シンビジウム・トラキアナム)の苗を長崎県などが栽培し、一般に販売する計画を進めている。
 グラバーが持ち込んだ1859年にちなみ、売り出すのは通し番号を付けた1859鉢。3年後の発売を目指している。
 「グラバーさん」は東南アジア原産の洋ランの原種。一部が緑色を帯び、黒っぽい斑点がある花びらと、甘いにおいに特徴がある。グラバーが上海経由で来日した際に持ち込み、長崎市のグラバー邸の敷地内に造った温室で育てたとされる。晩年に拠点を東京に移す際、庭師の加藤百太郎に譲り、加藤家が3代にわたって栽培。約20年前、市内の県亜熱帯植物園が譲り受けた。
 ランは開花させるのが難しく、同園では数年に一度しか開花していない。株数を増やそうと、2008年に県花き振興協議会・育種研究会部会長の立光(たちこう)一孝さん(55)に相談。立光さんが協力を求めた香川県の企業がクローン技術で増殖させ、現在はフラスコ内で約2000本の苗が順調に生育している。
 販売は、同園が「最古の洋ランの存在をもっと知ってほしい」と県に相談し、個数限定で行われることになった。苗は来春までに同協議会の会員宅などに移され、開花させる予定。販売方法はまだ決まっていない。
 「本家」の「グラバーさん」は1月中旬に見事に開花。グラバーとゆかりが深い幕末の志士、坂本龍馬の足跡をたどる同市浜町の「長崎まちなか龍馬館」に5日まで展示され、その後は同園に移される。
 立光さんは「龍馬もかいだであろう香りを、楽しんでほしい」と話している。



文化芸能
ザ テレビジョン ドラマアカデミー賞
最優秀作品賞 『JIN―仁―』

 出演=大沢たかお、中谷美紀、綾瀬はるか、小出恵介、桐谷健太、武田鉄矢、麻生祐未、小日向文世、内野聖陽ほか
 幕末にタイムスリップした脳外科医・仁(大沢)が、江戸に生きる人々の命を懸命に救っていく姿を描いた。丁寧に作り上げられた世界観と、役者陣の迫真の演技で高い支持を集めた。

石丸彰彦プロデューサー
「ザテレビジョンの作品賞は常々意識しているものですから、獲れて非常に光栄に思っています」と喜びの言葉を語ってくれた石丸彰彦プロデューサー。
 視聴率で苦戦するドラマの多い中で高評価を得た要因を「タイムスリップという奇想天外な設定に、役者さんたちのしっかりとした演技、どっしりとした脚本という3つのバランスが非常に良かったんじゃないかといます」と分析。
 「民放で大河ドラマのような作品を作れないかと模索していたんです」というのが「JIN-仁-」を作ったきっかけだったそうですが、初の時代劇で「あの時代の塀を探したり、ロケ地を見つけるのに苦労しました」との事。
 ペニシリン精製のシーンなども大変だったそうですが「スタッフの力が素晴らしくて、僕は『うちの美術はペニシリンを作れるんじゃないか?』と思っています(笑)」とスタッフへの信頼感(?)を明かしてくれました。

作品賞 得票結果
読者票
1. 「JIN-仁-」(TBS系)
2. 「マイガール」(テレビ朝日系)
3. 「東京DOGS」(フジ系)
4. 「天地人」(NHK総合ほか)
5. 「ROMES/空港防御システム」(NHK総合ほか)
審査員票
1. 「JIN-仁-」(TBS系)
2. 「天地人」(NHK総合ほか)
3. 「東京DOGS」(フジ系)
4. 「猿ロック」(日本テレビ系)
5. 「深夜食堂」(TBSほか)
TV記者票
1. 「JIN-仁-」(TBS系)
2. 「天地人」(NHK総合ほか)
3. 「外事警察」(NHK総合ほか)
4. 「リアル・クローズ」(フジ系)
5. 「ギネ・産婦人科の女たち」(日本テレビ系)

 おめでとうございます。『JIN―仁―』原作・ドラマともに好きな白牡丹も嬉しいです。

龍馬を愛した女たち 福山雅治が「魅力」語る
【 03月06日(土) 総合/デジタル総合 21:15 ~21:58 】

大河ドラマ「龍馬伝」をもっと楽しみたい人や、これから見始めようという人のために、幕末のヒロインたちに注目して「『龍馬伝』スペシャル」を送る。「龍馬を愛した女たち~ヒロインたちの龍馬伝~」と題し、龍馬にまつわる女性たちの生涯を紹介する。
龍馬を演じる福山雅治は、幕末の女性たちの魅力を語る。また、幕末のヒロインを演じる広末涼子と貫地谷しほりは、それぞれの役どころの女性の墓を訪れる。2人があらためて感じた龍馬のすごさとは何か。

*『龍馬伝』スペシャル


倹約でも心豊かに生きる知恵 映画『武士の家計簿』製作進む
 日本刀の代わりにそろばんを武器に、幕末を生き抜いた下級武士の一家を描いた映画「武士の家計簿」(森田芳光監督)の製作が進んでいる。激動の時代にあって、倹約に励みながらも明るさを失わず生きる知恵は、不況にあえぐ現代人の参考になりそうだ。京都の撮影現場をのぞいた。 (石原真樹)
 原作は、磯田道史・茨城大学准教授が神田の古書店で見つけた古文書をもとに書いた新書「武士の家計簿『加賀藩御算用者』の幕末維新」。加賀藩で藩財政をつかさどるそろばん役人「御算用者」を務めた猪山家が破綻(はたん)した家計を立ち直らせるまでの道のりを、古文書にあった同家の家計簿「入払(いりばらい)帳」から読み解いた。
 映画は同書のエピソードをもとに脚本化。家計簿をつけ倹約に励む猪山家八代当主・直之(堺雅人)と、そんな夫を明るくもり立てる妻・駒(仲間由紀恵)ら家族の姿を描く。

    ◇

 底冷えのする一月の京都。松竹京都撮影所のスタジオ内に猪山家が再現されていた。
 この日は、直之の父の葬儀場面が撮影されていた。故人の枕辺で悲しみに暮れる駒ら。その隣室で、そろばんをはじく音が静かに響く。直之が葬儀費用を計算しているのだ。直之の息子・成之はそんな父に「身内の葬儀でもそろばんですか」と涙声で迫る。
 台本にある直之の答えは「そうだ」。真っすぐな気持ちをぶつける息子に父はどう向き合うのか。直之の人間性が問われる重要な場面だ。
 この三文字をめぐり、堺と森田監督の応酬があった。「(直之には)後ろめたさがあるのでは」と問う堺に、森田監督は「違うと思う」ときっぱり。そして、「(父を失った)悲しさと、自分の職業への思い。二律背反した感情がセリフに表れている。ただ冷たく『おまえは関係ない』と言うのではなく、そう生きなければならないという悲しみをセリフに含ませて」と続けた。
 本番。息子の問いに対し、堺は長い沈黙を挟み、「そうだ」と静かに口にした。この演技に森田監督は「セリフを忘れたんじゃないかと思うほどの間だった。あの間が、彼の息子へのメッセージだと思う」。
 成之を演じた子役の大八木凱人(9つ)も、「背中に表情が出ている」と森田監督も納得の演技。撮影前、堺が大八木のそばにしゃがみ込み「自分の好きな人が死んだのにお父さんが悲しんでいないかもしれない、それはすごい悲しいよな。お父さんに怒っているのかもしれないな」とアドバイスしたのが効いたのかもしれない。

    ◇

 直之は家族の着物をはじめ武士の命である刀までも売り払い、同僚のさげすみをよそに愛妻弁当を持参、息子の通過儀礼には高価なタイの代わりに絵に描いたタイを祝い膳(ぜん)に出す。駒は、大根の葉まで調理するなどして夫を支える。作品で描かれるのは、体面よりも家族を守ることを重んじた夫と彼に寄り添った妻であり、倹約にも心すさぶことなく豊かに生きる家族の姿だ。
 殺陣や騎乗のシーンがない一風変わった時代劇。森田監督は「武士としてどう仕事を全うするか、その勇気づけは家族の存在。そして家族を生き抜くには相手を理解し、それを面白がることができないとだめ。そんな信頼ある家族っていいなあと思ってもらえたら」と狙いを話す。
 公開は十二月四日。


IT
幕末の志士たちを「ちみキャラ」化して公開!
幕末キャラクターサイト「ちみキャラ龍馬伝」オープン!

龍馬も西郷さんもこんなにカワイくなっちゃった!
 世の中、大河ドラマやゲームの影響で、空前の歴史ブーム。そんな中、(株)デジターボが坂本龍馬や西郷隆盛といった、幕末に活躍した人物をカワイくディフォルメした「ちみキャラ」として現代に蘇らせた! その名も「ちみキャラ龍馬伝」(公式サイト)。
 なお、ちみキャラとはグラフィックデザイナーのゆーぽん氏が描く、小さくディフォルメした可愛らしいキャラクターのこと。これまでも様々なゲームやアニメ、マンガなどのキャラクターを「ちみキャラ」としてリデザインし、その多くは商品化され高い評価を受けているのだ。
 この「ちみキャラ龍馬伝」はどんなサイトなのかと言うと、幕末の有名人たちをちみキャラとして紹介、配信していくキャラクターサイトで、ちみキャラになった坂本龍馬(ちみ龍馬)が「ちみキャラ」ワールドでくり広げる新しい坂本龍馬ストーリーを展開していく。坂本龍馬(ちみ龍馬)、西郷隆盛(ちみ西郷)、勝海舟(ちみ海舟)、岩崎弥太郎(ちみ弥太郎)、高杉晋作(ちみ高杉)など、幕末に活躍した人物たちが数多く登場するぞ。
 キャラクターたちの人物紹介、相関図など、幕末の複雑な情勢を誰にでも分かりやすく紹介するほかに、壁紙の配信や動画、ゲームなど続々とコンテンツが増えていく予定だ。なお、サイトオープンを記念して、プレゼントコーナーにて15キャラの壁紙をドーンと一気に大放出するとのことなので、アクセスしてダウンロードしちゃおう!
 また、関連グッズとして、3月上旬にはNHK大河ドラマ「龍馬伝」の公式ロゴがついたTシャツを販売し、4月下旬からは全国の土産物屋にて根付けストラップを販売するという。歴史(幕末)好きにはドラマと同じく、このサイトも目が離せないぞ!

 ちみキャラ、幕府方は勝海舟だけかな?

コラム
【幕末から学ぶ現在(いま)】(52)東大教授・山内昌之 桐野利秋
サブリーダーの役割

 桐野利秋(きりの・としあき)という名を知らない人でも、中村半次郎という旧名を聞いたことはあるに違いない。西郷隆盛の無二の弟子あるいは弟分として陸軍少将まで昇りつめ、西郷をかついで西南戦争のデザインを描いた人物である。

◆つきまとう誤解

 幕末には「人斬り半次郎」という異名で世に知られた。しかし実際には、暗殺は1件くらいだと言われている。仇名(あだな)とは裏腹に半次郎の本領は、西郷や大久保利通の代理として長州藩と折衝し水戸天狗(てんぐ)党と接触する役目など、周旋活動でもおおいに才能を発揮した点にある。このように、半次郎には各種の誤解がつきまとう。その豪快かつ貧困のイメージから郷士の出身と理解されがちだが、5石という微禄であっても歴とした城下士の出である。
 また半次郎には、どういうわけか無学という印象も強い。しかし、父が徳之島に流されて貧窮の極みになったので、10代は小作や開墾に従事するあまり正規の武家教育を受けなかったというにすぎない。武骨であっても雄渾(ゆうこん)な書をしたため、素朴ながら和歌もたしなんだ事実はもっと知られてもよい。
 西郷が「半次郎にもっと学問の造詣があれば」と述べたのは、おそらく武家方の教養の基礎たる漢語を学ぶ四書五経の教育を受けなかったという意味であろう。「頼山陽(らいさんよう)の日本外史を読めたら天下をとってみせる」と吹いたというから、真面目さと「チャリ」(薩摩でユーモアの意)の入り交じった人間なのである。勝海舟や大隈重信も相当の人物として認めているほどだ。
 「人斬り半次郎」の虚像が先行しがちなイメージは、薩摩のサブリーダーとして桐野利秋に成長する人物にとって愉快でなかったかもしれないが、それをあまり意に介した形跡もないからやはり相当に剛腹だったのだろう。

◆花も実もある美徳

 彼が薩摩人らしい情誼(じょうぎ)や豪放さを発揮したのは、戊辰戦争の激戦地、会津若松城(鶴ケ城)受け取りの役目を命じられ見事に大任を果たした時のことだ。有職(ゆうそく)故実にあまり詳しいとも思えぬ半次郎が無事に仕事を終えたのを訝(いぶか)しく思った者たちが尋ねると、“ナニ、小屋にかかっている講談の赤穂浪士の城明け渡しの場面を再現したのだ”と答えるあたりも半次郎人気の秘密なのだろう。
 何よりも会津藩士に武士の名誉を許したあたりの花も実もある美徳が持ち味なのだ。藩主松平容保(かたもり)が感謝の印として刀剣を謹呈したのも頷(うなず)ける。いまでも長州人には含むところのある会津人も薩摩には格別に遺恨のこだわりを見せない一端は、中村半次郎の温情を徳としているからかもしれない。

◆成否度外視した一本気

 桐野利秋として実家の本姓に戻った半次郎は、明治6(1873)年10月、征韓論をめぐる政変で西郷隆盛が下野するとともに官を辞して帰郷した。これ以後2人の運命は大きく変わっていく。私学校の指導にあたった同僚とは別に、吉野開墾社を指導し率先して開墾事業に励むあたりにも桐野の現場主義感覚が表れている。
 しかし、桐野でいちばん目立つのは、尊敬する西郷と終始行動を共にし城山で一緒に斃(たお)れるまで、成否を度外視して新たな政治の可能性にかけた一本気であろう。政党の離合集散や新党結成と理想を説くようでいて、その実は利害得失を忘れない現代の政治家とは異質な生一本さこそ、サブリーダーの花形たる桐野利秋こと中村半次郎の魅力なのであろう。
 こうした人間的磁力に魅(ひ)かれて個人の篤志や法人の寄付で映画『半次郎』をつくろうとするさわやかな人びとも現れた。今年秋公開予定の映画で桐野こと半次郎を演じる榎木孝明氏たちである(東京事務局連絡先はTEL03・5770・1805)。現代の日本人に投げかける映画『半次郎』のメッセージが楽しみである。(やまうち まさゆき)




【プロフィル】桐野利秋

 きりの・としあき 天保9(1838)年、薩摩(鹿児島県)生まれ。はじめ中村半次郎(なかむら・はんじろう)と名乗る。示現流剣術をおさめ、島津久光に従って京に入り、朝彦親王付の守衛となって諸藩志士と交流。西郷隆盛のもとで国事に奔走し、戊辰戦争では会津若松攻めの軍監となる。維新後は陸軍少将、陸軍裁判所長を務めるが、明治6年、政変で西郷が下野すると、それに従って辞職。西南戦争で西郷軍の総指揮を執り、明治10(1877)年、鹿児島城山で戦死した。享年40。


【次代への名言】子、曰わく編(5)
■「死して後已(や)む。亦(また)遠からずや」
 坂本龍馬をはじめ、幕末の志士の生涯を象徴するこのことばの主は、『論語』の記載では、孔子の弟子、曾子(そうし)である。
 ≪士(君子)は以(もっ)て弘毅(心が広く、意志が強いこと)ならざるべからず。任重くして道遠し。(君子は)仁を以て己が任となす。亦重からずや≫
 「死して後已む」の前文だ。中国史の泰斗、貝塚茂樹によると、この曾子の一節が全体として、「人の一生は重荷を負(おう)て、遠き道をゆくが如(ごと)し-」という徳川家康の有名な遺訓のもとになったことに「疑問の余地はない」という。
 〈あるとき、孔子は曾子に「吾が道は一つで貫かれている」と言った。「はい」と答えた曾子に門人があとでその意味を尋ねると「先生の道は忠恕(ちゅうじょ)(誠実さと思いやり)のみ」と答えた〉(論語)
 曾子は孔門の俊英のようにみえる。ところが中国古代文学の鬼才、白川静によれば、彼は最晩年の弟子であり、この問答の事実性は「疑問」という。
 でも、次のようなことばを残しているところをみると、曾子もやはり君子だったにちがいない。「吾、日に三つのことを反省する。人のために忠だったか。友に信だったか。知ったかぶりで話をしなかったか」(文化部編集委員 関厚夫)


ビジネス
[近畿日本ツーリスト株式会社]
映画『桜田門外ノ変』オープンセット・ロケ地見学 オフィシャルツアー 販売開始!

 近畿日本ツ-リスト株式会社(本社:東京都千代田区、社長:吉川勝久 以下、KNT)は、水戸藩開藩四百年記念事業として企画され、今年10月に公開予定の、映画『桜田門外ノ変』〔監督:佐藤純彌(男たちの大和/YAMATO)、主演:大沢たかお、出演:北大路欣也、伊武雅刀、他〕のオープンセット・ロケ地を先行見学するオフィシャルツアー(http://www.knt.co.jp/ec/2010/sakuradamon)の販売を、このほど開始しましたのでお知らせします。
このツアーは、水戸藩開藩四百年記念『桜田門外ノ変』映画化支援の会(代表:狩野 安)の協力のもと、KNTが、茨城県内の観光素材を組み合わせ、県全体の観光誘客をはかる目的で、企画・発売したものです。
映画公開前から毎月1本の割合でツアー実施を行い、ツアーやイベントを積極的に仕掛けていくことで、地元と映画を盛り上げていきます。また、公開後も、ロケ地を訪問するツアーやイベントの企画により、さらなる地域の活性化を目指します。
KNTでは今後、こうした映画をきっかけに、映画のオープンセット・ロケ地見学ツアーをはじめ、その地域の特性や隠れた観光素材をコースに盛り込んだ、地域活性化のためのツアーやイベント展開を全国の地域の方々と協力しながら進めていきます。
KNTでは、このツアーの実施により、2010年3月から2011年2月までの映画公開終了までの間に、約5,000人のお客さまを、茨城県にご案内することを目標としていきます。

【企画のポイント】
1.映画『桜田門外ノ変』のロケで使われたオープンセットを先行見学!
映画関係者からのオープンセットの説明や、ロケのこぼれ話など臨場感たっぷりのお話を聞けます!
2.実際ロケの時に俳優やスタッフが食べていたロケ弁当をご用意!
オープンセット内でロケ弁を食べて映画の世界に浸ってください!
3.オープンセット内では、幕末コスプレイベントも開催中!幕末の時代にタイムスリップした気分になれます。
4.偕楽園梅まつりも見学! 紅梅・白梅約3,000本の梅をぜひお楽しみください。
5.ロケ地でもある弘道館を見学!ロケ当日の様子などを弘道館の方にお話いただきます。
6.徳川博物館では映画『桜田門外ノ変』にも登場する徳川斉昭や徳川家の貴重な資料やゆかりの品を見ることができます。学芸員の方の説明付きです。

【ツアー概要・基本プランの場合】 ※申込み締め切り 3月19日(金)12:00まで
(期 日)2010年3月27日(土)
(日 程)東京駅08:30発=バス=水戸オープンセット見学(見学+映画関係者の話/ロケ弁当ご賞味)=
   =偕楽園梅まつり(自由見学)=弘道館(ロケのお話/自由見学)=徳川博物館(学芸員のお話
   /自由見学)=東京駅17:30着  (※横浜発着コース有り:旅行企画・実施 相鉄観光)
(食 事)朝0回・昼1回・夕0回  (添乗員)同行します。(最少催行人員)35名
(旅行代金)大人お一人様 7,100円、子供(小中学生)お一人様 6,500円 (※横浜発着は各200円プラスです)



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