新選組・土方歳三を中心に取り上げるブログ。2004年大河ドラマ『新選組!』・2006正月時代劇『新選組!! 土方歳三最期の一日』……脚本家・制作演出スタッフ・俳優陣の愛がこもった作品を今でも愛し続けています。幕末関係のニュースと歴史紀行(土方さんに加えて第36代江川太郎左衛門英龍、またの名を坦庵公も好き)、たまにグルメねた。今いちばん好きな言葉は「碧血丹心」です。
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春先は天候が不安定とはいえ、今年の春は低音、強風。桜には試練の連続ですね。
宮城
寒湯番所輝き再び 一般公開を再開 栗原・花山
東京
山口敏太郎のパワースポット巡り「板橋の近藤勇墓所」
神奈川
勝坂遺跡公園:オープン 国内初、ササぶき竪穴式住居も /神奈川
洋菓子店「モンテローザ」が神奈川台場をテーマに「勝サブレ」
富山
吉久の町並み、映像で記録 高岡「考える会」、商人町の魅力、後世に
滋賀
「井伊家伝来・能の小道具」展:十五代当主の“役者魂”--彦根 /滋賀
京都
芸舞妓が華やかな装い 「鴨川をどり」衣装合わせ
街かど:都をどり大ざらえ /京都
岡山
岡山城春季特別展 1万人突破
福岡
上野彦馬賞フォトコンテスト:入選106点の作品展 /福岡
コラム
【幕末から学ぶ現在(いま)】(56)東大教授・山内昌之 阿部正弘
【龍馬を慕う】混沌の時代が求める快男児 4日、連載スタート
【大物が描いた夢 十勝大農場余話】第一部 渋沢農場
文化芸能
清史郎くん、初のマゲ姿だ~い!
仲間由紀恵“琉球版オスカル”だ
近衛はな、撮影中は父・目黒祐樹を突き飛ばすほどの熱演!でも普段はほんわか親子
エンターテインメント
幕末を舞台にした女性向け恋愛アドベンチャーゲーム「幕末恋愛革命(ばくまつラブレボリューション)」、NTTドコモ&ソフトバンクにて配信開始!
宮城
寒湯番所輝き再び 一般公開を再開 栗原・花山
岩手・宮城内陸地震で被災した宮城県栗原市花山の国史跡「仙台藩花山村寒湯(ぬるゆ)番所跡」の一般公開が1日、再開された。同市栗駒耕英地区では、市道馬場駒の湯線の通行時間規制も解除された。震災から2度目の春を迎え、被災地は復興への足取りも早めている。
番所跡の修復工事は、表門の石垣(高さ1.2メートル、長さ約15メートル)が積み直され、倒れた名跡の標柱も元通りにした。関所守の居宅「役宅」は土壁や表具などが交換・補修された。書院造りの太いはりや柱は黒光りし、幕末期から続く歴史の輝きを取り戻した。
公開再開の初日は早速、十数人の観光客が訪れた。家族5人で来た白石市の男性(39)は「少しでも被災地の支援になればと思った。役宅は造りが立派で、目を見張った」と話した。
番所跡に隣接する温泉宿泊施設・温湯山荘の大山幸義副支配人(58)は「道路は今も山荘前までしか通れないため宿泊客に紹介できる観光拠点が少なく、心苦しかった。花山の観光産業にとって再開の意味は大きい」と喜んでいた。
耕英地区に通じる唯一の幹線となっていた市道は警備ゲートが廃止され、終日通行可能に。今月下旬には県道の除雪も終わり、栗駒山の登山口、いわかがみ平まで通行できる見込み。
温泉旅館「くりこま荘」を営む菅原次男さん(68)は「宿泊客に通行許可証を渡すため、ゲートまで下りていく必要がなくなった」と歓迎し、利用客の増加を期待する。
高山植物の宝庫の世界谷地に続く市道も通行止めが解除され、第1湿原は見学できるようになった。
東京
山口敏太郎のパワースポット巡り「板橋の近藤勇墓所」
己を貫いて生きる人が少なくなった昨今、信念を貫くことは厳しい状況に追いやられる事が多い。そんな時にお参りすれば、勇気と闘志が湧いてくる場所がある。JR板橋駅の東口にある「近藤勇墓所」こそが、乱世を戦う現代の男たちに力を与えてくれるパワースポットなのだ。
新撰組局長として京都で勇名を馳せた近藤勇だったが、慶応4年4月流山で官軍の薩摩藩士・有馬藤太によって捕縛された。当初は、幕臣・大久保大和と名乗っていたが、元新撰組隊士の面通しによって近藤勇と判断され、慶応4年4月25日処刑されてしまった。この時、近藤勇は坂本龍馬を暗殺した犯人として、谷守部や香川敬三によって一方的に断罪され、処罰されているのだが、現在では無実であった可能性が高くなっている。
斬首された後、首は京都に晒され、胴体はその他大勢と一緒に埋められたが、近藤勇の娘婿である近藤勇五郎が、見張り役の役人に金を握らせ、胴体だけは掘り起こし、多摩の龍源寺に埋葬した。なお、近藤の首は京都に晒されたあと、行方不明になり、愛知県に埋葬されたとも、福島県に埋葬されているとも噂されている。
因みに この板橋の墓所は永倉新八によって建立されている。戊辰戦争の途中、近藤勇と袂をわかった永倉新八だが、晩年は旧友たちの名誉回復に努めている。なお、同所の石碑には「近藤勇宜昌」と書かれているが、「近藤勇昌宜」が正しい表記である。また石碑には、土方歳三義豊之墓とも彫られ、両側面には110名もの新選組隊士の名前が刻まれている。現代でも近藤勇や新撰組の武功を称え、参拝する人が多く、常に人で賑わっている人気のパワースポットなのだ。
なお毎年、近藤勇の命日である4月25日には近藤勇供養祭が行われている。近藤勇の決断力と実行力にあやかりたい人はぜひ行ってもらいたい。
新撰組局長・近藤勇場所
住所
北区滝野川4-22-2
最寄駅
地下鉄都営三田線 新板橋駅・西巣鴨駅 徒歩8分
JR埼京線 板橋駅東口 徒歩10分
山口敏太郎
参照 山口敏太郎公式ブログ「妖怪王」
http://blog.goo.ne.jp/youkaiou
神奈川
勝坂遺跡公園:オープン 国内初、ササぶき竪穴式住居も /神奈川
縄文時代中期(約5000年前)に大きな集落がつくられた相模原市南区磯部にある国指定史跡「勝坂遺跡」の史跡公園が完成し、政令指定都市移行を記念して1日にオープンした。国内初のササぶきと関東地域では初の土ぶきの竪穴式住居を各1棟のほか敷石住居跡を復元した。74年の国史跡指定からようやく公園ができた。
公園が整備されたのは、遺跡群のうち鳩川左岸の段丘沿い(広さ約2ヘクタール)。土質調査で屋根ぶき材と考えられるアズマネザサが多く見つかったことからササの葉を屋根に使ったと考証。ササぶき住居を復元したほか、冬季だけ住んだとみられる土ぶき住居も復元した。
クリ材を柱にした半地下式の住居には入って見学できる。遊歩道が設けられ、縄文中期にあったとみられるタブノキやクリ、アラカシなど20種の幼木を園内に植栽。土器の捨て場があった場所には管理棟が建てられた。
1926(大正15)年に顔面を表現した取っ手の土器などが出土して遺跡の存在が分かった。段丘沿いでは竪穴式住居跡が80棟以上見つかり、装飾的な文様の「勝坂式土器」は縄文中期を代表する土器となった。段丘の下にわき水や田んぼがあり、鳩川の両岸に広がる大きな集落があったとみられている。
段丘林のシラカシ群集などの照葉樹林は市天然記念物。わき水の一つは、海老名市にある古社「有鹿(あるか)神社」の奥社になっている。入園自由で、復元住居内の見学は水曜~日曜日午前9時~午後4時。
近くには唯一現存する幕末期の和洋折衷住宅で国登録有形文化財の旧中村家住宅がある。中村家から昨年、市に寄贈されたことから防火設備などを整え、1日から無料で一般公開された。開館は木曜~日曜日午前9時半~午後4時。問い合わせは市文化財保護課(042・769・8371)。【高橋和夫】
洋菓子店「モンテローザ」が神奈川台場をテーマに「勝サブレ」
洋菓子販売店「モンテローザ」を展開する三陽物産(横浜市中区長者町9)は4月1日、老舗料亭「割烹 田中家」(神奈川区台町11)で新商品「勝サブレ」の記者発表会を行った。
「勝サブレ」は「神奈川台場」の歴史性に注目した縁起菓子で、坂本龍馬の師である勝海舟が設計した「神奈川台場」の独特の形状をモチーフにしたサブレ。風味や食感にこだわった上品な味わいの高級サブレで、サブレの中央には夢の実現への願いを込めた「勝」のひと文字が焼き上げられている。
神奈川台場は横浜開港の翌年の1860年に完成し、かつて国内外の貴賓や外交団に祝砲を放っていた史跡。今年築造150周年を迎え、現在、横浜市神奈川区内の地下にほぼ完全な形で埋もれていることが確認されている。
発表会では、三陽物産の代表取締役社長の山本博士さんが「勝サブレ」の誕生秘話や神奈川台場の歴史性について説明会を実施。「横浜の歴史文化を継承する縁起菓子を作りたいという思いから生まれた新商品で、勝海舟とゆかりのある『割烹 田中家』さんでお披露目する運びとなりました。横浜の約150年の歴史の中で最も古い史跡のひとつであり、祝いのシンボルともいえる神奈川台場のもつ『勝』、『祝』、『運の強さ』といったキーワードにちなんだ縁起菓子。横浜の歴史を伝えるお菓子として広めていきたい」と抱負を語った。
田中家の5代目女将・平塚あけみさんは「昔はこのあたりに1,300軒もの宿場があったが、現在残っているのは田中家のみ。龍馬伝の影響で多くのお問い合わせがあるが、これからも歴史を大切に語り継いでゆきたい。歴史を守ってくれる『勝サブレ』が誕生してうれしい」と喜びを表した。
「勝サブレ」は10個入1,260円、20個入2,415円。商品リーフレット「神奈川台場ストーリー 横浜幕末物語」には、神奈川台場の歴史や松山出身の画家・八木彩霞さんが描いた「神奈川台場の図」、勝海舟の言葉、坂本龍馬の手紙の記録などが収められている。
販売は、勝サブレ公式サイト(通信販売)、赤レンガ デポ、みなとみらい線みなとみらい駅改札口前「エムエムみやげ」、大さん橋X-PORT、横浜ランドマークタワー69階の「タワーショップ」、マリンタワー2階の「マリンタワーショップ」、神奈川県立歴史博物館、料亭 田中家など。
モンテローザは1962年の創業以来、横浜の風景や歴史をイメージした菓子を販売しており、横浜の歴史的建造物である「横浜三塔」にまつわる伝説をイメージしたケーキ「横浜三塔物語」は「第13期ヨコハマ・グッズ横濱001」で「石坂浩二賞」、焼菓子「横浜ロリケット」は2008年度モンドセレクション賞を受賞している。
本社ショールーム(中区長者町9)、モンテローザ大井町店(神奈川県足柄上郡大井町)、コーヒーバー「ブルーマウンテン」(横浜そごう5階)の3店舗を運営しており、近年は太陽光発電、風力発電発光ダイオード照明灯などを備えた工房を整備するなど「環境にやさしい」菓子作りにも取り組んでいる。
富山
吉久の町並み、映像で記録 高岡「考える会」、商人町の魅力、後世に
高岡市吉久地区に残る格子戸の町並みや獅子舞などの風習を映像で記録する作業は1日、同地区で始まった。2008年8月に第1回の収録を行って以来、2回目の作業となる今回は、古民家の内部も対象に加え、建築様式の変遷などを新たに撮影する予定で、郷土の歴史や文化にさらに光を当てる。
吉久地区は、加賀藩の御蔵(米蔵)を中心に繁栄した商人町として知られる。記録は「吉久の伝統的町並みを考える会」が市と共同で手掛けた。撮影は、高岡大仏の今昔をまとめたビデオ映像を制作している「高岡を記録する会」の伊藤博代表らが協力している。
1日は、撮影場所の下見を行い、「考える会」の大菅正博会長と伊藤代表が同市吉久2丁目の神明宮や民家などを回った。今後は、民家の瓦や内部の柱を細かに映し、幕末から昭和期までの建築様式の変化をひもといていく。
記録した映像は、5月中旬に予定されている「考える会」の総会に提出し、会員の承認を経た上で、一般に広く公開する。
大菅会長は「将来、地元の良さを再発見できる材料として活用していきたい」と話し、伊藤代表は「20年後、30年後、町並みがどうなるかが心配。記録を大切に伝えていきたい」と意気込みを見せた。
滋賀
「井伊家伝来・能の小道具」展:十五代当主の“役者魂”--彦根 /滋賀
◇直忠さん収集45点
彦根市の彦根城博物館で、テーマ展「井伊家伝来・能の小道具」が開かれている。自らも能を演じた井伊家十五代当主の直忠さん(1881~1947)が収集した扇類や装束・武具類など45点を公開している。13日まで、無休。
直忠さんは、幕末の大老で十三代彦根藩主直弼の孫。観世流の梅若六郎らに師事して生涯、能に打ち込み、能を演じる役者の目線でさまざまな演目を演じられるように能道具を集めたという。
展示品は、井伊家伝来品が関東大震災で焼失した後、直忠さんが収集したもの。金色の唐草文様が描かれた真っ赤な地に大輪の牡丹(ぼたん)を配した扇の「赤地牡丹唐草図」は、演目「道成寺」で鬼が手にし、牡丹は鬼にもなる女性の恋の執念を表しているという。武具の「太刀拵(こしらえ)」や木地に大波を描いた「水桶(おけ)」なども公開している。
観覧料は一般500円▽小・中学生250円。問い合わせは同館(0749・22・6100)。【松井圀夫】
京都
芸舞妓が華やかな装い 「鴨川をどり」衣装合わせ
京都花街、先斗町の歌舞練場(京都市中京区)で行われる春公演「鴨川をどり」を前に、出演する芸妓と舞妓の衣装合わせが2日あり、24人がプログラム用の写真撮影に臨み、会場は華やかな雰囲気に包まれた。
173回目となることしの演目は「女たちの幕末」と「薫風歌絵巻」。主人公の新選組隊士が今の徳島県出身であることから、演じる芸妓が阿波の方言を話すのが話題になりそうだ。
初舞台の舞妓で浜松市出身のもみ福さん(16)は「昨年は入り口で見たあこがれの舞台に上がることができる。多くのお客さんや母も見に来てくれるので、けいこを頑張りとおす」と話した。
「鴨川をどり」は5月1~24日で1日3回。茶券付きで4500円。問い合わせは先斗町歌舞会、電話075(221)2025。
街かど:都をどり大ざらえ /京都
京都の五花街の一つ、祇園甲部歌舞会の「第138回都をどり」(1~30日)を前に、東山区の祇園甲部歌舞練場で31日、「都をどり」の大ざらえ(最終げいこ)があり、芸舞妓(げいまいこ)が招待客ら約600人を前に華麗な踊りを披露した。
今年の演目は「桜花訪京都歴史(はなにきくみやこのれきし)」(全8景)。第1景の「総をどり」で登場する舞妓の人数が、これまでより4人増えて計24人となり、より華やかに。また、孝明天皇の妹和宮が徳川幕府14代将軍の家茂に嫁ぐ前に八坂神社を訪れた場面を描いた「和宮祇園社参」など、一部に幕末の要素を取り入れたのが特徴という。
入場料は▽特等4500円▽1等4000円▽2等2000円。公演は▽午後0時半▽同2時▽同3時半▽同4時50分--の4回。問い合わせは祇園甲部歌舞会(075・541・3391)へ。【小川信】
岡山
岡山城春季特別展 1万人突破
岡山城(岡山市北区丸の内)で開催中の春季特別展「幕末の動乱 会津と長州そして岡山」(岡山市、おかやま観光コンベンション協会、山陽新聞社主催)の入場者が2日、1万人を突破した。歴史ブームの影響か客足は好調で、当初見込みより約1週間も早い達成となった。
1万人目は、午前10時ごろに家族4人で訪れた埼玉県久喜市、会社員丸山茂さん(49)。同協会の岡〓彬会長が記念に備前焼のビアカップを贈った。城巡りが好きという丸山さんは「突然のことでびっくり。展示を知らずに来たが、幕末に興味があるのでゆっくり楽しみたい」と喜んだ。
同展は会津、長州藩の成り立ちから、幕末に対立していく流れを、新選組や坂本竜馬の活躍を交えて紹介。両藩や岡山藩ゆかりの書や絵など約90点を展示している。
同展は3月20日に開幕し、5月9日まで(午前9時〜午後5時半、入場は同5時まで)。会期中無休。入場料は15歳以上800円、5歳以上400円。
〓は崎の「大」が「立」
福岡
上野彦馬賞フォトコンテスト:入選106点の作品展 /福岡
若い写真家の発掘と育成を目的とした「第10回上野彦馬賞九州産業大学フォトコンテスト」(九州産業大、毎日新聞社主催)の入賞作品展が中央区天神の県立美術館で開かれている。入場無料。4日まで。
上野彦馬は幕末から明治にかけて長崎で写真館を開き、「日本の写真の祖」と知られ、コンテストは00年から始まった。今回は国内外から計3310点の応募があった。
最高賞の上野彦馬賞に輝いたスペイン在住の写真家、森本徹さんの「コソボ--虐殺の記憶(5枚組み)」を始め、一般部門75と中高生部門31の計106点の入選作を展示。須恵町の自営業、伊東映子さん(60)は「自分も写真が趣味。生き生きとした人の表情など一瞬をとらえた作品が多く参考になった」と話していた。【反田昌平】
コラム
【幕末から学ぶ現在(いま)】(56)東大教授・山内昌之 阿部正弘
瓢箪鯰と宇宙人
鳩山由紀夫首相の日本語表現は格別に晦渋(かいじゅう)というわけではない。それでいて、聞いていると時々何を言いたいのか分からないことが多い。過剰な丁寧語や謙譲語の対象が時として人間だけでないことにも辟易(へきえき)する。いちばん厄介なのは、一つの流れのなかで前段と後段で語る内容が間々違うことだ。
また、日がたつと全然違うことを平気で言い出すこともある。かつては普天間飛行場の県外国外移転を強く主張し、前政権の辺野古(へのこ)沖移転案を拒否したのに、3月23日には普天間飛行場の全面返還について「ゼロベース」で考えているとまで言い出した。
住民の危険除去を根本の出発点にする肝心の移転作業をなおざりにして、「危険性除去と騒音対策」を条件に普天間飛行場の一部存続さえ示唆するのだ。危険な普天間の継続使用を何とかして止めようというのが超党派の基本的立脚点だったのに、いつのまにか「ゼロベース」という便利な言葉で問題の本質をそらしている。
3月29日夕になると、普天間移設の政府案を一つにまとめる時期について「今月中と決まっているわけではない」と妙なことを言い始めた。首相は26日の会見で普天間移設案を「3月いっぱいをめどにまとめる」と強調していたのではなかったか。
優柔不断の八方美人
鳩山首相には「言語の浮遊」ともいうべき特徴が見られて仕方がない。良く言えば関係者全員を満足させたい善意、悪く言えば近衛文麿あたりにも共通する責任を無意識に回避する性向。この2つを考えると、どうしても「八方美人」という言葉がすぐ浮かぶ。
幕末維新の歴史を語った徳富蘇峰は、『近世日本国民史』のなかで、嘉永6(1853)年のペリー来航時の老中、阿部正弘を優柔不断や八方美人と批判した。また、幕臣だった福地桜痴(おうち)も著作『幕末政治家』において阿部を「始終巧(たくみ)に八方美人の策」を施すのに得意であり、「果敢の断行をなすの人」でないと揶揄(やゆ)する。
阿部は徳川譜代(ふだい)の閣老として祖法の鎖国にこだわる立場でありながら、列強の力と世界情勢を判断して開国に舵(かじ)を切らざるをえないジレンマに置かれた。それでいて、前水戸藩主の徳川斉昭のように極論を繰り返す攘夷(じょうい)派と妥協を図るために、八方美人になった面には幾分かの同情を禁じ得ない。
阿部はペリー来航を機に、「国家の一大事」を挙国一致体制で乗り切ろうとした。外様と譜代を問わず大名や、身分の尊貴を超えて幕臣らに良策を諮問したのである。しかし、徳川斉昭を海防参与(最高顧問)に任命して攘夷の不可なることを悟らしめようとする逆転の発想は失敗に帰した。これが高等な政治戦術なのか、水戸の老公への阿諛追従(あゆついしょう)なのかは議論の分かれるところだ。
確実なのは、斉昭が政策の現実性を無視し、攘夷の理念性を振りかざしながら、幕府の機密情報や政策議論の内容を平気で外に漏らし、いたずらに阿部を困らせ混乱を引き起こしたことである。海防や軍艦製造や大砲鋳造を斉昭にまかせれば、不平不満を「慰謝」できるという見込みは、幕府の基本政策と反対の斉昭を増長させる機会をつくったにすぎない。
したたかな交渉術
現に斉昭の圧力で開国派の老中たちを罷免すると門閥の井伊直弼らは激高し、「八方美人」の限界をあえなく露呈する始末となった。孤立を恐れた阿部は開国派の堀田正睦(まさよし)を老中首座に起用し、攘夷派と開国派との融和を図ろうとしたが、これも責任を巧みに避けて禍を堀田に転嫁する術だとして福地桜痴は厳しく批評する。
それでも、阿部正弘は急死しなければ、幕府中心の雄藩連合体に近い国家として幕末日本を再編していたかもしれない。しかし、開明派の外様雄藩や非門閥官僚を幕政に参加させたあたりは、八方美人ぶりと並んで弱気な政治姿勢とみられがちであり、政敵から「瓢箪鯰(ひょうたんなまず)」と仇名(あだな)された。
しかし、この瓢箪鯰にはしたたかな所も多々あり、交渉術に冴(さ)えを発揮し、人心収攬(しゅうらん)にもたけていたことは否定できない。
「調整の名人」という異名は政治家として決して悪い評価ではない。瓢箪鯰ならぬ「宇宙人」にも、せめてリーダーとして調整の名人になるように阿部から学ぶことを切に望みたいものである。(やまうち まさゆき)
◇
【プロフィル】阿部正弘
あべ・まさひろ 文政2(1819)年生まれ。備後福山藩(広島県)藩主。奏者番、寺社奉行をへて天保14年、25歳で老中に抜擢(ばってき)された。徳川斉昭や島津斉彬ら有力大名と連携し、海防政策に対応。ペリー来航の際は日米和親条約を締結させ、開国へ導く。勝海舟ら優秀な人材を登用し、品川台場の構築や軍艦発注をはじめ、講武所や蕃所調所、長崎海軍伝習所・洋学所を設立するなど洋式軍制改革を進めた。安政4(1857)年、病没した。享年39。
【龍馬を慕う】混沌の時代が求める快男児 4日、連載スタート
足跡訪ね、閉塞打破のヒントに
平成の世に、坂本龍馬がよみがえっている。福山雅治さん主演のNHK大河ドラマ「龍馬伝」の放送がきっかけだが、時代の混沌も“龍馬渇仰論”に拍車をかけている。龍馬は幕末の混乱期に生を受け、薩長同盟を作り上げ、大政奉還というシナリオを描いた。その精華を見届けることもなく、33歳(数え年)で暗殺された。しかしながら、龍馬の奔馬のような生き方は、現在の閉塞(へいそく)状況を打ち破るヒントになるのではないか。そんな思いで、4月4日から毎週日曜日に、龍馬の足跡を訪ねてみたい。案内は福嶋敏雄特別記者、山口晃さんの刺激的なイラストと題字が読者を「龍馬の世界」へと誘(いざな)うだろう。(渡部裕明)
坂本龍馬は天保6(1835)年11月15日、高知城下に郷士・坂本八平の次男として生まれた。19歳のとき、剣術修業のため江戸に赴いた。この年、ペリーが黒船で浦賀沖に来航し、時代の激動を肌で感じることとなった。
龍馬を飛躍させたのは、28歳での土佐藩脱藩であろう。土佐藩士という身分を離れ、勝海舟や横井小楠(しょうなん)、高杉晋作、久坂玄瑞(げんずい)らと交わり、視界を大きく開かされる。勝のもとで神戸海軍操練所の塾頭となり、海運を使った商社の創設を夢見るようになった。
時代を見る目を得た龍馬は、いやおうなく「幕末の政治」に巻き込まれてゆく。弱体化した徳川幕府では、海外列強の侵略は防げない。薩摩や長州など雄藩の力を合わせ、新しい政権を作ることでしか対抗できないのではないか。
こう信じた龍馬は、西郷隆盛と木戸孝允(たかよし)を面会させて「薩長同盟」を実現させる。対立していた両藩の和解は、龍馬でなくては成し遂げられぬ成果であった。
この大きな仕事を果たす前、龍馬は長崎で「亀山社中」と名づけた貿易商社を結成する。自分が本当にやりたいのは、世界の海をかけめぐること。龍馬は何にも縛られない自由人であった。
しかし、龍馬に残された時間は少なかった。ささやかな休暇を、妻のお龍(りょう)とともに九州・霧島に遊んだ。「日本最初の新婚旅行」としてよく知られている。
慶応3(1867)年11月15日夜。京都河原町の醤油(しょうゆ)商「近江屋」の2階で同郷の陸援隊(りくえんたい)隊長、中岡慎太郎とともにいた龍馬は、刺客に襲われる。応戦したものの頭部を斬(き)られ、亡くなった。遺骸(いがい)は慎太郎とともに、京都・東山霊山(りょうぜん)に葬られた。
◇
司馬遼太郎によりよみがえった龍馬
今でこそ有名な坂本龍馬だが、明治や大正時代までは故郷の土佐以外、知る人も少なかった。高知で発刊された「土陽新聞」は明治16年から、「汗血千里駒(かんけつせんりのこま)」という龍馬を主人公にした小説を連載した。作者は坂崎紫瀾(しらん)。これが、初めての本格的な龍馬伝とされる。
決定的に龍馬をよみがえらせたのは、司馬遼太郎である。昭和37年6月から41年5月まで、産経新聞夕刊に「竜馬がゆく」を連載し、彼の自由奔放な生き方は、多くの読者を魅了した。
司馬はあとがきの中で、次のように書く。
《日本史が坂本竜馬を持ったことは、それ自体が奇蹟(きせき)であった。なぜなら、天がこの奇蹟的人物を恵まなかったならば、歴史はあるいは変わっていたのではないか》
司馬のこの見解は、いまでも新しい。史実とフィクションの区別は難しいが、龍馬という人物の魅力が、将来にわたって語り継がれることは間違いない。
◇
□毎回、イラストを執筆 山口晃氏
新しい「龍馬像」創り出したい
坂本龍馬に惹(ひ)かれたのは、大学を卒業した20歳代後半でした。絵の素材として日本の歴史に関心があったので、司馬遼太郎さんの小説を次々、読み始めました。私は本を読むスピードが遅いので、時間はかかったのですが、「坂の上の雲」や「竜馬がゆく」には引き込まれ、幕末から明治維新、そして文明開化期のおもしろさに目を見開かされました。
龍馬の魅力といえば、どんな相手でも時間をかけず懐(ふところ)に飛び込むことのできる人なつこさと、行動力でしょうか。私自身はどちらかというと内にこもるタイプなので、あこがれもあります。
龍馬を撮影した写真は何枚か伝わっています。画家としては、参考にできる部分も少なくないのですが、毎週、毎週描くわけですから、こだわるつもりはありません。むしろ読者にとって、新しい発見につながるような「龍馬像」を創(つく)り出したいと思っています。応援をよろしくお願いします。(談)
◇
【プロフィル】山口晃
やまぐち・あきら 画家。昭和44年生まれ。平成8年、東京藝術大学大学院美術研究科絵画専攻(油絵)修士課程修了。平成19年、上野の森美術館での会田誠との2人展「アートで候」を開催し、話題に。昨年、五木寛之氏の新聞小説「親鸞」の挿絵を担当した。
◇
《坂本龍馬の年表》
1835(天保6) 龍馬誕生
1853(嘉永6) 剣術修業で江戸遊学
1854(安政元) 帰国
1856(安政3) 再び江戸に遊学
1858(安政5) 土佐に帰国
1862(文久2) 沢村惣之丞とともに脱藩
勝海舟に会い、門下生に
1863(文久3) 松平春嶽に謁見
海軍操練所塾頭に
1864(元治元) 海舟に従って長崎へ
1865(慶応元) 亀山社中を設立
1866(慶応2) 薩長同盟なる
寺田屋事件
お龍との霧島新婚旅行
1867(慶応3) 海援隊の隊長に
いろは丸が衝突、沈没
船中八策提案、大政奉還
刺客に襲われ死去
【大物が描いた夢 十勝大農場余話】第一部 渋沢農場
明治中期、未開の地・十勝に可能性を求め、資本家や華族らを地主とする大農場が誕生した。“大物”たちが築いた大農場はその後さまざまな経過をたどり、農業王国・十勝に影響を与えた。大農場の足跡を訪ね今日に何を残してきたのかを探る。
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渋沢農場(清水町)上
「官尊民卑打破」 壮大な構想
十勝開墾会社構想が練られた旧渋沢邸の建物のひとつ「青淵文庫」
東京都北区王子の小高い丘にある飛鳥山公園。都内の喧噪から離れた一角に、国の指定重要文化財「旧渋沢邸」の建物が静かに時を刻む。
農業改良に意欲
明治初期、第一国立銀行創設など近代経済社会の基礎を築いた実業家で子爵の渋沢栄一(1840〜1931年)の本邸跡。現在は渋沢史料館として生涯500に上る会社創設・育成を手がけ、社会福祉増進に尽力した功績が伝わる。
その渋沢をトップに据え、明治・大正期に十勝管内最大の耕作面積を誇った清水町熊牛の大農場「渋沢農場」の構想が、この地で動き出した。1887(明治20)年11月、渋沢は経済学者20人を同邸に迎え、北海道開拓を検討。渋沢史料館の井上潤館長(50)は「広い十勝では機械耕作するアメリカの大農法が可能でないかと考えた。軌道に乗れば最終的に、全国の農業改良につなげる思いを示した」と説明する。
埼玉県深谷市血洗島で染料に使う藍玉の生産農家に生まれた。「原点は農業にあるうえ、広大な未開地は相当な魅力だったのだろう」(井上館長)。当時、北海道の原野を払い下げる国有未開地処分法が未制定だが、このころ札幌麦酒、北海道製麻、北海道炭鉱鉄道など創立で道内との接点がある。早くから、北海道振興の「富源」として農業の重要性を見いだしていたのだ。
けた違いの資本金
振興策の推進にあたり渋沢が重視したのが民間主導の事業展開。渋沢栄一伝記資料では1886年7月12日、初代北海道庁長官岩村通俊が渋沢をはじめ、岩崎弥之助(三菱財閥)、益田孝(三井)、安田善次郎(安田)、大倉組創設者の大倉喜八郎ら在京財界人と会い、官業ではなかなか進展しない開拓事業で懇談。渋沢が農業会社設立の必要性を説いたと記述している。
井上館長は「渋沢の基本的な考え方のひとつに『官尊民卑の打破』がある。民は官の補完ではなく、民が富を先導する力を持たなければ日本は発展しないという考え。北海道の振興も民に委ねることで自主的に進むと訴えた」と強調。鉄道による交通整備の重要性も指摘するなど壮大なプロジェクトが描かれる。
そして1898(明治31)年2月、渋沢の思いを具体化する第一歩として「十勝開墾合資会社」が設立された。渋沢とともに幕末の混乱時に一橋慶喜に仕えた、いとこ渋沢喜作が社長。札幌麦酒や帝国ホテル創設で渋沢と縁が深い大倉ら計25人が出資した。現在の貨幣価値では億単位に上る資本金100万円の巨大資本を構築して熊牛の用地選定に入った。
初代長に町村金弥
清水町史編さんにたずさわった榎波博さん(81)は「近代的な会社資本の考え方を取り入れた点で十勝の他の大農場と異なる。資本金をみてもけた違いだ」と分析。町村金五・元道知事の実父で近代酪農を伝えた町村金弥を初代農場長に抜てき、大農場が動き出す。(児玉匡史)
※北海道炭鉱鉄道の鉱の字は石へんに廣です。
近代資本主義の父・渋沢栄一
渋沢栄一は一橋慶喜(のちに15代将軍徳川慶喜)に仕えた縁で、1867年から1年半、慶喜の弟昭武に随行してフランスのパリ万国博を見学するなど欧州を歴訪。株式会社組織や金融制度など経済政策への見聞を深めた。
その経験が明治新政府に買われ、大蔵省で国策立案にかかわったほか、官営富岡製糸場や王子製紙などを創設。民間経済人としての道を歩もうと官を辞して第一国立銀行総監役と頭取を務めた。
財界トップの東京商法会議所会頭に就任したが、「道徳経済合一説」を唱え、財閥を作らない経済人としても知られ、これが「近代資本主義の父」と称されるゆえん。
かつて坂本龍馬とともに「海援隊」の運営にたずさわった三菱財閥創設者岩崎弥太郎が、渋沢と共同事業を営もうと2大経済人同士の連携を模索し接触した経緯もある。しかし渋沢は欧州訪問以来、出資を募って利益を分配する株式会社組織の基本理念として「合本主義」を主張、岩崎との考え方の違いから決別した。
<十勝開墾合資会社の主な役員>(1898年設立時、清水町百年史より)
▽社長=渋沢喜作(出資5万円、北海道製麻社長)
▽業務担当役員=渋沢栄一(同、札幌麦酒社長)大倉喜八郎(同、同取締役)
▽田中源太郎(同、北海道製麻取締役)田中平八(同、東京)
▽監査役=中村太三郎(同、三重県)植村澄三郎(2万円、札幌麦酒取締役)
▽出資5万円社員=小室信夫(東京)長尾三十郎(同)加東徳三(同)石崎政蔵(同)濱岡光哲(京都)阿部彦太郎(大阪)本野小平(宮城)
▽同3万円=渋沢篤二(東京)高山豊次(同)上原豊吉(同)渋沢作太郎(横浜)▽同2万円=書上順四郎(神奈川県)渡邊勘三郎(北海道雨竜郡)中村蔵次郎(紋別郡)福田彦四郎(栃木県)和久伊兵衛(大阪)大崎宗恭(三重県)水谷藤八(同)
文化芸能
清史郎くん、初のマゲ姿だ~い!
人気子役の加藤清史郎(8)が、映画「桜田門外ノ変」(10月16日公開)で初の“ちょんまげ”姿を披露していることが1日、分かった。
幕末の江戸を舞台に、桜田門外の変とその後を描く同作で、加藤が演じるのは、井伊直弼暗殺を指揮した主人公・関鉄之介(大沢たかお)の息子、誠一郎役。
時代劇は、ブレークしたNHK大河ドラマ「天地人」や映画「座頭市 THE LAST」(5月29日公開)で経験している加藤も、少年武士のまげ“角前髪(すみまえがみ)”姿は初披露。さらに帯刀も初めてとあって、3月下旬に行われた撮影では「初めて刀を差してうれしい!」と大興奮。鞘(さや)から刀を抜き出し、力強く殺陣の構えで決めポーズ。「チャンバラやアクションにも挑戦したいな」と次の夢に目を輝かせた。
仲間由紀恵“琉球版オスカル”だ
女優の仲間由紀恵(30)が、来年2月6日開幕の舞台「テンペスト」(東京・赤坂ACTシアター)に“男女一人二役”で主演することが1日、分かった。仲間の舞台は4年ぶり。幕末の琉球王国の天才美少女・真鶴が男性に姿を変えて王府に仕えながらも、男性と恋に落ちるラブストーリー。沖縄出身の仲間が、故郷を舞台に“琉球版オスカル”となる。
◇ ◇
仲間が4年ぶりの舞台で、盟友たちと難役に挑む。
同作は、作家・池上永一氏の同名ベストセラー小説が原作。幕末の琉球王国を舞台に、天才少女・真鶴が性別を偽って男性・孫寧温として国家試験を突破し、仕えた王府で薩摩藩の青年士族・浅倉と恋に落ちるなど、波瀾(はらん)万丈の人生を描く。女性が男性となり、運命にほんろうされながら男性との恋愛を展開するさまは、宝塚歌劇団の名作「ベルサイユのばら」の主人公オスカルに例えられる。
仲間にとっては、07年の「ハルとナツ 届かなかった手紙」以来の舞台。沖縄県浦添市出身だけあって「生まれ育った沖縄を舞台にした作品に出演できて、うれしい気持ちでいっぱい」と“琉球版オスカル”に感慨深げだ。ステージでは、男女の琉球民族衣装でファンを魅了する。
初の“一人二役”。しかも男女を演じ分けるというハードルに挑むことになるが、心強いのは“チーム仲間”の存在だ。その1人が舞台演出を務める映画監督の堤幸彦氏。仲間が主演するシリーズ最新作「劇場版TRICK 霊能力者バトルロイヤル」(5月8日公開)の監督だ。ほかには、同作でコミカルなやりとりが評判となった俳優の生瀬勝久(49)が敵役で登場する。また、05年にNHK「紅白歌合戦」で司会コンビを組んだ俳優の山本耕史(33)が浅倉を演じる。
仲間も「難しい一人二役に不安もありますが、堤監督や気心の知れた方々と共演できるのが何といっても心強いです」とコメント。舞台でも名コンビを期待できそうだ。
東京公演は来年2月6~28日まで。大阪・新歌舞伎座公演は3月5~20日。
近衛はな、撮影中は父・目黒祐樹を突き飛ばすほどの熱演!でも普段はほんわか親子
[シネマトゥデイ映画ニュース] 吉田松陰の知られざる恋愛秘話に迫った映画『獄(ひとや)に咲く花』で初の親子共演を果たした近衛はなと目黒祐樹がそろってインタビューに応じ、幕末の偉人への思いやお互いへの要望を明かしてくれた。
映画『獄(ひとや)に咲く花』
本作は幕末に開いた私塾が、後に明治維新政府の指導者となる人物を数多く輩出するなど、理想の教育者としてたたえられている吉田松陰の生誕180年記念映画。吉田が海外への密航を図った罪で投獄されていた日々にスポットを当て、同じ場所に収監されていた実在の女囚との間に芽生えた淡い恋を絡めつつ、その実直な生きざまに迫る歴史ドラマだ。今回、その女囚の高須久役に抜てきされたのが俳優の目黒祐樹を父親に持ち、母親も元女優の江夏夕子、伯父が松方弘樹という芸能一家出身の近衛はな。これまでも司会者や脚本家としてマルチな才能を発揮してきた近衛は、本作で吉田との出会いによって希望を見いだしていく薄幸のヒロインをしっとりと演じている。
近衛は演じ終えた現在「松陰先生が処刑された小伝馬町を地下鉄で通ると、思わず手を合わせてしまいます」と吉田松陰の偉大さが身に染みている様子。撮影中に演技の勢い余って目黒を突き飛ばして転び、貧血を起こして撮影を中断させたことがあるそうで「松陰先生が江戸へ連れて行かれるのを追いかけて、それを止めようとした父演じる牢獄長を振り払うシーンです。あのときは暑くて着物もきつかったし、すごく本気を出していたので……」と恥ずかしそうに振り返り、ヒロインさながらのいちずな性格をうかがわせた。
すると突き飛ばされた方の目黒が「ヒロインは命懸けで松陰先生を愛していたから、あのぐらいの勢いがあっていい」とフォロー。初の大役を務めた娘の奮闘ぶりについて「自分のデビュー当時よりはましだったかな(笑)。及第点ではないけど、とにかく一生懸命さは伝わりました」と演技に対するひたむきな姿勢を評価した。そして「年の割に純粋さを残しているので、いつまでも失わないでほしいね」とほほ笑むと、近衛から「(父も)もう60歳過ぎているけど、とても好奇心旺盛。これからも年齢不詳のおじさんを目指してね」と言われ笑い合い、仲むつまじさを印象付けた。
最後に、この映画にかかわるずっと前から吉田松陰を尊敬していたという目黒は「今の日本があるのは幕末という時代を通り過ぎたから。その時代を最初に呼び込んだのが吉田松陰先生。映画を通してこの方の偉大さを再認識していただけたら」と力を込めた。坂本龍馬をはじめ、今もなお現代人を魅了し続ける幕末の偉人たち。そんな彼らが活躍する礎を築いた吉田の潔い生きざまと切ない恋愛秘話に、日本人としてこの機会に触れてみてはどうだろうか。
映画『獄(ひとや)に咲く花』は山口・福岡県にて先行上映中 4月10日より有楽町スバル座ほかにて全国公開
エンターテインメント
幕末を舞台にした女性向け恋愛アドベンチャーゲーム「幕末恋愛革命(ばくまつラブレボリューション)」、NTTドコモ&ソフトバンクにて配信開始!
株式会社ジー・モード(本社:東京都渋谷区、代表取締役社長:宮路武、以下、Gモード)は、基本料金無料の公式ゲーム総合サービス「ゲームバイキング」にて、「幕末恋愛革命(ばくまつラブレボリューション)」のサービスを序章無料でNTTドコモ、ソフトバンクに向けて本日より開始いたします。
「幕末恋愛革命(ばくまつラブレボリューション)」は、女性から絶大な人気を博している幕末を舞台にストーリーが展開する、恋愛アドベンチャーゲームです。
ユーザー自身がゲーム中の主人公となって、幕末の時代に活躍した坂本龍馬、高杉晋作、土方歳三、沖田総司、岡田以蔵の中から好きなシナリオを選択し、歴史上の人物との恋愛を成就させていきます。
1話終了時に相手の幕末志士からの「メール」や、ストーリーをクリアすることにより入手出来る限定の「まちうけ画像」をもらえたり、「キャラクターボイス」をダウンロードすることが出来ます。
今回、メインキャラクターである坂本龍馬の声を幅広い分野で活躍している声優の鈴村健一氏、敵役の土方歳三の声を杉田智和氏が担当し、その他若手人気声優達も活躍し、一層華やかさを添えています。
更に、シナリオ制作として、乙女ゲームのプロデュース等を幅広く手掛けているツーファイブ(本社:東京都豊島区)とシナリオ工房「月光」(本社:東京都練馬区)を迎え、女性の心をときめくセリフがふんだんに盛り込まれたストーリーとなっております。
「幕末恋愛革命(ばくまつラブレボリューション)」の配信を記念して、Gモードが提供する「わいわいサービス」において、声優サイン入りキャラクターポストカードが抽選で10名様に当たるキャンペーンを実施します。
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