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新選組・土方歳三を中心に取り上げるブログ。2004年大河ドラマ『新選組!』・2006正月時代劇『新選組!! 土方歳三最期の一日』……脚本家・制作演出スタッフ・俳優陣の愛がこもった作品を今でも愛し続けています。幕末関係のニュースと歴史紀行(土方さんに加えて第36代江川太郎左衛門英龍、またの名を坦庵公も好き)、たまにグルメねた。今いちばん好きな言葉は「碧血丹心」です。
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 今日は朝から雨でした。風のきつい時間帯は過ぎたようですが、まだ降り続いています。
 今日の幕末関係ニュースはすべて九州からです^_^;。

佐賀
活写!:大砲、精密ミニチュア /佐賀
活写!:大砲、精密ミニチュア /佐賀
 アームストロング砲とカノン砲のミニチュア計8門を、佐賀工業高野球部の3年生が作った。
 ひびが入るなどして使えなくなった金属バットのリサイクル作品で、バットから分けたアルミニウム合金で作ったインゴット(塊)が原材料。県内の高校から集めたバットは計94本。出来上がったインゴットは約86キロ。
 アームストロング砲の砲身は25センチ、全体の重さは4~5キロ。カノン砲は同じく30センチ、約8キロ。
 金型作りから旋盤を使ったりねじ山を切ったりする細かな加工まで、すべてが手作業。重量感と精密さを備えた出来栄えは、指導した野球部長の池田積教諭も感心するほど。
 「互いに声を掛け合って製作に取り組み、『できません』と言うような場面でも『やってみます』へと変わった」と池田教諭。生徒たちの成長の証しでもあるミニチュアは、担任などに贈られる。【文・写真、安達一成】

◇幕末に導入された佐賀藩象徴の大砲
 幕末に国内有数の近代化を達成していた佐賀藩が導入した大砲が、アームストロング砲とカノン砲だ。佐賀城本丸歴史館(佐賀市城内)の資料などによると、アームストロング砲は、明治新政府軍と旧幕府軍が戦った戊辰戦争で用いられ、新政府軍を勝利に導く力になった。当時の最新兵器で、佐賀藩は長崎の商人・グラバーらを通じて輸入した。
 今回、ミニチュアを製作した生徒は▽柴田雅章(まさのり)さん▽立川稜さん▽中島朋幸さん▽原優記さん▽山口太郎さん▽山本健斗さん--で、全員が機械科。
 課題研究の授業の一環だが、夏までは部活動もあり、本格的な作業は10月ごろから。その後、生徒の就職準備も重なるなどしたため、土日も自主登校して製作に励んだという。生徒たちは「野球部ならではのリサイクルです」。笑顔に自信がにじんだ。



大分
求来里喜平しのぶ 「観音桜」七分咲き 日田市求町 25日まで ライトアップ
 明治初期に農民一揆の首謀者として処刑された求来里(くくり)喜平をしのぶ「慈悲観音」(日田市求町)近くに、今年も「観音桜」の名で親しまれている5本の桜が開花した。濃いピンク色が特徴の河津桜は七分咲きで、夜間はライトアップされている。
 喜平は1835年、現在の求町に生まれた。70年に凶作や維新後の混乱から起きた「日田県竹槍騒動」のリーダーとなり、仲間4人とともに処刑された。喜平の子孫で、地元の足立栄子さん(73)と静岡に移住した森野スミ子さん(故人)が、喜平をしのんで1992年に観音像を建立、3年後に桜を植えた。
 森野さんは苗木を植えた年に亡くなり、花を見ることはなかった。だが、2人の思いを表すかのように、桜は毎年、喜平の命日(旧暦2月27日)ごろに満開になるという。ライトアップは25日まで。


長崎
「長崎さるく」新年度は幕末編 市が公式ガイドブック発行
 長崎市は、新年度に展開する街歩き観光「長崎さるく幕末編」の情報を満載した公式ガイドブック(B5判、四十九ページ)を発行した。市役所やJR長崎駅構内の総合観光案内所、出島やグラバー園など主要観光施設のほか、長崎空港でも無料配布している。
 街歩きで長崎の歴史や文化などを体感する「長崎さるく」は二〇〇六年度、「長崎さるく博」としてスタート。ガイド付きの「通さるく」、地図を片手に個人で楽しむ「遊さるく」、専門家による講座などを通じて一つのテーマを探究する「学さるく」がある。
 今年は、徳川幕府が一八五九(安政六)年、二百年以上続いた鎖国を解き、長崎、横浜、函館を開いた「安政の開港」から百五十年になるのを記念し、幕末にスポットを当てた「長崎さるく幕末編」を予定。各「さるく」で新コースが登場し、このうち「通さるく」では、▽紀州藩との船舶事故「いろは丸号事件」の談判が行われた聖福寺などを巡る「長崎幕末・維新の道を往く」▽坂本龍馬らが通った丸山や後藤象二郎との会談があった清風亭跡などを歩く「日本回天の舞台・長崎を訪ねて」-など三コースを新たに設ける。
 ガイドブックでは、幕末の長崎の歴史やゆかりの人物を紹介。新コースを含めた「さるく」全コースのほか、居留地時代に建てられた洋館群、近代化産業遺産群、観光イベントなどを網羅した。
 市さるく観光課は「自分の好きなテーマ、コースを見つけ、多くの人に楽しんでもらいたい」としている。問い合わせは同課(電095・829・1314)。




熊本
その思想が多くの志士に影響を与え
 その思想が多くの志士に影響を与え、「維新の青写真を描いた」とも評される幕末の儒学者、横井小楠(1809‐69)。その居宅「四時軒(しじけん)」(熊本市沼山津)を西郷隆盛が訪ねているらしい。地元郷土史家の徳永洋さんが、新史料をもとに推測している。
 史料とは、戦前に『横井小楠伝』を出版した元熊本医大学長の取材ノート。徳永さんは古書店の片隅で見つけたそうだ。その中に、かつて「四時軒」の隣に住んでいた男性の証言が載っていた。西郷はここに1泊しコイを食べた、というのだ。
 「おれは今まで天下で恐ろしいものを2人見た。横井小楠と西郷南洲だ」(勝海舟)と語られるほど、小楠の名は当時、全国に知れ渡っていた。動乱期には西郷のような「革命家」だけでなく、時代を見抜く「思想家」も必要なのだろう。さて、現代の小楠は誰か。今年は彼の生誕200年に当たる。 (山本)






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