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新選組・土方歳三を中心に取り上げるブログ。2004年大河ドラマ『新選組!』・2006正月時代劇『新選組!! 土方歳三最期の一日』……脚本家・制作演出スタッフ・俳優陣の愛がこもった作品を今でも愛し続けています。幕末関係のニュースと歴史紀行(土方さんに加えて第36代江川太郎左衛門英龍、またの名を坦庵公も好き)、たまにグルメねた。今いちばん好きな言葉は「碧血丹心」です。
 今日は最高気温が20度まで上がったそうで、暖かく好天の一日でしたね。週末に少しでも長く続いてくれるといいなぁ……。

福島
やきとり戊辰対決:特大竹串が完成 13日、世界一目指す /福島
 会津若松市の鶴ケ城公園で13日に開かれる「やきとり戊辰対決」で使う特大の竹串(くし)が10日、完成した。長さ21・6メートルで、当日は42人が焼き手を務め、世界一の記録に挑戦する。
 同イベントの関沢好春実行委員長(54)によると、竹串は和歌山県日高川町産の孟宗竹から削り出した。乾燥を防ぐため、約2週間水に漬け保存したという。この日、猪苗代町の建築業、渡部和人さん(47)の加工場で、かんなをかけて仕上げ幅9ミリ、厚さ6ミリに整えた。
 イベントは山口県長門市が持つ記録更新を狙い、会津地鶏80羽分のムネ肉約40キロを使用。2・5センチ角に切って串の両側から刺し、会津産の炭で焼き上げ、北塩原村の名物「山塩」で味付けする。午前11時半に開始し、長門市の松林正俊市長らも結果を見届ける。関沢委員長は「焼き手とスタッフがこの1本に集中し、必ず成功させたい」と話していた。【太田穣】


神奈川
海老名の近代のひもといて/文化会館で特別展
 特別展「海老名に近代がやってきた-明治前期の海老名-」が二十日まで、海老名市上郷の海老名市文化会館一階の郷土資料展示コーナーで開かれている。入場無料。
 市史の近代編が近く刊行されることに合わせた市教育委員会の企画で、市内で集められた資料を中心に、明治維新や近代化が社会に与えた影響や混乱、その時代の人々の生活が紹介されている。


山梨
幕末から戦後の教科書50点展示
北杜市須玉歴史資料館が企画展

 幕末から第2次世界大戦後までに使われていた教科書約50点を集めた企画展「教科書から見る近代日本の教育」が、北杜市須玉歴史資料館で開かれている。戦前、戦中、戦後の時代別に展示し、使用された教科書が違うことが分かる。


愛知
幻の名古屋城障壁画を公開 藩主の趣味?珍しい楽器図
 歴代尾張藩主の居館だった、名古屋城二の丸御殿を飾っていた障壁画4枚が見つかり、徳川美術館(名古屋市)で10日、報道陣に公開された。
 今回発見されたのは「楽器の間」に置かれていたついたてに楽器を描いた2枚と「紅葉の間」の紅葉を描いた2枚。17世紀の狩野派の作品とみられる。
 このうち「楽器図」は、中国や朝鮮から伝わったとみられる古楽器が10数種類描かれており、同種の障壁画は国内では他に例がないという。美術館では儒教に造詣が深かった初代藩主徳川義直の影響もあったとみている。
 二の丸御殿は明治維新後、1871年までに解体。その後、障壁画類は行方不明とされてきたが、今年2月に美術館が収蔵品を再調査したところ、記録と符合することからこの障壁画が二の丸御殿のものと判明した。一般公開は12日から。


奈良
16世紀末の石組み溝や門跡出土 奈良・高取城跡
 日本3大山城の一つ、高取城跡(奈良県高取町高取)の二の丸にある「壺(つぼ)坂(さか)口中門」跡から、豊臣家の家臣、本多氏が本格的に築城した16世紀末の石組みの排水溝や門の跡が見つかり、町教委が10日発表した。排水溝が見つかったのは同城跡では初めて。中門は、2枚の扉が内側に「ハの字」状に開く構造で、出陣の際に大勢の武士が外に出やすいように工夫されており、山城特有の急斜面での雨水対策とともに、有事に備えた堅固な城郭構造を伝えていた。
 高取城は、豊臣秀吉の弟・秀長の命を受けた本多太郎左衛門が天正13(1585)年、標高584メートルの高取山頂で本丸や二の丸などを本格的に修築。関ケ原の合戦(1600年)で豊臣方が敗れると、徳川譜代大名の植村氏が当主となり、明治維新の廃藩置県によって城郭は撤去され、現在は壮大な石垣だけが残っている。


山口
維新140年 長州砲古里へ
 明治維新から140年を経た今年、幕末に長州藩が製造した大砲「長州砲」一門が英国から萩市に里帰りする。長州藩が欧米の列強に大敗し近代化へかじを切る契機となった下関戦争(1864年)で戦利品として持ち去られていた。6月から来年2月まで、萩博物館(萩市)のロビーで展示する。
 この長州砲は青銅製で、長さ185.9センチ、口径8.8センチ、重さ約1トン。藩命で大砲を量産した鋳物師(いもじ)・郡司喜平治が1844年、藩指定の郡司鋳造所で日本伝統のたたら技術を使って造った。
 長州藩が1860年代前半、欧米列強の攻撃に備えて関門海峡を望む下関砲台に据えた約100門のうちの一門。下関戦争に参戦した英国、フランス、オランダ、米国のうち英国軍が接収し、現在はロンドン郊外の王立大砲博物館で展示されている。
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