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新選組・土方歳三を中心に取り上げるブログ。2004年大河ドラマ『新選組!』・2006正月時代劇『新選組!! 土方歳三最期の一日』……脚本家・制作演出スタッフ・俳優陣の愛がこもった作品を今でも愛し続けています。幕末関係のニュースと歴史紀行(土方さんに加えて第36代江川太郎左衛門英龍、またの名を坦庵公も好き)、たまにグルメねた。今いちばん好きな言葉は「碧血丹心」です。
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 昨日は昼間そこそこ暖かかったのですが、夜から雨が降り始め、今朝はヒンヤリ涼しく雨模様です。
 今日のニュースの中では、坂本龍馬はやっぱり「いろは丸」事件でふっかけていた(苦笑)という記事が幕末ファンには気になるところでしょうか。

北海道
春の海上 変幻自在 「高島おばけ」今年も観測 小樽沖
 春から夏にかけ小樽沖で観測される蜃気楼(しんきろう)、通称「高島おばけ」が、今年も観測された。
(中略)
 同博物館によると、「高島おばけ」は幕末の一八四六年、すでに松浦武四郎が記録している。


東京
人模様:新選組研究の一大拠点に--藤井和夫さん
 副長、土方歳三の出身地で新選組とゆかりの深い東京都日野市の市立新選組のふるさと歴史館で特別展「新選組 戊辰(ぼしん)戦争のなかで」が好評開催中だ。歴史館文化財担当の藤井和夫さん(58)は「テレビや時代小説などで伝えられる新選組は虚像の部分が大きい。資料や歴史研究に基づく実像を描き、きちんと新選組を評価していくことが地元としての責務です」。
 歴史館は05年12月にオープン。これまでに「新選組誕生」「新選組 京都の日々」と2回の特別展を開催した。3回目の「新選組 戊辰戦争のなかで」は鳥羽・伏見の戦いから会津、箱館戦争までを約200点の資料で紹介している。隊長、近藤勇が処刑される前に使った偽名「大久保大和」と書かれた封紙なども展示した。将来、常設展示を始める予定で、藤井さんは「資料や情報収集を積極的に行い、新選組や幕末史研究の一大拠点を目指したい」。特別展は5月18日まで。問い合わせは歴史館(042・583・5100)まで。【江森敬治】

 ふるさと歴史館で常設展ができるようになったらいいなぁと思います。年に1回の特別展だけでは寂しいですから(汗)。

長野
「桜の三大名所」長野・高遠桜のピンクは「武田家滅亡の血の色」
 「桜の三大名所」の一つとして知られる高遠城址公園(長野県伊那市高遠町)の桜はタカトオコヒガンザクラと呼ばれ、エドヒガンザクラとマメザクラの交配種。花の形はやや小ぶりで、赤みを帯び、手が届く位置にも咲くのが特徴だ。
(中略)
 時は流れて明治維新。廃藩置県で高遠城は取り壊された。城址は民間に払い下げられ、荒れるにまかされていた。見るに見かねた旧高遠藩士の有志が明治8(1875)年ごろから、城から西へ数キロ離れ現在、高遠小学校のある場所にあった馬の調練場「桜の馬場」にあった桜を移植した。現在もその時に移植された樹齢100年以上の老木20本が、その後に植えられた1500本の桜と並んでピンク色の花をつける。


福井
桜吹雪の中時代行列 ふくい春まつり
 第23回ふくい春まつり(実行委員会主催)のメーンイベント「越前時代行列」が12日、福井市内で行われた。約1200人が参加。戦国武将柴田勝家役をドラマや映画で活躍する俳優、筧利夫さん(45)が、勝家の妻お市の方役を同市キャンペーンレディーの藤川貴子さん(25)が務め、福井の歴史をたどる時代絵巻を繰り広げた。
 福井城跡で行われた出陣式では、筧さんが「妻のお市とともに、今後の福井の発展のために、盛り上がっていこう」とあいさつ。散り出した桜の花びらが舞う中、号砲とともに行列が始まった。戦国武将朝倉義景、幕末に活躍した福井藩主松平春嶽ら、福井を代表する歴史上の人物にふんした人たちが勇壮な武者姿を披露し、足羽川までのコース約1.5キロを練り歩いた。


ようこそ“殿さま”越前市へ 福井藩主の子孫・松平さん親子が訪問
 福井藩主だった越前松平家の20代当主松平宗紀(むねとし)さん(68)と長男照康さん(42)=東京都千代田区=が11日、越前市入りした。2人は花筐(かきょう)小学校の元保護者らでつくる筐友(きょうゆう)会メンバーらと同校近くの休憩所で歓談し、花筐公園の満開の桜を楽しんだ。
(中略)
 徳川家一族の御三卿の一つ、田安家の出身で松平家に養子に入った。幕末維新期の名君、16代藩主慶永(よしなが)と同じ道をたどっており「正月の膳(ぜん)のわんの配置が田安家と松平家はミカンの位置まで同じ」と話した。





奈良
戦国時代の排水溝?-「壷阪口中門」も判明【高取城跡】
 高取城跡(高取町高取)の壷阪口中門跡から、安土桃山時代(16世紀後半)とみられる暗渠(きょ)の石組み溝が見つかり、高取町教育委員会が10日、発表した。排水溝とみられ、豊臣秀長の家臣・本多氏による本格的な築造時に石垣とともに整備されたと考えられる。また、壷阪口中門の規模や構造も判明。明治維新後、二ノ門を移築した子嶋寺表門(同町観覚寺)と同じ構造で、二回りほど小さいことが分かった。


岡山
備中松山城:二重櫓の内部初公開 あすのお城まつりで--高梁 /岡山
 ◇天守の破風板なども

備中松山城:二重櫓の内部初公開 あすのお城まつりで--高梁 /岡山
 高梁市の国重文指定「備中松山城天守」の北側にあり、同様に国重文指定の「二重櫓(やぐら)」に収蔵されていた歴代城主の家紋入り瓦や天守の破風板などの史料が一般公開に向けて整備され、11日、市文化財保護委員らへ報告された。【山本麻美子】
 13日に開かれる「第3回たかはしお城まつり」で、当日に限り一般公開される予定で、明治維新以降、初めて櫓の内部を公開する。


広島
いろは丸事件、積み荷の銃は龍馬のはったり?
 広島県福山市の鞆の浦沖で幕末に、衝突事故により沈没した坂本龍馬率いる海援隊の商船「いろは丸」(160トン)とみられる船体の第4次調査で、海中から引き揚げられた遺物が11日、保存処理作業にあたっていた京都市埋蔵文化財研究所から福山市教委に返還された。これまでの調査では、積み荷とされた銃の部品などは見つかっておらず「交渉を有利にするための龍馬のはったり」との見方も出ている。
 平成17年に行われた第4次調査では、船体後部から遺物を収集しており、船体前部で収集を行った昭和63~平成元年にかけての3回にわたる調査の結果とあわせて全体の遺物をほぼ網羅したことになる。
 今回、返還されたのは約220点で、ドアノブなどの内装品や船具、積み荷の水銀朱を入れた木箱、刀の柄などに用いられた鮫皮(エイの皮)を保管するための台座などのほか、履き込まれた革靴の靴底などが含まれている。
 紀州藩の軍艦「明光丸」(887トン)と衝突、沈没したいろは丸をめぐっては、龍馬が船体のほか、積み荷の最新式銃などの補償をめぐって紀州藩と交渉。巨額の賠償金の獲得に成功しているが、これまでの調査では銃の部品はまったく見つかっていない。
 このため、調査にあたった水中考古学研究所の吉崎伸理事(水中考古学)は「積み荷に銃があったとしたのは、補償交渉を有利に運ぶための龍馬のはったりだったのでは」と話している。

 「履き込まれた革靴の靴底」って、これ龍馬が履いてた靴ですか(笑)?
 それはともかく「積み荷とされた銃の部品などは見つかっておらず『交渉を有利にするための龍馬のはったり』との見方」って、やっぱり、そうなんですか(苦笑)。
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