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新選組・土方歳三を中心に取り上げるブログ。2004年大河ドラマ『新選組!』・2006正月時代劇『新選組!! 土方歳三最期の一日』……脚本家・制作演出スタッフ・俳優陣の愛がこもった作品を今でも愛し続けています。幕末関係のニュースと歴史紀行(土方さんに加えて第36代江川太郎左衛門英龍、またの名を坦庵公も好き)、たまにグルメねた。今いちばん好きな言葉は「碧血丹心」です。
 今日の『プチかげ』、またもワンセグ録画に失敗して凹みましたorz。
 『陽炎の辻3』、先行放送で見ました。俳優陣もスタッフ陣も集大成にしようと意欲的に取り組んでいることがつたわる第1回で、磐音様の魅力を堪能しました!
 明日はガイドブック発売日ですね、楽しみです。

山形
海向寺:江戸期の安産天井画、寄進者の思い“復元”--酒田 /山形
海向寺:江戸期の安産天井画、寄進者の思い“復元”--酒田 /山形
 酒田市日吉町2の海向寺本堂横に建つ「粟嶋水月観音堂」の天井画が16日、修復された。天井画は江戸時代の天保13(1842)年ごろに安産や婦人病快癒の願いを込めて参拝者たちが寄進した。当時の人の思いが詰まりながらも長年に渡って傷みをそのままにしてきただけに、復元されて関係者らはほっとしている。
 寺から依頼された東北芸術工科大の半田正博教授と学生らが担当した。天井画は1枚の大きさが40・5センチ四方。それぞれに鶏やエビ、キジ、ウグイス、ツバキ、菊といった縁起物を幕末の町絵師、五十嵐雲嶺が描いている。全部で36枚ありうち1枚は何が描かれてあるか不明。裏には寄進者名などが記されている。製作から約150年経過し、はく離や割れが目立ち、特に虫損が激しかった。
 絵画修復に造詣が深い半田教授は加色することなく復元。「100年から150年はもつ。学生たちもいい勉強になった」。依頼した伊藤隆文住職は「天井画にはおわびの気持ちでいっぱいだった。ほっとした」と話した。天井画は16日に設置を完了。17日には全体の色彩バランスを考えた最終的な色合わせを行う予定。
 「観音堂」は、天保13年に鉄門海上人の弟子清海が建立。堂には上人が新潟県・粟島の脇川家で安産を祈願し成就の礼にもらった霊石が安置されている。霊石は秘石で人目に触れることはなく、霊石の代わりに木彫りの観世音菩薩を参拝する風習は今も続いている。鉄門海上人は即身仏となり鶴岡市の注連寺に安置されている。【佐藤伸】


県内「産業遺産」に認定証 近代化支えた建造物などに光
 吉村美栄子知事(右)から認定証を手渡される各近代化産業遺産の所有者たち=県庁  今年2月に経済産業省から「近代化産業遺産」に認定された県内26カ所の建造物などの所有団体の代表らに16日、吉村美栄子知事から認定証が伝達された。
 経産省は、幕末から昭和初期にかけて国内産業の近代化を支えた建造物・機械など産業遺産の持つ価値にあらためて光を当て、地域の活性化に役立たせようと、2007年度にこの制度をスタートさせた。
 「山岳・海峡を克服し全国鉄道網形成に貢献したトンネル建設などの歩みを物語る近代化産業遺産群」、「東北地方の産業振興の基礎を築いた水資源・交通・都市基盤整備の歩みを物語る近代化産業遺産群」など33のストーリーを設定。初年度は全国575カ所を、08年度は540カ所を認定した。本県からは08年度に旧県庁舎および県会議事堂(山形市)やJR奥羽本線板谷峠のスイッチバック(米沢市)、山居倉庫(酒田市)など26カ所が認定された。
 この日、県庁で行われた認定証授与式には、26遺産のうち国、県関係の施設を除く21カ所の所有団体の代表者らが出席。吉村知事が一人一人に認定証を手渡し「これまで大切に守られてきたこれらの遺産を最大限活用し、地域活性化につなげていってほしい」とあいさつした。

 認定された県内の26カ所は次の通り。
 ◇山岳などを克服し鉄道網形成に貢献したトンネル建設等=奥羽本線板谷峠のスイッチバック・大沢、峠、板谷各駅の遺構(米沢市)
 ◇全国に遍(あまね)く人と物を運び産業近代化に貢献した鉄道施設=JR新庄駅の関連遺産・レンガ造機関庫、転車台(新庄市)
 ◇山間地の産業振興と生活を支えた森林鉄道=真室川森林鉄道の関連遺産・戦前の機関車(真室川町)
 ◇大量輸送を支えるため近代化、国産技術化が急がれた鉄橋・鋼橋=山形鉄道最上川橋梁(白鷹町)▽JR左沢線最上川橋梁(寒河江市、中山町)
 ◇質量とも豊富な人材を供給し国の産業近代化を支えた技術者教育=山形大工学部関連遺産・旧米沢高等工業学校本館(米沢市)
 ◇東北地方の産業振興の基礎を築いた水資源、交通、都市基盤整備=松ケ岡開墾場・松ケ岡開墾場の蚕室建築物と松ケ岡開墾記念館の所蔵物(鶴岡市)▽三島通庸の道路関連遺産・関山隧道(すいどう)(東根市)栗子隧道(米沢市)片洞門(小国町)堅磐(かきわ)橋(上山市)中山橋(同)新橋(同)覗橋(同)吉田橋(南陽市)▽山形県の擬洋風建築等・文翔館(山形市)旧山形師範学校本館(同)旧済生館本館(同)山形一小校舎(同)旧東村山郡役所(天童市)旧西村山郡役所と郡会議事堂(寒河江市)旧米沢高等工業学校本館(米沢市)旧西田川郡役所(鶴岡市)旧鶴岡警察署庁舎(同)山居倉庫(酒田市)




福島
戦国武将を観光地図に 「郷土史親しんで」 福島
 リンク先は河北新報社サイト(閲覧に会員登録が必要・無料)です。
 伊達と上杉の戦いの跡をたどりながら、福島市を案内する観光地図「旅するふくしま 戦国まち歩き」が出来上がった。伊達政宗らをゲームキャラクター風のイラストで登場させ、戦国ムードたっぷり。花見山や飯坂温泉に置いて観光客に利用してもらうほか、米沢市や白石市でも配布する予定だ。
 福島市飯坂町の若手経営者らでつくる「飯坂夢維新塾」と福島商工会議所青年部が、若者らに郷土の歴史を楽しく知ってもらおうと企画。イラストは女性イラストレーター、也(なり)さんが手掛けた。
 現在の福島市中心部では関ケ原の戦い(1600年)の直後、伊達、上杉の両軍が激突した「松川の戦い」が起きたとされる。戦いを繰り広げた伊達政宗と上杉家の重臣本庄繁長らが描かれ、ゆかりの城跡や寺社など約20カ所が写真と説明付きで紹介されている。
 ネズミを追うしぐさが猫に似ていたことから「猫御前」と呼ばれた政宗の側室「飯坂の局(つぼね)」もイラストで描かれている。
 商議所青年部は「戦国時代の人物に絞って紹介しているので、歴史的な背景も分かりやすいと思う。自慢できる郷土史が身近にあることを、多くの若者に知ってほしい」と言う。地図は、青年部のホームページからもダウンロードできるよう準備を進めている。

 「維新塾」という組織名でヒットしてました(汗)。普通は紹介しなかったりするのですが、アニメ『戦国BASARA』で中井和哉さんが声を当てている伊達政宗公に敬意を表して(苦笑)ご紹介します←アニメ『銀魂』で土方十四郎の声にツボを刺激されて以来、中井さんの声フェチ^_^;。

茨城
寄贈:永井路子さん、茨城大に家伝の古文書 「変革求めた幕末庶民」 /茨城
寄贈:永井路子さん、茨城大に家伝の古文書 「変革求めた幕末庶民」 /茨城
 古河市で幼少時代を過ごした直木賞作家の永井路子さん(84)が、茨城大学(水戸市文京)を訪れ、永井家に伝わる江戸時代の古文書を寄贈した。永井さんは「幕末の庶民が地域を越えてまとまり、時代の変革を求めていった様子がわかる」と話し、研究に役立つよう期待している。
 寄贈されたのは江戸時代後期に国学などの影響を受け、関東を中心に広がった富士山を信仰する山岳宗教「不二講」に関する書簡や書物、短冊など約100点。
 不二講は、努力の必要性を説く思想で、永井さんの祖先にあたる商人の初代・八郎治が、六代目教祖の弟子だった。八郎治は古河のリーダーとして地域で学問や思想を教えていたと伝えられ、当時の史料が永井家で代々保管されてきた。史料からは、地方商人の経済実態のほか、藩を越えた文化や学問の交流、庶民と朝廷との結びつきなどが忍ばれるという。
 同大では詳しい研究を進めると共に、同大図書館で学内外に公開していくという。【山内真弓】



神奈川
英国保養地と類似点
海水浴と別荘の大磯・ブライトンに関連性

 全国海水浴場発祥の地で政財界の要人や上流階級が別荘を構えた大磯にはそのモデルとなる外国の町があった-。英国南部に位置する同国有数の海浜保養地ブライトンと大磯に関連性があることが、大磯町郷土資料館臨時学芸員の曽根田貴子さんと山口由紀子さんの調査で分かった。調査では明治新政府が欧米に派遣した岩倉使節団の存在が、別荘地大磯が栄えていく要因のひとつになったのではないかとも考察している。
 世界で初めて海水浴場が開設されたブライトンの高校に通っていた山口さんは、同地と大磯を具体的に関連づけるものがあるのではないかと興味を抱き、1年半前、同僚の曽根田さんと調査を開始。大学や国会図書館、海水浴の専門家などを訪ねて文献を集めた。国内では入手できない資料もあり、ノルウェー国立図書館にも足を運び、資料のコピーを取ったという。
 ブライトンについて調べを進めると、海水浴場の発展の軌跡が大磯のそれと似通っていることを山口さんは発見。海水浴の効能を論文で発表したリチャード・ラッセル医師(1687~1759)は出身村に近いブライトンに1753年、医院と療養所を併設した邸宅を建設。ヨーロッパ中に海水浴ブームが起きる。1783年には英国皇太子がブライトンに滞在。離宮ロイヤル・パビリオンが建てられた。ブライトンの海水浴場は上流階級の社交の場として繁栄する。
 一方、大磯の海水浴場は初代軍医総監を務めた松本順の提唱で1885年に開かれた。旅館兼診療所の祷龍館ができ、横浜と国府津を結ぶ東海道線が開通。海水浴場は賑わいを極め、気候も穏やかな大磯に政財界の要人らがこぞって別荘を建てて住むようになった。
 また、幕末・明治期に関心が深い曽根田さんは、岩倉具視率いる岩倉使節団がブライトンに立ち寄っていたことに注目。随行員の久米邦武が編纂した『米欧回覧実記』にはブライトン視察の記述が残る。使節団のメンバーには伊藤博文や松本順の実弟・林董、神奈川県知事になった沖守固らがおり、彼らは後に大磯に別荘を建てていた。「岩倉使節団の欧米視察は海水浴だけでなく、近代日本における行楽文化や大磯の別荘建築の発展に少なからず影響を与えたのでは」と曽根田さんはみる。
 今も調査を続けている山口さんは「海水浴という一事例を通して、日本だけに限らず幅広い歴史のダイナミズムが感じられてわくわくしました」と話していた。
 二人による調査報告「大磯とブライトン」は、大磯町郷土資料館だより29号に掲載。同資料館ホームページからも閲覧できる。

 「大磯」「海水浴」ときたら「松本良順(維新後に改名して松本順)」。良順先生の実弟でチーム箱館に参加した林董さんも登場♪

三重
<三重県中部地震>崩落した亀山城石垣、土塁で復元へ 幕末期の状態に
 三重県亀山市は今夏にも、07年4月の三重県中部地震で崩れた亀山城多門櫓(やぐら)の石垣があった部分の修復に着手する。地震後の調査で、幕末には土塁だったことが分かり、市は文化財としての価値を高めるため幕末期の状態に復元することを決めた。
 地震で同市は震度5強を記録。亀山城では櫓の北西隅の石垣が高さ4・5メートル、幅2メートルにわたって崩れた。市は2年をかけ、城郭建築や土質工学などの専門家らで構成する「亀山城跡保存整備指導委員会」と復元方法を検討するとともに、発掘や測量を行ってきた。
 その結果、幕末期までは土塁だった部分が、明治維新後に取り壊されたことが判明した。跡地は石などで土留めされていたが、1971年の台風で崩落し、その後の修復で積んだ石垣が07年の地震で再崩落した。
 復元は09年度末までに完了させる計画。周辺では東海道・亀山宿一帯の街並み整備を進めており、土塁に戻すことで一帯の歴史的文化財を生かしたまちづくりにつながるとしている。
 亀山城は1265年築城、中世の亀山に勢力を誇った関氏の居城として16世紀中ごろまでに現在の場所に移ったとされる。1873年の廃城令で城内の建造物は大部分が取り壊された。多門櫓は三重県内唯一の城郭建築遺構として1953年、県史跡に指定された。【高木香奈】


島根
十津川高(奈良)OBが植樹 儒学者・中沼の生家跡に
 隠岐の島町出身で、幕末から明治初期にかけて活躍した儒学者・中沼了三(一八一六-九六年)が奈良県十津川村に創立した文武館を前身とする県立十津川高校の同窓生が十六日、同町中村の中沼の生家跡を訪れ、ナギの苗木を記念植樹した。
 文武館は一八六四年、孝明天皇の命で侍講だった中沼によって創立。一九四八年に、学制改革で奈良県立十津川高校となった。中沼は、幕末に京都で塾を開き中岡慎太郎ら多くの志士を教え、明治維新後も明治天皇の侍講を務めた。
 来島した十津川高校・文武館同窓会のメンバー十七人は、地元顕彰会の案内で、十五日から三日間の日程で中沼ゆかりの地などを見学。記念植樹は、生家跡の顕彰碑横であり、近くに中沼家のナギの木が現存するのにちなみ、十津川と同じ水系付近に位置する熊野速玉大社(和歌山県)境内にあるナギの実から育てた苗木を植えた。
 同窓会の勝山欣哉会長(75)は「山深い十津川村で高校教育が受けられるのは、中沼先生のおかげ。隠岐と十津川のきずなを一層強いものにしていきたい」と話した。


OB、隠岐訪れて記念植樹
奈良・十津川高設立者・中沼了三

 奈良県立十津川高の同窓会に所属する50~70歳代の17人が、同高の設立者で、儒学者の中沼了三(1816~96)の出身地、隠岐の島町を訪れ、16日、同町の中沼了三記念公園に記念植樹した。
 中沼了三は同町中村出身で、1864年に勅命で同高の前身「文武館」を奈良県十津川村に設立した。
 記念公園では、植樹に先立ち、勝山欣哉・同窓会長(75)が「昨年秋、初めて(隠岐に)来たが、ほっとした気分になり、しみじみと安心できたのは、文武館を開いてくださった了三先生のお陰」とあいさつ。和歌山県新宮市の熊野速玉大社のご神木で、樹齢約1000年のナギの実から育てた苗木(高さ約1メートル)を顕彰碑の横に植え、参加者全員で土をかけた。
 参加した1950年卒の長尾喜八郎さん(77)は「初めて中沼先生の生誕の地を訪れ感動している」と話していた。


山口
海峡座:下関の演劇文化支える 結成55周年祝う式典 /山口
海峡座:下関の演劇文化支える 結成55周年祝う式典 /山口
 1953年7月に結成、下関市を拠点に活動している劇団「海峡座」が、昨年結成55周年を迎えた。これを祝ってこのほど、同市竹崎町のシーモールパレスで記念式典があった。
 主に下関を舞台に、幕末の志士、高杉晋作や戦時中の下関空襲などを描いたオリジナル劇を上演。70年代には劇団員約30人が所属、東京や韓国でも公演した。現在はサラリーマンや主婦、学生ら団員9人。市のイベントなどでも公演し、これまでの公演は約400回を数える。
 11日開かれた式には中尾友昭市長や安倍晋三元首相の妻昭恵さんら約130人が出席。直木賞作家、古川薫さん(83)=下関市在住=が「いまだ戦い続けている海峡の『残党』たちに敬意を表したい」と祝辞。さらに「『海峡がなくなった』といわれる中、いつまでも海峡のともしびを燃やし続けて」と励ました。また泉鏡花賞作家、赤江瀑(ばく)さん(75)=同=も「充実したせりふ劇を作ってほしい」と祝電を送った。
 発足時から劇団代表を務める武部忠夫さん(74)は「演劇は瞬間芸術だと思っていましたが、『創立公演を覚えている』という人もおられます。誰かの胸に残るものを作れたのであれば、うれしい限りです」と、半世紀以上もの演劇人生を振り返っていた。【尾垣和幸】


大筒射撃会:櫟木流砲術の伝統継承--下関・長府 /山口
 長府毛利藩の砲術を継承する「長府藩櫟木(いちき)流砲術保存会」(大浜博之会長)がこのほど、下関市長府宮崎町の豊功(とよこと)神社で大筒の射撃会を開いた。
 保存会によると、櫟木流砲術は江戸時代、長府藩の「抱え大筒隊」として誕生。幕末、倒幕戦争で使われた。
 同市一の宮住吉の住吉神社に残っていた古文書を参考に、砲術の作法や火薬の調合法を現代によみがえらせ、00年に保存会が結成された。年数回、射撃会(空砲)が開かれている。
 保存会は四十数丁を保存しているが、11日に行われた射撃会では4丁が登場。他県にも大筒は残るが、櫟木流砲術保存会が所有する大筒(口径25~48ミリ)は全国的にも貴重という。大筒の復興にかかわってきた会員の小川忠文さん(69)は「現代の銃器にはない歴史の重みを感じます」。
 硝煙が上がり、砲音が関門海峡に響き渡ると、見学した市立生野小3年、林凌雅君(10)は「いつか撃ってみたい」と興味津々だった。【尾垣和幸】




佐賀
世界遺産目指し三重津海軍所跡発掘始まる
 幕末佐賀藩の近代化史跡の世界遺産入りを目指す佐賀市は16日、同市川副町と諸富町にかかる三重津海軍所跡のうち、未調査部分の発掘に着手した。発掘により海軍所があった場所を実証、史跡登録とその先にある世界遺産につなげる。
 三重津海軍所は1858年、佐賀藩の軍港として建設。当時最新の西洋式造船・修繕施設や教育・訓練施設などを備えており、初の本格的国産蒸気船「凌風丸」も建造された。71年まであったとされるが、その後旧佐賀県立商船工業学校敷地や民家・農地を経て、現在は空き地となっている。
 川副町側は、佐野常民記念館(同町早津江津)と歴史公園を作る際に発掘調査をしたが、諸富町側(同町為重)は未確認だった。資料などから、兵学校校舎や倉庫などがあったと推測される。
 初日は重機を使って数本の溝を掘り、遺構の深さを確認。掘り始めると深さ約20センチの層から人工的な穴の跡や木片、陶磁器片などが見つかった。確認作業は17日も続けられ、20日には遺構の計測や出土品の調査など、本格的な発掘を始める。

【写真】重機で掘った溝の中で遺構の確認をする佐賀市と県の職員=佐賀市諸富町為重




長崎
【動画】「長崎さるくガイド」研修スタート 先輩の案内で心構えなど学ぶ
【動画】「長崎さるくガイド」研修スタート 先輩の案内で心構えなど学ぶ
【動画】「長崎さるくガイド」研修スタート 先輩の案内で心構えなど学ぶ
 長崎のまちを歩いて楽しむまち歩き観光「長崎さるく」で、ボランティアで観光客を案内する「長崎さるくガイド」の一回目の研修が十六日、長崎市出島町の長崎タクシー会館であった。
 現在、ボランティアガイドの数は約四百人。「長崎さるく幕末編」のスタートや、修学旅行などガイドの需要が多くなる時期を前に、本年度のガイドを新規募集、十九歳から七十一歳までの男女三十七人が集まった。
 この日の研修開会式には、三十人が出席。長崎国際観光コンベンション協会の大竹愛昭事務局長は「長崎の顔として、おもてなしの心で観光客を迎えてほしい」とあいさつした。
 研修に参加した同市矢上町の本田美恵子さん(56)は「観光客のニーズに応え、きめ細かい対応をしていきたい」と抱負を語った。
 研修生たちは今後、計十回の研修で、先輩ガイドの案内を受けながら実際のコースを歩いたり、ガイドとしての心構えなどを学んでいく。七月ごろからグラバー園などの常駐ガイドとして経験を重ね、実際にまち歩きをしながら観光客をガイドしていく「通さるく」などを中心に活躍する。


鹿児島
歴史感じる散歩道 鹿児島市
 鹿児島市は大久保利通や西郷隆盛が育った加治屋町に、江戸後期の武家屋敷を再現した建物や薩摩藩の教育基本書「島津日新公いろは歌」を紹介する石柱を配した「維新ふるさとの道」を開設、このほど一部完成した。今年度中に完成の見込み。







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