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新選組・土方歳三を中心に取り上げるブログ。2004年大河ドラマ『新選組!』・2006正月時代劇『新選組!! 土方歳三最期の一日』……脚本家・制作演出スタッフ・俳優陣の愛がこもった作品を今でも愛し続けています。幕末関係のニュースと歴史紀行(土方さんに加えて第36代江川太郎左衛門英龍、またの名を坦庵公も好き)、たまにグルメねた。今いちばん好きな言葉は「碧血丹心」です。
 予報によれば、明日は25度を超える夏日となるところが多く、一日おいて火曜日は雨、水曜日は寒めと、春らしく天候が不安定な一週間のようです。

青森
弘前城往時の間取り判明
新史料発見
 弘前城内外の江戸後期の間取りが記載された史料が見つかり、弘前市が17日に発表した。なかには、幕末までに取り壊された建物の図面もあり、市は「弘前城の整備計画を策定するのに貴重な史料」と話している。
 見つかったのは「古御郭中(おんくるわちゅう)御郭外図式」。津軽藩主に仕えていた近習(きんじゅう)小姓が1838年(天保9年)に編集したとされる。三の丸の御屋敷や学問所など城内15件、八幡宮や長勝寺など城外5件の平面図が掲載されていた。
 それぞれの図面には、藩主がその部屋や建物を利用する時の小姓の人員配置も記され、小姓向けの執務マニュアルにあたる。このため、かなり正確な図面とみられ、武士の暮らしぶりの一端も分かる。史料は、弘前市の浅利千秋さん(73)が自宅で発見し、昨年10月頃、連絡を受けた市教委文化財保護課が調査を進めていた。
 このほか、本丸御殿の一部だった「西湖之間」などの平面図2枚や、1300分の1の弘前城の地図なども見つかった。


弘前城の間取り図など貴重な資料発見
 弘前市は17日、江戸時代後期から明治期にかけての弘前城に関する資料を公開した。市は2011年の弘前城築城400年に合わせて市民に情報提供を呼び掛けており、今回の資料は市内の民家から発見された。資料の中でも藩主が城内外の建物を訪れる際の人員や調度品の配置などを記した「古(こ)御(おん)郭(くるわ)中(ちゅう)御(おん)郭(くるわ)外(がい)図(ず)式(しき)」は、一般に知られる同種の資料よりも年代が古く、現存しない城内の建物の間取り図を多数記載するなど、資料的な価値が高い。市は、現在策定作業中の弘前城整備計画の参考資料として活用する。
 資料は、弘前藩に広く普及した剣術「當(と)田(だ)流」の師範を務めた浅利家の子孫で市内在住の浅利千秋さん(73)が自宅で発見した。
 「古御郭中御郭外図式」は江戸時代後期の天保9年(1838年)11月改定の日付を記載。城内の建物15カ所と長勝寺や弘前八幡宮など城外の寺社五カ所の間取り図が記され、藩主が視察などで訪れた際に、藩主が座る場所と家臣の位置や火鉢、手明かりといった調度品の配置場所などを記載している。
 巻末には近習小姓格の武士ら5人の名前が記されており、こうした秘書役の家臣が“マニュアル本”として活用したとみられる。
 城内の建物は北の郭の館神や三の丸の学問所、新馬場などで、現在はすべて失われている。
 また同種の“マニュアル本”は市立弘前図書館に幕末期のものが所蔵されており、こうした資料との比較で藩政時代のマニュアルの変遷なども知ることができる。
 資料は、ほかに絵図3点などがある「変(へん)事(じ)御(ご)住(じゅう)居(きょ)之(の)図(ず)」と「西(さい)湖(こ)之(の)間(ま)早(はや)道(みち)御(おん)逢(あう)之(の)筋(せつ)之(の)図(ず)」は、幕末から明治期のものと推定。2点とも本丸御殿を構成する建物の間取り図で、「西湖之間」は早道(隠密)と藩主が対面する際の図と考えられる。
 また明治30年代作成と推定される弘前城の地図(1300分の1)もあり、明治の城の活用状況が分かる。
 市文化財保護課の小石川透主事は「藩主の近くで働いた家臣が仕事に使ったと考えられるため、間取りなども非常に正確な記載だと思う。現存しない建物も多く、弘前城整備計画の策定に当たり参考になる」と話した。


茨城
平成七面焼:幕末の名器、復活 水戸の新たなブランドに /茨城
平成七面焼:幕末の名器、復活 水戸の新たなブランドに /茨城
◇陶芸家の伊藤さん、釉薬などを工夫し
 幕末の水戸藩で作られ、明治期に途絶えた焼き物「七面焼」が、水戸市の協力を得て山形県在住の陶芸家、伊藤瓢堂さん(57)の手で「平成七面焼」としてよみがえった。水戸京成百貨店(水戸市泉町)で始まった展示会で、水戸市観光振興課職員らが見守る中、水戸の新たな特産品として正式に披露された。展示は22日まで。【山内真弓】


水戸の梅まつり:偕楽園駅の利用、前年比88.2% /茨城
 JR東日本水戸支社は17日、偕楽園で開かれた「水戸の梅まつり」(2月20日~3月31日)に合わせて開設した「偕楽園駅」の今年の利用者数が前年比88・2%の約3万4000人だった、と発表した。同社は梅の開花が早かったのが影響したとみている。
 臨時駅は、期間中の土日、祝日の計11日間開設。初日から3月7日までの利用者数は前年比の143%と好調だったが、後半に客足が落ち、昨年よりも2日間多く開設したにもかかわらず前年実績を下回った。【杣谷健太】


栃木
【憩いの名園】
千年の歴史 復元に市民の力 宇都宮城址公園(宇都宮市)

 ぐるり一周、ゆっくり歩いて三十分。満開を迎えた桜の木々が、あたり一面をピンク一色に染めている。市役所の真横にあり、高層マンションや住宅に囲まれた約三・七ヘクタールの広々とした空間は、街中の喧騒(けんそう)を忘れさせてくれる。
 元は噴水や砂場のある公園だったが、宇都宮城本丸跡を有効活用しようという機運が住民の間で高まり、市が発掘調査を重ね、二〇〇七年三月に開園した。
 城の歴史は一千年前にさかのぼる。平安時代後期、二荒山神社の社務職となった宇都宮氏の祖・藤原宗円が館を築いたのが始まりという説が一般的だ。それから約五百年後、宇都宮氏は豊臣秀吉により滅ぼされた。江戸時代は譜代大名の居城となり、日光参拝の際の将軍の宿泊所としても使用された。本丸の御成御殿は将軍専用の部屋だ。城主・本多正純が、からくり仕掛けの天井を作って将軍を暗殺しようとした伝説「釣り天井事件」の舞台もこことされる。一八六八年の戊辰戦争で城の大半が焼失した。
 現在は、高さ十メートルの土塁が公園の半分を囲み、土壁に白しっくいが塗られた「富士見櫓(やぐら)」「清明台」がその上に建つ。外側には堀が広がる。市の発掘調査で、位置、姿形は、当時を忠実に復元されている。広場では子どもたちがキャッチボールに興じ、園内を囲む歩道は格好の散歩道。百三十本の桜の木は「咲く時期がずれるように品種を四つに分けた。三月上旬から約二カ月間、花が途切れない。春が一番素晴らしい」と、同市公園緑地課の担当者は話す。
 この公園が生まれたのは市民のおかげでもある。市に城復元を提案した地元商工会議所が中心となり「『よみがえれ!宇都宮城』市民の会」を結成し、復元費用のために約八千百万円の募金を集めた。将軍の日光参拝を模した時代行列が人気の「城址(じょうし)まつり」も会が中心となって運営する。会員は発足当初の約十倍の千百人に増えた。藤井清会長(82)は「宇都宮が千年の歴史を誇るまちであることを多くの人に知ってほしい」と来園を呼びかける。
 実は、肝心の御成御殿や城門それ自体の姿はない。本来の城の敷地に住宅や道路が入り込み、当時のままの姿を取り戻すのが難しいからだ。「千年のまちを復活させるには、腰を据えてやらないと」(藤井さん)。誕生したばかりの市のシンボルは、市民の手で温かく育てられている。 (宇田薫)

ボランティアが解説
 公園内にある「宇都宮城ものしり館」には市民ボランティアが常駐し、約1時間かけて公園内の史跡を解説してくれる。無料。平日は午前9時半-午後3時半。休日は午前9時-午後4時。青いジャンパーが目印。
 JR宇都宮駅西口から市内循環バス「きぶな号」で「宇都宮城址公園入口」下車。東北道鹿沼インターチェンジから車で約20分。駐車場もある。問い合わせは市公園緑地課=(電)028(632)2786。

 宇都宮城のボランティア解説さんたち、とても親切だったのを思い出しました(^^)。ただ、1時間近く離してもらえなかったりすることもあったなぁ……(苦笑)。





三重
近代化産業遺産群に 松阪工高の赤壁校舎
技術者教育の歩みを象徴

 県立松阪工業高校(松阪市殿町)が現在も使用している資料館(通称・赤壁校舎)が、日本の科学・産業教育分野での歴史的な価値を評価され、経済産業省の「近代化産業遺産群 続33」に選ばれた。
 産業遺産群は、幕末から昭和初期にかけての近代日本の産業や製品・製造の発展に貢献した建物や装置・機械など33テーマに分類された中から、毎年、経産省が認定している。続33は追加認定されたもの。
 資料館は、今年2月に認定された。木造平屋建て、約240平方メートル。明治時代末の1902年、全国唯一の応用化学専攻の学校として開校した県立工業学校が前身。赤壁校舎は開校当時、化学実験で使う硫化水素による退色、変色を防ぐため、硫化水銀を校舎外壁に塗って朱色になっていることに由来。中は製図室として使われていた。
 産業遺産群に認定されたのは、ファクス電送技術の開発で文化勲章を受章した丹羽保次郎博士ら、科学や産業の発展を支えた多くの卒業生を輩出するなど、技術者教育の歩みを象徴する校舎ということに加え、こうした著名人の資料が多く残されているため。花本克則校長は「伝統的な建物だけに大切に保存していきたい」と話している。

 最近、「赤壁」を「あかかべ」でなく「せきへき」とか「レッドクリフ」とか読む人が増えている気がします←「レッドクリフ」はないって^_^;。

高知
“龍馬の和歌”詠み人違い?
 幕末の志士・坂本龍馬の作として、歴史書や龍馬ファンの間で紹介されている「藤の花」を詠んだ和歌が、同じ土佐出身の志士で天誅組を率いた吉村虎太郎が詠んだ可能性が強いことが分かった。高知市の歴史研究家で、専門学校学院長の永国淳哉さんが18日、同市で始まる第1回現代龍馬学会で発表する。
 「藤の花 今をさかりと咲きつれど 船いそがれて見返りもせず」という和歌。作家宮地佐一郎が編著した龍馬研究の集大成「坂本龍馬全集」などに収録されている。
 永国さんが原典をたどっていくと、和歌が書かれた現存する最も古い資料は、龍馬の姉の孫にあたる弘松宣枝著の「坂本龍馬」=1896年(明治29年)発行=で、虎太郎の和歌として紹介していることが判明。ところがその18年後に発行された土佐出身の政治家、千頭清臣著の「坂本龍馬」には、「龍馬の和歌として世に伝うるもの」として「藤の花」を挙げており、以降は龍馬作と定着していることがうかがえた。
 永国さんは「千頭が本を著した大正時代は龍馬ブームが起こった頃だったため、何もかもが龍馬の事績とされたのではないか。短冊などが出てくればはっきりするが、龍馬の歌と確信できる資料はどこにもない」と話している。
 弘松の本では、「藤の花」は1862年(文久2年)の「初夏二十三日」、淀川を京都に向かってさかのぼりながら詠んだと記されている。薩摩藩の粛正事件「寺田屋騒動」が起きた同年4月23日、虎太郎は大阪から京都に向かっており、永国さんは「虎太郎が急ぐ情景を詠んだと見て矛盾しない」としている。


福岡
津屋崎千軒町家まつり:幕末の風呂敷や木製冷蔵庫など公開--あすまで福津 /福岡
津屋崎千軒町家まつり:幕末の風呂敷や木製冷蔵庫など公開--あすまで福津 /福岡
 江戸時代~大正時代の町並みが姿をとどめる福津市津屋崎地区で18、19の両日午前10時~午後4時、「津屋崎千軒町家まつり」が開かれる。30軒の町家が、幕末の風呂敷や昭和初期の木製レジスターなどを公開する他、町家保存に関する講演会(無料)などもある。
 地区の有志でつくる「津屋崎地域郷づくり推進協議会」と国登録有形文化財「藍の家」保存会の主催。伝統的な町並みの活性化に向け、市民の機運を盛り上げようと企画した。
 津屋崎千軒は、江戸期以降、港町で栄えた津屋崎のにぎわいの様子を、千軒ほどの家が建ち並ぶ町だと表現した言葉。芦屋町の芦屋千軒、山口県下関市の関千軒と並び称された。
 公開されるのは、江戸末期の回船問屋唐津屋のひな人形、昭和初期の木製冷蔵庫、薬の看板や民具など。母屋の屋根の両端を1段高くして装飾と防火を兼ねた白壁の「卯建(うだつ)」や、しっくいの白壁に鏝(こて)で雲と竜、菊などを彫刻した鏝絵も鑑賞できる。
 18日午前11時半から市まちおこしセンターで、卯建の町家、麦屋惣平衛邸当主の麦野裕さんが「明治40年、塩木で建てた町家の移転保存」と題して講演する。両日とも午前11時から豊村酒造前でオカリナ演奏などもある。【中原剛】



佐賀
佐賀と世界遺産 コーナーを開設 県立図書館
 県立図書館(佐賀市城内2丁目)は、同館2階に佐賀の近代化産業遺産に関する本や世界遺産を紹介した本計約40冊を集めた「佐賀と世界遺産」コーナーを開設した。
 世界遺産登録の国内候補暫定リストに入っている「九州・山口の近代化産業遺産群」に、幕末佐賀藩の四史跡を追加しようと、機運を盛り上げるため企画した。「近代化の軌跡‐幕末佐賀藩の挑戦」「日赤の創始者佐野常民」「おもしろくてためになる世界遺産の雑学事典」などの本を準備。5月末以降は100冊以上に増やす予定で、同館は「世界に誇る古里の歴史を知るきっかけにしてほしい」と貸し出しを呼び掛けている。


「近代化の原点は佐賀」 毛利・大阪市立大名誉教授が講演 「藩史跡」の価値を力説
 明治維新史研究会(太田善郎会長)主催の特別講演会が12日、佐賀市城内1丁目の県職員互助会館であった。同研究会名誉会長で、「幕末維新と佐賀藩」の著書がある毛利敏彦・大阪市立大名誉教授が、佐賀市に残る近代化産業遺産の歴史的位置付けや価値について講演した。
 毛利さんは、世界遺産の国内暫定リスト入りした「九州・山口の近代化産業遺産群」への追加候補に挙がっている築地反射炉(同市長瀬町)などについて、「日本が欧米列強による植民地化から免れたのは、(佐賀藩が初めて製造した)国産の鉄製大砲があったから。日本近代化の原点は佐賀にある」と力説。要請があれば、リスト入りに向けた運動を学術面から支援することを明言した。
 また、県や市が昨年9月に文化審議会からの指摘を受けるまで、佐賀藩の史跡を世界遺産候補に推挙しなかったことを「初動捜査のミス」と指摘。佐賀の乱の指導者として処刑された江藤新平について触れ、「江藤新平が逆賊として処刑されて以来、佐賀の人は引っ込み思案になっている」とした上で、「佐賀の乱は不平士族の反乱とされているが、大久保利道が仕掛けたものだ」という自説を紹介し、「(佐賀が近代化に果たした功績に)自信を持って」と呼び掛けた。


長崎
長崎さるく:幕末編の観光推進委が発足 官民108団体が参加 /長崎
 長崎市のまち歩き観光キャンペーン「長崎さるく」が、長崎開港150年を記念して展開する「幕末編」を官民でもり立てる「さるく観光幕末編推進委員会」(会長・松藤悟長崎商工会議所会頭)がこのほど、設立された。
 幕末編は、NHK大河ドラマ「龍馬伝」放送の10年までの2年間展開し、今年は4月23日~11月30日の222日間を予定。まち歩きは全52コースとなる。
 推進委は財界、自治会、街づくり団体など108団体が参加。街中に幕末をイメージしたモニュメントや石碑製作▽旧外国人居留地の洋館を活用したレトロファッションショー▽炭鉱があった高島、伊王島、池島を巡る「エコさるく3島巡り」などに市と取り組む。
 田上富久市長は「長崎にとって大事な2年間。ドラマが終わっても、観光客に『また長崎に来たい』と思われるような付加価値を高めたい」と話した。【錦織祐一】







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