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新選組・土方歳三を中心に取り上げるブログ。2004年大河ドラマ『新選組!』・2006正月時代劇『新選組!! 土方歳三最期の一日』……脚本家・制作演出スタッフ・俳優陣の愛がこもった作品を今でも愛し続けています。幕末関係のニュースと歴史紀行(土方さんに加えて第36代江川太郎左衛門英龍、またの名を坦庵公も好き)、たまにグルメねた。今いちばん好きな言葉は「碧血丹心」です。
 今日は文化芸能関係の記事も含めると大漁でした。

千葉
聴く:講演会「小金牧の開墾・北総の夜明け」 柏市中央公民館で22日開催 /千葉
 東葛地区で唯一現存する中世城郭・松ケ崎城跡を守る運動をしている「手賀沼と松ケ崎城の歴史を考える会」(青山茂会長)主催の講演会「小金牧の開墾・北総の夜明け」(松戸市教委・柏市教委後援)が、22日午後1時から柏市中央公民館5階講堂で開かれる。
 講師は、柏市史編纂(へんさん)委員(近世史専攻)で「中村順二美術館長」の中村勝さん(66)=柏市大津ケ丘。中村さんは、戦国時代・小田原の戦いで敗れた小金城主(現松戸市大谷口)の高城胤則が京都の幽閉先から郷土の家臣団に送った密書や、新撰組局長・近藤勇が官軍に捕縛された場所を特定する古文書の解読などで知られている。

 「新撰組局長・近藤勇が官軍に捕縛された場所を特定する古文書」……ちょっとググってみましたところ、流山の古文書を解読されている方なのかーと推測(どんぴしゃりのサイトがなかったので推測です^_^;)。

岐阜
所蔵品展:迫力ある作品 大垣で「屏風に描かれた書画展」 /岐阜
 大垣市丸の内の市郷土館で、所蔵品展「屏風(びょうぶ)に描かれた書画展」が開かれている。幕末の大垣藩藩老・小原鉄心の書や、温故焼作家としても知られる故・林慶司さんの屏風絵など、屏風ならではの迫力ある書画6点を展示している。5月20日まで。


福岡
曽根の神幸行事:あすから 北九州市無形民俗文化財に指定 /福岡
 北九州市教委はこのほど、小倉南区の「曽根の神幸行事」(古谷一三・保存会長)を市の無形民俗文化財に指定した。
(中略)
 市文化財課によると、曽根新田の鎮守・綿都美神社で1819(文政2)年に、五穀豊穣(ほうじょう)を祈ったのが始まりとされる。記録では1841(天保12)年に提灯山が作られ、幕末にかけて人形や幟が飾り付けられるようになった。


鹿児島
城山の西郷像身長、女子高生らハイテク装置で解明
 身長5・257メートル、肩幅1・368メートル――。鹿児島市城山町にある西郷隆盛銅像の“身体測定”の結果が明らかになった。ハイテク装置で測定した鹿児島工業高校(鹿児島市)の女子生徒4人が17日、森博幸市長に報告書を提出した。森市長は「だれも試みなかった貴重な記録」とたたえ、銅像のそばに測定結果を記した説明板を設置することを約束した。

 銅像の実寸であって、史実の西郷どんの実寸ではありません(爆)……念のため^_^;。

文化芸能
河村常雄の劇場見聞録 : 御園座「陽春花形歌舞伎」
●御園座「陽春花形歌舞伎」
 <見>名古屋・御園座で2日から24日まで上演されている「陽春花形歌舞伎」の「盟三五大切(かみかけてさんごたいせつ)」を見た。
●現代に通じる怖さ
「四谷怪談」を書いた四世鶴屋南北の文政8年(1825)初演の作品。「四谷」同様、義士外伝だが、幕末の暗い世相を反映した陰惨な物語は、凶悪事件の続く現代に通じる怖さがある。


円朝の語り、小説で再現
 幕末から明治にかけて活躍した落語家、三遊亭円朝(1839~1900)の“幻の落語”が見つかった? そんな大胆な発想の長編『円朝芝居噺(ばなし) 夫婦(めおと)幽霊』(講談社)を作家の辻原登氏が刊行した。見つかったという落語を小説中でまるまる披露しており、“発見”をめぐる経緯と“円朝の落語”とを二重に楽しめる趣向だ。
(中略)
 小説内落語「夫婦幽霊」は円朝の語り口で進む。安政の大地震の直前、幕府の御金蔵から4000両が盗まれる事件が起きる。犯人の1人を知ってしまった大工の棟梁(とうりょう)を軸に、犯人逮捕に至る人間模様が語られる。


コラム
ワセ歴 第1回 創立物語(1) 教員から政治家に転身した創立者 大隈重信
 早稲田大学のサイトから。
 今から125年前の1882(明治15)年10月に早稲田大学が創立された。創立者の大隈重信は1838(天保9)年に佐賀藩(鍋島家)藩士砲術長の長男として生まれた。藩校で漢学・儒学を修め、共に勉学に励んだ歴史家の久米邦武は、大隈の頭脳は天才的で常に各科目とも成績は首席を占めていたと証言している。やがて蘭学を学び、さらに英学に転じて和蘭系米国人フルベッキに英学を学び、佐賀藩の長崎の英学校致遠館の設立に参画して教員となった。
 幕末の尊皇攘夷運動の政争の中で、大隈は脱藩上洛して大政奉還運動を試みたが、佐賀に送還された。だが、1868(明治1)年の明治維新と共に維新政府に登用され、キリスト教徒処分が外交問題に発展すると、英国公使パークスと互角に渡り合って交渉したため、その手腕が認められた。このため、外国間副知事・大蔵大輔・参議・大蔵卿へと累進し、西郷隆盛・大久保利通・木戸孝允の維新の三傑に次ぐ地位を獲得した。それらはこの間の鉄道・電信建設、予算会計制度、工部省設置等の文明開化政策の推進や岩倉米欧使節団派遣の献策、そのほか留守政府内での西郷らの征韓論への反対など文官の重鎮としての活躍ぶりに顕著である。
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