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新選組・土方歳三を中心に取り上げるブログ。2004年大河ドラマ『新選組!』・2006正月時代劇『新選組!! 土方歳三最期の一日』……脚本家・制作演出スタッフ・俳優陣の愛がこもった作品を今でも愛し続けています。幕末関係のニュースと歴史紀行(土方さんに加えて第36代江川太郎左衛門英龍、またの名を坦庵公も好き)、たまにグルメねた。今いちばん好きな言葉は「碧血丹心」です。
 最高気温が10度を割るという、この季節にしては寒いですね……日替わりで気温が10度前後上下するということで、体調を崩しがちです。今日は私も鼻が緩み気味(汗)。

北海道
坂本龍馬のジッポー
 市内本町1丁目にある「大野時計店」(℡22-0949)に、ことしはNHK大河ドラマでも話題沸騰中の 『坂本龍馬』 のジッポーが入荷したよ

 坂本龍馬はいうまでもなく幕末に活躍した武士で、 倒幕のきっかけを作った人といえる。 大きな仕事を成し遂げるために柔軟な考えと行動力、 優れた人脈を幅広く持ち、 さらに龍馬は自分の夢に向かって動いた人でもあった。 そんな彼が残した名言 『おまんら日本の夜明けは近いぜよ』 が刻印されており、 龍馬ファンにはたまらない逸品となっている。 ニッケル古美・真鍮古美/5040円 (税込) 。 ぜひお買い求めを。
 また、 『阪神タイガース 2010年シーズンロゴ (球団創立75周年記念ロゴ) 』 が近日入荷予定。 2010年ロゴマークのコンセプトは伝統を受け継ぎながら新たないぶきを吹き込み、 猛虎の名に恥じぬプレイに集中し、 頂点をめざす阪神タイガースの姿勢を表現している。 価格は7875円(税込)。


山形
「西郷ドンのお茶」130年ぶり実現か
∞鶴岡の松ケ岡開墾場/茶の苗植える

 鶴岡市羽黒町にある松ケ岡開墾場(山田鉄哉理事長)で狭山茶の苗が植えられた=写真。明治初期にも栽培に挑み、西郷隆盛から「茶銘」までもらったが、商品にはならなかった。約130年ぶりの「西郷ドンのお茶」は果たして実現できるか。
 松ケ岡では1872(明治5)年、戊辰戦争に敗れた庄内藩士3千人が開墾を始め、養蚕とお茶栽培を試みた。3年後、庄内藩と親交のあった鹿児島の西郷に届けられ、西郷は求めに応じて、開墾場の小隊長の名前を1字ずつ使って「林月・水蓮(すい・れん)・都山・敦本・原泉(げん・せん)・白露」と6種の茶銘を付けた。その書状は開墾場に保存されている。
 お茶栽培はあきらめていたが、昨年、狭山茶の生産地、埼玉県の入間市博物館の黒澤一雄館長が「寒冷地に強い品種なら可能ではないか」と勧めた。庄内藩酒井家の18代当主・酒井忠久さん(63)も「茶には先人の思いが込められている」と動きだした。寒さに強い「ゆめわかば」「ほくめい」「さやまかおり」の苗を計600本用意し、黒澤館長の指導で19日、山田理事長らが2アールの畑に長さ50センチほどの苗を植え付けた。
 収穫は早くて3年後だが、酒井さんは「成功すれば、観光と組みあわせて新しい産業も生まれる。西郷さんの付けた茶銘で商品化して、特産品を目指したい」と語った。


西郷隆盛ゆかりのお茶栽培に再挑戦 鶴岡で約130年ぶりに
 鶴岡市羽黒町松ケ岡の東北振興研修所で19日、地元住民団体によるお茶の試験栽培が始まった。明治初期、庄内藩士が国指定史跡「松ケ岡開墾場」を開いた際に栽培を試みたが、気候条件が合わずに断念。温暖化などで条件が変化していることもあり、約130年ぶりに挑戦することになった。開墾時、庄内藩と親交の深かった西郷隆盛からお茶の名前を受けており「栽培に成功したら、その名前を付けたい」と関係者は意欲を見せている。
 試験に臨むのは、庄内藩酒井家第18代当主の酒井忠久致道博物館長が総長を務め、地元農家ら53戸で組織する「松ケ岡開墾場」(山田鉄哉理事長)。酒井館長の知り合いで、お茶の産地として有名な埼玉県入間市の同市博物館長を務める黒沢一雄さんから昨年秋、「寒冷地に強いお茶もあるので、もう一度植えてみたら」とアドバイスを受けたことを機に、再び栽培に取り組むことになった。黒沢館長を通して埼玉県農林総合研究センター茶業研究所から、寒冷地用の「ゆめわかば」「ほくめい」「さやまかおり」の3品種計600本の提供を受けた。
 19日には、試験栽培の苗の植え付け作業が行われ、酒井館長や山田理事長、黒沢館長らが2アールほどの畑に長さ約50センチの苗を丁寧に植えた。収穫できるのは3、4年後で、山田理事長は「茶業研究所などの指導を受けながら取り組んでいきたい」と話していた。
 戊辰(ぼしん)戦争で降伏した庄内藩に寛大な措置をした西郷から授かった茶名は6つ。酒井館長によると「林月(りんげつ)」「水蓮(すいれん)」「都山(つやま)」「敦本(とんほん)」「原泉(げんせん)」「白露(はくろ)」で、栽培にあたった庄内藩士の隊長の名前と風流な言葉を掛け合わせたものだという。酒井館長は「栽培を成功させることで、開墾当時の人々の思いを遂げることが出来るのではないか。この6つの名を商品名にし、特産品化を目指したい」と目標を語った。


茨城
龍馬ら志士の書100点 茨城・守谷で企画展
 大河ドラマの影響もあってブームになっている坂本龍馬の書などを一堂に集めた「龍馬と志士達-書幅+書額展-」が、茨城県守谷市御所ケ丘の市民交流プラザで開かれている。5月1日まで。
 同展では、龍馬をはじめ西郷隆盛や吉田松陰ら幕末から明治維新にかけて命を賭けて近代日本の礎を築いた志士たちの貴重な書や額、屏風など約100点が展示されている。会場の一角には龍馬のパネルや珍しい書も展示されており、熱心に見つめる市民の姿も見られた。
 同展を主催している北島産業電機専務の北島徳一さん(41)は「(偉人たちの)魂のこもった書から、日本の将来を見つめ直す契機になってほしいと思っています」と話していた。



福井
【福井】
県境越え観光振興 県、歴史遺産活用図る

 県が地域の観光活性化のため、歴史遺産を生かす方針を徹底させている。来年のNHK大河ドラマ「江(ごう)~姫たちの戦国」の舞台となるなど、「客を呼べる機会」を逃さないように知恵を巡らし、県境を越えた連携も動き始めている。
 「滋賀県との(JRの)周遊きっぷをつくれないだろうか」。西川一誠知事は3月、滋賀県の嘉田由紀子知事との懇談で提案した。大河ドラマ「江」は両県が主要な舞台になるからだ。
 両県に岐阜、三重県を加えた4県は「江」を生かした観光振興で連携する方針を決めた。関係する史跡を選んで観光ルートを設定するなど、大型連休前後にも具体的な話し合いを始める。
 今年の大河ドラマ「龍馬伝」の関連では、県観光連盟が2月、龍馬と福井とのつながりを紹介するパンフレット「熱き幕末の福井へ」を1万部発行。連盟ホームページにも同じ内容を掲載した。
 直接福井と関係する史跡は、龍馬と由利公正が語り合ったとされる莨(たばこ)屋旅館跡ぐらい。そのほかは主に、龍馬が京都から福井へ向かう街道沿いの観光スポット、グルメ情報で、限られた“資源”の効果を広げたい狙いがある。
 研究者の間では「一級」とされてきた一乗谷朝倉氏遺跡も、一般的な知名度は高くはないが、著名なCMディレクターの目に留まった。福井市が撮影に全面協力し、“お父さん”役の白い犬が登場する携帯電話の人気CMの舞台として、2月からの放映ではたびたび遺跡が登場した。
 県観光振興課は「福井に来ていただくきっかけを何としてもつくりたい」と強調。一方で、福井市の歴史研究者は「客を呼びたいと思うあまり、史実を軽視して『いいかげんな伝承でも何でもOK』とならないかが、少し心配」と指摘している。
 (渥美龍太)

◆大河ドラマ「江」PRの協議会設立
 三姉妹にちなんだ地域おこしの取り組みなどを話し合う出席者=県庁で

 県や関係市町、商工会議所など18団体は20日、来年のNHK大河ドラマ「江~姫たちの戦国」に合わせ、福井の歴史や文化を広く発信しようと、推進協議会を設立した。ポスターやのぼり旗などを作り、連携してPR活動を展開する。
 「江」は、近江(滋賀県)の戦国大名・浅井長政と、織田信長の妹・お市の間に生まれた3姉妹の物語。三女のお江は母とともに福井市の北庄城に滞在したことがあり、次女のお初は当時の小浜藩主・京極高次に嫁いだ。
 県庁での設立総会で、会長に選ばれた五十嵐嘉也・県観光営業部長は「放映を機に福井を全国に発信し、地域の活性化、誘客につなげたい」とあいさつ。滋賀県と連携してインターネットなどで三姉妹ゆかりの地や逸話を発信し、土産物の開発や広報イベントも進めることを決めた。
 県は滋賀県と共同で、ドラマにちなんだキャッチフレーズの文字デザインと、三姉妹をモチーフにしたキャラクターのデザイン、名前を募集している。応募は5月14日まで。問い合わせは、県ブランド営業課=電0776(20)0227=へ。
 (平井一敏)



愛知
大須の芸妓甚ふくの顕彰碑を確認
正調名古屋甚句普及に貢献 27日に「拡める会」が奉納演奏

 幕末に大流行した座敷唄(うた)「正調名古屋甚句」を今に伝える「拡(ひろ)める会」主宰の甚富華(じんとみか)さん(63)(名古屋市西区)が、名古屋市中区伊勢山の洞仙寺境内で、明治時代に甚句の普及に貢献した女性の顕彰碑を見つけ出した。女性は大須の芸妓(げいこ)、甚ふく(本名・荒川ふく、1864~1937年)。甚さんは「先人の功徳を敬うため、ささやかな法要を」と、8月27日に亡くなった甚ふくの月命日の27日、同寺で甚句の奉納演奏を行う。(渡辺康史)
 正調名古屋甚句は、前唄「恋の鯉(こい)」に続いて、「宮の熱田の二十五丁橋で 西行法師が腰をかけ(中略)これほど涼しいこの宮を 誰が熱田と名をつけた」などと歌う本唄「宮の熱田」をはじめ、何種類もの替え唄で構成する組曲。甚さんは伝統文化としての伝承に努め、現在は約30人の弟子に教えている。
 甚さんが甚句のルーツを調べるうち、同市昭和区の鶴舞中央図書館で、今月に入って正調名古屋甚句について書かれた昭和40年代の豆本を発見。甚ふくの碑について、死後、その芸の素晴らしさをたたえるとともに、「永遠に名古屋に名をとどめよう」と、弟子が立てたと記されていた。
 甚さんは8日に洞仙寺を訪ね、碑に名前が残っているのを確認したが、同寺でも、その来歴などを知る人はすでにおらず、逆に甚さんに教えられたという。
 27日は午前11時から甚句を演奏し、同11時半から法要を行う。甚さんは「この唄を愛し、後世に伝えた先人に敬意を表し、今の私たちの活動を報告したい」と話している。




和歌山
住民の整備・保護実る  雑賀崎台場 県史跡に
紀州藩、幕末に巨大砲台

 幕末に紀州藩が築造した和歌山市雑賀崎の砲台跡「雑賀崎台場」が、県指定文化財の記念物(史跡)に指定された。十数年前まで、人知れず木々に埋もれていた砲台跡を、地元の市民グループが専門家に依頼して調査、周辺を整備するなどして、保護を呼びかけた成果が実った。
 雑賀崎台場は、紀伊水道に突き出た「トンガの鼻」にあり、周囲の海を見渡すことができる。県教委文化遺産課によると、南北21メートル、東西12メートルの範囲に高さ50~180センチの石垣が張り巡らされている。その上に50~140センチの土塁が築かれており、城の構造とよく似ている。中心部にはV字型の遺構があり、異国船に対して、海上防衛のための巨大な砲台が設置されていたとみられる。
 『南紀徳川史』には、ペリーが黒船で浦賀に来航した翌年の1854年(安政元年)に、紀州藩の各家老が海岸を防御する持ち場を決め、各台場に砲術を担当する砲術方を置いたとの記述があり、雑賀崎台場もこの頃に造成されたと推測される。砲台は、水軒堤防や和歌浦など和歌山城近くの沿岸部に未完成のものも含め、計33か所設置されていたとされる。雑賀崎台場が最も保存状態が良いという。同課は「紀州藩の海防政策について知ることのできる数少ない遺跡」と評価している。
 雑賀崎で生まれ育った松川由喜子さん(60)は、トンガの鼻に砲台跡があるという話を地元の人に聞き、1998年、現場に初めて足を踏み入れた。5、6メートルの木々が生い茂るなか、石垣や土塁の一部を見つけた。
 松川さんは、和歌山大の教授に調査を依頼し、紀州藩の遺構であることを確認。環境省の許可を得て周辺の整備を始めた。2002年12月には「トンガの鼻自然クラブ」を結成し、定期的に見学会を開き、草刈りなどの作業を続けている。
 松川さんは、「史跡指定は、ずっと望んでいたことで、本当にうれしい。これをきっかけに、身近な場所に歴史を伝える遺構があったということを、県民に知ってもらえたら」と話している。



岡山
井原市文化財センターが年報発刊 発掘調査や講座など紹介
 埋蔵文化財や古文書の保護、研究などに取り組む井原市文化財センター(同市井原町)は、2005年度から08年度までに実施した発掘調査や講座などの事業をまとめた「市文化財センター年報1」を発刊した。同センターや市内公民館、井笠地域の公立図書館などで閲覧できる。
 05年11月に開設した文化財センターの活動成果を広く知ってもらおうと300部作製。A4判、29ページ。センターの組織、事業概要▽発掘調査▽文書調査―など5部で構成した。
 事業概要では「興譲館と阪谷朗廬」「幕末の動乱と井原」など計12回行った企画展、ガラス玉作りや地域探訪など定期講座の内容を列記。発掘調査は、古墳時代の墳墓・無量寺2号墳(同市七日市町)、14世紀ごろの山城・青蔭城跡(同市西江原町)など発掘2件と試掘・調査9件の経過などを紹介した。
 閲覧できる場所などの問い合わせは文化財センター(0866―63―3144)。


高知
藩重役吉田東洋碑に花
龍馬ブーム商店街の外れにも 「こんなこと初めて」

 幕末、土佐勤王党によって暗殺されたとされ、NHK大河ドラマ「龍馬伝」にも登場した土佐藩参政・吉田東洋の記念碑(高知市追手筋)に、大きな花束が添えられているのを、近くの帯屋町筋商店街のブティック経営有光美代子さん(63)が見つけた。記念碑は商店街の外れにひっそりと立ち、地元でも知る人が少なかったといい、有光さんは「こんなことは初めて」とびっくり。迫真の暗殺シーンなど、ダンサーで俳優の田中泯(みん)さんの熱演が話題を呼び、一気に東洋の名が知れたためと考えられ、「これも龍馬効果。時代の犠牲になった東洋も喜んでいることでしょう」と有光さんはしのんだ。(沢本梓)

 藩主・山内容堂に重用された東洋は藩政改革を進めるとともに、公武合体政策を貫いたため、武市瑞山率いる土佐勤王党とも対立。文久2年(1862年)4月8日、暗殺された。「吉田東洋先生記念之碑」は1958年、暗殺現場とされる場所近くに市教委が建立。繁華街に近いものの、見過ごしてしまうほどひっそりと立つ。

 「龍馬伝」では田中さんの重厚な演技が注目され、観光客が訪れることが増えたという。暗殺シーンは3月28日に放映。花束は有光さんが今月18日に見つけ、コップの水につけた。

 有光さんは市商店街振興組合連合会の女性部会長も務めており、歴史の勉強会を重ねていたが、4月8日の命日でも記念碑を訪れる人が見られず、気になっていたという。「きっと、ドラマを見た観光客が弔ってくれたのでしょう。龍馬だけではない、土佐の偉人を慕ってくれる気持ちがありがたい」とうれしそう。

 花を供えられたことを聞いた田中さんは「悪役として描かれることが多いが、土佐を愛し、藩を立て直そうと努めた非常に優れた人。もう少し若ければ、龍馬のように世に飛び出したはず。新鮮な東洋像が演じられて、とても良かった」と話した。



ブックレビュー
岩崎弥太郎と三菱四代 [著]河合敦
■情緒的な「明治はよかった」

 いま放送しているNHKの大河ドラマ「龍馬伝」で香川照之が演じ、重要な役割を与えられている三菱財閥創始者、岩崎弥太郎。本書は彼を巧みな経営で乱世をのし上がった傑物として描く。
 その描写には違和感はないが、散見される著者の歴史観、人生観が実にステレオタイプだ。
 弥太郎の青年期の苦難をひきあいに、現代の起業家は「営業不振が続くと、すぐにダメだと思い込み」「足掻(あが)くことをせずに投げ出してしまうから、成功に至らない」。当時の三菱社員とくらべ、「残念ながら戦後の日本の教育界は、弥太郎が役に立たないと見捨てた従順な若者を大量に生産してきた」。さらには国家の繁栄を目指した弥太郎に対して「企業人から公共心が失われて久しい」「個人主義・自由主義が誤って浸透した日本の社会」とぶち上げる。
 変動しつつある今の日本社会を、本書のように幕末から明治にかけての大変動期になぞらえるのは最近の流行だ。しかしこのような情緒的な「明治は良かった」論からは、何も生まれない。そもそも三菱が富国強兵を求めたのは、政商として会社の利益と国の利益が徹底的に一致していたからだ。経営と政治の接近は利権腐敗とも表裏一体で、決して「公共心」などという安易な言葉でくくられるべきではない。
 テクノロジーとグローバリゼーションによる激変という、幕末や終戦と同じぐらいの社会の岐路に、いまわれわれ日本人は立たされている。歴史から構造的に学ぶことはたくさんあるはずだが、「あのころは日本人も凄(すご)かった」などという情緒に浸っていても、何も変わらない。本書を読み、バブル時代によくいた「秀吉や家康の偉人伝を読んで社内遊泳術に心めぐらす中間管理職サラリーマン」を思い出した。でも、彼らもとうにいなくなった。そういう時代は終わったのだ。


コラム
【幕末から学ぶ現在(いま)】(59)東大教授・山内昌之 大隈重信
威圧と大衆人気

 鳩山内閣の特徴は、昔なら閣内不一致で総辞職しかねない局面でも、政治家の個性がぶつかる侃々諤々(かんかんがくがく)の議論が外にも聞こえてくることだ。亀井静香金融相や前原誠司国土交通相だけでなく、最近では仙谷由人国家戦略担当相の発言も目立っている。
 ようやく成立した予算を酷評し、財政規律論者めいた姿勢を見せたかと思えば、消費税率の見直しにも積極的な発言をするなど筋とメリハリが目立つのだ。なかでも、普天間問題と連動して鳩山首相が辞職する際には衆参同時選挙を、という発言には驚いた人も多いだろう。
 仙谷氏のように、弁護士出身の大臣には、自前の論理を構築できる自信があるのかもしれない。自民党でも弁護士経験をもつ大臣には説得力に富む議論をする人が多かった。こうしたタイプの政治家は、どの時代であっても、群れずに一人で論を構えるほうが得意なのだろう。


一人で堂々と論陣張る

 一人でも堂々と論陣を張った幕末明治の政治家といえば、すぐに大隈重信を思いだす。大隈は代言人や弁護士を生業にしなかったにせよ、独特の雄弁術と辺りを睥睨(へいげい)する押しの強さに、とうてい人の下に立つのを潔しとしない自信が満ちあふれていた。演説会場に行けば、口を「へ」の字に結んで、まず最初に聴衆を威圧するように睨(にら)みつけドギモを抜いてしまう。
 それから、「したんである」「なんである」果ては「であるんであるのである」という弁舌を聞くと、これはファンにはたまらなく愉快な半面、政敵には鼻持ちならぬショーと映ったに違いない。
 坪内逍遥は大隈の座談に晩年まで「威圧的な覇気」や「恫喝(どうかつ)的な衒気(げんき)」が抜けなかったと述べたことがある。
 また、陸奥宗光も大隈が自分の「伎倆(ぎりょう)品格」を相手に認めさせようとするあまり「虚飾大言」に陥りがちだったと指摘する。


ウケた「場当たり主義」

 大隈は佐賀藩300石取りの堂々たる上士身分の家に生まれながら、よく言えば融通無碍(むげ)、悪く言えば成金趣味めいた俗っぽい個性を生涯失わなかった。謡曲や能より浪花節や講談を好んだというから、相当に庶民受けもした。
 政治学者、岡義武の名著『近代日本の政治家』の表現を借りるなら、その「臨機応変主義」や「場当たり主義」は、何よりもこむずかしい理論やイデオロギーよりも分かりやすかった。
 民衆政治家を自任した大隈の個性は、生得の面もあったに違いないが、薩長閥から排除された佐賀人特有の一個の自分をたのむという覇気の強さや闘志の表れと無縁でなかった。
 明治6(1873)年に参議兼大蔵卿となった大隈のあけっぴろげな性格は、長州の伊藤博文や井上馨も引き付けたが、近代国家の早期建設を図った大久保利通や木戸孝允の緻密(ちみつ)な術策に及ぶところでなかった。脇の甘さをつかれ、北海道開拓使官有物払下げ事件をめぐって、盟友だった伊藤はじめ薩長勢と対立し、明治14年の政変で参議を免官になってしまう。

薩長から最初の政権交代

 しかし、大隈の凄(すご)いのはその後の歩みである。大隈はめげずに立憲改進党や東京専門学校(現早稲田大学)をつくり、孜々(しし)として政権奪取を目指したのだから根性がどこまでも据わっている。
 伊藤に大隈の外交手腕を再認識させ、外相の地位に返り咲いただけでなく、明治31(1898)年には薩長藩閥以外から最初となる首相の地位を射止めた。
 これこそまごうかたなく最初の政権交代というべきであろう。4カ月後、星亨に離反されて総辞職したのは不本意であった。しかし、彼の粘りは驚異的である。
 15年余の時を経て、第1次護憲運動の波に乗じ、2度目の首相になったからだ。改造内閣を経て退任した時、彼は満78歳6カ月であった。これは日本の憲政史上最高齢の記録にほかならない。
 現代の政治家に限らず、人はどうも群れに入らないと、安心できないところがある。鶏口となるも牛後となるなかれ、という言葉もある。時には党内や閣内に波風を立てても、必要な時には信念や主張を曲げないのも、宰相の座を射止める必要条件の一つであろう。(やまうち まさゆき)




【プロフィル】大隈重信

 おおくま・しげのぶ 天保9(1838)年、佐賀生まれ。長崎で米国人宣教師に英学を学ぶ。維新政府の要職を歴任し、主に財政をつかさどり、地租改正を推進。明治14年の政変で下野すると、立憲改進党を結成し、東京専門学校(早大)を創立した。のち外相となり条約改正交渉に当たるが、反対派に爆弾を投げつけられ負傷。明治31年、板垣退助と憲政党を結成して日本初の政党内閣を組織。大正3年には第2次内閣を組織し、第一次大戦に参戦した。大正11(1922)年、死去。享年85。




エンターテインメント
「銀魂」“大江戸SFギャグ漫画”誕生のきっかけは、面倒くさかったから!原作者が明かす裏話!
[シネマトゥデイ映画ニュース] 24日、週刊少年ジャンプの看板コミック「銀魂」の初映画化作品『劇場版銀魂 新訳紅桜篇』が公開される。映画の公開に先立って、原作者の空知英秋がコミック「銀魂」誕生の軌跡を語ってくれた。

映画『劇場版銀魂 新訳紅桜篇』写真ギャラリー

 「銀魂」は、“大江戸SFギャグ漫画”という今までにないジャンルのコミックだが、何とその設定は「面倒くさい」という理由で生まれたそうだ。そもそもの始まりは、担当者に「君の漫画は地味で華がないから時代劇をやれ」と言われたことだったという。しかし、「時代考証が面倒くさかったんです。セリフやネタにも制約が出るし」と時代劇は受け入れられなかった空知。そんな彼にインスピレーションを与えたのは、歴史小説界の巨匠だった。「司馬遼太郎さんの本に幕末の鎖国状態だった日本に黒船が来たことは現代で例えるとUFOがやって来たほどの衝撃だったみたいなことが書いてありまして。あっじゃあホントにUFOが来たことにして、好き勝手やれるように歴史をメチャクチャにしようということになったんです」と明かした。

 またシリアスとギャグが絶妙なバランスで両立している「銀魂」だが、その書き分けも何と気分次第だそうだ。飽き性だという空知は、「ふざけていると暗い話が描きたくなって、またふざけたくなっての繰り返しです。力の入れどころは違うけれど、両方ともその時僕ができる最善のことはやっているつもりです」と話してくれた。「銀魂」原作者は、実に自由気ままな性格の持ち主だったようだ。

 そんな空知のコミック「銀魂」が今回映画化となったわけだが、空知は、アニメ版に関してはノータッチ、もちろん映画も丸投げ状態だったという。「僕はアニメに関しては何もしていないんで、彼ら(アニメスタッフ)を信じて丸投げですから、おれやったぜというよりは、ここまでしてもらってなんかスイマセン的な出来の悪い子どもに親戚のオッさんがスゴイお年玉をくれたようなカンジです」とファンとアニメスタッフに感謝しきりの様子だった。

 最後に「僕の悪ふざけに長いこと付き合ってくれた戦友たちの最期の? 全力投球の? 悪ふざけをぜひ劇場でご覧になってください。そして最終的に全員原作に流れ込んで単行本を買ってください。ちょっとでいいから、先っちょだけでいいから」とちゃっかり宣伝を付け加えていた。

 なお、今回の原作者・空知英秋氏のインタビューについては、3月20日に発売されているT.(全国のTOHOシネマズグループ57館のみで限定発売)に、超ロングインタビューとして掲載されている。



TVアニメ『薄桜鬼』、オープニング/エンディング曲が4/21に同時リリース
 2010年4月より放送開始となったTVアニメ『薄桜鬼』。そのオープニングテーマで吉岡亜衣加が歌う「十六夜涙」とエンディングテーマでmaoが歌う「君ノ記憶」が2010年4月21日に同時リリースされた。
 吉岡亜衣加「十六夜涙」 - TVアニメ『薄桜鬼』OPテーマ
TVアニメ『薄桜鬼』の原作ゲーム『薄桜鬼 新選組奇譚』の主題歌「はらり」でデビューを果たした吉岡亜衣加が、TVアニメでもオープニング曲を担当。吉岡亜衣加ならではの切なくも力強い歌声が『薄桜鬼』の世界観をさらに深く、鮮やかに表現する。タイトルトラックに加えて新曲「優しく包めたら…」、さらにそれぞれのインストを同時収録。
(中略)
mao「君ノ記憶」 - TVアニメ『薄桜鬼』EDテーマ
TVアニメ『薄桜鬼』のエンディングテーマは、実力派シンガー・maoが歌う「君ノ記憶」。しっとりと歌いあげ、作品の魅力を存分に伝える。タイトルトラックに加えて新曲「センチメント」、さらにそれぞれのインストを同時収録。






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