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新選組・土方歳三を中心に取り上げるブログ。2004年大河ドラマ『新選組!』・2006正月時代劇『新選組!! 土方歳三最期の一日』……脚本家・制作演出スタッフ・俳優陣の愛がこもった作品を今でも愛し続けています。幕末関係のニュースと歴史紀行(土方さんに加えて第36代江川太郎左衛門英龍、またの名を坦庵公も好き)、たまにグルメねた。今いちばん好きな言葉は「碧血丹心」です。
福島
戊辰戦争「東軍」足跡たどる宿札 会津若松・歴史資料センター
 会津若松市の歴史資料センター「まなべこ」で、戊辰150年を記念した常設展「会津藩士の戊辰戦争」が、28日から始まる。長岡城の落城後、藩主の牧野忠訓(ただくに)が会津に逃れるためにたどった道のりを明らかにする「宿札」などを初公開。当時の様子を物語る資料を展示し、会津藩をはじめとした東軍の足跡をたどる。来年1月20日まで。

 27日に、内覧会が開かれた。宿札は大名などの宿舎に掲げられたもので、金山町の個人宅で所蔵していた宿札には、忠訓の宿舎であることを示す「牧野備前守様御宿」とあり、裏面には「慶応4(1868)年5月26日」と記されていた。忠訓が若松城下を目指す途中、金山町に宿泊していたことは文献などから分かっていたが、同市教委文化課の近藤真佐夫主査は「混乱のさなかで書かれた文字資料は誤っている場合もあり、裏付けとなる物証は貴重だ」と評価している。このほか、西軍が使用したアームストロング砲や山本八重も手にしたというスペンサー銃の模型も展示され、手に触れることもできる。

 入場無料。時間は午前9時~午後5時(入場は同4時30分まで)。毎週月曜日休館(月曜日が祝日の場合は翌平日)。

東京
東京都 品川にある、幕末に知られた土佐・長州の偉人のお墓を紹介
史跡巡りをしていると、思わぬところで有名人のお墓に出くわすことがあります。今回は都内品川にある、幕末に知られた土佐・長州藩士や大名の墓を紹介します。

板垣退助の墓
襲撃されたときに発した「板垣死すとも自由は死せず」で有名な、元土佐藩士で自由民権運動の父、板垣退助。

彼の墓は京浜急行電鉄の「新馬場駅」からすぐ、品川(ほんせん)神社の裏手にあります。江戸時代は広く江戸を見渡せたという高台にあり、富士山を模した「富士塚」があり大変賑わいました。一見しただけではわかりにくいのですが、社殿の右手に小さな案内板が立っており、なかば訝しんで裏手に回ると、本当に板垣退助の墓があります。

仏教式の墓石ですが、周りには寺はありません。何故ぽつねんと墓だけがあるのかというと、元々は高源院という寺の敷地だったのですが、関東大震災後に世田谷区へ移転してしまったのだそうです。大正8年(1919年)に寺に葬られた板垣の墓は、そのまま残されました。

すぐ目の前は崖になっていて、眼下には民家の屋根が見えます。今は木々の葉陰に空が見える程度ですが、昔は見晴らしがよかったのだと思います。手前には佐藤栄作の揮毫した「自由は死なず」の石碑もありました。

品川神社には、小さいながらも貴重なものばかり収蔵されている宝物殿があり、幕末三舟と言われた勝海舟・高橋泥舟・山岡鉄舟の揮毫した掛け軸などもありますので、幕末の息吹を感じること間違いなしです。


山内容堂の墓
旧東海道の「品川宿」を出てすぐの鮫洲駅近くの小高い丘に、「山内豊信(容堂)墓」はあります。

山内容堂は土佐藩15代藩主。幕末の四賢侯と称された人物でしたが、「酔えば勤皇、覚めれば佐幕」と西郷隆盛ら周囲の志士に揶揄されたように、心から倒幕に賛同していたわけではなかったようです。

明治維新後は内国事務総裁に就任しましたが、かつての下々の者と馴染めず明治2年に辞職。隠居後は妾を十数人も囲い、酒と作詩に明け暮れる日々を送りましたが、長年の痛飲が祟り46歳の若さで脳溢血に倒れ亡くなりました。明治5年(1872年)のことです。

墓所は遺言により「大井村の下総山に葬れ」ということで、かつての土佐藩下屋敷である現・大井公園に葬られました。周りには寺社もなく、本当にお墓しかありません。敷地は幼稚園と隣接しており、墓の向こうには金網越しに遊具が見え、草も生い茂り、かつての名君の墓とはとても思えない雰囲気です。

酒豪ぶりで鯨酔公とあだ名されたほど大酒飲みだった容堂。同じ旧東海道沿いにある「品川利田神社」では、鯨碑があり、なんとなく鯨という言葉に因縁めいたものも感じます。

画像出典:ウィキペディア

伊藤博文の墓
説明不要とは思いますが、元長州藩士で初代内閣総理大臣になった人物。歴史上、吉田松陰の松下村塾の門下生としても知られており、安政4年(1857年)に17歳の時に入塾し、後々尊皇攘夷運動に身を投じました。

文久2年(1862年)には、高杉晋作らとともに、品川の御殿山のイギリス公使館の焼き討ちに参加したほどの過激派でしたが、藩命でイギリスへ密航し現地の大学で学んだあとは、一転して開国派になります。

墓はJR西大井駅の北口から徒歩2分、西大井緑地公園のすぐ裏にあります。独立した神式の墓所で、鳥居があり、その奥には円墳の墓があります。右隣には梅子夫人の墓もあります。

別邸が現在の品川区大井三丁目付近にあったことから、国葬後、近い場所に墓所が造られたとのこと。ちなみに伊藤博文の別邸は、平成10年に解体されたのち一部が山口県萩市に移されています。

画像出典:筆者撮影、無料写真素材 写真AC

いかがでしたか?遠く長州・土佐から離れ、奇しくも品川に葬られることになったかつての名士たち。品川近辺に集中しているので、一日でお参りに行くことも出来ます。

志士とかつての名君がたどった数奇な人生の顛末に思いを馳せながら、お参りしてみてはいかがでしょうか。

GWは幕末の“物語グルメ”をご賞味あれ!
■ ドラマチックな出来事やエピソード込みで味わう

待ちに待ったゴールデンウィーク。今年の大型連休は、明治維新150周年の節目にちなんで、幕末維新のグルメ三昧はいかが? それもただのグルメじゃなくて、ドラマチックな出来事や人物のエピソード込みの“物語グルメ”を味わっちゃおう!

最初にご紹介するのは、壺屋総本店の最中。東京メトロ本郷3丁目駅の近くに店舗を構えるこちらは、江戸根元を掲げる和菓子の老舗で、寛永年間から江戸の人々に愛され続けてきた。この店とゆかりが深いのが、江戸城無血開城でおなじみの勝海舟だ。

慶応4年(1868)正月の鳥羽伏見の戦いに勝った後、薩長を軸とする倒幕勢は徳川慶喜と旧幕府軍を討伐するため、続々と江戸に迫ってきた。この時、勝海舟は無用の戦争を避けて江戸の町を救うべく、倒幕側の西郷隆盛と会談した。これが有名な無血開城の談判で、江戸は戦火から守られることになったが、もう一つ、勝が守ったものがある。それが壺屋なのだ。

明治維新を迎える直前のこの頃、江戸の大店はもちろん昔から徳川びいきで、「薩長の連中に江戸の粋がわかるか!」と廃業してしまうところが多かった。壺屋も暖簾を下ろそうと考えていたところ、この店をひいきにしていた勝海舟が「人々は壺屋の菓子を食べたいと言っているんだから、諦めずに続けるように」と店主を鼓舞。「神逸気旺」と書いた書を贈った。神力に頼らず、己れの気で乗り切れ、という意味だ。このおかげで壺屋は廃業することなく、今、名物の最中を味わえるのも、勝海舟のおかげなのだ。

お次は船橋屋のくず餅。JR亀戸駅から錦糸町方面へ徒歩10分、梅まつりと藤まつりで有名な亀戸天神に寄り添うようにしてこのお店がある。ゆかりの幕末の人物は、江戸城無血開城のもう一人の立役者・西郷隆盛だ。

西郷どんといえば上野の像や肖像画からもわかる通り、ちょっぴり、いや、でっぷり太めの体型でおなじみ。医者からもダイエットを薦められ、狩りや温泉を趣味としたのも体のことを考えていたから。その狩りの休憩に立ち寄ったといわれるのが船橋屋で、お気に入りはくず餅だった。

くず餅はたしかにカロリー低めだけど、当時も現行商品のように黒蜜をかけて食べていたのだとしたら、あまりダイエットにならないのでは……? まあ、心もでっかい西郷どんは、細かいことは気にせず、この甘さと食感に狩りの疲れを吹き飛ばしたのでしょう。

■ あの有名店にも有名な幕末“物語グルメ”あり!

GWには普段にも増して多くの人で賑わう東京観光のメッカ、銀座。GINZA SIXができたこともあり、国内外の人々が訪れるその銀座の中心にも、幕末維新の人物ゆかりのスイーツがある。

銀座四丁目の交差点からほど近い、木村屋銀座本店のあんぱんだ。スーパーやコンビニでも見かけるキムラヤのパンでおなじみの、あのキムラヤの木村屋である。看板商品『酒種あんぱん』が大好物だったのが、剣の達人にして書の達人、さらに禅に深く傾倒した人格者、そして江戸城無血開城の影の功労者・山岡鉄舟だ。奇しくもまたも無血開城がらみの人物になってしまった。

木村屋の創業者・木村安兵衛は元武士で、剣術を通じて鉄舟と知り合い、親交を深めたという。明治維新を境にパン作りに励み、西洋風ではない、日本人の口に合うパンを試行錯誤する中、試作品を鉄舟に食べさせてみた。これに鉄舟大感激! その後ほぼ毎日食べるようになるほどの大好物になった。

それが酒種を生地に練り込んだオリジナルのあんぱんで、山岡鉄舟の薦めで明治天皇への献上品となり、御用達となり、現在まで続く人気商品になったのだ。

幕末の“物語グルメ”といえば、和菓子のとらやも忘れちゃいけない。この記事を執筆している現在、赤坂の本店はリニューアル中だがご安心。とらやは商品を国内外に展開しているので、お取り寄せは容易だ。

このとらやにまつわるエピソードを遺しているのは、江戸幕府の14代将軍・徳川家茂。大の甘党で、ほぼすべての歯が虫歯だったというスイーツ・タイクーンが愛したのが、羊羹『夜の梅』である。家茂が数多くの菓子を注文していたことが、とらやの帳簿に記されていて、中でも『夜の梅』がお気に入り。幕府と朝廷が一致協力して国政にあたるべし、という公武一和の政策を進めたかった家茂は、奥さんの和宮の兄・孝明天皇にこの羊羹を贈っている。

『古今集』の一首「春の夜の 闇はあやなし梅の花 色こそ見えね 香やは隠るる」に詠まれた梅に見立てたこの羊羹。時の将軍と天皇は、同じ味を楽しんで公武一和を成し遂げようとしただろうか。

■ まだまだあるよ! あの人物ゆかりの“物語グルメ”

東京メトロ押上駅から徒歩15分、桜の名所、長命寺の裏手の隅田川沿いに、桜餅の元祖、長命寺桜もちがある。こちらの『桜もち』に、かわいらしくてどこか切ないラブストーリーを与えたのが、徳川幕府のキレ者で老中首座の阿部正弘だった。

幕末の頃、このお店の看板娘・おとよはたいそうな美貌で知られ、ひと目見たさに客が行列をなしたというほど。歌川国貞の『江戸名所百人美女』のモデルにもなったおとよに、現代の総理大臣ともいうべき阿部正弘がひと目惚れしてしまった。母のために桜もちを買いに立ち寄った時、ズキュンと胸を射抜かれたのだ。その後も足しげく通いながら、しかしなかなか声をかけることができない阿部さん。権力にモノを言わせるタイプじゃないのだ。

そんな折、徳川御三卿の一人・田安慶頼もおとよを狙っているとの噂が耳に入り、ついに心を決めた阿部さんは、おとよの父に直談判。側室に迎え入れることができた。しかしその翌年、阿部正弘は病気で急死してしまう。幕府トップと看板娘の、ほんのわずかな時間のロマンスが、この桜もちの隠れた味わいなのだろう。

■ 幕末至高の食通&スター志士の“物語グルメ”

次にご紹介するのは、JR王子駅の近くにある扇屋の『厚焼き玉子』だ。幕末の頃は江戸近郊有数の避暑地として知られた王子権現で、茶店として営業していた扇屋(現在は店頭販売のみ)を、清河八郎がベタ褒めしている。

清河は新選組結成のきっかけを作った人物で、将軍・徳川家茂が上洛する際、その警護を目的に幕府に浪士組を作らせ、ここから新選組ができた。だが、清河本人は勤王家で攘夷主義者であり、京都に到着するや否や浪士組を丸ごと反幕府の組織にしようとする。この経緯から、新選組ファンには悪役のように映る人物である。

しかしそんな清河が、お母さんを連れて「日本“ほぼ”一周旅行」をしたことはあまり知られていない。ちょっと長くなるが、おもしろいのでご紹介しよう。嘉永7年(1854)11月、江戸で念願の私塾を開いたものの、すぐに火事で焼失してしまった悲しみを癒すため、そして母親孝行のため、清河は故郷の出羽庄内清川村から、日本“ほぼ”一周の旅に出た。越後を通って信濃の善光寺から名古屋、松坂に出てお伊勢詣りをし、大坂、京を見物して兵庫から備前岡山、四国に渡り、讃岐の金毘羅さんを参って、多度津から瀬戸内海を遊覧、安芸の宮島、岩国の錦帯橋を観光して帰路についた。この旅の途中、播磨では有馬温泉につかり京では天橋立を眺め、名古屋では七代目市川海老蔵の芝居を観覧し、江戸でも芝居三昧、グルメ三昧し、清川村に帰った。全旅程、お母さんを連れて。帰りの道中も日光や中禅寺湖を楽しみつつ……。

幕末の志士は現代人には想像もつかないほど、旅また旅の人生を送った者が多かったが、清河八郎はその中でもおそらく随一のトラベラーだ。この旅の前の嘉永3年には、九州限定旅をして諸国を遊歴済みで、同5年には蝦夷地にも行っているから、まあ日本全土コンプリートしたと言っていいだろう。ともあれこの母同伴の旅の様子を、自著『西遊草』に克明につづっている。文章がとても平易なのは、母が老後の楽しみに読めるようにとの気遣いだ。どこか怖さと暗さのある「策士」のイメージが強い清河だが、親想いのこんなハートフルな一面もあったのだ。

トラベラー清河は全国のうまいものを食べ歩いた、幕末屈指の食通でもあった。『西遊草』には各地のグルメ話も満載で、王子権現のくだりに「殊に海老やと扇やは別して美々敷」と絶賛されている。江戸の町は騒々しくて何事も手狭だが、扇屋では「滝の川」の水音を枕に酒と食を楽しみ、お湯も浴び、「悠然と八ツ頃まで休游いたし」た。くつろぎすぎて日が暮れてしまい、残りの遊覧予定が忙しくなってしまった、と。

扇屋は幕末の頃から西洋人や外国公使も利用し、維新後には洋館に建て替えられてさらに賑わったが、建物は惜しくも太平洋戦争で焼失してしまった。しかしその味は、今も玉子焼きに受け継がれている。

最後は幕末最大のスター志士・坂本龍馬の“物語グルメ”だ。京急線浦賀駅からバスで「紺屋町」まで行き、そこから徒歩数分、精栄軒本店にたどり着く。ここの看板商品が坂本龍馬のカステラだ!

龍馬が結成した海援隊の雑記帳『雄魂姓名録』に、彼らのカステラレシピが載っている。曰く「玉子百目、うとん七十目、さとふ百目。此ヲ合テヤク也」。精栄軒本店の『おりょうと竜馬の愛したかすていら』は、このレシピに則って作られている。また、ふた駅隣の京急大津駅からほど近い信楽寺に、龍馬の妻・おりょうさんが眠っていることにちなんで、この商品名がつけられた。黒糖を使った独特の風味が人気の商品で、観光客や信楽寺のおりょうさんの墓参りに来たファンの定番だ。

当通信社でも、以前の記事【幕末ミステリーリサーチ File3 東京都内の坂本龍馬を探せ! #04】で、晴野未子隊員が姓名録のレシピ通りにカステラを作っていた。↓その記事はこちら

https://news.walkerplus.com/article/139035/

以上、幕末の人物ゆかりのエピソードと出来事にまつわる、幕末“物語グルメ”をご紹介しました! ゴールデンウィークに各地を訪れて、その味と物語を楽しんでみてはいかがでしょうか!

■ 今週の『西郷どんナナメ斬りッ!』

NHK大河『西郷どん』をより楽しむために! 幕末維新が大好きな俳優や声優、歴ドルたちが、毎週オンエアの翌日に、がっちり考察や幕末ウンチク、妄想トークを繰り広げる動画です。今回は大河の第15回から、島津斉彬が3000人の兵を率いて京に向かおうとするキモのくだりについて、史実を基にガッチリ“反証”! 斉彬本人の言動を史・資料を駆使して探り、彼の真意に迫ります。大河ドラマの描き方とはまた違う、斉彬のスゴさを知ってください♪(東京ウォーカー・ボクらの維新通信社2018/ロバート・ウォーターマン(KUROFUNE-United))

茨城
野外劇幕末の那珂湊、飛田与七描く ひたちなかで8月11、12日 /茨城
 ひたちなか市民らで作る「那珂湊野外劇実行委員会」(磯崎満代表)は23日、幕末の那珂湊で、鉄製の洋式大砲を造るのに必要な反射炉の建設に当たった宮大工、飛田与七を描いた演劇「鎮魂と再生そして世界へ」を8月11、12日、同市湊中央1の湊公園で上演すると発表した。

 那珂湊の反射炉は、水戸藩九代目藩主、徳川斉昭の命で1854~57年に建設されたが、64年に藩内で起きた「天狗党の乱」で破壊された。

 磯崎代表は数年前、旧湊商業学校(同市)の英語教師・関一が戦前に書いた「水戸反射炉の最後」を、遺族が持つ資料から偶然発見。劇作家の錦織伊代さんがこれを基に脚本を作った。

 磯崎代表は「市民参加型の野外劇を通して街を盛り上げたい」と意気込む。

 両日とも午後7時から。入場無料。公募で集まった小学5年~74歳の市民らも出演する。実行委は、出演者を若干名追加募集するほか、上演当日の会場の案内・警備を行うボランティア、企業や個人からの協賛金も募っている。問い合わせは同実行委のメール(nakaminatoyagaigeki@gmail.com)へ。【吉田卓矢】

大阪
展覧会浮世絵で描いた戦国 幕末から明治の59点 大阪城で /大阪
 幕末から明治に変化した時代の人気絵師の作品を集めた展覧会「浮世絵師が描いた乱世」が、大阪市中央区の大阪城天守閣で開かれている。戦国武将らを描いた武者絵が庶民に喜ばれ、当時の社会観などを知ることができる貴重な資料という。5月6日まで。【山本夏美代】

 「幕末・明治維新150年」がテーマ。反骨精神を秘めた風刺画が得意で、豊臣びいきともいわれた歌川国芳や、その弟子で「最後の浮世絵師」といわれる月岡芳年らの59点が並ぶ。武者絵の実物と、見やすいように高さ約1メートルに拡大したものも展示。背景がうかがえる歴史エピソードも紹介している。

 武者絵は、江戸時代の歴史小説「軍記物」を題材に、多色刷りの木版画で出版された。色鮮やかで躍動感にあふれ、人間味ある表情が特徴となっている。

 風刺要素を含んだ作品も多く、歌川芳虎作の「水攻防戦之図」は「絵本太閤記」の挿絵とほぼ共通するが、外国船が江戸城を攻撃している図にも見立てられ、大評判だったという。

 また、織田信長の最期をダイナミックな構図で描いた作品や、幕府が武士名の表記を禁じたのに「おだ」を「おおた」、「のぶなが」を「はるなが」と記した作品など、絵師らの工夫も見られる。

 岡山県倉敷市の中瀬哲平さん(37)と千春さん(39)夫婦は「興味深い作品ばかりです」と見入っていた。

 入館は午前9時~午後5時半。入館料は大人600円、中学生以下無料。同館(06・6941・3044)。

高知
「幕末維新写真展」始まる 織田信福原版も 高知市の自由民権館
 幕末、明治の息づかいを当時の写真から伝える「幕末維新写真展」が4月28日、高知市桟橋通4丁目の市立自由民権記念館で始まった。6月24日まで。

 「志国高知 幕末維新博」の特別巡回展。浜松市の湿板写真家、林道雄さん(36)所蔵の約170点を中心に、幕末から明治初期にかけて撮影された貴重なガラス湿板写真などが展示されている。

 今回は宿毛市出身の自由民権家、織田信福(のぶよし)(1860~1926年)が写ったガラス原版(縦9センチ、横7センチ)も展示されている。...
 以下は有料にて。

佐賀
佐賀)佐賀市内を散歩感覚で 肥前さが幕末維新博覧会
 「肥前さが幕末維新博覧会」が開催中の佐賀。佐賀市内中心部、県庁や佐賀城跡近くにある「幕末維新記念館」(市村記念体育館)は、16施設ある博覧会場のメインパビリオンとなっている。

 幕末維新期、戦いに消極的だった佐賀藩は、「薩長土肥」の薩長両藩に比べ地味とされてきた。しかし、実際は西洋の反射炉の築造、実用蒸気船の建造とも国内初だ。

 記念館では、その藩主鍋島直正の思い、そして当時に居合わせたようなタイムスリップ体験を、迫力あるアニメと音響で感じることができる。

 館を出て1キロほど歩くと、古民家などが集まる柳町に着く。大隈重信ら英傑が学んだ藩校・弘道館の一端に、ミニスクリーンなどを通じて触れられる「リアル弘道館」がある。古民家を改装した近くのカフェや、和紅茶専門店でひと休みも。

 記念館を中心に半径600メートル内の街中は散歩にぴったり。鍋島家伝来品を集めた「徴古館」(松原2丁目)には、直正が見たとされる蒸気車のひながたがある。「佐賀城本丸歴史館」は幕末期の佐賀城の本丸御殿を再現。木造建築物としては国内最大級だ。有田焼を通じたオランダとの交流を伝える「オランダハウス」(旧佐賀銀行呉服町支店)もある。

 維新博事務局の企画・広報担当マネジャー、久保緑さん(49)は「肩苦しく考えず、街歩きをしにきてもらえれば」と話している。(秦忠弘)
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