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新選組・土方歳三を中心に取り上げるブログ。2004年大河ドラマ『新選組!』・2006正月時代劇『新選組!! 土方歳三最期の一日』……脚本家・制作演出スタッフ・俳優陣の愛がこもった作品を今でも愛し続けています。幕末関係のニュースと歴史紀行(土方さんに加えて第36代江川太郎左衛門英龍、またの名を坦庵公も好き)、たまにグルメねた。今いちばん好きな言葉は「碧血丹心」です。
 一昨日昨日と初夏というより夏という感じの陽気が続いています。

静岡
第69回黒船祭
 1934(昭和9)年から続く「黒船祭」。1854(嘉永7)年、ペリー提督率いる米国艦隊が下田に入港し、鎖国政策に終止符が打たれた。その功績を後世に伝え、国際親善に貢献するために始まった、下田を代表する行事だ。
 当日は記念式典や墓前祭が厳かに行われる一方で、幕末の時代衣装に身を包んだ人々が登場する「開国市」や華やかな「賑わいパレード」など、活気あふれるイベントが満載。条約調印の舞台となった了仙寺では再現劇「日米下田条約調印」も行われる。


長野
名君誕生の背景 保科正之公生誕397年記念講演
 直木賞作家の中村彰彦さんと東京大学大学院総合文化研究科教授の山内昌之さんが29日、伊那市高遠町総合福祉センターで「保科正之公生誕397年記念講演」を開いた。2人は高遠藩主を務め、将軍の輔弼(ほひつ)役として江戸時代の礎を築いたとされる正之(1611─72年)の優れた政治家としての人物像を解説し、「日本人にいま一番知ってほしい政治家・保科正之」と題して対談した。
 正之生誕400年に当たる2011年までの大河ドラマ化を目指す市観光協会高遠支部が、正之の生誕祭に合わせて企画した。対談前には正之研究の第1人者と、国際関係史の研究者としてのそれぞれの立場から、歴史に埋もれた名君に光を当てた講演をした。
 中村さんは「名君を育てた女たち」と題して、母親の「お静(志津)」と、武田信玄の娘で正之母子を庇護(ひご)した「見性院」「信松院」の3人の存在を紹介。「お静の人柄を見込んだ2人が正之の幼少期を支え、信頼する(養父になる)正光の養子にした」と説明した。
 山内さんは世界史を専門にする立場から「世界の中の保科正之」と題して講演。正之の善政に▽末期養子禁制の緩和▽玉川上水の開削▽明暦の大火での対応─などを挙げ、「不測の事態に逆転の発想で冷静沈着に対応でき、うそを言わない世界的人物だった」と述べた。
 対談では主に、明治時代以降に正之が正当に評価されなくなった理由を話し合った。山内さんは「戊辰戦争で会津は官軍と戦った。国史に会津藩祖の正之の功績を残さなかったため、知られざる存在になった」。中村さんは「明治初期は正之の名前を持ち出しにくかったのでは」とした。
 高遠で亡くなったとされる「お静」について、中村さんは「永遠の母性を持つ魅力的な女性」と賞賛し、山内さんは「晩年を高遠で心静かに過ごし、素晴らしい養育に成功した」と話した。2人は「お静は理想の女性」とまとめ、名君が育った背景をひもといた。

 中村氏と山内氏が江戸時代について語る対談本が面白かったので、この講演もさぞや面白かっただろうと思います。
 以前から(『風雲児たち』で保科正之編を読んだ頃から・笑)保科正之は大河ドラマで取り上げてもらえないかと思っていたので、高遠市には頑張って欲しいです。

新潟
諏訪神社春季大祭:大名、公家、庶民 春告げる大行列--長岡 /新潟
諏訪神社春季大祭:大名、公家、庶民 春告げる大行列--長岡 /新潟
 旧栃尾市(長岡市)で明治時代から約140年続く伝統行事、「諏訪神社春季大祭」(栃尾大名行列)が29日、同市栃尾表町一帯で行われた。神輿(みこし)や山車(だし)をはじめ、公家姿や赤い着物をまとった稚児(ちご)や囃子(はやし)手ら約500人、350メートルの行列が市街地を練り歩いた。
 明治維新直後、新政府が地方の人心掌握を目的に、地元神社に協力を求め祭りを始めたのが起源とされる。大名行列と銘打ってはいるが、行列は武士のほか、公家や庶民らバラエティーに富んだもの。


愛知
新城で岩瀬忠震の事跡講演
 新城市設楽原歴史資料館で「昭和の日」の29日、長篠・設楽原鉄砲隊による433年前の武田と織田徳川軍の戦いを再現する火縄銃演武が行われた。
(中略)
 岩瀬忠震は、設楽(現新城市)の領主・設楽市左衛門貞丈の三男として生まれ、22歳で旗本・岩瀬忠正の養子となった。嘉永7(1854)年に目付となり、外国奉行として翌年に日露和親条約修正交渉の全権を命じられた。
 安政5(1858)年には、アメリカ合衆国総領事のタウンゼント・ハリスと交渉して条約締結に臨み、日米修好通商条約に井上清直とともに署名、開国に導いた外交官でもあった。
 横山氏は、鎖国政策の中にあって通商を結んでいたオランダとの間で開国前に日蘭和親条約の締結に向けた研究をした岩瀬忠震の隠れた業績とその意味について持論を展開した。

 岩瀬忠震、確か『風雲児たち 幕末編』で何コマか登場してましたっけ? 文久元年に44才で亡くなっていなかったら幕末史でもっと広く知られる人物であったろうと思います。

三重
文化勲章受章の中村さん 母校の鈴鹿・神戸高で講演
 鈴鹿市の旧制神戸中学校(現神戸高校)の卒業生で、文化勲章受章者の彫刻家中村晋也さん(81)、鹿児島市=が三十日、母校で講演し、生徒や同窓生ら約千人が聴き入った。
 中村さんは、幕末の薩摩藩主、島津斉彬(なりあきら)の遺志で、欧州へ留学した武士たちが明治時代、政府の中枢を担ったことを説明。逆に留学生に選ばれなかった武士に焦点を当てた。
 こうした人たちが苦労の末、辞書を作って売り、念願の留学をして政府系銀行の総裁になったり、現在の東大農学部の生みの親になったりしたことを強調。「自信を持ち、夢に向かって努力してほしい」と呼び掛けた。



滋賀
草津宿場まつり:人出7万人 /滋賀
草津宿場まつり:人出7万人 /滋賀
 東海道五十三次の宿場町・草津の風物詩「第40回草津宿場まつり」が29日、草津市草津1の国史跡・草津宿本陣を中心とした旧東海道・中山道周辺であった。快晴に恵まれ、家族連れなど約7万人の人出でにぎわった。
 メーン行事の「草津時代行列」は計約170人が参加し、同市役所を出発。幕末の動乱期に徳川将軍家へ嫁いだ皇女・和宮(かずのみや)と薩摩藩の篤姫(あつひめ)の行列や子ども奴(やっこ)に続き、最後に豪華な大名行列が行進。

 
宮崎
総合学習:先輩の偉人たちに学ぶ 藩校で正座し読書--日南・飫肥小6年生 /宮崎
 子ども読書の日の23日、日南市の飫肥小の6年生65人が、飫肥藩の藩校だった振徳堂で読書を楽しんだ。02年から続く行事で、総合学習「私の好きな日南市」の一こま。今年から5年生も同所で読書会を開く。
 振徳堂は1801年に第二十九代藩主の伊東祐民が開いた藩校。幕末の儒学者、安井息軒らを教授に招き、日露戦争でポーツマス講和条約をまとめた明治の外交官、小村寿太郎らを輩出した。
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