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新選組・土方歳三を中心に取り上げるブログ。2004年大河ドラマ『新選組!』・2006正月時代劇『新選組!! 土方歳三最期の一日』……脚本家・制作演出スタッフ・俳優陣の愛がこもった作品を今でも愛し続けています。幕末関係のニュースと歴史紀行(土方さんに加えて第36代江川太郎左衛門英龍、またの名を坦庵公も好き)、たまにグルメねた。今いちばん好きな言葉は「碧血丹心」です。
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 昨日から今日にかけて「お龍さん?」写真の鑑定結果について複数の記事がネット上にあがっています。

愛知
鳳来館で辞世の句安立作品展
 新城市大野の美術珈琲鳳来館で「辞世の句 安立作品展」が開かれている。戦国の武将、その妻、幕末の志士などの辞世の句を遊彩書画の技法で表現した。18日まで。
 作品を展示しているのは、同館経営者の安形憲二さん。作品は、徳川家康、豊臣秀吉、織田信長、市(小谷の方)や沖田総司、土方歳三、細川ガラシャ、そして地元の鳥居強右衛門など23人、23点。
鳥居強右衛門は「わが君の命に替る玉の緒をなといとひけん武士の道」、細川ガラシャは「ちりぬべき時知りてこそ世の中の花も花なれ人も人なれ」。それぞれの辞世の句に人柄を思わせる色遣いで遊彩画を描いている。
 作品には、地元名号の陶芸作家・追平陶吉さんの陶人形が一緒に展示され、戦国武将の姿と辞世の句が、見事なコラボレーションになっている。

 沖田総司の辞世の句って「伝」の「動かねば闇にへだつや花と水」のことでしょうか。

奈良
時代とともに高度化する浮世絵 「ミネアポリス美術館秘蔵 浮世絵展」
 鈴木春信、喜多川歌麿(うたまろ)、東洲斎(とうしゅうさい)写楽(しゃらく)、葛飾北斎、歌川広重らビッグネームの代表作が勢ぞろいした「ミネアポリス美術館秘蔵 浮世絵展」が、奈良市の奈良県立美術館で開かれている。保存状態のよい色鮮やかな日本美術コレクションがずらり。17世紀後半~18世紀の浮世絵誕生期から幕末まで、時代を追いながら浮世絵の変遷を通観する。


愛媛
備中松山藩通し幕末回顧
 江戸幕府最後の老中で高梁市に城を構えた備中松山藩主板倉勝静(かつきよ、1823―89年)と、家臣で陽明学者の山田方谷(ほうこく、1805―77年)を紹介した展示会が6月29日まで、高梁市原田北町の市歴史美術館で開かれている。今年9月が明治改元140年に当たるのを記念。明治政府をつくった薩長などと敵対した幕府首脳らの人物像や事跡をたどることができる。
 勝静の関連資料は約30点。14代将軍徳川家茂が勝静に送った直筆書状、明治時代に描かれた勝静の肖像画、使っていた硯(すずり)や筆などを並べている。藩参政として勝静を支えた方谷の関連資料は約30点。第2次長州戦争最中の66年に家茂が亡くなった時、幕政の今後を勝静に問われ回答した書状「征長再役善後策」などを展示している。300―150円。



高知
若い日の「お龍さん」写真は本物?警察庁科警研が鑑定
若い日の「お龍さん」写真は本物?警察庁科警研が鑑定
 歴史研究者の間で真偽論争が起きている坂本龍馬の妻、お龍(りょう)(1841~1906年)の若いころとみられる写真(井桜直美氏所蔵)について、警察庁の科学警察研究所(千葉県柏市)が、唯一本人と確認されている60歳ごろの写真(神奈川県・信楽寺所蔵)と比較し、「同一人物の可能性がある」との鑑定結果を出した。
 鑑定を依頼した高知県立坂本龍馬記念館が15日発表した。
 写真は、いすに座った30歳前後の女性。幕末維新の人物を集めた写真集に掲載されていたのを京都国立博物館の宮川禎一・考古室長が2001年に見つけた。
 研究者の間では、お龍が写真撮影を嫌っていたとされることから“お龍説”を否定する意見があり、龍馬記念館が今年1月、写真鑑定設備や技術がある科警研に依頼、2枚の写真を比較してもらった。


発見された写真、龍馬の妻「お龍」の可能性高まる
やっぱりお龍さん? 写真の女性、龍馬の妻の「可能性」
 幕末の志士、坂本龍馬の妻お龍(りょう)(1841ごろ~1906)か否かを巡って論議が続く若い女性の写真を、警察庁の科学警察研究所(千葉県柏市)が鑑定した結果、本人の晩年の写真と比較して「同一人の可能性がある」と結論づけた。鑑定を依頼した高知県立坂本龍馬記念館が15日発表した。
 写真は00年末、東京の古写真収集家のコレクションから見つかり、いすに座った30歳前後と見られる女性が写っている。被写体がお龍と唯一確認されている写真の顔つきと似ていたが、決め手に欠け、記念館が1月、科警研に鑑定を依頼していた。
 科警研は、顔型や鼻、唇の特徴を分析し、「同一人の可能性がある」と結論づけた。ただ、双方の写真の撮影時期に約30年の差があることなどから断定は避けているという。鑑定書の内容や写真などは近く館内で紹介される。
 記念館の森健志郎館長は「お龍の可能性が高まった」と話している。


<坂本龍馬の妻>「お龍の写真」は本人 科学警察研究所が結論
 坂本龍馬の妻お龍(りょう)(1841~1906年)の若いころを写したとされながら、異論もあった写真について、警察庁科学警察研究所が、本人と唯一確定している晩年の写真と比較し、「別人と示す根拠はない」と結論付けた。鑑定を依頼した高知県立坂本龍馬記念館(高知市)が15日、発表した。
 鑑定された写真は01年に見つかった。お龍が32歳の時(1873年)に東京の写真館で撮影したとされる。美人ぶりを示すものとして知られるが、服装などから本人か疑問視する声もあった。
 科警研は晩年(60歳ごろ)の写真と顔の輪郭や目などの位置や形を分析。目や口の形などに相違があるが、「年齢差を考慮するならば同一人でも生じる差」と認定。下唇の下側の隆起や小鼻の膨らみ具合などが酷似しており、「同一人と示唆することが科学的に妥当な判断」と結論付けた。【近藤諭】


長崎
シーボルト:記念館開館など「長崎市に感謝」--子孫が表敬 /長崎
シーボルト:記念館開館など「長崎市に感謝」--子孫が表敬 /長崎
 幕末に長崎・出島に滞在したオランダ商館医、シーボルト(1796~1866)の次女マチルデのひ孫にあたるブランデンシュタインさん(54)が14日、長崎市の県美術館に展示中のシーボルトゆかりの品々を見学した。
 県美術館では、シーボルトの医療器具や東インド軍の参謀本部付大佐時代に着ていたとみられる礼服、国重文の眼球模型などを常設展示。現在、同館で開催中の医学史展覧会でもシーボルトゆかりの写真などが展示され、ブランデンシュタインさんは興味津々で眺めていた。
 その後、長崎市役所を表敬訪問したブランデンシュタインさんは「シーボルトの業績を顕彰する記念館の開館など長崎市には感謝している。シーボルトも喜んでいると思う」と話した。
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