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新選組・土方歳三を中心に取り上げるブログ。2004年大河ドラマ『新選組!』・2006正月時代劇『新選組!! 土方歳三最期の一日』……脚本家・制作演出スタッフ・俳優陣の愛がこもった作品を今でも愛し続けています。幕末関係のニュースと歴史紀行(土方さんに加えて第36代江川太郎左衛門英龍、またの名を坦庵公も好き)、たまにグルメねた。今いちばん好きな言葉は「碧血丹心」です。
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 今日はおでかけ日和。用事で自由が丘に行ったらマリ・クレール通りでイベント。生ビールが5種類ほど、ワインもボトルやグラスで30種類以上出ていましたので、ついグラスワインをいただいてしまいました……美味しかったです(*^。^*)。

福島
文化審答申:「小峰城跡」が国史跡に 2カ所の範囲拡大も /福島
 国の文化審議会が21日答申した国史跡の新指定で、県内から歴代白河藩主の居城だった「小峰城跡」(白河市)が選ばれた。市のシンボルとして親しまれてきた城跡の指定に、同市教育委員会は「石垣の保存状態が良く、復元も当時の絵図に忠実に行った。歴史的、学術的価値が高いと評価された」と喜んでいる。
 同市教委などによると、小峰城は1340(興国元)年に結城親朝(ゆうきちかとも)が、小峰ケ岡と呼ばれた丘陵に城を築いたのが始まりとされる。1629(寛永6)年から初代白河藩主の丹羽長重(にわながしげ)が大改築した。
 1868(慶応4)年の戊辰戦争で石垣などを残し焼失したが、1991年に天守にあたる三重櫓(やぐら)、94年に前御門(まえごもん)が復元された。丘と阿武隈川周辺の平地を利用した典型的な平山城(ひらやまじろ)で、石垣の石が半円状に積み上げられるなど、建築学的にも珍しいとされる。
 今回の答申では、2カ所の指定範囲拡大もあった。うち、「白河官衙(かんが)遺跡群」(同市、泉崎村)は7~10世紀の役所跡で、84年に「関和久(せきわく)官衙遺跡」として国史跡に指定。その後の調査で近くの寺院跡「借宿廃寺跡」も関連遺跡と分かり、追加と名称変更がなされた。
 「白河舟田・本沼遺跡群」(同市)は古墳群で、新たに「野地久保古墳」が追加された。
 3史跡の指定を記念し、同市教委は今夏、市歴史民俗資料館で出土品などを集めた特別展を開く予定。【関雄輔】


【東北女子アナコラム】戊辰戦争にさかのぼる青森との深~い縁 福島テレビ・関口由香里アナウンサー
 山々に囲まれた福島県磐梯町の「道の駅ばんだい」で、青森県むつ市のホタテや大間のマグロが販売されています。
 なぜ福島県で青森県の海産物が!?
 答えは戊辰戦争にさかのぼります。
 青森県むつ市は、戊辰戦争で敗れた会津藩が移封された斗南藩ゆかりの地。
 そこで、会津と斗南の歴史にちなんだ交流をしようと、アンテナショップの設置になったのです。
 むつ市の特産はホタテ。大間町がむつ市に近いことから、大間のマグロも販売されることになりました。
 取材で訪れたときも、大間のマグロを買い求める地元の方の姿が見られました。道の駅では大間のマグロを使ったマグロ丼や海鮮丼も頂けます。
 時をへても変わらぬつながり…。
 歴史に想いをはせつつ頂く高級マグロは絶品です。(福島テレビアナウンサー)

 会津と斗南のつながりは存じてますが、磐梯町でむつのホタテや大間のマグロを売っているということには驚きます。


栃木
『幕末の佐野』 振り返る 郷土博物館で企画展
 佐野市大橋町の市郷土博物館で、企画展「幕末の佐野」が開かれている=写真。幕末の動乱の様子を今に伝える貴重な史料約五十点が並ぶ。六月十五日まで。
 展示は文書が中心。市内に領地があった彦根藩の藩主井伊直弼に焦点を当て、井伊の佐野領巡見や桜田門外の変で倒れた際の状況などが分かる。尊王攘夷(じょうい)運動の太平山事件や出流山事件への佐野からの参加者の史料もある。
 入館料は一般二百十円、大学・高校生百円、小中学生五十円。二十九日には東京大の宮地正人名誉教授の記念講演会もある。問い合わせは同館=電0283(22)5111=へ。 (清水祐樹)


大河ドラマ題材に歴史講義20年 元中学校長の新井さん
 【那須烏山】NHK大河ドラマのテーマに合わせて歴史を講義する、元中学校長で歴史研究家新井正義さん(81)=さくら市喜連川=の歴史講座が、本年度で20回目を迎えた。今回は「幕末・政局の動きと龍馬の生涯」のテーマで、20日に第1回を市烏山公民館で開いた。15年以上通う熱心な受講生もおり、新井さんは「自分の勉強の成果を聞いてくれ、ありがたい」と、坂本龍馬が駆け抜けた幕末の講義に力を入れている。
 新井さんは喜連川中で16年間日本史を指導。1982年には県立烏山青年の家所長を務め、89年に同校校長で退職した。すぐに公民館の歴史講座の講師となり、旧南那須町で6年間、それ以降は旧烏山町で担当している。両町合併後も続けている。
 講座担当3年目からは大河ドラマの内容に合わせてテーマを設定。毎年、次回作が決まると関連書籍で毎日3時間から5時間勉強する。今回も5カ月間準備してきた。
 新井さんは「大河ドラマで予習してもらい、講座では史実とドラマのフィクション部分を比較しながら話している」という。
 歴史講座は市民対象で、毎月1回(10月2回)の計8回。1回目は約60人が受講した。今後、龍馬の脱藩や海援隊結成、薩長同盟などの講義のほか、宇都宮城など戊辰戦争の県内戦跡巡りも行う。
 約15年受講を続ける野上、無職石田なみさん(76)は「この講座は生きる張り合い。昨年は米沢に行き、直江兼続の墓も訪ねた」と言う。講座づくりを担当してきた前社会教育指導員の桜井恵子さん(61)は「新井さんは歴史を現代の政治経済問題と結び付けてくれる点もおもしろい」と、講義の魅力を話している。問い合わせは市生涯学習課電話0287・88・6223。


千葉
旧八幡村名主 寺嶋家文書を解読
古文書研が第5集発刊 市原八幡・五井地区

 市原市八幡・五井地区などに残る古文書を研究するグループ「市原の古文書研究会」(山岸弘明代表、5人)がその成果をまとめた「市原の古文書研究」の第5集を発刊した。“目玉”は旧八幡村名主・寺嶋家の文書。維新混乱期の第一級史料からは乱暴者が横行した村の緊迫した様子や、今まで不確かだった房総知県事の本陣の場所が初めて明らかになった。「梅谷家文書」は珍しい一般農家の文書。いずれにも分かりやすい解説がついており、当時の庶民らの暮らしぶりが楽しく理解できる。
 同研究会は同市史編さんにも携わった郷土史研究家、秋葉平さんを講師とする同市立八幡公民館のサークル「古文書学習会」の有志が2001年に結成。
 かつて市原の中心地でありながら、都市化により多くの史料が失われた八幡・五井地区の文書を掘り起こし、その解読と研究に取り組んできた。成果は04年発刊の1集から計4冊にまとめられ、今回の5集は約2年ぶりの発刊となる。
 今集の“目玉”「寺嶋家文書」は、江戸中期以降に名主を務めた旧八幡村屈指の名家で見つかった。江戸から明治にかけての同家の文書類はほとんどが県文書館に寄託されたが、今回は同家、同館の協力で一般公開に先立って調査解読を許された。
 維新期の戦乱に、江戸から県内に疎開した家族の状況を領主に伝える1868(慶応4)年の礼状には「昼は乱暴人に金子を脅し取られ、夜は6、7人が抜き身(刀)を携え、村人が恐怖している」など緊迫した様子を記した一文が。また同年、房総(安房、上総)の領主として赴任した柴山文平が八幡本陣を構えた期間と場所が、この文書で初めて明らかになった。
 「梅谷家文書」は同研究会で初めて解読する一般農家の文書。江戸から明治にかけての、商品を売買した領収書やメモなどからは庶民の生活ぶりがうかがえる。「深山家文書」「飯香岡八幡宮文書」は以前から同会が解読に取り組んでいる。
 B5判302ページ。送料込み2500円で販売する。詳しくはファクスで同研究会の佐野さん、電話0436(75)0130。

東京
「まんがで読む 八王子歴史物語」刊行-年齢差50歳コンビが執筆
 八王子の郷土史を漫画で学ぶことができる書籍「まんがで読む 八王子歴史物語」の第1巻が現在、多摩地域の書店などで販売されている。
 同書は市内で歯科医院を開く新藤恵久さんと教育漫画家・松田純さんの2人が執筆。八王子をテーマとしたフリーペーパー「はちとぴ」などを発行している清水工房(八王子市追分町)の出版事業部門「揺籃社」が手がけた。1巻では「八王子」という町が作られはじめた戦国時代から江戸時代にかけてのエピソードを、八王子生まれの機織り(はたおり)神・ハタガミちゃんとそれを取り巻くキャラクターたちが楽しく説明する。
 新藤さんは本職の歯科医としての仕事の傍ら、市郷土資料館運営協議会の会長を務めていたほどの郷土史研究家。「2002年、地元市民が郷土の歴史になかなか関心をもってくれないのを嘆き、知人に相談したところ、漫画で伝えるアイデアを得たことがこの企画の発端」と作画を担当した松田さん。
 「当時、角川書店より漫画家としてデビューしたばかりのわたしに、新藤さんの知り合いの歯科器材の業者の方を通じて、八王子の歴史を漫画化する企画をご相談いただいた」と松田さん。東京都立大学(現在の首都大学東京)に在学していたころは歴史学を専攻していたこともあり、申し出を快諾。当時70代だった新藤さんと20代だった松田さんという、年齢差50歳のコンビが生まれた。
 「コンビ結成」から2年後の2004年から八王子の各地を巡る取材を開始。「八王子城跡や滝山城跡・大善寺跡などの史跡を一緒に取材をした」と松田さん。「新藤さんから生きた郷土の歴史を学び、地元のさまざまな先生方からもお話をうかがう貴重な機会をいただきつつ、千人同心や八王子の歴史を各エピソードごとに漫画化していった」という。
 ある程度漫画がたまったところでいったん、出版社に企画を持ち込んだが不発に終わった。2人は「未経験のジャンルなので冒険はできない」と構成を見直すことに。企画を温め直し、再び手がけることになったのは昨年のこと。7年がかりで出版にこぎ着けた格好だ。「再び構成を練り直して、新しい研究成果も交えながら加筆修正した」と松田さん。
 1巻は今年3月に刊行。今後は年に1冊のペース(計6巻)で刊行していく予定。「2巻では江戸時代の後期から、幕末の動乱と戊辰戦争・大政奉還にかけてを千人同心や八王子の歩みを絡めながら、楽しく読める作品にしたい」と松田さん。「新しい市民の方々、とりわけ新しい街で生まれ育っていく子どもたちに読んでもらえれば」とも。
 サイズはA5判、全208ページ。価格は945円。



神奈川
幕末~明治前期の東本願寺法主が嫁ぐ娘にあてた手紙発見、横浜人形の家で公開
 幕末から明治前期に京都・東本願寺の第21代法主を務めた大谷光勝(こうしょう)(1817~1894年)が、明治維新を主導した公家岩倉具視の子に嫁ぐ娘にあてた手紙が横浜市内で見つかった。光勝が娘に託した市松人形とともに、横浜市中区の「横浜人形の家」で22日から公開される。30日まで。
 東本願寺などによると、光勝の手紙は岩倉具視の三男具経(ともつね)に嫁いだ六女梭子(おさこ)にしたためたもの。「天朝の御恩(ごおん)の程難有(ありがたく)存し奉(たてまつ)り政令(政府が定める命令)にそむく間敷(まじき)事」など5カ条が記され、激動の時代を経験した光勝が宮中や明治政府への配慮をにじませている。
 具経と梭子の長女の孫にあたる横浜市泉区緑園の中嶋信光さん(74)がこのほど、仏壇にあった手紙を見つけた。中嶋家に伝わる由来によると、光勝から梭子には手紙とともに市松人形「御小姓(おんこしょう)人形」(高さ35センチ)が渡された。その後、長女が嫁いだ中嶋家の家宝となったという。
 中嶋さんによると、人形は江戸後期の作で、伏見宮から嫁入りした光勝の妻が持参した。太平洋戦争時の空襲では顔に傷が付いた程度で着替えの着物とともに焼失を免れた。1986年に人形の家に寄贈された。
 2006年の改装後は公開されていなかったが、今回見つかった手紙も人形の家に寄贈される運びとなったことから、手紙の写しとともに展示されることになった。中嶋さんは「手紙を通じて人形がたどった数寄な歴史を伝えたい」。学芸員の伊井さえこさん(34)は「人形を今に伝えてきた人たちの思い感じてほしい」と話している。


小田原城で初の和装コスプレイベント開催へ/神奈川
 和装を中心とするコスプレイベント「小田原写真館~in小田原城」が30日、小田原城址公園(小田原市城内)で初めて催される。国指定史跡の小田原城を舞台に、若者の和装コスプレーヤーが集う催しが開催されるのは珍しいという。
 一大仮装イベントの北條五代祭りや「着物でまちあるき」、茶会など「和」のイベントが小田原城で催されてきたことから、「小田原城址公園全体をロケーションとする仮装と撮影を目的とした参加型イベント」として、和装コスプレを愛好する若者らとFMおだわらが初めて共催する。
 若者らに小田原城の歴史的な価値を再認識・再評価してもらおうという狙いもある。
 コスプレは、アニメやゲームなどの愛好者が、自らが好きなキャラクターの衣装をまねて作った服を着てキャラクターになりきり、気に入った背景に収まって写真を撮るまでの一連の流れをいう。和装コスプレは、将軍や幕末などの人物をイメージして自作した衣装が特徴となっている。
 当日は、参加者がそれぞれの衣装を身にまとい、お堀端や銅門(あかがねもん)、馬出門(うまだしもん)などの気に入った撮影場所で自らを撮影する。
 午前10時半から午後4時まで。参加費は1人1500円。申し込み・問い合わせはFMおだわら電話0465(35)5150。


高知
土佐藩主・山内容堂の企画展 高知県立文学館
 「最後の将軍」徳川慶喜に大政奉還を提案するなど幕末に大きな役割を果たした土佐藩の15代藩主・山内容堂の足跡、人柄を紹介する企画展が、高知市丸ノ内の高知県立文学館で開かれている。6月27日まで。
 同県に寄贈された山内家の資料の調査を進めている土佐山内家宝物資料館(同市)が開館15周年を記念して企画。慶喜ら幕末の権力者とのかかわり、自らを「鯨海酔侯(南海の酔いどれ大名)」と名乗り、詩や書を愛した一面などを約50点の展示資料を通じて紹介している。
 大政奉還建白書の写しは初公開で、長さ約2メートル。冒頭部に「慶応3(1867)年9月に幕府に建白書を差し出す」と、後に書かれたことを示す注記がある。慶喜が将軍に就任する直前に容堂にあてた書状では「京都に上京し朝廷の警護にあたってほしい」と依頼した内容が記されている。
 このほか、容堂の肖像画や赤色の地に白い数珠の模様を配した陣羽織なども展示されている。会期中は無休。観覧料は400円(高校生以下は無料)。

山口
文化審答申:「長州藩下関前田台場跡」国の史跡に 世界遺産登録へ大きな前進 /山口
 明治維新はここから始まった--。文化審議会が国の史跡にするよう答申した「長州藩下関前田台場跡」(下関市前田)は、長州藩が馬関戦争(1864年)で英仏蘭米に大敗し、開国、倒幕に転じた「維新起点の地」。下関市の試掘から17年目にして日の目を見ることになった。(18面に「なるほドリ」)
 前田台場跡は、関門海峡沿いの国道9号を唐戸町から長府方面へ走る途中の左側、前田1丁目の高台だ。
 幕末、攘夷(じょうい)を強硬に唱える長州藩は彦島から長府にかけて約20の砲台を築造し、青銅製の大砲などを設置した。前田台場はその一つ。文化審は「低台場(標高10メートル)」と「高台場(同16メートル)」の形状をほぼ当時のままとどめる点などを評価した。
 存在が確認されたのは市教委が試掘した94年。99~02年には県教委が発掘調査し、土塁や大砲を据えた平たん面などが見つかった。その後、市民にもほとんど知られていなかったが、08年9月、福岡県など6県10市が組む「九州・山口の近代化産業遺産群」の一つとして世界遺産登録の暫定リスト入り。一躍脚光を浴びた。
 現地を訪ねて高台場から見下ろすと、思いの外、海峡が近く迫ってくる。市文化財保護課の濱崎真二主任らによると、馬関戦争の往時、台場から撃った大砲の弾は4国連合艦隊にまるで届かなかった。一方、艦隊からの砲撃は台場に降り注いだという。埋め立てで海岸線は遠のいたが、変わらない海峡の眺めが146年前の戦闘をしのばせる。
 市は今後、文化庁と協議し、遺跡を守りながら歴史的価値を顕彰するスポット作りを模索する。文化財保護課によると、国の史跡指定は「近代化産業遺産群」の世界遺産登録へ向けても大きな前進だという。ユネスコへの推薦に国の指定は不可欠で、前田台場跡は関門をクリアしたといえる。同課は「スタート地点に立てた。それもありがたい」と二重の喜びに沸く。【取違剛】



熊本
文化審答申:国指定史跡に、熊本藩・川尻米蔵跡 /熊本
 国の文化審議会は21日、熊本市川尻の熊本藩川尻米蔵跡(外城蔵跡、船着場跡)を国の史跡に指定するよう文部科学相に答申した。指定されれば県内では37件目となる。【勝野俊一郎】
 川尻地区は中世から緑川や支流の加勢川を利用した水運の拠点。1588年、肥後に入国した加藤清正が本格的な整備をしたとされる。軍港としての側面もあり、豊臣秀吉の朝鮮出兵の際には兵や兵糧を送り出した。
 米蔵跡は江戸時代、熊本藩が年貢米の集積や搬出の拠点として利用した。主に藩南部から集めた年貢米をいったん納入して大坂に搬送していたという。1832年の絵図には3カ所に蔵が描かれているが、現存するのは外城蔵の一部だけ。幕末の19世紀中ごろに造られたとみられ、東棟と西棟がある。ともに木造平屋建てで東棟が585平方メートル、西蔵が210平方メートル。個人所有で、二十数年前までは農協の倉庫として使用されていた。
 船着場は16世紀末に整備された。加勢川右岸に13段の石段形式で造られ、全長約150メートル、幅平均4・7メートル、高さ平均3メートル。終戦直後まで天草からの木材を運ぶためなどに使われていたという。
 市教委は「お蔵跡と船着場がそろって残っており、近世の物流、水運の様子を知る上で、全国的にみても貴重な史跡だ。保存や公開方法なども検討したい」としている。


宮崎・鹿児島
文化審、鹿児島、宮崎の3件答申
 文化審議会が21日、文部科学大臣に答申した新たな国指定には、鹿児島、宮崎両県から「ヤクシマカワゴロモ生育地」(天然記念物、鹿児島県屋久島町)▽「小湊(こみなと)フワガネク遺跡」(史跡、同県奄美市)▽「賀来飛霞(かくひか)標本」(登録記念物、宮崎市)‐の三つが含まれた。どんな価値があるのかを紹介する。
 ヤクシマカワゴロモは屋久島固有の水生植物。世界自然遺産の屋久島でも北部の一湊(いっそう)川の流域でしか確認されておらず、生息地は貴重と評価された。
 宮崎や鹿児島の本土にも分布するカワゴロモ属の一種で、種子植物だが、コケや藻のような形状が特徴。流水に適応し、平たい根で岩の表面に広がる。花こう岩上に生息することが本土のカワゴロモとは異なる。
 鹿児島県立博物館の寺田仁志・主任学芸主事(57)は「屋久島の自然の豊かさを示す特別な文化財。国の天然記念物として大切にされるのは、うれしい」と話す。
 小湊フワガネク(外金久)遺跡は、奄美市名瀬の南部の海岸近くにある。6-8世紀の生活や交易の在り方が分かる集落として評価された。現地は太平洋に面し、幕末には米国ペリー提督の艦隊が立ち寄ったとの言い伝えも残る。
 市教委の高梨修主幹は「あの時の衝撃が忘れられない」と話す。1996年、専門学校の建設現場から大量のヤコウガイの貝製品や土器のかけらが見つかった。97年に発掘を始め、2000年から本格調査。約2万5千平方メートルの範囲で土器片だけでも約1万8千点が出土した。貝製品の工場跡も見つかり、6-8世紀の遺跡と判明した。
 高梨さんは「奄美の歴史の空白部分が埋まった。ヤコウガイは平安時代に螺鈿(らでん)細工に使われ、宮廷貴族が重宝したとされる。奄美が供給地だった可能性がある」と話す。
 賀来飛霞標本は、本草学者で医師の賀来飛霞(1816-1894)が集めた760点の動物、植物、地質鉱物の標本で宮崎県総合博物館所蔵。幕末の本草学から明治時代の近代植物学の先駆けまでに作成された標本として重要と評価された。


全国各地
平城宮東院庭園など特別名勝に 文化審議会答申
 文化審議会(西原鈴子会長)は21日、日本庭園の原型とされる平城宮東院庭園(奈良市)を特別名勝に指定するよう川端達夫文部科学相に答申した。庭園の中心にある池は、当初、中国などから伝わった直線的な技法で造られたが、なだらかな曲線を備えた日本独自の様式に造り替えられた。 また、長州藩と4カ国連合艦隊による幕末の下関戦争の舞台となった「長州藩下関前田台場跡」(山口県下関市)など8件を史跡にすることなどを求めた。
 また、山部赤人の短歌に詠われた干潟、島嶼(とうしよ)などからなる「和歌の浦」(和歌山市)など2件を名勝に、およそ4000年前に噴火した火山「大室山」(静岡県伊東市)など3件を天然記念物にそれぞれ指定するよう答申した。答申はいずれも近く認められる見通し。

     ◇

 主な答申は次の通り。

 【特別名勝】平城宮東院庭園(奈良市)
 【名勝】和歌の浦(和歌山県和歌山市)▽円月島 高嶋(和歌山県白浜町)
 【史跡】長州藩下関前田台場跡(山口県下関市)▽小峰城跡(福島県白河市)▽常陸国府跡(茨城県石岡市)▽大町釈迦堂口遺跡(神奈川県鎌倉市)▽阿波遍路道 鶴林寺道 太龍寺道 いわや道(徳島県阿南市、同勝浦町)▽妙見山古墳(愛媛県今治市)▽熊本藩川尻米蔵跡 外城蔵跡 船着場跡(熊本市)▽小湊フワガネク遺跡(鹿児島県奄美市)
 【天然記念物】大室山(静岡県伊東市)▽多度のイヌナシ自生地(三重県桑名市)▽ヤクシマカワゴロモ生育地(鹿児島県屋久島町)




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