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新選組・土方歳三を中心に取り上げるブログ。2004年大河ドラマ『新選組!』・2006正月時代劇『新選組!! 土方歳三最期の一日』……脚本家・制作演出スタッフ・俳優陣の愛がこもった作品を今でも愛し続けています。幕末関係のニュースと歴史紀行(土方さんに加えて第36代江川太郎左衛門英龍、またの名を坦庵公も好き)、たまにグルメねた。今いちばん好きな言葉は「碧血丹心」です。
 今日まで出張だったので、ここ3日間のニュースをまとめてご紹介します。

北海道
土方歳三が通った道 森→江差250キロ完歩 函館の毛利さん、2週間で
 箱館戦争(一八六八-六九年)で新選組副長の土方歳三が通った道南ルートの歩行計画を立てていた、函館市日乃出町の毛利剛さん(63)が、四月中旬から約二週間かけて実行に移した。自ら付けた旅の名は「土方歳三『蝦夷(えぞ)の道』トレッキング」。現在、ルートの詳細と旅の様子をCD-ROMにまとめる作業を進めており、今夏までに完成させる予定だ。
 文献と現地での聞き取りなどによって、二年がかりで土方が歩いたと思われるルートを独自に調べ上げ、旅の計画を立てた。

 本宅の第二掲示板にたびたび書き込みいただいている「も~さん」の快挙です。本宅の函館旅行記にも、二度ほど「も~さん」に余り知られていない旧幕府軍の塹壕跡などにご案内いただいた時のエッセイがあります。

福島
観光パンフ「わかまつナビ」を作成へ
 会津若松市民総ガイド運動実行委員会は、7月までに会津若松観光物産協会と協力し、観光モデルコースを集めたパンフレット「わかまつナビ(仮称)」を作成する。
(中略)
 想定では「新選組の足跡」「寺社めぐり」など10コース程度をつくり、数時間から半日のコースとする。


東京
作風の「変化」や個性、興味深く 狩野派の再検証展
 ほかに「狩野派誕生」展。栃木県立博物館収蔵品を中心に約40点。派の始祖とされる正信(1434~1530)の、漢画を基礎に気格正しい「観瀑(ばく)図」(栃木県大祥山長林寺)から、幕末までの作風変遷がおおよそわかる。なじみの薄い関東の狩野派の紹介も興味深い。
(中略)
「狩野派誕生」展は27日まで、東京都港区虎ノ門2の10の3、大倉集古館。


滋賀
女性日本画家、美の競演──大津で「松園・遊亀・不矩」展
 気品に満ちた美人画で知られ、女性初の文化勲章に輝いた上村松園と、松園に続いて日本画壇に大きな足跡を残した小倉遊亀(ゆき)と秋野不矩(ふく)。関西にゆかりのある女性日本画家の作品を集めた「松園・遊亀・不矩」展が、滋賀県立近代美術館(大津市)で6月3日まで開かれている。約90点が並び、三者三様の個性が華やかに際だっている。
 京都生まれの松園(1875―1949年)は小学校卒業後、画学校に進み、後に竹内栖鳳に師事する。男性画家が主な担い手であった美人画で、「一点の卑俗なところもなく、清澄な感じのする香高い珠玉のような絵」(「青眉抄」)を目指し、りんとした女性美を描いた。
 松園以前にも女性画家はいたが、貴族や武士の娘といったごく限られた女性たちだった。その常識を打ち破ったのが松園だ。
 国賀由美子主任学芸員は「明治維新以降、近代化政策の一環として展覧会制度や教育が整い始めるなかで、松園が頭角を現し、遊亀や不矩らが続いた」という。3人が江戸以前に生きていたら、その才能は人目に触れず、ひっそり消えていた可能性が高い。本人の努力はもとより、社会制度の変革がその活躍を後押ししたともいえる。


京都
京都の夏の名物「鴨川納涼床」を初体験
 古都・京都の夏の風物詩が「鴨川納涼床」。京の夏を彩る納涼床は、河原にせり出した特設の座敷で、川風に吹かれながら味わう酒食は格別の情趣がある。初夏から初秋にかけてしか体験できない季節限定の大人遊びだ。
(中略)
 かつては高級料亭やお茶屋が床の主役だった。幕末の志士、桂小五郎と、芸妓だった後の妻、幾松が仮住まいした跡に立つ料亭「幾松」は今も床を出している。しかし、今ではフランス料理店やタイレストラン、韓国料理店、ショットバーなど、様々な業態の飲食店が床を構えている。座敷が大半だが、椅子席もある。2006年からはスターバックスコーヒー京都三条大橋店も参加した。通常店内と同じ扱いとし、席料を取らない代わり、予約も受け付けない。


「お救い長屋」 近く取り壊し
中京、蛤御門の変 被災者“仮設住宅”

 江戸時代、困窮する市民のために建てられた「お救い長屋」と呼ばれる住居がある。お助け長屋、あるいはお救い小屋とも言われる。そのお救い長屋と伝えられる古い民家が京都市中京区小川通御池上ルにある。蛤(はまぐり)御門の変(1864年)で焼け出された人のための幕末版の『仮設住宅』だ。近く取り壊される予定で、地元の人は「お救い長屋の存在を知ってほしい」と話す。

 幕末の貴重な史跡がなくなってしまうのは残念です……。

山口
語学研修5人を募集 萩市 英国へ中学生派遣 長州ファイブにちなみ
 萩市は昨年度に続き、幕末の長州藩の志士5人が学んだ英国に、市内の中学生5人を派遣する「長州ファイブジュニア語学研修」を実施する。語学力の向上と文化交流を深め、国際的な視野に立つ人材を育てるのが目的で、28日まで希望者を募集している。
 長州ファイブとは、1863(文久3)年、英国に密航留学して西洋文明や制度を学び、近代日本の礎を築いた伊藤博文、井上馨、井上勝、山尾庸三、遠藤謹助の5人。


福岡
月形洗蔵を知ってるかい 「春雨じゃ、ぬれてまいろう」モデル 筑紫野市
 「春雨じゃ、ぬれてまいろう」の名せりふで知られる時代劇の主人公「月形半平太」のモデルの1人とされる福岡藩士・月形洗蔵の功績を再評価する取り組みが福岡県筑紫野市で始まった。月形は坂本竜馬らにも劣らぬ重要な役割を担ったとされる幕末の志士だが、早くに亡くなり広く知られていない。子孫に当たる福岡市中央区の会社員、月形宏さん(40)は「祖先の功績を認めてもらえるのはとてもうれしい」と喜んでいる。
 月形半平太は「国定忠治」で知られる劇作家の行友李風が、月形洗蔵と土佐の武市半平太をモデルに創作し、数々の時代劇に登場した。洗蔵は1828年、福岡城下早良郡(現在の福岡市早良区)で出生。23歳で家督を継ぐが、藩主に異論を唱え、34歳で筑紫郡(現筑紫野市)に閉居を命じられる。
 2年後に大赦で解かれると、朝廷を追放されて長州藩で再起を図った三条実美ら五卿が太宰府に移るのを手助けし、幕府軍による第1次長州征伐の矛を収めさせるなどした。高杉晋作と西郷隆盛を会わせ、薩長連合のきっかけを作るなど重要な役割を担ったが、大政奉還前の1865年、藩主による勤王派弾圧に遭い、38歳の若さで処刑された。月形家には西郷隆盛が月形洗蔵に送った礼状など貴重な史料約10点が今も残っている。

 自分は月形半平太の出てくる映画を見たことはないのですが、この台詞はパロディなどで知ってました。モデルとなった人物像については、今回初めて知りました。

コラム
【きょうの言葉】心正しからざれば 剣又正しからず 島田虎之助
 幕末の剣豪が残した有名な言葉。「剣を学ばんと欲する者は、まず心より学ぶべし」と続く。勝海舟の剣術の師で、儒教や禅にも詳しかったが、38歳の若さで没した。

 氷川きよしの『一剣』で有名になった一節ですね。
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