新選組・土方歳三を中心に取り上げるブログ。2004年大河ドラマ『新選組!』・2006正月時代劇『新選組!! 土方歳三最期の一日』……脚本家・制作演出スタッフ・俳優陣の愛がこもった作品を今でも愛し続けています。幕末関係のニュースと歴史紀行(土方さんに加えて第36代江川太郎左衛門英龍、またの名を坦庵公も好き)、たまにグルメねた。今いちばん好きな言葉は「碧血丹心」です。
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北海道
「箱館新選組」冊子に 函館の近江さん 10年の研究まとめる
「箱館新選組」冊子に 函館の近江さん 10年の研究まとめる
次に函館を訪問する時に入手したいなぁと思っています。
函館に坂本龍馬記念館開館へ
土方ファンの聖地・函館に龍馬記念館……(汗)。うーん、土方ファンというか旧幕府脱走軍ファンとして、とっても複雑な心境です(苦笑)。
岐阜
高田祭曳やまの木彫「松鷲」は江戸期名工の作
和歌山
幕末生きた紀州の女性が残した「小梅日記」で地域活性化
広島
宮崎駿監督がアイデア
幕末の志士、坂本竜馬ゆかりの町家を改修、アニメ映画監督の宮崎駿さんが設計図のデッサンを描いた旅館「御舟宿いろは」が瀬戸内海の景勝地、広島県福山市の鞆の浦に完成=写真。6月から営業を始めることになり、27日、関係者らが記念行事を行った。
1867年に竜馬率いる海援隊が乗り組んだ「いろは丸」が紀州藩の軍艦と衝突した際、賠償交渉に使われたとされる「旧魚屋萬蔵宅」。地元のNPO法人(特定非営利活動法人)「鞆まちづくり工房」が荒れた建物を買収、再生を計画した。
坂本竜馬ゆかりの旅館「御舟宿いろは」がオープン
竜馬ゆかりの旅館オープン<動画あり>
竜馬と宮崎駿のコラボ旅館 6月営業開始
鹿児島
小松帯刀の功績称賛 作家・桐野さん講演/鹿児島市
社会
昭和天皇のリラックスした笑顔、四條家当主が私蔵写真公開
ブックレビュー
小説 河井継之助
童門冬二(著)
コラム
憂楽帳:生麦の古老
北海道
「箱館新選組」冊子に 函館の近江さん 10年の研究まとめる
「箱館新選組」冊子に 函館の近江さん 10年の研究まとめる
函館に住む郷土史家の近江幸雄さん(71)が、箱館戦争(一八六八-六九年)で新政府軍に抗戦した「箱館新選組」に焦点を当てた冊子「激闘箱館新選組 箱館戦争史跡紀行」を自費出版した。近江さんは「箱館新選組の活躍を市民に伝えたい」と、十年にわたる研究成果をまとめた。
新選組は一八六三年(文久三年)、江戸幕府が近藤勇や土方歳三など武芸に秀でた浪士を集めて編成した京都警備隊。幕末の動乱では、新政府軍と各地で戦った後、桑名藩(三重県)、備中松山藩(岡山県)、唐津藩(佐賀県)の藩士らを加えた「箱館新選組」として五稜郭や弁天台場などで激戦を繰り広げた。
冊子はA4判百二十五ページ。近江さんが執筆した新聞連載や研究報告を中心にまとめた。部隊の変遷をはじめ、隊士の素顔や最期を絵図を交えて取り上げ、亀田八幡宮や函館山、七重浜など史跡十五カ所を紹介する。
このほか巻末に、新選組を含む戦死者と降伏者の計約八百人分の名簿、近江さんが短歌調でつくった箱館戦争のいろは歌四十八句も掲載する。近江さんは「土方歳三をはじめ、箱館で命を落とした武士たちに思いを巡らせてほしい」と語る。
三百部作製。市内の中学校や図書館などに寄贈したほか、市内の文教堂書店函館テーオー店(梁川町)と浪月堂書店(駒場町)で一冊千五十円で扱う。(山村晋)
次に函館を訪問する時に入手したいなぁと思っています。
函館に坂本龍馬記念館開館へ
幕末の志士として活躍した坂本龍馬(1835―67年)の魅力を紹介し、その足跡を学ぶ「北海道坂本龍馬記念館」を函館に開設しようと、札幌のNPO法人「北海道坂本龍馬記念館実行委員会」(三輪貞治理事長)が準備を進めている。本道や函館と龍馬のかかわりを示す貴重な歴史的資料の展示のほか、青少年向けの剣道、柔道教室など“未来の龍馬”育成の拠点とし、本道開拓を目指した龍馬の志や偉業を広く伝えるのが狙い。開設予定は2010年。三輪理事長は「一緒に活動する“同志”を募りたい」と呼び掛けている。
坂本龍馬は高知県に生まれ、海援隊の創立や薩長同盟の成立など、明治維新の立役者として大きな役割を果たした。司馬遼太郎の小説「竜馬がゆく」をはじめ、多くのテレビや映画でも取り上げられている。
龍馬は晩年、本道を新天地と考え、幕府解体で仕事を失う武士らを開拓に向かわせたいとの思いを抱いており、自身も何度も渡道を試みたが、船の沈没などでかなわなかったという。その構想は「屯田兵」として実現したほか、龍馬の意志を継いだ親族らが道内各地に骨を埋めた。
函館とのかかわりでは、甥で龍馬の養子の坂本直が箱館裁判所権判事として一時開拓事業に携わったほか、龍馬の縁せきに当たる澤辺琢磨も函館ハリストス正教会で日本人として初の洗礼を受けている。
同NPOは道内外の会社員や主婦らで2001年に発足し、ボランティアも含めメンバーは約60人。札幌を拠点にパネル展や各種イベント開催など同記念館の開設に向けた準備を進める中、函館市内で開設条件の良い物件を発見。ペリー来航や箱館戦争など幕末の歴史があり、坂本直らのゆかりの地でもあるため、函館での開設方針を4月に正式決定した。開設場所は十字街の電停に面した市内末広町8の家具展示場跡の建物(鉄筋コンクリート平屋建て、床面積約330平方メートル)。
実行委では活動に参加する正会員やボランティア、募金(個人1口1万円から)、署名などを集めている。今後、開設予定施設でのパネル展示やグッズ販売、紙芝居などPR活動を展開。7月には三輪理事長が函館に移住し、活動を本格化させる。三輪理事長は「龍馬ファンはもちろん、歴史に興味のある人や今の日本を何とかしたいという思いのある人を多く募りたい」と意気込んでいる。問い合わせは事務局TEL011・592・1115。
土方ファンの聖地・函館に龍馬記念館……(汗)。うーん、土方ファンというか旧幕府脱走軍ファンとして、とっても複雑な心境です(苦笑)。
岐阜
高田祭曳やまの木彫「松鷲」は江戸期名工の作
県重要文化財に指定されている養老郡養老町の高田祭曳やま「西町やまの木彫」が、「幕末の左甚五郎」と呼ばれた江戸時代の信州諏訪の名工立川流2代目和四郎冨昌と、次男専四郎冨種の親子の作だったことが27日、分かった。代表的な彫刻作品「松鷲」の裏面に2人の名前が刻まれているのを、山車彫刻の研究者で国立岐阜高専名誉教授水野耕嗣さん=名古屋市=が発見。地元では「郷土の宝物の付加価値がさらに高まった」と喜んでいる。
県内に現存する冨昌の作品は、高山市の春の高山祭の祭り屋台「五台山」の飛獅子彫刻などで知られる。
西町やまの木彫は1851(嘉永4)年に制作された。当時はすでに冨昌の長男冨重が3代目和四郎を襲名しており、冨重・冨種の兄弟作と伝えられてきた。しかし、水野さんは作品の出来栄えから長年疑問を抱き、高田曳やま保存会に「彫刻の裏面を見せてほしい」と依頼していた。
和歌山
幕末生きた紀州の女性が残した「小梅日記」で地域活性化
江戸時代の紀州藩校の校長を務めた川合梅所の妻、小梅(1804~1889年)が幕末から明治にかけて残した「小梅日記」につづられた時代の和歌山を見直して、地域活性化につなげようと、和歌山市の市民団体「小梅日記を楽しむ会」(辻健会長)が、6月から小梅にちなんだ講演会やゆかりの地を巡るウオーキングツアーを開催する。
小梅日記は、小梅が結婚した16歳から86歳で亡くなるまでの約70年間、ほとんど毎日欠かさず付けていた。現在はこのうち、和歌山市内の小梅の子孫宅に残された約23年分と海南市内の男性が所蔵していた約2年分が確認されている。
日記には当時の和歌山の街の様子や庶民の生活ぶりのほか、大塩平八郎の乱や黒船来航など社会を揺るがした事件、災害についても詳しく触れており、史料としても価値が高い。
広島
宮崎駿監督がアイデア
「竜馬」旅館完成 広島・鞆の浦
幕末の志士、坂本竜馬ゆかりの町家を改修、アニメ映画監督の宮崎駿さんが設計図のデッサンを描いた旅館「御舟宿いろは」が瀬戸内海の景勝地、広島県福山市の鞆の浦に完成=写真。6月から営業を始めることになり、27日、関係者らが記念行事を行った。
1867年に竜馬率いる海援隊が乗り組んだ「いろは丸」が紀州藩の軍艦と衝突した際、賠償交渉に使われたとされる「旧魚屋萬蔵宅」。地元のNPO法人(特定非営利活動法人)「鞆まちづくり工房」が荒れた建物を買収、再生を計画した。
坂本竜馬ゆかりの旅館「御舟宿いろは」がオープン
◆ 広島・福山市 ◆
幕末の志士坂本竜馬ゆかりの町家を改修、アニメ映画監督の宮崎駿さんが設計図のデッサンを描いた旅館「御舟宿(おんふなやど)いろは」が瀬戸内海の景勝地、広島県福山市の鞆の浦に完成。27日、関係者が記念行事を開き「皆さまのおかげでここまでこられた」と祝った。6月から営業を始める。
宮崎さんが書いた「倉」の字をかたどったのれんや「みなさんおめでとう。よかったですね」とのメッセージを披露。江戸時代に建物を所有していた魚屋萬蔵の孫や、着物姿の女性ら約50人が加わり、琴の演奏で盛り上げた。
1867年に竜馬率いる海援隊が乗り組んだ「いろは丸」が紀州藩の軍艦と衝突した際、賠償交渉に使われたとされる場所。地元の特定非営利活動法人(NPO法人)「鞆まちづくり工房」が荒れた建物を買収、再生を計画した。
竜馬ゆかりの旅館オープン<動画あり>
福山市鞆町にできた幕末の志士・坂本竜馬ゆかりの旅館「御舟宿いろは」のオープン記念式典が、27日あった。宿泊は6月1日から。アニメ映画の宮崎駿監督が設計図案を書き、地元の特定非営利活動法人(NPO法人)「鞆まちづくり工房」が手掛けた。
江戸後期に建築された「旧魚屋萬蔵宅」を改築し、宮崎監督デザインのステンドグラスやのれんも飾った。鞆町沖で起きた船舶事故「いろは丸事件」で、竜馬が紀州藩と談判した家と伝わっている。2003年に同法人が買い取った。
竜馬と宮崎駿のコラボ旅館 6月営業開始
幕末の志士坂本竜馬ゆかりの町家を改修、アニメ映画監督の宮崎駿さんが設計図のデッサンを描いた旅館「御舟宿いろは」が瀬戸内海の景勝地、広島県福山市の鞆の浦に完成。6月から営業を始めることになり、27日、関係者らが記念行事で祝う。
1867年に竜馬率いる海援隊が乗り組んだ「いろは丸」が紀州藩の軍艦と衝突した際、賠償交渉に使われたとされる「旧魚屋萬蔵宅」。地元の特定非営利活動法人(NPO法人)「鞆まちづくり工房」が荒れた建物を買収、再生を計画した。
鹿児島
小松帯刀の功績称賛 作家・桐野さん講演/鹿児島市
明治維新で活躍した薩摩藩家老の小松帯刀(1835-70年)をテーマにした講演会が27日、鹿児島市の宝山ホールであった。講師は南日本新聞で「さつま人国誌」を連載中の歴史作家の桐野作人さん(54)。昼と夜の2回あり、昼の部は約1100人を前に、薩長同盟や大政奉還で果たした役割などを語った。
英外交官のアーネスト・サトウや坂本龍馬が、小松の人間性や能力を高く評価していたことを紹介。「家老として藩を引っ張り、『薩摩に小松あり』といわれるようになった」と称賛した。
小松は35歳の若さで病没。持病の「足痛」のため、倒幕派が新政府樹立の大号令を発した王政復古政変(1867年)にも参加できず、西郷隆盛や大久保利通に主役の座を譲った。桐野さんは「もし小松が参加していれば、違う日本の姿もありえたのでは」と指摘。聴講した日置市伊集院町の無職、木下清道さん(66)は「幻の宰相といわれる理由がよくわかった。もっと小松帯刀について勉強したい」と話した。
社会
昭和天皇のリラックスした笑顔、四條家当主が私蔵写真公開
旧華族の四條家が所蔵する昭和天皇(1901~1989年)の写真など約100点を、現当主の会社員四條隆元(たかあさ)さん(62)が初めて公にした。
身内の親睦(しんぼく)会やクラス会の一こまなど、プライベートな場面でのリラックスした笑顔が写されており、公務外での表情をとらえた貴重な写真として注目されそうだ。
(中略)
幕末~明治期の四條家当主・隆謌(たかうた)(1828~98年)は、薩摩藩・会津藩などの公武合体派に、攘夷(じょうい)派の長州藩が追い落とされた文久の政変での七卿(しちきょう)落ちで長州藩に逃れたうちの一人。
ブックレビュー
小説 河井継之助
童門冬二(著)
■抵抗勢力と戦い藩政改革
今年のNHK大河ドラマ「篤姫」の舞台は幕末。その時期の歴史上の人物といえば、西郷隆盛や大久保利通、坂本龍馬といった名前が思い浮かぶだろうが、本書の主人公・河井継之助(つぎのすけ)も西郷らと同様に、幕末の時代を生きた人物である。
継之助は越後・長岡藩のヒラ藩士から上席家老へとスピード出世し、画期的な藩政改革を断行。3年で多額の剰余金を持つ「黒字藩」に転換し、その財力で兵力の近代化を実行した。権謀術数が渦巻く激動期に、「王道政治」の実現という崇高な理想を抱いたものの、周囲の理解を得られないまま、結局、新政府軍と戦って負傷し、それがもとで42歳でこの世を去った。
本書では、血生臭い戦いにはあまり触れられることなく、継之助が推し進めた藩政改革に重点が置かれている。有能すぎるゆえに周囲と衝突ばかり繰り返し、決して厚遇されてはいなかった継之助が、藩の危機に改革の重責を担うのだが、いつの時代でも改革には反発や抵抗が伴うもの。
そんなとき継之助はこう言う。「改革では100人のうち51人の味方があればいい。しかし、49人は敵に回る。これと戦うのが改革だ」。今の時代、このような気概を持った政治家や経営者がどれだけいるものか、とふと考えてしまった。
コラム
憂楽帳:生麦の古老
「あれは、ひいじいさんがしょうゆを買いに行った帰りだよ。まだ10歳ぐらいで、行列が来るから村田屋勘左衛門の家の前で道のはじにいて、目の前で事件が起きたんだ」
幕末の1862年、英国人商人らが馬上のまま島津久光の行列の前に出て、警護の武士に殺傷された生麦事件。「ひいじいさんから直接聞いたからね。そのころの生麦村はけっこう稼ぎがあって、街道沿いや海辺に家が並んでいたんだ」。横浜市鶴見区生麦の山崎忠三郎(たさぶろう)さん(81)の話を聞いていると、150年前の出来事ではないような気がしてくる。
旧東海道から少し入ったこぢんまりとした家。和だんすから古銭や竹とんぼ、こまなどが次々に出てくる。頼まれて小学校で竹とんぼやわらじの作り方を伝授したり、生麦村を舞台にした昔話を披露したりする。
「『わらじ』と『わらぞうり』の違いは分かるかな? 足首に巻くひもが付いているのがわらじだ」。東海道をわらじをはいて行き交う人々。篤姫の時代が広がってきた。【寺田浩章】
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