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新選組・土方歳三を中心に取り上げるブログ。2004年大河ドラマ『新選組!』・2006正月時代劇『新選組!! 土方歳三最期の一日』……脚本家・制作演出スタッフ・俳優陣の愛がこもった作品を今でも愛し続けています。幕末関係のニュースと歴史紀行(土方さんに加えて第36代江川太郎左衛門英龍、またの名を坦庵公も好き)、たまにグルメねた。今いちばん好きな言葉は「碧血丹心」です。
 NHK-BS2『アニソンのど自慢』を見ながら幕末ニュースをまとめています。

東京
龍馬ゆかりの地巡り心地よい汗 500人が産経大江戸ウオーク
 東京の風情と歴史を楽しみながら歩く「産経大江戸ウオーク 幕末・龍馬が駆けた江戸」(主催・産経新聞社、共催・メタボリックシンドローム撲滅委員会)が29日、東京都千代田、中央、港区内の史跡などを巡る約12キロのコースで行われ、ウオーキング愛好家ら約530人が心地よい汗を流した。
 今年は幕末の風雲児・坂本龍馬がテーマ。午前9時すぎ、日比谷公園を班ごとにスタート。銀座を経て、龍馬が剣術修行のおりに寄宿した築地の土佐藩邸跡(中央区役所)や千葉定吉道場跡などを巡り、彦根藩主・井伊直弼屋敷跡の憲政記念館では龍馬の息遣いが感じられる薩摩、長州両藩の軍事同盟の裏書きなどについて説明を受けた。
 午後からは龍馬の人生を大きく変えた勝海舟邸跡、桜田門外の変で水戸藩浪士らが集結した愛宕神社など回り、浜離宮恩賜庭園にゴールした。
 長男に誘われて参加した江戸川区の主婦、平川祐子さん(51)は「歩きながら息子とゆっくり話ができて楽しい一日でした」と話していた。



神奈川
横浜開港祭スタート、魚に触れるイベントなど開催
 幕末の横浜開港を記念する「横浜開港祭」がみなとみらい地区の臨港パークなどで29日に始まり、横浜港で当日釣った魚に触れる「タッチプール」や、自衛隊護衛艦「しらゆき」への体験乗船など各種のイベントが行われた。
 タッチプールは、身近な海の環境保全の大切さを伝えようと、NPO法人の水辺基盤協会東京湾支部などが実施。スズキやクロダイなど大小さまざまな魚に触れ、集まった子供たちは歓声を上げていた。タッチプールは無料で、30日も開催される。


新潟
龍馬伝にも登場 輸送船の部品
 江戸幕府の輸送船で、NHKの大河ドラマ「龍馬伝」にも登場する「順動丸(じゅんどうまる)」の部品の一部が、新潟県長岡市で展示されています。
 「順動丸」は江戸時代の末期に、幕府がイギリスから購入した当時の最新鋭の蒸気輸送船で、戊辰戦争の際に長岡市の寺泊沖に停泊中、薩摩藩や長州藩らの攻撃を受けて幕府側がみずから爆破しました。長岡市では、地元と関係のある船を知ってもらおうと「順動丸」のシャフトと呼ばれる部品を展示しています。シャフトは船に動力を伝える回転軸で、海に沈んでいたものを地元の人たちが引き上げ保存してきたということです。「順動丸」には、坂本龍馬や勝海舟も乗ったとされ、長岡市では大河ドラマ『龍馬伝』にも登場する船で観光客を呼び込みたいとしています。展示は長岡市の旧寺泊町役場の車庫で、来年1月末まで行われています。




愛媛
【美人女将の宿】300年守り続けるぬか床 愛媛・松屋旅館
 江戸中期から昭和初期の古い町並みが残り、国の重要伝統的建造物群保存地区に選ばれた愛媛県西予市宇和町卯之町。その一角にある「松屋旅館」のたたずまいは旅人をいにしえの世界へ誘う。女将の大気(おおき)洋子さん(74)は6代目の夫を支えながら、風情ある江戸時代の建物と創業当時から受け継がれた“ぬか床”で作った漬物で宿泊客をもてなしている。(松山支局 浅野幸治)
 創業は江戸中期。客室には犬養毅や尾崎行雄の書がさりげなく飾られており、幕末から昭和初期にかけて多くの政治家や文人、画家が宿泊していたことをうかがわせる。
 松屋の玄関に家紋の入った紺色の幕が張られると要人が泊まったことを示し、「頭を下げて前の通りを通らなければならなかったと聞いています」というエピソードを披露。「歴史と一緒に松屋も栄えてきました」とのれんの重さを語る。
 保存地区には、明治15年に建てられた、洋風でモダンな校舎の開明学校(国指定重要文化財)や蘭学者、高野長英の隠れ家などが残っており、古き日本の散策が楽しめる。
 代々の女将が守ってきたのはのれんだけではない。「300年近く続いたものはほかにないと聞いています。絶対におわけすることのできない松屋の家宝です」と話すぬか床だ。「毎日毎日、子供を育てるように慈しんでいます」という。大学の研究者は「やわらかな風味があり、酵母菌や乳酸菌など良質な菌がたくさんある」と折り紙をつけた。
 ぬか漬けは宿泊客らが食べる時間にあわせて、四季折々の野菜などを夏は4時間から6時間、冬は15時間から27時間と、その時の気温、湿度によって漬け込んでいる。
 テレビの取材で宿泊した女優の菅井きんさんは、自身も40年のぬか床を持っているといい「自分が辞めるまでに一度は松屋にきて漬物を食べたかった」と喜んでいたという。
 「受け継いだ昔の料理や宿屋のイメージを大切に、家族的な旅館経営を心がけ、人のつながりを大事にしてきました」という大気さんは「もてなしは、お金のかからない心のこもったサービスです」が持論。「『また来るから元気におってよ』と言っていただけるのがうれしい」と話す。
 ドイツに留学していた四男が7代目を継ぐことも決まった。建物も「大工さんに『あと100年はもつ』と太鼓判を押された」と、伝統は着実に受け継がれている。
 重要伝統的建造物群保存地区と松屋旅館 重要伝統的建造物群保存地区とは各地に残る歴史的な集落、町並みを保存するため、国が選定し、市町村への財政的援助や技術的指導を行う。江戸時代の卯之町は、宇和島街道沿いの宿場町や四国遍路43番札所明石寺の門前町として栄えた。明治後期から宇和島街道の南に県道(現市道)や鉄道などが並行して開通。商業施設や官公庁などがそれらの沿線に集まるようになり、宇和島街道沿いは商家や宿屋、酒屋、住宅、寺院などが混在する歴史的な町並みが残った。
 松屋旅館は宿泊客60人。200人収容の会議や宴会もできる。1泊2食付き7350円から。食事だけの利用も可能で1575円から。問い合わせは(電)0894・62・0013。


広島
キャンドルに龍馬や「いろは丸」、福山の喫茶店主が手作り
 坂本龍馬ら海援隊が乗った蒸気船「いろは丸」が沈没した事件の舞台・広島県福山市の鞆の浦で、龍馬やいろは丸をあしらった手作りのキャンドルが発売され、観光客らに好評だ。
 喫茶店「友光軒」の店主武田典子さん(64)が自作販売。球形(直径6センチ)と立方体(高さ5センチ)のキャンドルに龍馬などを描いた和紙を張り、溶かしたロウで表面を包み込んだ。
 今春、店内に飾ったところ「土産に」との要望があり、販売を決めた。1個作るのに約30分かかるといい、武田さんは「龍馬が世の中に希望の灯をともした時代をしのんで」。
(2010年5月29日 読売新聞)


高知
近江屋対談:「龍馬と啄木」で絆 高知、岩手知事が生き残りへ共通ビジョン /高知
 石川啄木と父一禎の歌碑が高知市に建立されたことが縁で交流を深めている岩手、高知両県の知事による「近江屋対談」が28日、同市浦戸の国民宿舎「桂浜荘」であった。ひざをつき合わせた達増拓也知事と尾崎正直知事のやりとりは、坂本龍馬からお国自慢、国との関係にまで及び、「地方が生き残るには、地方同士の結びつきを強めていかねば」と共通のビジョンを確認し合った。【千脇康平】

 両県は昨年9月の歌碑建立を契機に今年度の交流事業を企画。歌などから龍馬と啄木の共通点を探る「龍馬と啄木展」や、物産展の相互開催などが予定されている。
 会場に集まった観客は約100人。別の時代に生きた龍馬と啄木に通ずることとして、達増知事は「国のあり方について正面からぶつかっていった」、尾崎知事は「思想家であり人間味にあふれている」とそれぞれ分析した。
 また、尾崎知事は、江戸幕府を倒した後の国家像を考えていた龍馬にならい、「旧弊を打ち壊した後に新しい時代をどうつくるかが重要」と提言。達増知事も「日本はグローバル化に対応できていない」と指摘し、「幕末、戦国時代の日本にもグローバル化はきていたが、見事切り抜けて強い国をつくった。それは地方が強かったからだ」と述べた。2人は最後に「今度は岩手県で対談を」と約束し、握手を交わした。

◇啄木と一禎の歌碑で一首--岩手県知事
 また、達増知事ら訪問団はこの日、高知市のJR高知駅南口広場にある啄木と一禎の歌碑を訪問。歌碑建立を実現させた「啄木の父 石川一禎終焉(しゅうえん)の地に歌碑を建てる会」(代表、高橋正・高知ペンクラブ会長)のメンバーや尾崎知事らが出迎えた。
 達増知事は「直接来たいと楽しみにしていた」とあいさつし、得意という短歌で「大空と海を越え来て友に会い光の中で啄木を見る」と詠んだ。同会事務局長の梶田順子さんも「啄木の父のえにしに岩手人土佐人つどふ父子の歌碑に」と返歌。高橋代表は「岩手県と高知県がますます交流を強め、社会に貢献していけたら」と期待を込めた。


山口
志士に愛された温泉宿【百年企業】
◆ 松田屋ホテル ◆
  龍馬も入った温泉宿――。そんなロマンのある旅館が山口市にある。創業335年の「松田屋ホテル」。西郷隆盛や木戸孝允らも訪れ、館内には明治維新の資料室を備える。幕末ファンには以前から知られた存在だ。最近は「歴女」と呼ばれる若い女性の姿も多い。「土地の歴史を伝えるのが使命」。8代目当主の松田康義さん(66)は、ホテルに残る歴史の足跡を、自ら宿泊客らに説明する「語り部」でもある。
(小西宏幸)

◆歴史の足跡「維新伝承」
  傷ついた白キツネが見つけたという伝説が残る山口市の湯田温泉。市中心部に位置し、温泉街というより、どこにでもある地方都市の風情だ。そんな中、松田屋ホテルの4千平方メートル近い敷地は、白壁と、5階建てのビルぐらい高い山桃や松などに囲まれている。庭園に、オシドリが羽を休める池や滝まであるとは、外から想像もできない。薩摩藩の西郷隆盛、大久保利通と、長州藩の木戸孝允や伊藤博文らが会ったとされる東屋風の「会見所」が残る。

「履信居仁(りしんきょじん) 己亥6月2日 博文」

 ロビーにある揮毫(きごう)額は、明治32(1899)年に伊藤博文が書いたと伝わる。「『礼にもとづき、思いやりの気持ちで』という意味があり、私たちの心得としています」と松田さん。
 創業は延宝3年(1675年)。当初は部屋を提供しながら、旅人からお茶代を受け取っていたという。幕末には本格的な旅籠(はたご)となり、勤王の志士が集った。
 松田屋の名を幕末ファンに知らしめているのが、坂本龍馬も入ったとされる「維新の湯」だ。1860年に造られたもので、本来の場所から移設されたが、浴槽と洗い場、天井は当時のままだ。
 「あなたが坂本さんでありますか」
 何度も宿泊した作家の故・司馬遼太郎は小説「竜馬がゆく」で、高杉晋作との出会いの場に湯田温泉の旅館を持ってきた。「フィクションでしょうが、私たちはうちで2人が出会い、維新の湯で親交を深めたと信じてます」

   ◇  ◇  ◇

 「家業に縛られず、好きな道を歩みなさい」。1988年に亡くなった7代目の父に、松田さんはそう言われてきた。小さいころは敷地内の自宅で育ち、客だった三波春夫や長谷川一夫に遊んでもらった思い出がある。慶応大を卒業後、旧住友銀行に入社したが、70年、山口に戻った。
 父の背中を見て当主業を学ぶなか、父からホテルに代々伝わる話を初めて聞かされた。「祖母は、酔うとすぐに刀を抜く高杉晋作を恐れていたそうだ」。そんな話がたくさん残っていた。繰り返し行われた改装も最小限に抑えられ、志士たちが書き残した書なども大切に保管されていた。
 「維新」を前面に出し始めたのは、維新百年にあたる67年以降だ。71年に明治維新資料室を設置し、高杉晋作が刻んだ文字が残る「憂国の楓(かえで)」などを展示。75年に山陽新幹線が開通した。2年後には、大村益次郎や吉田松陰など山口ゆかりの人々が登場する大河ドラマ「花神」が放映され、高視聴率を記録。萩(はぎ)や津和野(島根県)を訪れた観光客が、湯田にも足を伸ばすようになり、にぎわいをみせた。「代々、自然な形でこの宿に残されていたものが、時代に求められ、利用されたお客様に愛されてきたのでしょう」

   ◇  ◇  ◇ 

 湯田温泉に来る客は、減り続けている。湯田温泉旅館協同組合(25旅館が加盟)によると、宿泊客は91年度の約67万人をピークに、ここ数年は40万人をきった状態だ。旅行業界の厳しさを何とかしたいと、松田さんの次男で従業員の健慈さん(30)は2年前からホテルのホームページでブログを始め、周辺のイベントや飲食店の情報などを紹介。今年はツイッターも始めた。1泊3万円前後と安くはないがネット予約も増えているといい、「今の若者が何を求めているかを知り、ホテルに還元できれば」との思いからだ。
 「微々たる存在感ですが、これからもホテルを続けていければうれしいですね」と、取材には終始、控えめだった松田さん。受け取った名刺には、「維新伝承」の文字があった。「志士たちが愛した湯田温泉に誇りはあります」と、客に求められれば自然と、伝える言葉が口をついて出てくる。
 「歴史を鑑(かがみ)として未来に、という気持ちを忘れず、この土地の語り部になれれば」と、何度も繰り返し語った。

■ 松田屋ホテルの歩み ■
1675年 創業。家系図には「初代は徳川中期、宝暦年間の直之進」と書かれているという
1860年 「維新の湯」の浴槽を建造
  67年 西郷隆盛、大久保利通、木戸孝允が倒幕について協議
  87年 新客室棟を増築。初代総理大臣・伊藤博文が来泊
1932年 法人化。「松田屋」から「松田屋ホテル」に


■ 松田屋ホテル ■
本社所在地 山口市湯田温泉3丁目
従業員数 約60人(2010年5月、パート含む)
客室数 33室(全て和室)




長崎
龍馬に会いたい:/17 土佐商会跡 /長崎
◇海援隊の活動を支援
 三菱財閥の創業者・岩崎弥太郎(1835~85年)が雄飛したのが、幕末の開港でぼっ興する長崎だった。
 1867年、土佐藩が長崎に設置していた商社「開成館長崎商会」、通称「土佐商会」の主任となり、その手腕を発揮。外国人居留地のグラバーら貿易商と丁々発止渡り合って蒸気船や洋式銃を次々買い付け、激動の時代に経営感覚を磨いた。坂本龍馬の海援隊の活動も陰から支えたことでも知られる。
 三菱史アナリストの成田誠一さん(68)=東京都文京区=は「土佐では得られなかった国際ビジネスのセンスが長崎で得られ、龍馬や海援隊のやり方も吸収できた。長崎は弥太郎の『ビジネススクール』だった」と分析する。
 その土佐商会跡(長崎市浜町)にこのほど市などが新たにモニュメントを設置した。東彼杵町立千綿中教諭で彫刻家の藤原健太郎さん(35)=大村市=が、土佐藩船「夕顔丸」の銅製モニュメント(高さ50センチ)を作製。夕顔丸は、坂本龍馬が大政奉還を提案した「船中八策」の舞台とされるが、弥太郎は、龍馬が乗った夕顔丸が長崎から出港するのを涙を浮かべて見送ったという。
 藤原さんは「夢や志を持つことの大切さを感じてほしい」と語った。【錦織祐一】


龍馬伝に合わせ東京で「長崎学講座」 講演や検番の踊りで魅力発信
 東京・両国の江戸東京博物館で開催されているNHK大河ドラマ特別展「龍馬伝」に合わせ、長崎の歴史の魅力を発信する「旅する長崎学講座 龍馬が生きた時代~幕末長崎へ旅に出よう」が29日、同博物館で開かれ、歴史ファンら約450人が詰め掛けた。
 県の主催。開会に際し、中村法道知事が亀山社中記念館など多彩な歴史スポットを紹介し「長崎の魅力は和華蘭。古くから海外と交流を重ね文化を育ててきた。ゆっくり堪能してください」などとあいさつ。
 県文化振興課の石尾和貴氏が「なぜ龍馬は長崎をめざしたのか」と題し講演。龍馬が妻お龍とカステラを持って鹿児島県霧島へ新婚旅行に出かけたり、お龍が長崎で「月琴」を習ったりしたエピソードに触れながら、「長崎は近代化の学校。西洋だけでなく、国内の諸藩の情報も集まった」などと龍馬が長崎を目指した歴史的背景を説明した。
 幕末長崎の古写真をめぐる姫野順一氏(長崎大教授)と本馬貞夫氏(県参与)の対談や、長崎検番の芸妓(げいこ)衆による踊りの披露などもあった。


ブックレビュー
【書評】『日本力』松岡正剛、エバレット・ブラウン著
知のフェロモンを刺激

 この本は私の内なる何かを刺激する。まず、表紙である。単なる白黒写真とは明らかに違う。読み進めて157ページ目で、日本に22年間住むエバレット・ブラウン氏が、対談相手の松岡正剛氏を撮ったものとわかる。安易に答えを教えないのは、文化はじっくり味わうものというメッセージであろうか。
 湿板写真という幕末・明治に使われていた技法を使用して、大型カメラで5分、10分と時間をかけて撮影すると、薬品や場所の湿度や季節や光など自然の要素が仕上がりに大いに影響し、「偶然とか予想外のもの、いわゆる不安定で不完全なものが写真に現れる」とブラウン氏は言う。さらに、この撮影方法を「千利休などが進めた『不完全な美』の世界に一番近い」と表現する。なるほど、日本文化研究の第一人者である松岡氏が「日本人以上に日本の本来を感じさせる思索力や観察力を持ったとびきりのガイジン」とブラウン氏を高く評価するわけである。
 松岡氏が「ガイジン」と言うとき、異質な人間を排除しようとする閉鎖性は皆無だ。異文化からきた人間だからこそ、日本に生まれ育った日本人が見逃しがちな日本本来の文化の水流をガングロなどの若者文化の中にも見いだす力を持つ者として捉(とら)えている。
 2人が「謎めく」日本について縦横無尽に語り合う熱気は、私がアメリカで「ガイジン」だったとき、どんなテーマで取材をしても、良くも悪くも開拓精神あふれるアメリカの根っこにつながっていることを実感できて面白くて面白くてたまらなかった興奮を思いださせた。私の場合、13年の異国での生活後、改めて日本を知りたくなって帰国したが、取材や日常で会う日本は、アメリカ制度の後追いであったり、閉塞(へいそく)的であったりした。ところが、この本には私が求めていた日本が凝縮されていた。松岡氏は「日本人から日本を感じるための『知のフェロモン』のようなものが希薄になり、衰退している」と言う。冒頭、この本は私の内なる何かを刺激すると書いたが、それは弱った私の知のフェロモンだったのだ。(パルコ・1680円)

評・井口優子(評論家) 


文化芸能
<歌舞伎>新解釈の『佐倉義民伝』  来月、コクーン歌舞伎で中村勘三郎
 中村勘三郎が串田和美の演出、鈴木哲也の脚本で、新しい解釈の「佐倉義民伝」を六月三日から東京・渋谷のシアターコクーンで上演する。江戸時代前期、領主の圧政に苦しんだ下総佐倉(今の千葉県)の名主・木内宗吾が将軍に直訴して、家族とともに処刑された凄惨(せいさん)な実話に基づく狂言。勘三郎は「宗吾の怒りを小さな私憤に終わらせないように筋や結末を大胆に変えた。十分納得してもらえる出来」と自信を見せれば、串田も「見たこともない宗吾伝になる」と語る。 (藤英樹)
 「佐倉~」は歌舞伎には珍しい農民劇。三世瀬川如皐の作で幕末の一八五一年に江戸中村座で初演され好評を博した。当時は幕府を憚(はばか)り室町時代の設定にしていた。その後河竹黙阿弥が追補し、明治時代になると舞台を江戸時代に改め、現在の形となった。
 全七幕だが、これまで頻繁に上演されてきたのは、宗吾が将軍への直訴のため江戸に赴く前、累が妻子におよぶのを避けようと離縁しに自宅に戻る「子別れ」と、寛永寺に参詣する将軍家綱に宗吾が駆け寄り願書を渡す「直訴」。
 勘三郎は二〇〇二年に歌舞伎座で初演しており、今回二度目。勘三郎と串田が組んだコクーン歌舞伎としては五年ぶりの新作となる。
 「実は僕は別の作品を温めていて、『佐倉~』と聞いて最初は難題と感じ、少したじろいだ。でも味付けを考えるうちにアイデアが次々とわいてきた」と串田。宗吾の悲しみや苦しみを描く従来の世話物的な要素に、農民の実情など客観的な話を加えて「もう少し乾いた心理描写になる。それを軽快なリズムで伝えたい」と言う。
 宗吾を演じる勘三郎は「農民一揆を起こそうという周囲の声を押さえて領主と話し合い、最後まで平和的な解決を目指した宗吾は理想主義者で、悲しくて強い人。すぐ感情を発散する僕とは正反対の性格かな。舞台では抑えに抑えて勤めたい」と語る。
 今回の新解釈の中で特に注目されるのは、新たに登場させる「駿河弥五衛門」(中村橋之助)。幕府転覆を謀った歴史上の人物由比正雪を自称する大道芸人という設定で、宗吾のやり方を批判し一揆をあおるなど対極のキャラクター。人間の醜さを肯定し、理想主義を軽蔑(けいべつ)しながらも宗吾に引かれていく。
 「実は宗吾の中にも葛藤(かっとう)がある。弥五衛門という人物を登場させることで、宗吾の“化身”かもしれないということを観客に感じてもらえれば。僕が宗吾と二役でこの人物を勤めるという話も出たが、訳が分からなくなるのでやめましたが」と勘三郎。
 今回の舞台では、領主に裏切られ一緒に処刑されるわが子に向かって、宗吾が「成仏などするな。恨みを残して死ね」と呼び掛ける壮絶な最期や、宗吾の霊に取りつかれた領主が家臣を斬殺(ざんさつ)し、藩改易となる場面までも描かれる。そしてあっと驚く結末。勘三郎は「見てのお楽しみ。現代にも通用する新鮮なドラマになった」と力を込める。
 時間を節約しドラマをテンポよく進めるため義太夫は使わず、歌舞伎史上初めてラップ音楽を使う。ほかの出演は中村七之助、坂東弥十郎、中村扇雀ら。二十七日まで。一万三千五百~五千円。(電)0570・000・489。七月二~八日には、串田が芸術監督を務める長野県松本市の市民芸術館でも上演される。一万五千~五千円。(電)0570・02・9999。


エンターテインメント
【プレミアムシート】“出会い”に恵まれた大沢たかお「俺ってしょぼい」 
 「危険な香りがするよね。誰もやったことない舞台だから怖いけど、自分でもドキドキするほど楽しみ」。さらりと言い放ったかと思うと、真っ白な歯を見せて笑った。
 来月、奈良・薬師寺の特設舞台で、朗読活劇「一期一会『義経』」を上演する。壇ノ浦で平家を滅ぼしたものの、兄・頼朝との不仲から奥州に落ち、ついに悲劇の最期を遂げる源義経。その生涯を、朗読と芝居と音楽で描きあげる野外劇で、原作は司馬遼太郎。
 「義経は血と運命に翻弄(ほんろう)された人。僕は大好きだし、そんな義経の思いを、司馬さんの文体を大切に読ませていただきながら現代に伝えたい」
 本を手にしながら、ときに義経、ときに弁慶、ときに静御前と、すべての人物になりきり、語り分け、叫び、苦悩し、演じる。表現のルールなどない。
 「飛び出す絵本みたいになれば。薬師寺という特別な場所がインスピレーションを与えてくれそう。スリリングな舞台にしたい」
              ×  ×  ×
 昨年、主演したドラマ「JIN-仁-」は、最終回が25・3%と、平成21年度の連続ドラマの最高視聴率を記録。幕末にタイムスリップした脳外科医の苦悩を自分の血と肉とする好演で橋田賞も受賞した。
 しかし当人は、「もう、忘れちゃった」といたってクール。「過去はどうでもいい。いま、しかない」
 大学在学中からモデルとして活躍。俳優に転向した当初はトレンディードラマなどにも主演。181センチの長身、整った容姿で一躍人気俳優になった。
 「デビューして数年は、俺ってすごいなと思ってた」と打ち明ける。「でも、あるときから、『あ、俺ってしょぼいな』って。俳優としての演劇的才能がそれほどあるとは思えない。ただ、人に出会う才能だけはとびっきり恵まれてる」
 近年は映画「解夏(げげ)」で人間の内面に分け入るような繊細な演技を見せる一方、激しいアクションもこなし、硬派な人間ドラマにも存在感を発揮。映像のイメージが強いが、社会派劇「ディファイルド」やミュージカル「ファントム」など舞台にも意欲的だ。
 「役者は不特定多数の人に自分を認めてもらえて、喜んでもらえて、愛してもらえるすごい職業。仕事以上の欲を満たしてもらってるのに、人生に安定なんて求めない」
              ×  ×  ×
 40代を迎え、「役者としてこれからおもしろくなる」と自分に期待をかける。
 今秋には、幕末の水戸藩士にふんした主演映画「桜田門外ノ変」も公開。
 「いつも心がけていることは現場に本気で立つこと。そして作品や周りの人に誠実であり続けること」
 額にかかる髪を長い指でさりげなくかきあげる。危険な男の香りにぐらりときた。(文・亀岡典子、写真・頼光和弘)

 ■おおさわ・たかお 昭和43年、東京生まれ。大学在学中からモデルとして活動。平成6年に俳優に転向してからは映像、舞台などで幅広く活躍。代表作にテレビ「深夜特急」、映画「世界の中心で、愛をさけぶ」、「解夏」(日本アカデミー賞優秀主演男優賞)など。
 舞台「朗読活劇一期一会『義経』」は6月5、6日いずれも午後6時半から、奈良・薬師寺の特設舞台で上演される。



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