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新選組・土方歳三を中心に取り上げるブログ。2004年大河ドラマ『新選組!』・2006正月時代劇『新選組!! 土方歳三最期の一日』……脚本家・制作演出スタッフ・俳優陣の愛がこもった作品を今でも愛し続けています。幕末関係のニュースと歴史紀行(土方さんに加えて第36代江川太郎左衛門英龍、またの名を坦庵公も好き)、たまにグルメねた。今いちばん好きな言葉は「碧血丹心」です。
 今日からFIFAワールドカップ2010が開催されます。私がサッカーに夢中になったのは'86メキシコW杯のフランス対ブラジルをたまたまテレビ中継で見てからですが、かれこれ24年。
 サッカー観戦からしばらくご無沙汰していますが、ワールドカップともなると往年のサポーターの血が騒ぎます。

福島
銀のしゃちほこ45年ぶり地上に 会津若松・鶴ケ城
 福島県会津若松市の若松城(鶴ケ城)で10日、天守閣に鎮座していた「銀のしゃちほこ」の取り外し作業が行われた。現在の黒い瓦を幕末当時の赤瓦にふき替える「天守閣再現事業」のためで、45年ぶりに地上に降ろされた。
 若松城のしゃちほこは、1965年に天守閣が再建された際、請け負った建設会社の社長が寄贈した。雌雄一対で、高さ1.5メートル、重さは各200キロあり、うろこには銀箔(ぎんぱく)が張られている。
 作業員は大型クレーンを使い、地上37メートルにある5層の天守閣の上から慎重に取り外した。
 しゃちほこは19日から11月23日まで、城の走長屋(はしりながや)で一般に公開される。


茨城
大洗・『幕末と明治の博物館』 町営で再出発
 大洗町磯浜町の「幕末と明治の博物館」が運営していた財団法人常陽明治記念会から大洗町に寄付され、今月から町営としてスタートした。館長に就いた長嶺家光副町長は「町の観光客は夏が中心だが、北関東道の整備などで利便性が増す中、年間通して楽しめる観光文化施設として展開していく」と話している。 (北爪三記)
 同博物館は、土佐藩出身で明治時代に宮内大臣を務めた田中光顕(一八四三~一九三九)が、一九二九(昭和四)年に常陽明治記念館として創立。三一年に同記念会が設立された。
 九七年に施設を増設し、「幕末と明治の博物館」としてリニューアル。徳川慶喜や吉田松陰、西郷隆盛の書など、収蔵品は五百十八作品(六百五十一点)に上る。ほかに図書・刊行物数千点も所蔵。
 町によると、記念会関係者が高齢化しており、資料を散逸させないためのよりよい運営を模索する中で、町に土地、建物、収蔵品などを寄付することになった。敷地内の「大洗キャンプ場」も町が引き継ぐ。博物館の閲覧室は閉めるという。
 町営となった記念に、収蔵品の中から、田中が師事した土佐勤王党首領武市半平太の肖像画を展示。今後、春と秋に企画展を開くなどして、本年度(六月~来年三月)はここ三年の同期比20%増にあたる入場者数約一万四千二十人を目指すという。
 開館は午前九時から午後五時で、水曜休館。問い合わせは、同博物館=電029(267)2276=へ。


神奈川
竜馬夫妻の生き方に学ぶセミナー、ゆかりの割烹女将が講師に/横浜
 幕末を駆け抜けた坂本竜馬と妻おりょう。その生き方から学ぶセミナーが22日、横浜市中区本町の横浜市開港記念会館で開かれる。
 講師は高知県立坂本竜馬記念館の森健志郎館長と、横浜市神奈川区台町の割烹(かっぽう)・田中家の女将(おかみ)平塚あけみさん。「ビジョンに向かいつづける意志から生まれる大事なもの」を共通のテーマに講演する。
 森館長は高知新聞社で社会部長や学芸部長などを務め、退職後に中国新疆ウイグル自治区ウルムチの新疆大学に語学留学し、帰国後、館長に就任している。
 平塚さんは、おりょうが竜馬暗殺後、勝海舟からの口利きで仲居として働いていたと伝わる神奈川宿の田中家5代目女将を務めている。
 講演は午後6時から。参加料2千円。申し込み・問い合わせは(株)アフコ内、心の元気力創生実行委員会事務局電話045(715)6260。


宮前の江戸学ぶ 入門講座
 宮前市民館では、「龍馬の生きた時代〜幕末〜川崎」をテーマにした江戸入門講座を7月から9月まで開催する。講座は無料。古文書を通じて江戸時代の人や文化、地域を学ぶことが出来る。
 開催日は、7月24日(土)14時〜16時30分、8月28日(土)、9月25日(土)14時〜16時の3回。各日定員200人。
 申し込みは、往復はがきに住所、氏名、年齢、電話番号、参加希望日(複数記入可)、この講座を何で知ったかを記入の上、〒216−0006宮前区宮前平2−20−4宮前市民館まで。30日(水)必着。1枚につき1人まで。【問】同館(【電話】044・888・3911)


石川
北前船?いかりを脱塩 貴重な史料 消滅させない
珠洲で大学教授 8月、学生と保存実習
 貴重な史料の保存に向け、国士舘大21世紀アジア学部・沢田正昭教授(保存科学)が十日、珠洲市蛸島町の珠洲古窯復元実験場で北前船のものとみられる鉄製いかり二点の脱塩処理をした。沢田教授は八月に、学生の実習を兼ねて本格的な保存処理を施す。
 沢田教授は同市出身。昨年九月、市珠洲焼資料館で開かれた日本海域水中考古学会の公開フォーラムに参加。いかりの存在を知り保存処理を申し出た。
 いかりは、同市三崎町の漁業九千房信雄さん(61)が所有している。全長百六十センチと百二十八センチで、いずれも四本のつめが付いている。十年ほど前、三崎町寺家の沖合約一キロの岩礁地帯で刺し網に掛かった。引き揚げた漁業者から、九千房さんが譲り受け自宅に保管していた。資料館の大安尚寿学芸員によると、形状や大きさなどから、幕末から明治ごろの木造輸送船のいかりと推定されるという。
 この日は、沢田教授ら専門家三人が指導。縦九十センチ、横百八十センチ、奥行き九十センチの木箱にビニールシートを張って水を入れ資料館職員らが二本のいかりを沈めた。近く、さび止め剤を投入。その後、二週間おきに水を交換する。
 保存処理は八月十二~十四日に予定。水から出して乾燥させたいかりに、グリスを何層にも塗り重ねて保護膜をつくる。空気や水を通さない透明シートで袋を作り、いかりを脱酸素・脱水分剤と一緒に入れて保存する計画。沢田教授は「(いかりは)貴重な史料。今、大事に残しておかないとどんどん酸化して、いずれ消滅してしまうだろう」と話した。 (近江士郎)



京都
名勝記念 入館者に絵はがき
来月19日まで 下京・角屋の文化美術館

 島原の太夫や芸妓(げいこ)を呼んで宴会を開く揚屋(あげや)だった「角屋(すみや)もてなしの文化美術館」(下京区)の庭園が今春、京都市の名勝に指定されたことを記念し、財団法人・角屋保存会は、入館者に招待券付き記念絵はがきを贈っている。プレゼントするのは7月19日まで。
 角屋は江戸時代初期に建てられ、文化人が集まるサロンとして栄え、幕末には坂本龍馬ら志士や新選組の隊士らも訪れた。1952年、建物が重要文化財に指定。89年、内部や所蔵品を公開する美術館となった。
 名勝指定では、庭園(643・3平方メートル)は「現存する唯一の揚屋に伴う庭」として評価された。43畳の大宴会場に面する座敷庭の中心にある「臥龍松(がりょうのまつ)」は、枝ぶりが龍がふせた姿に例えられ、江戸後期の読本作者、曲亭馬琴(1767~1848)が旅日記に「この庭の松甚だよし」と記し、客らが書画の題材とした。現在の松は3代目で、1958年に3本を組み合わせ、独特の形を再現した。
 座敷庭の写真が印刷された招待券付き記念絵はがきは一人につき1枚が渡される。
 角屋15代目の中川清生・同保存会理事長(62)は「建物だけでなく、庭も含め、一流のもてなしの場だったことが評価されて光栄です」と話している。
 月曜休館(祝日の場合は翌日)。入場料1000円(大学生以上)。問い合わせは同美術館(075・351・0024)へ。


OSK桜花昇ぼる、念願の龍馬に挑戦
 京都南座7月公演、OSK日本歌劇団「レビュー in KYOTO 4」(7月10日~16日)の製作会見が10日、京都市内で行われた。今回は坂本竜馬の軌跡を描く「みやこ浪漫~Ryoma~」、と幻想的な夢の世界をテーマにした「ダンシング・ラプソディ」の2本立て。
 1部で坂本龍馬を演じる桜花昇ぼるは「幕末のミュージカルは私の夢のひとつでした。幕末の志士たちは若くして亡くなられた方がほとんどですが、私たちは“生きる”というテーマをみなさんに見ていただきたい」と瞳を輝かせた。また2部のショーでも1部と同じ“生きる”がテーマになっており「OSKの元気な姿を見ていただいて、皆様も元気になっていただける公演にしたい」と意気込んだ。


奈良
十津川屋敷跡:明治維新直前の御所警護の拠点に石碑--京都・上京区 /奈良 
◇古地図、古文書から突き止め--村教育委員の松實さん
 明治維新直前の動乱の京都で、御所を警護した十津川村の郷士たちの拠点となった十津川屋敷跡の場所を、村教育委員の松實豊繁さん(68)=同村上野地=が古い地図や古文書などから4年がかりで突き止めた。村民たちの負担で建設され、歴史の舞台となったが、長い間不明だった。判明した京都市上京区新烏丸頭町下切通上ルの市道端には、「十津川屋敷跡地」の石碑が立てられた。【栗栖健】

 記録に残る十津川の京駐屯は、1862(文久2)年の借家に始まる。63年、郷士は「(十津川は)古来御由緒ノ土地」だから「王事ニ尽力」したいと誓願し、御所警護を認められた。同年8月、大阪から淀川の舟で100人が到着し、約170人態勢で警護に当たった。

 当時の京都は公武合体派と尊攘派の抗争のただ中。応援の郷士が大阪を出発した63年8月14日夜には、天誅組の一行も淀川を下り、17日に五條代官所を襲撃。18日の政変で長州ら尊攘派は京都から追放された。村に残った人たちは一度は天誅組に参加したが、政変を知って離脱。64年7月には長州と薩摩、会津が対決した蛤(はまぐり)御門の変が起こる。

 混乱の中でも、郷士たちの志は変わらず、65(慶応1)年4月に屋敷が完成。費用は村民が各戸割り当てで負担し、十津川から用材3000本を運んだ。屋敷は1872年まで残っていたという。

 松實さんは知人の依頼で04年4月、屋敷跡を捜し始めた。手がかりは記録にある「新烏丸切通シ」の地名と、大家だった「円満院宮」の跡地。これらは離れており、京都、滋賀などの図書館、資料館を調べ歩いた。

 08年、1786(天明6)年の地図にある円満院とみられる寺の土地と古地図の「十津川」の場所が一致することが分かったが、寺の名は判読できず、1866(慶応2)年の地図では「慈受院」となっていた。その後、円満院が慈受院から借りていたことを示す資料が見つかり疑問は解消した。

 石碑は高さ140センチで、村教委が設置。昨年12月8日、村関係者が出席して除幕式をした。石碑の背後が屋敷跡、西側の寺町通の向かいが京都御苑だ。松實さんは「ほっとした。若い人に村の先人たちがやったことをもっと知ってもらい、自信を持ってほしい」と話している。


広島
仙酔島に竜馬像お目見え
 「鞆で待っちゅうきに」―。福山市鞆町後地の国民宿舎「仙酔島」玄関口に坂本竜馬像がお目見えした。鞆は竜馬が沈没した「いろは丸」の賠償交渉をした舞台で、りりしい幕末の志士が今秋まで観光客を出迎える。
 高さ175センチ、台座35センチの強化プラスチック製。和服姿に懐手、ブーツを履き、高知市桂浜にある銅像とほぼ同じデザイン。福山市出身の弁護士土肥将人さん(52)=東京都=が「鞆の浦の観光振興に役立ててほしい」と市に寄付した。
 国民宿舎「仙酔島」では、竜馬といろは丸をテーマに展示会を開催中。友人と訪れた倉敷市老松町、西本愛子さん(60)は「竜馬ブームに合わせた良い試みだと思う。インパクトもあって、観光客へのPR効果も大きいのでは」と話していた。11月30日まで設置される。


鳥取
鳥取西高改築計画 日本考古学協理事ら来県
 現在地での校舎改築計画がある国史跡・鳥取城跡内の鳥取西高(鳥取市東町2丁目)周辺を10日、全国の考古学研究者らで組織する日本考古学協会の理事ら2人が現地視察した。理事らは現地確認と計画に反対している動きについての経緯把握のため来県した。
 訪れたのは、協会の埋蔵文化財保護対策委員会の担当理事である近藤英夫東海大学教授と橋口定志事務局長。
 昨年、アリーナの建設予定地となっている第2グラウンドから、新たに幕末期の大規模な籾(もみ)蔵跡など貴重な遺跡が発見されたことを、協会員から報告を受けていた。
 県教委文化財課歴史遺産室の中原斉室長と市教委文化財課の佐々木孝文係長から、鳥取城跡の歴史や改築計画の内容、国との協議経過などの説明を受けた。
 近藤教授は、江戸時代の城跡やその周辺開発に関する問題は全国で起きているという。今後、協会内で協議を重ね、計画変更などが必要と判断した場合は、県や市に要望書を提出するという。



広島
仙酔島に竜馬像お目見え
 「鞆で待っちゅうきに」―。福山市鞆町後地の国民宿舎「仙酔島」玄関口に坂本竜馬像がお目見えした。鞆は竜馬が沈没した「いろは丸」の賠償交渉をした舞台で、りりしい幕末の志士が今秋まで観光客を出迎える。
 高さ175センチ、台座35センチの強化プラスチック製。和服姿に懐手、ブーツを履き、高知市桂浜にある銅像とほぼ同じデザイン。福山市出身の弁護士土肥将人さん(52)=東京都=が「鞆の浦の観光振興に役立ててほしい」と市に寄付した。
 国民宿舎「仙酔島」では、竜馬といろは丸をテーマに展示会を開催中。友人と訪れた倉敷市老松町、西本愛子さん(60)は「竜馬ブームに合わせた良い試みだと思う。インパクトもあって、観光客へのPR効果も大きいのでは」と話していた。11月30日まで設置される。


高知
山内資料館で史料公開 長宗我部一族を召し抱える
 戦国時代まで土佐(高知県)を支配し、江戸幕府に滅ぼされた長宗我部の一族が、後の領主山内家に仕えたいきさつを記した史料などが、高知市の土佐山内家宝物資料館に寄託され、報道関係者に10日公開された。
 江戸時代、土佐藩では、山内支配に抵抗した長宗我部配下の武士たちは下士として差別されたとされるが、山内家が藩を安定させるため、長宗我部家の一部を取り込んでいたことを示す貴重な手がかりといえそうだ。
 史料は戦国末期の長宗我部元親の弟に当たる親房の子孫に伝えられ、土佐藩士として勤務した履歴を記した文書から、昭和天皇が元親に正三位を追贈した贈位記まで16点。親房の子孫で東京都在住の長宗我部友親さん(68)が寄託した。
 17世紀末に藩に提出された差出(報告書)によると、親房の家系を継いだ島五郎左衛門は大坂の陣で豊臣方に参戦、土佐で4年の入牢後、藩士に召し抱えられた。
 長宗我部家復興の機運が高まった幕末から明治にかけては「元親公より血脈連綿」と記した連判状や、一族をまつる秦神社の創建を藩に願い出た文書も含まれている。


慎太郎の像さわやかに
 室戸市の室戸岬で9日、四国電力の室戸、安芸両営業所や関連企業の社員14人が幕末の志士、中岡慎太郎の像を清掃した。電線補修に使う高所作業車に乗り、ブラシで汚れを落とした=写真。
 四国電力の「環境月間」に合わせて実施された。慎太郎像は高さ5・3メートルで、台座を含めると14メートルになる。清掃作業が終わると、潮風を受けて白っぽく見えていた像が、ブロンズ像特有の緑青色に戻った。午後から、北川村にある慎太郎の生家周辺でも清掃作業をした。





山口
萩往還観光案内人:歩いてたどる萩往還の歴史 養成講座、受講者を募集 /山口
◇来月4日間
 江戸時代の萩往還を歩きながら案内する「萩往還観光案内人」の養成講座が7月にある。県観光連盟や萩市観光協会、防府市観光協会など8団体(事務局・山口商工会議所)で実行委を組織。歴史の道・萩往還を全国に発信し、観光振興を図る狙い。
 萩往還は、萩城下(萩市)から三田尻(防府市)までの全長53キロ。毛利公の参勤交代道として整備され、庶民の交通路でもあり、幕末には吉田松陰や坂本龍馬など志士が駆け抜けた。今でも殿様の休憩所・御駕籠建場(おかごたてば)跡や石畳、一里塚など歴史の遺構が数多く残されている。
 研修は7月9、14、23、28日。1日3時限制で、▽観光案内人の心構え▽応急手当て▽毛利家、萩、山口、防府各市の歴史・文化などの講義と、明木-佐々並間を歩いての実地研修もある。
 開催場所は山口商工会議所と萩市民会館。募集は30人。応募要件は、すべて受講し萩往還を歩きながら案内できる人。受講は無料だが、テキスト代として1000円が必要。
 養成講座を全課程修了すると「案内人の証」(仮称)を交付する。申し込みは25日まで。問い合わせは山口商工会議所(083・925・2300)。【川上敏文】



佐賀
全国大会に合わせ、食育イベント多彩に
 食育推進全国大会「さが食育フェスタ2010」(12、13日・佐賀市文化会館など)に合わせて、多彩なイベントが繰り広げられている。佐賀市の県立図書館は食育のルーツを探る企画展を開催。エスプラッツは、佐賀の魅力をアピールする観光紹介所を設けるなど、大会の盛り上げに一役買っている。


「食育」のルーツ探る企画展  県立図書館

 佐賀市の県立図書館は、食の安全や地産地消などに関する約100冊を展示。食育を題材にした明治時代のベストセラー小説もあり、注目を集めている。
 明治時代の本は2冊。小説家村井弦斎著の「食道楽」(1903年)の中には「食育論」の章があり、「知育や体育よりも一番大切なのは食育」と説いている。また、日本で最初に「食育」の言葉を使ったとされる軍医石塚左玄著の「通俗食物養生法」(1898年)も展示している。
 担当者は「食育は最近の言葉と思われがちだが、実は100年以上前から使われていることが分かる」と話す。企画展は29日まで。問い合わせは同図書館、電話0952(24)2900へ。


県外客に佐賀の観光アピール  エスプラッツ展示

 県外からの来客に佐賀の魅力を伝えようと、佐賀市のエスプラッツでは「佐賀ほとめき観光フェア」が開かれている。バルーンフェスタや古湯映画祭などを200点以上のパネルなどで紹介している。20日まで。
 展示しているのは、木製のえびす像やバルーンのゴンドラ、幕末の佐賀藩が建造した「凌風丸」の模型など。古湯映画祭のコーナーにはポスターや俳優らのサインをはじめ、佐賀でロケが行われた映画「張込み」(1958年)の撮影の様子を収めた写真なども飾っている。
 フェアは12日夜に白山名店街で開かれる「ほとめき祭」に合わせて佐賀観光協会が企画。問い合わせは同協会、電話0952(20)2200。

【写真】古湯映画祭など佐賀の観光を紹介している=佐賀市のエスプラッツ


シンポジウム:佐賀の偉人、語り合おう 伝記集刊行を控え、27日に開催 /佐賀
 幕末や明治期の地元の偉人伝が今秋から出版されるのに伴い、県出身の偉人について語り合うシンポジウムが27日午後1時半、佐賀市の佐賀城本丸歴史館で開かれる。無料。
 シンポには明治期の文学に詳しい佐賀女子短大の横尾文子教授や杉谷昭・同館館長、古川康知事ら4人のパネリストが登壇。“七賢人”をはじめ、各人が思う佐賀の偉人を挙げながら、同館の古川英文副館長の進行でパネル討論する。
 偉人伝は近年、九州・山口の近代化産業遺産群が世界遺産の候補として取り上げられる機会が増えたことから「県民に地元の歴史を知ってもらって機運を盛り上げよう」と県教委が刊行を計画した。
 幕末・明治期に日本の近代化をリードした偉人約15人を選び、1人1冊の読本にまとめて今秋から5年間かけて刊行する。7月から編集委員会が始まるのを前に、県民に関心を持ってもらおうとシンポジウムを企画した。問い合わせは同館0952・41・7550。【竹花周】



長崎
【動画】幕末長崎古写真展が入場2万人突破 歴文博、上野彦馬製作カメラ展示も
 長崎歴史文化博物館(長崎市立山1丁目)で開催中の企画展「幕末長崎古写真展」(同館、長崎大付属図書館主催)の入場者が11日、2万人を突破した。
 2万人目の入場者は、大分県宇佐市の宇佐商工会議所女性会会長、大神(おおが)すみ子さん(60)。長崎市内で開催された九州商工会議所女性会連合会の総会に参加するため来崎し、同展にも足を運んだ。 長崎大付属図書館の柴多一雄館長と長崎歴文博の大堀哲館長から記念品のクリアファイルなどを手渡された大神さんは「大河ドラマ『龍馬伝』を見て、時代背景や歴史の流れを知りたくなった」と喜んでいた。
 同展は幕末長崎の風景と人物を撮影した約400点を展示。好評のため当初の会期を1カ月延長し、6月30日まで開催。会期延長に合わせ、熊本市の写真館が所蔵する幕末の写真家上野彦馬が製作したカメラ「スタジオ用キャビネ判暗箱」を新たに展示している。


ひらどしマンに龍馬が仲間入り 平戸市が新事業、練り歩き観光PR
 「観光活性化へ変身!」-。平戸市は11日からローカルヒーロー「ひらどしマン」や「坂本龍馬」に扮(ふん)した若者が市内を練り歩き観光をPRする「ひらどキャラクターまちなか賑(にぎ)わい事業」を始める。10日は観光ガイド研修として、平戸焼の「平戸茂右ェ門窯」(同市鏡川町)でメンバーが透かし彫りに挑戦。平戸の魅力を体得した。
 市によると、同事業は市が県の緊急雇用対策を活用し、市内のイベント会社に委託。土、日、祝日を中心にそれぞれの衣装に身を包んだ若者が市内を歩き、観光客をガイドしたりパンフレットを配布する。
 「ひらどしマン」は、「平戸牛ピンク」「ごぼうもちグリーン」など、特産品PRのため2000年、地元有志が立ち上げたキャラクター。幕末ブームにあやかろうと、今回は「龍馬」も加えた。窯元ではメンバーが変装し平戸焼の歴史を学んだ後、ランプシェード制作を体験。細かい作業に苦心しながら制作に取り組んだ。
 「龍馬」役の大石正輝さん(19)=同市前津吉町=は「平戸のいいところを紹介し、満足してもらいたい」と意気込んでいる。キャラクターには今後、平戸ゆかりの宣教師「フランシスコ・ザビエル」なども加わる予定。


ニューヨーク
150年前、“侍姿”の将棋披露 当時のNYタイムズ紹介
 幕末期に勝海舟らを乗せた軍艦「咸臨丸」とともに太平洋を渡った日本の遣米使節団が、現地で将棋を指した様子が当時のニューヨーク・タイムズ紙に載っていたことが明らかになった。10日、日本将棋連盟がホームページで紹介した。同連盟によれば、海外で初めて指された将棋の可能性が高いという。
 「咸臨丸」渡航から今年で150周年を迎えたが、将棋ファンの米国人が記事を見つけ、同連盟ニューヨーク支部に連絡してきた。
 1860年6月16日付の同紙によると、“侍姿”の使節団は同15日にフィラデルフィアで将棋の駒を現地の人たちに披露。チェスボードに81マスを描いた盤を使い、日本人同士で実戦も行った。
 記事では駒の動かし方なども説明され、取った駒が使えることなどから将棋はチェスよりはるかに複雑と指摘。しかも、日本人はかなりの早指しで、現地の人が驚いたことも紹介している。
 現在のような形の将棋は、室町時代半ばの15世紀には指されるようになったとされ、江戸時代に入ると対局を記録した棋譜も残されている。


コラム
【幕末から学ぶ現在(いま)】(65)東大教授・山内昌之 相楽総三
■政治家の使い捨て

 鳩山由紀夫氏に代わって首相となった菅直人氏の人気はひとまず高い。その原因は、菅氏が政治を家業として選挙区の地盤を世襲する国会議員でなく、普通のサラリーマン家庭の出身者であることも大きいのではないか。
 最近だけでも、安倍晋三、福田康夫、麻生太郎、鳩山由紀夫の4氏は、祖父や父が首相だった政治家の家系に生まれた。鳩山氏にいたっては、富裕な資産家でもあり、庶民感覚から隔絶したカネの問題を説明しきれていない。
 これと比べると、菅氏は日常生活も慎ましやかであり、落選などの辛酸を嘗(な)めながら市民運動家から宰相の地位にたどりついたのだから、与野党問わず氏の志と使命感には拍手を送るべきかもしれない。しかし、党人や官僚から育った政治家はしたたかである。政治構造の暗黙知に挑戦する異分子に思いもよらぬ罠(わな)を仕掛けてくるかもしれないからだ。
 少なくとも、参院選用の顔の差し替えや不祥事隠しの目くらましとして割り切り、「使い捨て」にしようとしている勢力が民主党内にもいないともかぎらない。

 ◆薩摩の意受け江戸騒乱

 菅氏とすぐ比べられないにせよ、幕末維新史で最大の「使い捨て」となったのは、相楽総三である。現在の取手(茨城県)あたりの地の郷士の子として生まれた相楽は、文久3(1863)年の上州赤城山の挙兵計画や、翌年3月の天狗(てんぐ)党による筑波山の蜂起に加わって頭角を現した。
 相楽にとって運命の分かれ道となったのは、薩摩の西郷隆盛らと交誼(こうぎ)を結んだことである。相楽は慶応3(1867)年、西郷の意を受けて、江戸市中と近辺で倒幕運動を公然と始めた。ことに、江戸市中への放火や強盗や暴行を繰り返して徳川政権を挑発したのである。
 相楽は、大政奉還によって徳川慶喜を武力討伐する大義名分を失った西郷によって、江戸の幕臣を挑発し戦端を開く口実を作る役回りを与えられたのだ。西郷の政治謀略の凄(すご)みは、関東在の一本気の相楽の及ぶところではない。
 西郷の策はあたり、市中警固(けいご)の任にあたった庄内藩が激高して芝三田の薩摩藩邸を焼き討ちにした。大事の前の小事といわんばかりに、薩摩藩士の一部も切り捨てたのだから、西郷の権力リアリズムははかりしれない。

 ◆「偽官軍」として処刑

 しかし挑発は功を奏し、鳥羽・伏見の戦いが起きて幕府軍の敗走をもたらした。薩長から歴史を眺めれば、相楽は維新成功の功労者として顕彰されてしかるべきであった。しかし、事態はそうならない。
 慶応4(1868)年1月、京都に逃れていた相楽は再び西郷の意を受けて官軍先鋒(せんぽう)となる赤報隊を結成し、東山道を進んだ。彼は、自らの建白で採用された年貢半減令を布告しながら颯爽(さっそう)と東山道を進軍したが、まもなく「偽官軍」として捕縛され、官軍参謀の進藤帯刀(たてわき)によって信濃国下諏訪にて処刑されたのである。
 長谷川伸の名作『相楽総三とその同志』は、この割り切れない事件で死んだ犠牲者の鎮魂の書にほかならない。
 もちろん京都で認めさせた年貢半減の理想を高らかに掲げた相楽を、出先の参謀が一存で処刑できるはずもない。そこに大きな暗い意志が働いていたと見るのは自然であろう。出所はさすがに西郷でなく、岩倉具視(ともみ)だろうという説もある。もちろん年貢半減が実施不能と悟った新政府にとって、相楽の理想主義が邪魔になったことは否定できない。
 しかし倒幕のためとはいえ、薩摩藩邸を根城に犯罪の限りを尽くした相楽の存在は、新政府の門出にとって忌まわしいものであった。政治の理想とリアリズムとの間には、使い捨てにされる存在がどうしても出てくる。
 菅氏を水魚の交わりで支えてきた同志たちは必ずしも氏の傍らで新政権の要職に起用されていない。菅氏は、かれらを使い捨てた冷たい政治家だと世論に思われないことも大事だろう。もっとも、菅氏も鳩山氏と同じく、政治の大きな流れのなかで、使い捨てにならないともかぎらない。
 それにしても、政治家は使い捨てにされる存在だと看破した小泉純一郎元首相は、まさに政治リアリズムの極致を見抜いていたのかもしれない。(やまうち まさゆき)

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 本連載をまとめた「幕末維新に学ぶ現在」(中央公論新社)が発売中。

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【プロフィル】相楽総三
 さがら・そうぞう 天保10(1839)年生まれ。国学と兵学をおさめたのち、上野(こうずけ)、信濃など東国各地を遊歴し、尊攘の同志を募る。慶応3年、西郷隆盛の指令で浪士を集め、江戸騒乱をくわだてた。のち赤報隊結成に加わり、1番隊隊長となる。東征軍先鋒として、自らが建白し、太政官に採用された年貢半減令を布告しながら東山道を進むが、維新政府に「偽官軍」として捕らえられ、慶応4(1868)年、信濃国下諏訪で処刑された。享年30。




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