新選組・土方歳三を中心に取り上げるブログ。2004年大河ドラマ『新選組!』・2006正月時代劇『新選組!! 土方歳三最期の一日』……脚本家・制作演出スタッフ・俳優陣の愛がこもった作品を今でも愛し続けています。幕末関係のニュースと歴史紀行(土方さんに加えて第36代江川太郎左衛門英龍、またの名を坦庵公も好き)、たまにグルメねた。今いちばん好きな言葉は「碧血丹心」です。
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今日は佐々木只三郎の鎖かたびらが発見された(しかも鳥羽伏見の時に着用していたものらしい)というニュースが幕末の歴史ファンには大きいニュースです。
北海道
20日から市立函館博物館で梁川剛一展
「函館市出身で、高田屋嘉兵衛像を制作した彫刻家として知られる梁川剛一氏(1902―86年)の活動を紹介する特別企画展『没後20年 梁川剛一』(市立函館博物館主催)が20日から、同博物館本館(青柳町17)で開かれる」。
高田屋嘉兵衛は幕末というよりも幕末前夜の時代の人物ですが、白牡丹が関心を抱いている歴史上の人物なんで、一緒にクリップしました。
埼玉
30日まで大熊氏広生誕150年記念展
鳩ヶ谷出身の彫刻家
市役所ホール
「鳩ケ谷市出身の芸術家の偉業を再認識してもらおうと、近代彫刻の先駆者といわれる『大熊氏広生誕150年記念展』が三十日まで、同市庁舎一階エントランスホールで開かれている」。
「大熊氏広(一八五六〜一九三四年)は代表作の『大村益次郎像』で知られる彫刻家。武蔵国足立郡中居村八幡木(現鳩ケ谷市八幡木三丁目)の農家の二男として生まれた。今年が生誕百五十年にあたる」。
「幕末から明治にかけて少年時代を中居村で過ごした大熊は、祖父と一緒に上京、明治九(一八七六)年、工部美術学校の彫刻科に入学」という記述と、大村益次郎像をつくったというエピソードが幕末関連です。
京都
総合的漫画研究を本格化
京都精華大 次世代コンテンツ開発へ
「国内初のマンガ学部を今春開設した京都精華大(京都市左京区)が、資料収集から活用モデルの開発までを含めた総合的な漫画研究を本格化させる」。
「研究は4つのプロジェクトで構成する。大量複製印刷による漫画が始まる幕末から現代にかけての錦絵や浮世絵、欧米のカリカチュアやバンドデシネも含む資料20万点を収集。日本マンガ学会会長で評論家の呉智英氏や、現代マンガ図書館の内記稔夫館長らを招いて、表現様式の変化などの理論的分析を進める」というところがキーワード「幕末」で引っかかりました。
佐々木只三郎の鎖かたびら発見
京で10月に公開 戊辰戦争で着用か
「坂本龍馬暗殺にかかわったとされる京都見廻組与頭(くみがしら)の佐々木只三郎(1833−68)が、戊辰(ぼしん)戦争で着ていたとみられる鎖かたびらが、このほど見つかった。佐々木家の家紋入りで、弾痕や血痕が残っている。幕末・維新史を研究する京都市東山区の霊山歴史館は『只三郎の最期を知る上で貴重な史料になるのでは』と注目している」。
「鎖かたびらは丈約70センチ、両袖間約110センチ。麻布で覆われた冬用で、佐々木家の家紋ひし形の『四つ目結』が紺で染め抜かれている。弾痕を縫い直した跡が多数あるほか、右脇腹に血痕、左肩に刀で切られたとみられる裂け目が残っている」。
写真画像の血痕の大きさが重々しいです……。
「佐々木只三郎は会津藩士。同館所蔵の『佐々木只三郎伝』によると、1868(慶応4)年正月、鳥羽伏見の戦いで先陣を切ったが銃創を負い、部下とともに紀州に落ち延びたものの、傷がもとで死亡し、紀三井寺(和歌山市)に葬られた」。
う〜ん、会津藩士の息子として生まれたんですが、幕臣の佐々木家に養子に入って見廻組では幕臣として指揮にあたったことに触れて欲しかったです……。
「鎖かたびらの状態と伝記に重なる部分が多いことから、同館は只三郎が着ていた可能性が高いとみており、10月の企画展で公開する」。
「伝記には、敗走中に部下が軍資金を盗もうとしたために只三郎の死期を早めたという記述もあり、木村幸比古学芸課長は『朝敵として身ぐるみはがされ、満足な治療も受けられなかったのでは』と最期を哀れむ」。
身ぐるみはがされたかも知れないんですか……うーむ、部下が軍資金を盗もうとしたという話といい、何だか辛いです……ご子孫の方々が遺品かも知れない鎖かたびらに対面する日が早く実現しますよう、祈りつつ、合掌。
北海道
20日から市立函館博物館で梁川剛一展
「函館市出身で、高田屋嘉兵衛像を制作した彫刻家として知られる梁川剛一氏(1902―86年)の活動を紹介する特別企画展『没後20年 梁川剛一』(市立函館博物館主催)が20日から、同博物館本館(青柳町17)で開かれる」。
高田屋嘉兵衛は幕末というよりも幕末前夜の時代の人物ですが、白牡丹が関心を抱いている歴史上の人物なんで、一緒にクリップしました。
埼玉
30日まで大熊氏広生誕150年記念展
鳩ヶ谷出身の彫刻家
市役所ホール
「鳩ケ谷市出身の芸術家の偉業を再認識してもらおうと、近代彫刻の先駆者といわれる『大熊氏広生誕150年記念展』が三十日まで、同市庁舎一階エントランスホールで開かれている」。
「大熊氏広(一八五六〜一九三四年)は代表作の『大村益次郎像』で知られる彫刻家。武蔵国足立郡中居村八幡木(現鳩ケ谷市八幡木三丁目)の農家の二男として生まれた。今年が生誕百五十年にあたる」。
「幕末から明治にかけて少年時代を中居村で過ごした大熊は、祖父と一緒に上京、明治九(一八七六)年、工部美術学校の彫刻科に入学」という記述と、大村益次郎像をつくったというエピソードが幕末関連です。
京都
総合的漫画研究を本格化
京都精華大 次世代コンテンツ開発へ
「国内初のマンガ学部を今春開設した京都精華大(京都市左京区)が、資料収集から活用モデルの開発までを含めた総合的な漫画研究を本格化させる」。
「研究は4つのプロジェクトで構成する。大量複製印刷による漫画が始まる幕末から現代にかけての錦絵や浮世絵、欧米のカリカチュアやバンドデシネも含む資料20万点を収集。日本マンガ学会会長で評論家の呉智英氏や、現代マンガ図書館の内記稔夫館長らを招いて、表現様式の変化などの理論的分析を進める」というところがキーワード「幕末」で引っかかりました。
佐々木只三郎の鎖かたびら発見
京で10月に公開 戊辰戦争で着用か
「坂本龍馬暗殺にかかわったとされる京都見廻組与頭(くみがしら)の佐々木只三郎(1833−68)が、戊辰(ぼしん)戦争で着ていたとみられる鎖かたびらが、このほど見つかった。佐々木家の家紋入りで、弾痕や血痕が残っている。幕末・維新史を研究する京都市東山区の霊山歴史館は『只三郎の最期を知る上で貴重な史料になるのでは』と注目している」。
「鎖かたびらは丈約70センチ、両袖間約110センチ。麻布で覆われた冬用で、佐々木家の家紋ひし形の『四つ目結』が紺で染め抜かれている。弾痕を縫い直した跡が多数あるほか、右脇腹に血痕、左肩に刀で切られたとみられる裂け目が残っている」。
写真画像の血痕の大きさが重々しいです……。
「佐々木只三郎は会津藩士。同館所蔵の『佐々木只三郎伝』によると、1868(慶応4)年正月、鳥羽伏見の戦いで先陣を切ったが銃創を負い、部下とともに紀州に落ち延びたものの、傷がもとで死亡し、紀三井寺(和歌山市)に葬られた」。
う〜ん、会津藩士の息子として生まれたんですが、幕臣の佐々木家に養子に入って見廻組では幕臣として指揮にあたったことに触れて欲しかったです……。
「鎖かたびらの状態と伝記に重なる部分が多いことから、同館は只三郎が着ていた可能性が高いとみており、10月の企画展で公開する」。
「伝記には、敗走中に部下が軍資金を盗もうとしたために只三郎の死期を早めたという記述もあり、木村幸比古学芸課長は『朝敵として身ぐるみはがされ、満足な治療も受けられなかったのでは』と最期を哀れむ」。
身ぐるみはがされたかも知れないんですか……うーむ、部下が軍資金を盗もうとしたという話といい、何だか辛いです……ご子孫の方々が遺品かも知れない鎖かたびらに対面する日が早く実現しますよう、祈りつつ、合掌。
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