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新選組・土方歳三を中心に取り上げるブログ。2004年大河ドラマ『新選組!』・2006正月時代劇『新選組!! 土方歳三最期の一日』……脚本家・制作演出スタッフ・俳優陣の愛がこもった作品を今でも愛し続けています。幕末関係のニュースと歴史紀行(土方さんに加えて第36代江川太郎左衛門英龍、またの名を坦庵公も好き)、たまにグルメねた。今いちばん好きな言葉は「碧血丹心」です。
 一昨日昨日と雷を伴う雨が降りましたね。今日は今のところ降る気配はありませんが、明日はまた雷雨があるらしいです(汗)。金曜日からは天気が安定するそうで……天気が安定して欲しいです。

茨城
遊ナビ・アート館:所蔵品展「水彩画の魅力」--県天心記念五浦美術館 /茨城
 私たち日本人にとってもっとも慣れ親しんできた水彩画。その魅力を作品を通して紹介する所蔵品展「水彩画の魅力」が、北茨城市大津町の県天心記念五浦美術館で開かれている。
 水彩画は、幕末から明治にかけて油彩画とともに日本に紹介され、その描法の手軽さなどから広く普及し愛好されるようになった。明治後期になるとヨーロッパで学んだ油彩画家の浅井忠らが優れた作品を描き、その普及にも努めるなど水彩画の全盛期を迎え、大正期には古賀春江などが個性的な作品を残した。昭和に入ってからは中西利雄らによって不透明画法が紹介され、さらに本県出身の小堀進などの活躍によって多彩な表現の広がりを見せるようになった。
 同展では中西作「ルーブルの庭」、小堀作「花と雲」など明治から平成にかけて描かれた秀作25点を展示。「水彩画の作品をメーンにした展示は同館では初めてです」
 7月5日まで。毎週月曜休館。一般180円、高大生110円、小中生80円。問い合わせは同美術館(電話0293・46・5311)へ。【臼井真】



静岡
浜松城:整備構想 天守門と富士見櫓、復元へ 市、発掘進め12年度にも着工 /静岡
 徳川家康の居城だった浜松城(浜松市中区元城町)の天守門と富士見櫓(やぐら)の復元計画が進められている。幕末につくられた「安政元年浜松城絵図」に記されている天守門と富士見櫓の発掘調査を今年度中に行い、12年度にも元の位置での復元に着工する方針だ。
 浜松城は1570年、岡崎城から移った家康が築城し、45歳で駿府城に居城を移すまで17年間を過ごした。家康が江戸幕府を開いた後、歴代城主が幕府の要職に登用されたことから「出世城」とも呼ばれる。明治維新の廃城令で城は取り壊され、1958年に民間の募金によって天守閣が造られた。しかし天守閣があったという史料は残っていないという。
 市は昨年度、浜松城公園歴史ゾーン整備構想を策定、史跡を復元して、観光名所として位置づけたい考え。市公園課は「天守門は石垣が残っており、スムーズに発掘も進むのではないか。その後は天守閣西側の埋門の復元にも取り組みたい」と話している。【大塚仁】


幕末・明治の風物描く 錦絵や広告展示 磐田
 リンク先は静岡新聞社サイト(閲覧に会員登録が必要・無料)です。
 早稲田大図書館が所蔵する錦絵などが並ぶ展示会「幕末・明治のメディア―その世相と風刺―」が7月5日まで、磐田市見付の市立中央図書館で開かれている。月曜と26日は休館。
 展示会は「早稲田フェスタin遠州」の一環で、同大と遠州稲門会、同図書館が主催した。
 錦絵は江戸時代に発達した多色刷りの木版画。幕末から明治にかけ、さまざま出来事を絵で紹介するメディアの1つだったという。明治初期の東京の銀座の様子や大日本帝国憲法発布の式典などを記録した色鮮やかな錦絵46点が並んでいる。庶民生活を題材にした風刺画もある。
 薬品や木炭、食品などの当時の広告「絵びら」も17点展示されている。


福井
【福井】越前松平家の家宝公開 福井市立郷土歴史博物館
 江戸時代の越前松平家に伝わる資料などの展示会が、福井市立郷土歴史博物館で開かれている。幕末の福井藩主・松平春嶽にかかわる書物のほか、江戸から明治時代までのえりすぐりの美術工芸品などが並べられている。7月5日まで。
 会場には、春嶽の温かい人柄や筆まめさが分かる直筆の書状や日記、福井藩の年中行事と風物詩を描いた絵巻など計約20点が展示されている。美術工芸品は「漆芸の名品」「こどもの成長を願って」をテーマに、稚児用の武具などが出展されている。
 江戸の将軍家に仕えていたとされる蒔絵(まきえ)師の作品「菊唐草(きくからくさ)蒔絵重箱」には、重厚で華麗な蒔絵が全面に施されている。初公開の稚児差しは、通常の日本刀に比べて半分ほどの大きさで、七五三の儀式の際に用いたという。
 入場料は210円。中学生以下や高齢者、障害者は無料。
(梅沢あゆみ)


京都
舞鶴の児童◆よろいや火縄銃体験
 舞鶴市倉谷の余内(あまうち)小学校で16日、児童が江戸時代のよろいを着たり、火縄銃に触ったりする体験授業があった。総合学習の一環で、社会科で歴史の勉強をしている6年生約80人を対象に、市民ボランティア「田辺城ガイドの会」のメンバーが講師役になった。
 会のメンバーは、舞鶴の史跡を案内する地図を見せながら、戦国時代の山城や幕末に建てられた「台場」と呼ばれる砲台跡など身近にある史跡を紹介。紙芝居などを使って田辺城築城の経緯や、関ケ原の戦いの直前、初代城主細川幽斎が約500人の手勢で籠城(ろうじょう)し、火縄銃などを使って石田三成方の軍勢約1万5千人に対抗したことなどを解説した。
 その後、児童は重さ3~4キロの江戸期の火縄銃や2キロの模造刀を持ってみたり、よろいを着てみたりして郷土の歴史に思いをはせた。
 高岸庸斗(ゆうと)君(11)は「火縄銃は重くてびっくりした。昔の人は体を鍛えていたんだと思う」と話していた。


大阪
満載:イベント編 堺・泉州 /大阪
◇スポット展示「菘翁・貫名海屋の南画」
 8月2日(日)まで9時半~17時15分、堺市堺区百舌鳥夕雲町2丁の市博物館(JR百舌鳥駅徒歩6分)。徳島藩出身の儒学者で幕末の三筆としても知られる貫名菘翁(ぬきなすうおう)の南画の世界を紹介。入館料200円。高大生100円。小中学生50円。市内在住・在学の小中学生、65歳以上、障害者と介助者無料。月曜休館(7月20日開館、21日休館)。同館(072・245・6201)。


兵庫
CAMERA事始め:第9回上野彦馬展によせて/1 幕末の和洋折衷カメラ /大阪
◇外観は米国風、本体日本製
 日本の写真術の先駆者として知られる上野彦馬にちなんだ「第9回上野彦馬賞九州産業大学フォトコンテスト受賞作品展」(毎日新聞社など主催)が尼崎市総合文化センターで開かれている。同時開催の特別企画展「CAMERA(  カメラ  )事始め-古典カメラから国産カメラへの変遷」では、明治期ごろからの貴重な古典カメラなど約150点を展示。現代のデジタルカメラでは味わえないその魅力について、同センターの学芸員らが4回にわたり解説する。
 はじめに、本展に出品されているカメラの中で最も古い「堆朱(ついしゅ)カメラ」を紹介しよう。
 外観は米国製のダゲレオタイプカメラを模しているが、本体とレンズは日本製というれっきとした国産写真機である。本体には日本の漆芸技術のひとつである堆錦(ついきん)による唐草文様が、また、レンズの鏡胴部とレンズキャップには七宝焼が施されるなど随所に日本的な装飾が取り入れられており、鑑賞的要素も高い。
 本機は福井藩の医師・笠原白翁(かさはらはくおう)が秘蔵していたもの。同種のカメラで現存が確認されるものはわずか3台で、近年の研究によりこれらは文久年間(1861~63)に、名古屋の職人、牧田屋味田孫兵衛(まきたやあじたまごべえ)が製作したとされている。
 ところで、このカメラには「湿板(しっぱん)」と呼ばれるガラスが用いられた。ガラス面に感光材を塗り、それが乾かないうちに撮影することからこのような名前が付けられた。幕末期に海外から輸入されたこの写真技法を長崎の写真師・上野彦馬は自ら研究し、坂本龍馬らに代表される維新の立役者などを撮影することに成功した。
 今から約150年前の日本において、「写真」がどのような存在であったのか。当時のカメラと写真を通して思いを巡らせてみようではないか。(尼崎市総合文化センター学芸員・永井倫子)

==============

<会期>7月5日(日)まで、火曜休館。入館10時~17時半。
<会場>尼崎市総合文化センター(兵庫県尼崎市昭和通2/阪神尼崎駅下車、立体遊歩道で北へ徒歩5分)
<入場料>一般500(前売り400)円▽大高生400(同300)円▽中学生以下は無料。

 見出しに「大阪」とありますが、上野彦馬展の会場がある尼崎市は大阪府ではなく兵庫県にあります(元市民なので力説^_^;)。

山口
ハナショウブ:晋作が眠る地で開花--下関・東行庵 /山口
ハナショウブ:晋作が眠る地で開花--下関・東行庵 /山口
 幕末の志士、高杉晋作(1839~1867)が眠る下関市吉田、東行庵の池で、ハナショウブが見ごろとなっている。20日ごろまで楽しめそうだ。
 東行庵には晋作の墓があり、晋作が愛した「おうの」(1843~1909)はハナショウブを好んだ。約100種1万株が植えられ、白や紫、ピンクの涼やかな花が美しい。東行庵のハナショウブは他の場所に比べ、毎年1週間ほど長く咲くという。
 晋作没後、おうのは東行庵庵主となって墓を守った。来場者は名物の「晋作餅」を手に「まだ咲いているね」と喜んでいた。

〔下関版〕



佐賀
イベント:映画解説と琵琶演奏+食事--あす佐賀で /佐賀
 映画解説と琵琶演奏を聴いて料理を楽しむイベントが18日午後6時から、佐賀市松原の老舗旅館「松川屋」である。
 テーマは「水無月(6月)に散った侍たちへのレクイエム」。織田信長が命を落とした本能寺の変(1582年6月2日)、新撰組が尊王攘夷派志士を襲撃した池田屋事件(1864年6月5日)にちなみ、薩摩琵琶奏者の北原香菜子さんがこの事件を表現した2曲を演奏する。
 演奏に先立ち、映画評論家の西村雄一郎さんがこれらの事件を映画で解説する。旬が並ぶ料理も味わえる。
 40人限定。6000円。問い合わせ、申し込みは松川屋(0952・24・5285)。【関谷俊介】




長崎
NPO法人:龍馬らの足跡ボランティア案内、「長崎の風」設立 /長崎
◇学童さるくを初開催
 坂本龍馬ら長崎ゆかりの志士の足跡を案内する市民ボランティアガイドらがこのほど、NPO法人「長崎の風」を設立。13日に、龍馬が設立した商社「亀山社中」跡などを子供たちに案内する「学童さるく」を初開催した。幕末の「安政の開港」から150年の今年、龍馬らの研究を進めて観光や街づくりに生かし「志士たちのように、長崎に新しい“風”を吹かせたい」と意気込んでいる。
 長崎市のまち歩き観光「長崎さるく」ガイドの元会社員、黒田雄彦さん(63)=同市=が理事長となり、ガイドら10人で3月に設立。4月に始まった「長崎さるく幕末編」を機に、龍馬や勝海舟、海援隊の長崎でのエピソードなどを掘り起こし、ガイドツアー「学さるく」の新コースを開拓している。
 この日は「子供たちに長崎と龍馬のかかわりを知ってもらい、長崎を好きになってほしい」と企画。高尾小校区の学童保育「みどりっ子」の親子約50人を、龍馬の銅像が建つ風頭公園や亀山社中跡に案内した。
 高尾小5年の森勇吉君(11)は「初めて知ったこともあって面白かった」。黒田さんは「みんな長崎から龍馬のように大きく羽ばたいてほしい」と話していた。【錦織祐一】





コラム
【元気のでる歴史人物講座】(24)副島種臣
■日本の名誉守った外務卿

 明治5年6月、ペルーの船マリア・ルース号が横浜に入港したとき、一清国人が命がけで脱出、船内の231名の清国人がペルー人より奴隷として虐待されていることを訴え出た。この船は奴隷売買船だった。当時、南北アメリカ大陸では貧しい清国人を甘言を以(もっ)てだまし、奴隷として酷使していた。
 時の外務卿(外相)、副島種臣(そえじま・たねおみ)は何より道義公正を重んずる人物であった。わが領海内で起きた事件だから、わが国の裁判にかけて清国人奴隷を救済せんとした。
 しかし、誰もがこう考えたのではない。当時、奴隷売買は公然と行われていた。維新まもない日本はいまだ弱小国だった。余計なことに手を出し外国と厄介な問題をひき起こしたくない。清国人が奴隷にされようと日本にかかわりないことだから黙っていた方がよいという意見が多かったのである。
 だがこの事件を見逃して独立国、日本の名誉と尊厳いずこにありやと思った副島は、事件を扱う権限を外務省に移し、誰からも干渉されないようにして特別裁判所を設け裁判を断行した。
 その間、外国公使の抗議など種々の障害があったが、副島は万難を排して尽力した結果、裁判は日本の勝利となり清国人奴隷は全員解放され帰国できた。近代日本外交における最初の輝かしい成果であり、副島の名声は内外に鳴り響いた。(日本政策研究センター主任研究員 岡田幹彦)

 副島種臣の功績について水を注す気持ちは毛頭もありませんが……この記事には言及されていない、歴史の流れについて、一言、二言。
 清国人の奴隷売買を批判した日本にも人身売買があるではないかと欧米に批判されたのが吉原を初めとする遊郭の娼妓のことでした。1872年(明治5年)、強制的な年季奉公の廃止などを含む芸娼妓解放令が出されますが、「解放」された芸娼妓たちの受け皿はほとんど用意されませんでした。
 公娼地域としての遊郭は、1956年の売春防止法の成立まで続きました。
 現代とはさまざまな価値観や社会経済の制度がまったく違っていますので、たとえば文人の出入りする高級文化サロンとしての役割もあった江戸時代の吉原であるなどの側面も含めて全否定する気はまったくありません。ただ、マリア・ルース号事件だけを取り上げられると、その事件がどう日本の社会に波及したのか・しなかったのかという点までも含めてコメントしたくなってしまうのです(汗)。

イケメン旋風、ここにも到来!? 出版業界を延命させる時代小説
大河ドラマの原作小説がバカ売れ&マンガ化されたり、「私の好きな時代小説」特集が女性誌で組まれたり、若い女性の間で時代小説がアツいらしい。オジサンの読むものだったはずが、いつの間に乙女たちに受けるものになったのか? ブームの発祥と実態を探る。

 今、巷では時代小説ブームが起きている──。こう言い切ってしまうのはいささか大げさかもしれないが、本誌を手に取る読者諸兄の中には、ブームの到来を実感している方も少なくないだろう。書店に足を運べばフェアが開かれ、雑誌を見ても、「小説すばる」の「時代小説が、いま元気だ!」特集や、女性ファッション誌「LEE」(ともに集英社)の「時代小説、私のおすすめ」特集など、以前より「時代小説」の4文字を目にする機会が増えている。しかも、今回のブームの担い手は、若い女性が中心になっているようだ。

 この背景としてまず考えられるのが、NHK大河ドラマのヒットだ。ご存じ"篤姫ブーム"により、最高の形でバトンタッチを受けた『天地人』は、初回24.7%の高視聴率を記録。原作の『天地人』も2009年上半期ベストセラーで4位にランクインするなど絶好調だ。そんな気運の高まりを受けてか、書店員がいま一番売りたい本を選ぶ本屋大賞でも、09年はなんとベスト10のうちの4作品を時代小説が占め、関係者やウオッチャーたちを驚かせた。

 ひとくちに時代小説といっても、扱われる時代は多様だが、相変わらず読者には戦国、幕末が人気だ。同賞第2位にランクインした戦国モノ『のぼうの城』は、"読みやすい時代小説"として評判を呼び、07年12月の発売以来、現在までに累計30万部以上を売り上げた。そのヒットを支えたのは20~30代の女性。「歴女」と呼ばれる、歴史好きな女性から支持を受けたことが、拍車をかけたといわれている。人気の理由を、大手書店の文芸担当者は、こう分析する。

「同作は展開がスピーディーで、池波正太郎や藤沢周平といった大家が書くような作品とは別物という印象。著者はもともと脚本家ですし、ドラマや映画にも似た独特のテンポがあるのだと思います。それが若い女性にとってはとても読みやすいんでしょう」

"別物"という言葉が象徴するように、今回の時代小説ブームは、若い層が過去の名作を楽しむようになったということではない。「時代小説」という枠の中に、これまでとは異なる新たなエンターテインメント性を持った作品が登場し、彼女たちがそれを楽しんでいるということだ。

イケメン揃いのゲームからやがて定番の小説へ

 さて、このブームの立役者とされる歴女だが、彼女たちが歴史の世界に足を踏み入れた要因としては、04年放映のNHK大河ドラマ『新撰組!』や、05年発売のアクションゲーム『戦国BASARA』のヒットが挙げられる。両作はどちらも、イケメンたちが仲間と自分の信念のために戦う物語。その姿が女子の萌え心をくすぐり、彼らがいた時代を詳しく知りたいという探究心を掘り起こしたわけだ。06年開業の歴史モノ専門書店「時代屋」でも、07年頃から客層に変化があったという。

「オープン当初は40代以上の男性が大半でしたが、07年頃から徐々に女性、特に若い世代のお客様が増え始めました。戦国武将や幕末志士についての小説や解説書を探しにくる方が多いですね」(時代屋神田小川町店・大前美鈴さん)

 同店はもともと、年配層にコンスタントに売れる作品を揃えていたが、07年以降、若い女性がどんどん増加し、現在では客層の男女比が五分にまでなった。それに伴って歴女ニーズが高そうな商品を増やしたそうだが、ここ1~2年で出版社もその流れに足並みを揃えてきたという。

「最近、若い方の間でも大御所の作品に挑戦する傾向が強まっています。この動きを受け、『尻啖え孫市』や『坂の上の雲』のカバーが、従来の厳かなデザインから若い世代を意識した少し柔らかいものへと変化しました」(前出・大前さん)

 "ジャケ買い"を狙うなど、出版社側でも読者層拡大を狙った戦略が活発化しているようだ。「『しゃばけ』のドラマ化など、歴史モノのドラマや映画が話題になると女性客が増加する」(前出・書店員)というから、『天地人』が放送されている間は、出版社にとっても、読者層の拡大や、第二、第三の『のぼうの城』を生むチャンスなのだろう。

社会の円熟で"懐古志向"歴史モノは"定番"へ

 こうして見ると、今は時代小説ブームというよりは、ゲーム、マンガ、ドラマ、映画、小説、すべてがつながった「時代モノブーム」といえそうだ。この同時多発的ヒットの要因は3つ考えられると、博報堂生活総合研究所エグゼクティブフェローの関沢英彦氏は言う。

「まずは、現代が成熟した社会であること。社会が高度になると、過去に"学び"を求めたり、自分たちのルーツ探索をする動きが出てくるものなんです。これは現代の生活者の志向といえますね。次に作り手側の問題として、コンテンツ産業の慢性的なネタ不足。『ダ・ヴィンチ・コード』や『レッドクリフ』など世界的に同様の流れがあるのですが、歴史には膨大な物語があるので、それをモチーフにすることでネタ不足を解消しているのです。そして最後に、社会環境がコミュニケーションにもたらす影響。昔なら個人で楽しむしかなかったニッチな趣味も、今だとSNSやオフ会など同好の士とつながるツールが身近にあり、ブームが起きやすい環境なんです」

 ニーズ、作り手側の思惑、コミュニケーション環境。なるほどこのブームは、3要素がガッチリ噛み合って生まれたようだ。この流れは、今後も続いていくのだろうか?

「3つの要因の中で、作り手側のコンテンツ不足は特に深刻な問題のようです。当分解消されそうな気配はありませんので、歴史に依存する傾向は強まっていくでしょう。今は戦国や幕末が人気ですが、琉球王国の激動を描いた『テンペスト』などが評価を得ているように、これまであまり注目されることのなかった時代や地域にフォーカスした作品が増えるのではと思います」(関沢氏)

 どうやら、歴史という題材はコンテンツを生み出す"鉱脈"として、これからもどんどん発掘される運命のようだ。さらに、第一の条件として挙げられたニーズの変化は一過性のものではないはずで、もしかすると、このブームはいずれ、老若男女を問わない「定番」へと収斂していくのかもしれない。
(文=下元 陽[BLOCKBUSTER]/「サイゾー」7月号より)

 「サイゾー」の記事にしては、長文なのに結構面白く読めました。
 でも「さて、このブームの立役者とされる歴女だが、彼女たちが歴史の世界に足を踏み入れた要因としては、04年放映のNHK大河ドラマ『新撰組!』や、05年発売のアクションゲーム『戦国BASARA』のヒットが挙げられる」という文のところで、目が(@_@)!
 しかも「両作はどちらも、イケメンたちが仲間と自分の信念のために戦う物語」……ええっ、『新選組!』って、そんな身も蓋もないストーリーだったっけ!?(イグアスの滝汗) 少なくとも自分は1年間、もっといろいろな感動やワクワク感や涙など感じながら、激動の時代に生きた実在の人々の足跡を辿ったものですが。
 自分は大河ドラマ『新選組!』の放映前から土方さんに恋してましたので、『新選組!』が歴女ブームのきっかけとか言われると「ええっ!?」てリアクションです……土方さん&新選組については司馬遼太郎『新選組血風録』『燃えよ剣』やNETのテレビドラマ版など数々の作品群によるファンが現れており、三国志と並んでヲタク女子に伝統あるジャンル(爆)です。
 「歴女」という言葉が使われ始めたのが最近のことなので、『新選組!』ファンまでも最近流行の「歴女」にひとくくりにされてしまうと、違和感ありあり……なのかなぁ(苦笑)。歴女ブームの先駆者的存在としての『組!』ファン、というのは、わからないでもありません。
 きっかけは何でもいいと思うのですよ。ただ、史跡や墓所を訪問する際には、史実を生きた人々やそのご子孫たちに敬意をもってマナーをわきまえていただきたいと願うのみです。古くは沖田総司の墓がある東京・専称寺、近年では御陵衛士の墓所がある京都・戒光寺、縁のある史跡が一部の心ない訪問者のために公開されなくなったことが残念で残念で……この「歴女」ブームとかで、そのような史跡が増えないことを心から祈ってやみません(特に、自分の先祖がお仕えしたらしき、東北の某雄藩の有力家臣の関連史跡については、いつか自分が訪問する時まで、一般客が出入り禁止とならないことを切に祈っております……滝汗)。



 
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