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新選組・土方歳三を中心に取り上げるブログ。2004年大河ドラマ『新選組!』・2006正月時代劇『新選組!! 土方歳三最期の一日』……脚本家・制作演出スタッフ・俳優陣の愛がこもった作品を今でも愛し続けています。幕末関係のニュースと歴史紀行(土方さんに加えて第36代江川太郎左衛門英龍、またの名を坦庵公も好き)、たまにグルメねた。今いちばん好きな言葉は「碧血丹心」です。
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 昨日iPhoneの第3世代キャンペーンをやってました。iPhoneが欲しくなってきた今日この頃です。

広島
茶道表千家 深い味わい堪能
穏やかな心持ちに

 尾道市中心部の商店街で、趣のある茶器を店頭に並べている老舗茶道具店「藤原茶舗」(尾道市土堂)を見つけ、のれんをくぐった。1913年創業という店の3代目店主、藤原唯恭(ただやす)さん(56)に茶器の由緒などを聞いていると、「茶道を体験してみてはいかが」と誘われた。戦国武将と茶道のかかわりを描いた山田芳裕さんの人気漫画「へうげもの」を読み、面白そうな世界だと感じていたこともあり、藤原さんが世話役を務める茶道・表千家流の研究グループ「松孤(しょうこ)会」の勉強会を訪ねた。(尾道通信部 石原敦之)

 勉強会が開かれたのは、福山市沼隈町常石の市ぬまくま文化館「枝広邸」。10畳の茶室では、紺色の毛せんが敷かれ、メンバー6人がてきぱきと茶会の準備を進めていた。風炉(ふろ)釜からは湯が沸く音がかすかに聞こえている。
 「まずは一服、味わってみましょうか」。着物姿の表千家教授、木曽絹子さん(83)=尾道市向島町=に従い、毛せんの上に正座して並んだ。勧められたアジサイをかたどった干菓子を食べて、早速、お茶を頂く作法を教わった。
 茶わんを右手で取り、左の手のひらに置いた後、飲み口は正面を避けるため右手で2回に分けて、45度ほど右に回す。両手で包むように茶わんを持ち、三口半ほどで飲み、最後の一口は「ズズッ」と勢いよく吸い込む。口の中では抹茶の苦みが、先に食べた干菓子の甘みと溶け合って、ほんのりと優しい香りとなって広がり、幸せな気分になった。
 飲み終わった後に、茶わんなどの道具を鑑賞するのも茶会の楽しみ方の一つ。茶会では、その日のテーマを掛け軸で表し、旬の花を生け、茶器や菓子にも季節感を取り入れるといい、木曽さんは、「茶会の場をどう演出しようかと考えるのも心が弾む」と教えてくれた。
 茶道では、茶をたてた人への感謝や、次に待っている客への配慮などの礼儀が欠かせないが、ついつい忘れてしまい、隣に座った同教授、舛岡道子さん(66)=福山市山手町=に何度か指摘された。不格好に繰り返すうち、ようやく「最低限の礼儀と作法を知っていれば、どこの茶会に行っても楽しめますよ」と太鼓判を押してくれた。

     ◇

 最後にお点前に挑戦。茶わんに湯を注ぎ、抹茶を溶かすため茶せんを素早くかき回すと、「シャカシャカシャカッ」と心地良い音が静かな茶室に響いた。
 作法を復習しながら、自らたてた茶を飲んだ。茶会の雰囲気に少し慣れたためか、自分でたてた茶のためか、より味わい深く感じられ、豊かな香りを堪能。ふと気付くと、日々の慌ただしさから離れて、穏やかな心持ちになっていた。
 <メモ>茶道・表千家 茶人、千利休(1522~91)が大成させた茶の湯を受け継ぐ三千家(表千家、裏千家、武者小路千家)の一つ。無駄を省き、閑寂、枯淡な趣の中に、「わび」「さび」と呼ばれる美意識を発展させた。江戸中期に町人などに広く支持され、家伝を継承する家元制度が確立された。茶道は明治維新(1868年)後は一時衰退したが、伝統文化や教養の一環として見直されている。


長崎
「龍馬館」で長崎の魅力発信 大河ドラマ資料は歴文博に一本化
 長崎市は、2010年のNHK大河ドラマ「龍馬伝」に合わせ整備計画を進めている「長崎幕末・龍馬館」(仮称)について、当初予定していたドラマに関する資料の展示を長崎歴史文化博物館に一本化し、ドラマの背景にある坂本龍馬や長崎の魅力を発信する拠点とする方針を示した。
 開会中の市議会文教経済委員会で市さるく観光課が明らかにした。
 ドラマに関する資料を一本化することで、県外の観光客の混乱を防ぐほか、坂本龍馬の人物像や時代背景の情報だけにとどまらず、現在の長崎の持つ魅力を発信することで、今後の観光活性化につなげる狙い。ドラマの資料展示については、同博物館や関係者と協議を続けていた。
 「長崎幕末・龍馬館」は、同市浜町のテナントを借り上げ整備する予定で、ドラマの放映開始前の開館を目指し、閉館は11年3月の予定。市は本年度一般会計当初予算に整備費として4千万円を計上している。



コラム
河北新報/河北抄6月20日
 河北新報社サイト(閲覧に会員登録が必要・無料)です。土方さんと仙台の関わりが紹介されていたので紹介したくて。
 幕末から明治にかけては、東北に住む者にとって苦い思いとともに振り返らなければならない時代だが、有為の人材や魅力的な人物を輩出した。
 世が倒幕へとなびく中、義を貫き、滅びゆく幕府に殉じた新選組副長土方歳三の放った一瞬の光ぼうも、今なお人々を引き付ける。土方が一時期仙台にも滞在していたと知ると、さらに親しみがわく。
 土方の故郷、東京・日野には、愛用の刀の下げ緒が現存する。この下げ緒は明治元(1868)年秋、土方が仙台城で藩主伊達慶邦に会い、官軍への徹底抗戦を説いたとき、慶邦が刀から外し、自ら土方に与えた。
 最晩年を見守った下げ緒は、新選組隊士によって函館からもたらされた。愛刀の一つ、会津藩主松平容保からもらったという越前康継に巻かれている。
 石巻には土方が刀傷を付けた柱が残る。旧幕軍幹部が石巻で開いた会議の際、激高した土方が切りつけたという。家は昨年解体されてしまったが、柱は所有者が保管している。
 函館戦争でも奮戦した土方は69年5月11日に戦死した。新暦では6月20日、140年前のきょうである。

 石巻の民家、訪問してませんが柱は保管されているんですね……いつか訪問したいところです。

【次代への名言】6月21日・林子平『海国兵談』
■天下国家に主(あるじ)たる人は、経済の術を知(しる)べし(林子平『海国兵談』)

 時代に先んじたがゆえの悲劇。18世紀後半の経世思想家、林子平の生涯を振り返るとき、そんな思いにかられる。
 独学の人。「天下をあまねく歩いてこそ、学問のかいもある」と後進を激励し、自らも全国を見聞した。そして長崎では蘭学を、北海道や東北ではロシア船が出没する沿海の実態を知った。
 「日本は海国なり。四方みな海に囲まれた国なり。海防策講ぜざるべからず」-。その憂国の念が『海国兵談』となった。冒頭の一文に続いて「経済とは『経邦済世』の略。国に筋道を付け(経邦)、世の人が住みやすくするよう世話すること(済世)なり」と解説している。
 幕末の志士も感激したこの先見の書はしかし、その大部をなす兵法論が幕府の「兵書出版の禁」にふれた。また、「武士に高給取りはいらぬ。全員三十石で十分」とした記述が幕政批判とみなされたようだ。子平は禁固刑を受け、旧暦で1793年のきょう、失意のまま没する。
 享年55。弾圧のさいに詠んだ≪親もなし妻なし子なし版木なし金もなけれど死にたくもなし≫は反骨心ゆえの作。でも彼の真骨頂は次の歌にあると思う。
 ≪こころをばいかせ殺すなかたよるな高くちいさくのびやかにもて≫

 『風雲児たち』を読み返したくなります……読み返し始めると全20巻・幕末編14巻の『風雲児たち』ワールドから抜け出すタイミングを失してしまったりして、なかなか大変なことになります(汗)。





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