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新選組・土方歳三を中心に取り上げるブログ。2004年大河ドラマ『新選組!』・2006正月時代劇『新選組!! 土方歳三最期の一日』……脚本家・制作演出スタッフ・俳優陣の愛がこもった作品を今でも愛し続けています。幕末関係のニュースと歴史紀行(土方さんに加えて第36代江川太郎左衛門英龍、またの名を坦庵公も好き)、たまにグルメねた。今いちばん好きな言葉は「碧血丹心」です。
 11時からのNHK首都圏番組にて、日野市の日野宿発見隊による街の歴史・文化・自然の再発見を紹介しているところです。井上源三郎資料館や日野宿本陣の建物がちらっと映った他、湧水路となった日野用水沿いに昭和の写真が展示されている様子が紹介されました。
 今朝はNHK7~8時台のニュースで小野路らしき町田の旧道散策コース(近藤さん・土方さん・沖田さんが出稽古で通った道と紹介されました……共同日記参照)が紹介されてましたし、何となく新選組デーです。
 ……そうそう、7時前のニュースでは『組!』ファンには「ウルフ」の愛称がおなじみの吾妻アナウンサーも出演されてました(^^)。『組!』デーぽかったりもします。

北海道
「安心しておこしやす」 札幌で京都観光PR
 札幌市民に京都観光をPRする「おこしやす京都キャンペーンin札幌」(京都府、京都府観光連盟主催)が21日、札幌市中央区のサッポロファクトリーで開かれた。
 新型インフルエンザの影響で観光客が激減した京都。府が安心宣言を出し、観光客呼び戻しをはかっている。この日は、山田啓二府知事も壇上で「おこしやす」と訴えた。
 一番人気は、京都の東映太秦(うずまさ)映画村の俳優による「殺陣ショー」。新撰組の土方歳三が浪人をバッサリと切ってみせた。新型インフルの影響も断ち切れそう-。


福島
磐城平城の保存考える
いわきのシンボルに27日にシンポ

 戊辰戦争(1868~69年)で落城し、跡地の大部分が宅地化されて姿を消した磐城平城(いわき市平)。風化しつつあるこの歴史遺産に再び光をあて、市のシンボルにしようと、開発を免れた本丸跡などの保存に向けた活動がスタートした。いわき商工会議所まちづくり委員会が中心となって始めたもので、第1弾として27日、「『お城山の保存と活用』について考えるシンポジウム」を同市平の駅前再開発ビル「ラトブ」で開く。
 磐城平城は、関ヶ原の戦い(1600年)で石田三成率いる西軍を伏見城で足止めし討ち死にした鳥居元忠の功績により、徳川家康から磐城平藩10万石を拝領した息子の鳥居忠政が築城。北方の伊達氏をけん制する軍事拠点として、03年から12年の歳月をかけて現在のJRいわき駅裏にある高台(通称・お城山)に完成させたという。本丸には天守閣がなく、三階櫓(やぐら)が築かれた。
 その後は内藤、井上、安藤家と藩主が替わり、戊辰戦争で新政府軍の攻撃を受けて落城。明治政府によって土地建物のほとんどが民間に払い下げられ、その多くが住宅地となった。往時の面影を残すのは、堀や城垣の一部のみとなっている。
 本丸跡の土地はかろうじて開発を逃れていたものの、昨年5月に先代の所有者が死去した後、様々な開発のうわさが持ち上がった。こうした動きに、駅周辺の整備計画を進めるいわき商議所のまちづくり委員会は「いわきを代表する貴重な歴史遺産が失われてしまう」と危機感を抱き、活性化策の一環として本丸跡地の保存に向けた活動の検討を開始。土地の現在の所有者からは「公的な形で保存され、後世に残るのが一番いい」と、活動の了解を得た。
 同委員会は、磐城平城を史跡として残す意義を示すため、いわき地域学会に協力を依頼。同会の代表幹事を務める大国魂神社の山名隆弘宮司は「戊辰戦争以降、面影は年々失われつつあり、知恵を出し合って残さなければならない」と賛同し、「まずは、城の存在を広く知らせることが大事」と、シンポジウムを企画した。
 シンポジウムでは、山名宮司が、城跡の現状や、調査など保存の流れについて説明。続いて県考古学会顧問の鈴木啓氏が近世築城史における磐城平城の位置づけや特色について解説する。同委員会の松崎俊昌委員長は「歴史公園のような形で整備されて保存される例も多い。保存に向けた機運を盛り上げ、市民の心の支えになるような遺産として後世に伝えていきたい」としている。
 シンポジウムは入場無料。先着300人。問い合わせは同委員会(0246・25・9152)へ。


静岡
松陰しのび萩市花植樹 姉妹都市と友好願う 下田
 リンク先は静岡新聞サイト(閲覧に会員登録が必要・無料)です。
 幕末の思想家として活躍した吉田松陰(1830~59年)の没後150年をしのび、松陰の出身地として知られる山口県萩市の訪問団が21日、姉妹都市提携を結ぶ下田市で市代表らとともに記念植樹を行った。出席者たちは同市柿崎の松陰像前に萩市の市花・ヤブツバキを植えて先人の功績をたたえ、両市の友好関係の発展を願った。
 萩市の市民団は下田市で同日開かれた「フラワー都市交流連絡協議会」への参加のため訪問。植樹式には関係者約80人が出席してヤブツバキ3本を植えたほか、市立下田東中生徒が松陰を調べた学習成果を発表した。石井直樹下田市長は下田港から松陰が渡米を試みた歴史を紹介しながら「この地に萩市の木が植えられてうれしい。両市の交流が永遠に続くことを期待する」とあいさつした。
 松陰は世界情勢を学ぶ目的で鎖国下の安政元年(1854年)、同港に停泊するペリー提督率いる黒船艦隊と接触して密航を企てたが、失敗。その後は萩市の「松下村塾」で日本近代化を支える多くの人材を輩出したが、安政の大獄により30歳で生涯を閉じた。


広島
NIE:工夫を凝らし教員ら模擬授業 中区で学習会 /広島
NIE:工夫を凝らし教員ら模擬授業 中区で学習会 /広島
 新聞を教材とした学習(NIE)を進めようと、県NIE推進協議会は20日、中区の中国新聞ビルで、NIE学習会を開いた。県内の教員ら約20人が参加。小原友行・広島大大学院教授による、NIEを取り入れた模擬授業などをした。
 小原教授は「もし坂本龍馬が、現代の新聞を読んだら」などと、工夫を凝らした授業を行った。参加者からは「幕末に海外を見ていた龍馬なら、宇宙の記事が気になるはず」という意見もでた。
 呉市立吉浦小で4年生を受け持つ蒲田奈甫美さん(22)は「社会の授業のヒントにと思って参加した。新聞によって書き方が違うことなどを踏まえ、授業で生かしたい」と話した。【寺岡俊】


5紙読み比べ意見発表 広島で教員ら模擬授業体験
 NIE(教育に新聞を)について知識を深める学習会(県NIE推進協議会主催)が20日、広島市で開かれ、県内のNIE実践校の中高校教員ら約20人が、NIEを取り入れた模擬授業などを体験した。
 講師を務めた同協議会長の小原友行広島大大学院教授が「新聞は自分の視点だけで読むのではなく、第三者の視点を持つことで記事への理解が深まる」と説明。テストケースとして、明治維新の英雄・坂本竜馬になったつもりで興味ある記事を探すワークショップを行った。
 参加者は山陽新聞など5紙の朝刊を読み比べ、「(竜馬は)生死の意味を変えた臓器移植法について驚くだろう」「月探査機打ち上げの記事を読むと行きたくなるのでは」などと意見を発表。小原教授は「NIE授業では生徒間で意見交流を促し、見識を深めていくことが重要」と総括した。


「ポニョ」の次は「龍馬」 NHK大河ロケ誘致
主役福山さん 福山に来て 市民団体が署名活動開始

 幕末の志士・坂本龍馬の生涯を描く来年のNHK大河ドラマ「龍馬伝」に向けて、龍馬ゆかりの福山市にロケを誘致し、地域の活性化につなげようと、市民グループが署名活動を始めた。龍馬を演じる歌手で俳優の福山雅治さんに注目し、「福山に福山さんを呼ぼう!」と<フクヤマ>つながりで呼び掛けている。昨年、景勝地の同市鞆町が映画「崖(がけ)の上のポニョ」の舞台として脚光を浴びた同市も、龍馬にちなんだ観光キャンペーンを展開中で、「ポニョの次は龍馬で」と官民の期待は高まっている。(向井友理)

 同市鞆町は、1867年に龍馬ら海援隊の船と紀州藩の軍艦が衝突した「いろは丸事件」の舞台で、龍馬が泊まったとされる廻船(かいせん)問屋などが今も残されている。
 ロケ誘致の署名は、主婦や会社員らでつくるグループ「I LOVE FUKUYAMA プロジェクト」(細羽雅之代表、35人)が、「鞆町の架橋事業を巡る景観論争のニュースばかりが目立つ中で、福山の良さをアピールし、観光客を呼ぼう」と、いろは丸事件の起きた4月23日に始めた。
 オバマ大統領を名前つながりで応援し、知名度を上げた福井県小浜市の例も参考に、「福山に福山さんを呼ぼう」を合言葉に街頭やネット上で10万人を目標に呼び掛けている。21日にも福山市入船町で街頭署名が行われ、家族4人で協力した同市赤坂町、会社員平山展久さん(32)は「福山で撮影したら盛り上がるはず。是非、福山さんに来てもらい、街の魅力を目に焼き付けてほしい」とラブコールを送っていた。
 署名は秋までにNHKと福山さんに渡す予定で、20日現在、約1万1000人分が寄せられているという。
 一方、福山市は、5月末に鞆町であった花火大会で弁天島に「RYOMA」の文字を花火で浮かび上がらせ、市営競馬で「龍馬」の冠レースを催すなどのキャンペーンを展開。鞆の浦の市営渡船を、いろは丸に似せて新造する計画もある。
 昨年12月には、NHKの大河ドラマスタッフを、市内のレジャー施設「みろくの里」や市の迎賓館だった「福寿会館」など9か所のロケ候補地に案内したといい、市は「我々の思いはきっと届くはず」と期待している。
 NHK広報局(東京)は読売新聞の取材に対し、「大河ドラマのゆかりの地が盛り上がるのはうれしい。ロケ地については、今後の状況次第なので何とも言えないが、可能性はゼロではないと思う」としている。

     ◆     ◆

■いろは丸事件■ 1867年(慶応3年)4月23日深夜、福山市鞆町沖の瀬戸内海で、坂本龍馬を乗せて長崎から初航海中の汽帆船「いろは丸」が紀州藩の蒸気船「明光丸」と衝突、いろは丸は鞆港にえい航中、沈没した。龍馬は鞆町で賠償金交渉を開始。当初は見舞金千両で済まそうとした紀州側から、七万両の賠償金を勝ち取った。龍馬が海洋上の国際ルール「万国公法」を持ち出した交渉は、「日本初の海難審判」と注目されている。


長崎
龍馬に会いたい:/6 近藤長次郎の墓 /長崎
龍馬に会いたい:/6 近藤長次郎の墓 /長崎
◇晋作の直筆?刻む
 4月に始まった長崎市のまち歩き観光「長崎さるく幕末編」。新コースの一つ「日本近代化の鼓動は長崎から」は、海軍伝習所跡(現・県庁)や、海援隊の拠点となった小曽根家宅跡(現・長崎地方法務局)などを回る。
 ゴールは晧台(こうたい)寺(長崎市寺町)の裏山、長崎港を見下ろす中腹にひっそり建つ近藤長次郎(1838~66年)の墓。幕末の志士、坂本龍馬の右腕だったといわれる。
 墓標に刻まれた「梅花書屋氏墓」は、龍馬とも、親交があった高杉晋作の直筆ともいわれる。長次郎が滞在し、また最期の地ともなった小曽根家宅別邸「梅花書屋」にちなむ。饅頭(まんじゅう)商人の家に生まれ「饅頭屋」とさげすまれながらも頭角を現した長次郎の、風雅な人柄をしのばせる。
 長次郎は英国に渡航する直前、切腹。その死には謎が多い。幕末に詳しいシーボルト記念館の織田毅さん(47)は「薩長同盟の橋渡しを務め、特に長州藩からは高く評価されていた。身分社会の当時、町人出身ながら活躍した長次郎へのねたみはあっただろう」。
 誰が供えたのか、墓前には小さな饅頭が三つ、置いてあった。【錦織祐一】






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