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新選組・土方歳三を中心に取り上げるブログ。2004年大河ドラマ『新選組!』・2006正月時代劇『新選組!! 土方歳三最期の一日』……脚本家・制作演出スタッフ・俳優陣の愛がこもった作品を今でも愛し続けています。幕末関係のニュースと歴史紀行(土方さんに加えて第36代江川太郎左衛門英龍、またの名を坦庵公も好き)、たまにグルメねた。今いちばん好きな言葉は「碧血丹心」です。
 堺雅人さんの家定様を早く見たくて久しぶりにBS-hiで大河ドラマを見ています。『新選組!』以来ですわ。
堺雅人 今や“ドラマ・映画のヒットの陰にこの男あり”と大評判
【TVクリップ】堺雅人 “うつけ”将軍 早すぎる見納め
「篤姫」堺雅人 将軍の暗愚と正気…二面性使い分ける芝居
 下の2本は今日引っかかってきたニュース(共に産経新聞サイトより)です。7月13日放送の回で堺家定様にお別れしなければならないのが寂しいです……『新選組!』の「友の死」放送日ほどのフィーバーになるかどうかはわかりませんが、自分はしみじみ見たいなぁと思っています。

滋賀
作家伊沢さん「開国功績認められず」 「井伊直弼」リレー講座、彦根で始まる
 開国を決断した幕末の大老で、13代彦根藩主・井伊直弼の姿を探るリレー講座が28日、彦根市小泉町の「ひこね燦(さん)ぱれす」で始まり、約350人が訪れた。
 第一弾では、作家井沢元彦さんが「井伊直弼 開国決断の周辺」のテーマで講演。井沢さんは「直弼は、誰もが『開国=悪』と思い込む中、正しい判断をした」と評価した。
 直弼に「悪人」の印象がつきまとう歴史背景にも言及。「安政の大獄で処刑した吉田松陰の教え子たちが、その後の明治を担った。そのため、本来ならば認められるべき開国の功績が、認められなかった」と指摘した。
 リレー講座は、市内で開催中の「井伊直弼と開国150年祭」の一環。第二弾は、7月19日午後2時半から同市野瀬町のひこね市文化プラザであり、特定非営利活動法人(NPO法人)「日本政策フロンティア」の小田全宏理事長が「井伊直弼のリーダーシップ」の題で話す。


和歌山
川合小梅:120回忌 法要と墓再建開眼供養、50人が参列--妙宣寺 /和歌山
川合小梅:120回忌 法要と墓再建開眼供養、50人が参列--妙宣寺 /和歌山
 幕末~明治の約70年にわたり、日常生活を克明につづった「小梅日記」で知られる川合小梅(1804~89)の120回忌法要と、再建された墓の開眼供養が28日、和歌山市新堀東2の妙宣寺であり、約50人が参列した。
 小梅は紀州藩の儒学者の祖父・川合春川から漢学、歌人の母・辰子から和歌を学んだ。後の同藩校長、川合梅所と16歳で結婚してから、86歳まで日記を書き続けた。晩年の14冊などが現存しており、当時の生活を知る貴重な資料になっている。


ブックレビュー
今週の本棚:田中優子・評 『イザベラ・バードの日本紀行…』=イザベラ・バード著
◇「駆け足の西欧化」の実相、生々しく
 イザベラ・バード(一八三一~一九〇四)の著書は、東北や北海道のことで参照することが多く、一九七三年に刊行された高梨健吉訳『日本奥地紀行』(平凡社東洋文庫)に頼り切っていた。それでも充分面白い。
 しかし『日本奥地紀行』は、一八八五年にロンドンで普及版として刊行された本の翻訳である。普及版とはつまりダイジェストだ。それに対してこのたび刊行された本書は、普及版の五年前に出された二巻本の全訳である。イラストもすべて採録しており、何より『日本奥地紀行』では読めなかった西日本への旅の様子や、バードの研究ノートや東京論を読むことができる。
 初版本から翻訳したものはすでに二〇〇二年、新異国叢書の一冊として『バード 日本紀行』の題名で刊行されている。これは『日本奥地紀行』に省略されていた箇所(かしょ)を訳したもので、これによって全貌(ぜんぼう)が明らかになった。だがあいにく、もう品切れで入手できない。本書によってようやく、バードが日本について刊行したことのすべてが、手に収まる文庫本サイズで読めるのだ。しかも「ですます」体で書かれている。
 原著は、バードが妹や友人たちに宛(あ)てた手紙で構成された書簡集である。私も旅先からの書簡を本にしたことがあるが、手紙はふつう「ですます」体で書く。日本語の手紙をもとにしているなら、当然「ですます」体で刊行されたことだろう。しかし『日本奥地紀行』も『バード 日本紀行』も「だ、である」体を使っているので、文化人類学の記録報告書の雰囲気がぬぐえなかった。本書は、研究ノートを除く書簡部分を、初めて「ですます」体で統一した。私たち読者も、明治初期の日本から届いた、自分宛ての手紙を読むような心持ちで読むことができる。
 幕末明治にやってきた外国人たちの多くが、日本人の礼儀正しさや陽気さや、度が過ぎた好奇心について記録しているが、かつての日本から届いたバードの手紙も例外ではない。しかし彼女の手紙は、アイヌについてはさらに詳細で活(い)き活きしている。普及版は原版をかなり削除しているが、さすがにアイヌに関する記述はほとんど削除がなく、当時のイギリス人が何を読みたがったのかがわかる。バードは、日本人を「脆弱(ぜいじゃく)な肉体、男のよろよろした足取り、女のよちよちとした歩き方」と書き、外見上は「退化している」ように見える、と言う。それに対してアイヌはたくましく猛々(たけだけ)しく、しゃべりはじめるととたんに「やさしい笑顔に変わ」り、その表情が忘れられなかった。日本人のようにバードをじろじろ眺めることもなく非常に礼儀正しい、とも書いている。日本人とアイヌを比較しながら書いたことによって、多くのことがわかった。
 普及版には書かれていない事柄で私がとくに注目したのは、都市部の西欧化の醜さである。たとえば新政府が東京に次々に建てようとしている西欧建築は「質の劣ったヨーロッパ風またはアメリカ風スタイル」で、「建物というよりお菓子に似ている」と辛辣(しんらつ)だ。私は現代の新興住宅地の、ある種の建物を思い浮かべてしまった。京都では、日本風のたたずまいに不快感を与えているものとして「白い準洋風の」小学校を挙げている。また、バードは一八七八年六月、新富座のこけら落としに招待された。外国の公使たちを招き、歌舞伎役者が燕尾(えんび)服で挨拶(あいさつ)し、その後は文明開化の社交場になった劇場である。このとき、歌舞伎役者たちの「なにもかも」が、「洋服姿では醜さとしてあらわに」なっていたことをバードははっきり書いている。歌舞伎の西欧化は結局、失敗した。外国製食料・飲料の偽物が「じつに不快で有害なくず」であることにも容赦はない。駆け足の西欧化がどういうものだったか、生々しく見えてくる。
 逆に、竹細工の精巧さや焼き物の素晴らしさ、台所の日用品の美しさ、書籍の豊富さ、いろはガルタの教訓の面白さ、そして盲人たちの経済的に自立した生活など、日本で長い時間をかけて洗練させてきた文化の高さは、きちんと見抜いている。とは言っても、チェンバレンが強く推薦した能はずいぶん退屈だったようで、演劇方面は苦手らしい。
 研究ノートからわかるように、バードは単に歩き回って闇雲(やみくも)に手紙を出しているわけではない。当時の英国公使であったハリー・パークスや、書記官のアーネスト・サトウや様々な土地の宣教師たちなど、多くの協力者を得ながら研究し、歩いている。書店にどのような女性向けの本が並び、北海道開拓がどのようになされたか、中国人たちが日本で何をしているか等々、日本語がほとんどできないにもかかわらず、驚くほど広い情報をもっている。それもそのはずで、バードはすでにアメリカ紀行やハワイ諸島紀行を刊行し、日本には四十七歳になって来ている。日本紀行と前後してロッキー山中生活の記録とマレー半島紀行を出す。物書きとして、まさに脂の乗っている時期なのだ。この後、バードの研究と冒険は七十歳まで続いた。(時岡敬子・訳)

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