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新選組・土方歳三を中心に取り上げるブログ。2004年大河ドラマ『新選組!』・2006正月時代劇『新選組!! 土方歳三最期の一日』……脚本家・制作演出スタッフ・俳優陣の愛がこもった作品を今でも愛し続けています。幕末関係のニュースと歴史紀行(土方さんに加えて第36代江川太郎左衛門英龍、またの名を坦庵公も好き)、たまにグルメねた。今いちばん好きな言葉は「碧血丹心」です。
 菅総理が新しい内閣を「奇兵隊」と表現してましたね。さすが長州ご出身。
 一般的には高杉晋作率いる庶民の隊という颯爽としたイメージなんでしょう。自分は戊辰戦争終了後に奇兵隊がどうなったか、ついつい考えてしまうんで……もごもご(汗)。
 一昨日聴いた立川志の輔師匠は前任の鳩山さんについて、「あの方は50年以上にわたって閉められていたパンドラの箱を次々開けてしまったんです。そりゃ短期間では解決しませんよ、開けたこと自体を評価すべきです。ただ……閉め方をご存じなかったという」と、笑わせてくれました。菅さんがパンドラの箱を収拾できるよう、祈っております。

神奈川
展示:横田七郎氏没後10年の回顧展--小田原「岩瀬家住宅」 /神奈川
◇幕末のお屋敷で、彫刻や版画55点
 国の登録有形文化財に指定されている小田原市鴨宮の「岩瀬家住宅」で、地元の彫刻家で版画家、横田七郎氏(1906~2000年)の没後10年の回顧展が始まった。屋敷内を地域文化交流の拠点にしようと築80年の蔵を改装、ギャラリーと小ホールのある「巨欅(おおけやき)の居(いえ)」を開設した“こけら落とし”に岩瀬家とつながりが深い横田氏の回顧展開催となった。
 同住宅は安政4~5(1857~58)年の建築で、幕末から明治期の豪農の形態を残す貴重なかやぶきの農家造り。戦後の三越の社長として長年、財界で活躍した岩瀬英一郎氏の生家でもある。
 ギャラリーを開設したのは岩瀬家当主・康家さん(87)の長男忠司さん(57)。かやぶきの母屋に住んでいた康家さんが敷地内に建てたバリアフリー住宅に移ったのを機に、母屋や昭和初期の鉄筋コンクリート造りの蔵、土蔵を改装した。
 忠司さんによると回顧展を開く横田氏は岩瀬本家の貸家に住んだほか、岩瀬別家の当主と意気投合し兄弟のような付き合いや金銭的支援を受けたという。
 回顧展には80歳を過ぎてからも新しいことに挑戦した横田氏の原点とも言える作品から晩年のものまで彫刻約40点、版画約15点と幅広く展示した。横田氏の長男で小田原市議の八郎さん(65)も全面的に協力、初公開の珍しい作品のほか、地元との交流、岩瀬家とのかかわりなどエピソードも紹介している。
 同展は20日まで(10~18時)で無料。13日午後1時から、近隣の6カ所にあるモニュメント作品や、横田氏が制作の場としていたアトリエを見学する「屋外作品見学ウォーク」がある。
 問い合わせは同ギャラリー(0465・49・6077)。【澤晴夫】


将軍の生活描いた浮世絵展、川崎で7日から
 江戸時代の徳川家の将軍の生活や、江戸城の年中行事を描いた浮世絵を紹介する「千代田之御表」展が7日から、川崎市川崎区の川崎・砂子の里資料館で開かれる。
 浮世絵は幕末の武士で、戊辰戦争に参戦した後に絵師になった楊洲(ようしゅう)周延(ちかのぶ)が1897年に描いたもので、将軍が剣術試合を観覧する「武術上覧」など33点を展示する。
 奉行が事件を選んで将軍の前で裁いて見せた「公事上聴」を描いた浮世絵では、罪人として町奉行の前に引き出された遊女が華やかに着飾っており、将軍に見せる特別な裁判だったことがうかがえる。
 斎藤文夫館長(81)は、「当時は江戸時代を覚えている人もたくさんいた。人々のノスタルジーをかき立てた徳川三百年の伝統をぜひ見に来てほしい」と話している。26日まで。日曜休館。入館無料。

愛知
「仁吉」をしのび吉良でまつり
 吉良町上横須賀の源徳寺(藤原知貴住職)で6日、30回目の仁吉まつりが開かれ、町関係者や商工会などが仁吉の墓前で供養した。
 吉良の仁吉は、幕末に活躍した同町出身の侠客。清水次郎長の子分で義理と人情に厚いことで知られている。仁吉まつり実行委員会が、仁吉の人柄をしのんで毎年この時期に開いている。
 この日は、吉良小唄保存会員や子ども約200人が、町中の道路を赤い法被姿で鳴子を手に踊りながら練り歩き、見物客らから大きな拍手が贈られた。境内では、特産品の販売や抹茶がふるまわれ、多くの町民で賑わっていた。



三重
[9]亀山城 多門櫓、今夏から衣替え
 亀山城(三重県亀山市)は不運の城だ。
 寛永9(1632)年、丹波(京都府)亀山城の天守閣を解体するように幕府から命じられた堀尾忠晴は間違えてここ伊勢亀山城の天守を取り壊してしまったとされる。
 現在、市役所隣に天守台と称される石垣が残る。上に立つ多門櫓(やぐら)は、江戸時代の中核的城郭建築としては三重県内では唯一の遺構なのだが、建物だけでなく石垣も含めた全体で県史跡となっている。
 不当な低評価だと思われるのだが、市側は「明治以降から近年まで市役所の会議室などとして使われ、外観、内部に至るまで改造されてしまっていたので仕方ない」と説明する。何と水洗トイレまで設けられてしまっていたのだ。
 その多門櫓が「逆襲」に転じている。陣頭指揮に立つのが同市文化部まちなみ文化財室の嶋村明彦室長(49)だ。
 嶋村さんは学生時代に建築史を学び、92年からは長野県の旧楢川村に移り住んで奈良井宿の町並み保存に尽力。95年から旧関町の招きで東海道関宿の町並み保存に力を注いだ。そして合併で亀山市職員となり、今度は城下町整備に取り組んでいる。
 昨年、多門櫓を徹底的に調査した。櫓の建立年はよくわかっていないが、「櫓は嘉永7(1854)年の大地震で大破した後に建てられたものだと思う。大規模な修理のあとがなかったので、完全に建て直されたものだろう」と嶋村さんは推測する。
 城の外観・内部とも今とは違ったものが浮かんできた。現在は板壁だが、当時は白壁。瓦の種類も窓の位置や数も違っていた。櫓内部は現在板敷きになっているが、一部土間であることがわかった。「古い建築物の本来の姿を明らかにし、多くの方々に見ていただけるようにすることが、私たちの仕事の面白いところ」と嶋村さんは話す。
 今年夏ごろから始まる工事では、極力、幕末時点の姿に戻す作業となる。2012年春までの長丁場だ。「城下町亀山のシンボルが修理のため見えなくなってしまうのは申し訳ないが、文化財保存のためにしばらくの間我慢していただきたい」と嶋村さん。
 12年春には白壁の多門櫓が登場。「今度は建造物として櫓単独で文化財に申請したい。この櫓はそれだけの価値があります」。町並み保存のプロの自信だ。(斉藤勝寿)



大阪
「ひらかた大菊人形」今秋限りの復活 京阪100周年で
 関西の秋の風物詩として長年愛され、2005年に閉幕した菊人形展「ひらかた大菊人形」(京阪電鉄、朝日新聞社など主催)が、今秋限りで復活する。同電鉄が、開業100周年の記念事業として行う。テーマは幕末の志士・坂本龍馬の予定で、10月9日~11月28日に大阪府枚方市のひらかたパークで開催する。
 龍馬の生涯を薩長同盟や寺田屋事件など11の場面に分け、約1万株の菊などを使った人形27体で描く。妻のお龍(りょう)や桂小五郎など多彩な登場人物を鑑賞通路近くに展示し、「龍馬になった気分を味わえる」(京阪電鉄)という。
 ひらかた大菊人形は1910(明治43)年、京阪電車の大阪・天満橋―京都・五条(現・清水五条)間の開通を記念し、同府寝屋川市で開かれた菊人形展が始まり。44~45年を除いて毎年開催されてきた。ピークの74年には約85万人が来場。しかし、菊人形をつくる職人・菊師の高齢化や後継者不足から、96年間の歴史に幕を下ろした。
 ひらかたパークでは閉幕後も毎秋、菊師から従業員らが技術を学ぶため、5体ほどの製作、展示を続けてきた。しかし本格的な再開を求める声が多く寄せられたため、1年限定での復活が決まった。


香川
渡米150年 咸臨丸支えた塩飽水夫35人の功績たたえる石碑建立
 江戸幕府の軍艦「咸臨丸」が幕末に渡米してから150年を記念して、香川県の歴史愛好家の会「讃岐龍馬会塩飽(しわく)社中」は、同船に水夫として乗り込んだ塩飽諸島出身の35人の功績をたたえる石碑を同諸島の櫃石(ひついし)島(坂出市)に建立。26日、子孫を招いて、除幕式を行う。同会の丸野忠義会長は「日本の船として初めて太平洋横断に成功した咸臨丸で、塩飽の人々が果たした役割は大きく、その歴史を語り継ぎたい」と話している。
 咸臨丸に乗り込んだ50人の水夫のうち35人が同諸島の本島、広島、高見島、櫃石島、牛島、佐柳(さなぎ)島、瀬居島の7島の出身者だった。
 塩飽の人々は古くから瀬戸内海の海運を担い、江戸時代は中期まで幕府の御用船方として城米の輸送など重要な役割を果たした。操船技術に長けていたことから、幕府の徴用を受けて咸臨丸に乗り込んだ。
 しかし、咸臨丸の航海での塩飽の人々の活躍は全国的にはあまり知られておらず、「過酷な航海を支えた塩飽の人々に光をあてたい」と、歴史愛好家ら約25人が2002年、会を結成。子孫や、墓を訪ねる調査などを進めてきた。漁港跡地に建てられる石碑は花こう岩で高さ2メートル、幅2・5メートル。太平洋の荒波を進む咸臨丸の写真を転写し、「郷土の誇りとして その名を永く 後世に伝えん」とする文字と、水夫35人の氏名を刻む。
 同会は04年6月、佐柳島出身で、同船の水夫で後に海援隊士となり坂本龍馬と行動を共にした佐柳高次(1835~91)を顕彰する石碑を同島に建てている。除幕式には大阪や櫃石島から水夫の子孫3人が訪れる予定で、子孫の1人で大阪市港区在住の藤本増夫さん(59)は「水夫たちの活躍は歴史の闇に埋もれている。全員の名を記した碑を故郷に建てることは意義があり、誇りに思う」と話している。


兵庫
「幸民ビール」復刻版の試飲会、人気上々…兵庫
 兵庫県三田市出身で「日本の化学の祖」と称される蘭(らん)学者・川本幸民(1810~71)によって、1853年に日本で初めて醸造されたビールの復刻版の試飲会が5日、市まちづくり協働センター(駅前町)の多目的ホールで開かれ、招待客約160人が〈黒船来航〉の時代に思いをはせながら、香り高いビールを味わった。
 幸民はペリー提督の黒船来航と同じ年に、西洋の化学書を参考にしてビールを醸造。市は幸民の生誕200年記念事業の一環で、地ビールの醸造に明るい酒造会社「小西酒造」(伊丹市)に、当時に近いやり方で再現するよう依頼した。
 この日、「幕末のビール復刻版 幸民麦酒(ばくしゅ)」の試飲に先立ち、醸造を担当した同酒造の地ビール主任技師・辻巌さん(52)が「幸民ビールの秘密を探る」と題して講演した。
 辻さんは、幸民が黒船で味わったビールに関心を寄せ、日本酒の酵母を使うなどしてビールを醸造したことや、桂小五郎や緒方洪庵らと試飲したことを紹介。一足早く「幸民麦酒」を味わった幸民のひ孫の川本裕司さん(83)や妻、みち子さん(76)(東京都練馬区)らから「おいしい」と〈合格点〉をもらったことを報告した。
 続いて招待客が試飲を始めると、次々と「うまい」「おいしい」と声が上がった。宝塚市月見山、主婦杉本紀江さん(53)と西宮市名塩南台、主婦田中曜子さん(60)は「味が濃いのに、のど越しはすっきり」「三田の周辺でしか売っていないのが残念」、同酒造の小西新太郎社長(58)は「このビールと三田の名前が全国に広まってほしい」と話し、竹内英昭市長は「三田の売りが、またひとつ誕生した」と胸を張った。
 「幸民麦酒」は、一般向け330ミリ・リットル瓶が予定価格630円。JA兵庫六甲運営の農産物直売所「パスカルさんだ」(川除)など市内14か所のほか、神戸市北区の3店舗や西宮市北六甲台の酒店で、8日から発売される。問い合わせは三田市生涯学習課(079・559・5145)。


幕末ビール、お先にグイッ 三田で試飲会
 日本で初めてビールをつくったとされる三田藩出身の蘭学者(らん・がく・しゃ)川本幸民(1810~71年)と同じ手法で醸造した「幕末のビール復刻版 幸民麦酒」の試飲会が5日、三田市駅前町の同市まちづくり協働センターであった。参加した約160人からは「コクがあっておいしい」などと好評だった。
 幸民生誕200年の記念事業に取り組む三田市が、伊丹市の小西酒造に醸造を依頼。同社の地ビール主任技師、辻巌さん(52)が幸民の翻訳書「化学新書」などを調べて醸造方法を研究し、試行錯誤を繰り返して約2カ月がかりで完成させた。
 できあがったビールは、色は今のものよりやや濃いめだが、アルコール度数は4・0~4・5度でほぼ同じ。
試飲会に参加した宝塚市の主婦杉本紀江(のり・え)さん(53)は「おいしい。コクがあってこうばしく深い味がする」といい、「川本幸民ってどんな人か知りたくなった」と話した。
 試飲会に先立ち、辻さんの講演があり、辻さんは「幸民は清酒の酵母を使ったとみられる。同じ方法でつくった」などと話した。
 6日から三田市の酒販店や伊丹市の白雪ブルワリービレッジ長寿蔵などで販売する。330ミリリットル入りの瓶で630円(税込み)。インターネットでの販売もする。



広島
海から見える鞆の浦 広島県福山市
■船上から 時超えた美

 万葉集にうたわれ、天然の良港として栄えてきた広島県福山市の鞆(とも)の浦。江戸の風情が残る町は山と海に囲まれた箱庭のようだ。海から眺めてみたくなり、船で目指した。江戸時代にタイムスリップしたような錯覚にとらわれた。(中野寛)
 JR尾道駅前の桟橋からクルーズ船に乗り込んだ。潮風を受けながら瀬戸内海を走る。島々と、次々現れる巨大な造船工場群。約40分後、左方に鞆の町並みが見えてきた。坂本龍馬率いる海援隊の使った蒸気船「いろは丸」が紀州藩の船と鞆の浦沖で衝突、沈没したため、龍馬が一時身を寄せた町だ。
 港には、江戸時代の商家や港湾施設が立ち並ぶ。切り出した石を積んでつくられた防波堤「波止」が波を遮り、鞆港内は静寂に包まれている。雁木(がん・ぎ)(階段状の船着き場)に係留された漁船が、小刻みに揺れていた。
 はやる気持ちをじらすように、船は港を通り過ぎて弁天島(百貫島)を一周。右手には江戸期の朝鮮通信使がそこからの眺めを「日東第一形勝」(朝鮮半島より東で一番の景勝地)とたたえた対潮楼が見える。デジカメを構えた観光客が時を越え、瀬戸内海の美しさにうっとりと見とれていた。
 船は常夜灯を左に見ながら鞆港へ入り、桟橋に寄せられた。「いろは丸事件」の際、助けられた紀州藩の船で、龍馬も鞆港に入った。幕末の英雄は、何を思いながら入港したのだろう。
 「海から見る鞆の浦は、本当に美しかった」。東京から母親と2人で旅行に来た鈴木宏さん(52)が、満足げに船を下りていった。親子に続いて船を後にし、夕日を受けてぼんやりとオレンジ色に輝き始めた町を歩いた。どこからか、魚を焼くにおいが漂ってくる。この生活感も、鞆が持つ大きな魅力の一つだ。華々しさはない。だが鞆の浦は、心にじんわりと染みる昔ながらの風情に包まれていた。

    ◇

 クルーズ船は11月21日まで土・日・祝日。鞆から尾道への便もあり、片道1500円。問い合わせは瀬戸内クルージング(0865・62・2856)へ。

◎味わう
 「いろは丸事件」で龍馬が談判した「旧魚屋萬蔵(うお・や・まん・ぞう)宅」をNPOが修復した「御舟宿(おん・ふな・やど)いろは」。自慢メニューの一つが鯛(たい)漬け御膳(ご・ぜん)だ。昆布やみりんなどで漬け込んだ瀬戸内産の鯛をわさびじょうゆでいただくと、ご飯が進む。薄めのダシでお茶漬けにすれば、違った味わいに。考案したシェフの渡辺裕右さん(27)は「よそでは味わえない食べ方です」。午前10時~午後5時。火・水曜定休。電話084・982・1920。

◎お土産
 大正時代のレトロな雰囲気漂う喫茶店「友光軒」では、オリジナルキャンドルがお土産に人気。店長の武田典子さん(64)が市内の野山で採ってきた草花を押し花にし、ロウで押し付けてある。1個315円~約1万円。坂本龍馬などのデザインも。子供の手足形をとってデザインにすることもできる。武田さんは「コーヒーもキャンドルも楽しんで」。午前10時~午後6時。月曜定休。電話084・982・2721。

◎名物
 「長居してもらって構いません」。江戸中期の民家を改装したギャラリー喫茶「櫻や」の店長渡辺直美さん(31)の優しい笑顔に、つい足を止めてしまう旅人は多い。店内の時はゆったり流れ、本を読んだり、昼寝したりしてしまう人も。町内の菓子工房から仕入れる作りたてのタルトやロールケーキを食べながら、渡辺さんとおしゃべりを楽しんではいかが? 午前10時~午後6時。不定休。電話084・982・2110。

◎出会う
  尾道から鞆港までクルーズ船のかじを取る瀬戸内クルージングの航海士芹沢美冴(み・さえ)さん(21)。この春、海上技術を学ぶ静岡県の短大を卒業した新米だ。在学中に色々な海を見たが、瀬戸内海の美しさに魅せられてこの職を選んだ。「海に浮かぶ島々と、それぞれの島を結ぶ橋がきれい」と満面の笑み。潮の流れを読みながら、揺らさないよう船を進める。「操縦していて、お客さんにすごい、と言われるとうれしい」とはにかんだ。

 ■アクセス クルーズ船で鞆港に向かう場合は、JR山陽線の尾道駅から乗降場所まで徒歩3分。クルーズ船の乗船時間は約55分間。陸路では、JR福山駅から路線バスで約30分。




高知
土佐藩士の日記、関心呼ぶ 竜馬一家との交流もつづる
 坂本竜馬一家と交流のあった無名の土佐藩士の日記が専門家の間で静かな注目を集めている。幕末の血なまぐさい政治情勢をよそに日ごろの生活や竜馬の兄との交流が淡々とつづられ、専門家は「世間の激動から一歩距離を置いた中年武士の思いが表れ面白い」と評価している。
 筆者は作家安岡章太郎さんの祖先の土佐藩郷士安岡文助。1800年代中ごろの日常を約30年間、約220ページにわたって書き留め、幕末維新期の祖先を取り上げた安岡さんの小説「流離譚」にも登場する。
 次男嘉助は藩の重職吉田東洋の暗殺犯で、過激な政治活動に打ち込んだ志士。だが、暗殺があった62年は「嘉助 大石団蔵 那須新吾 坂本龍馬 亡命」(4月8日)など3日分しかない。暗殺に触れず、名前の表記や日付が事実と異なる個所もあった。
 県立坂本竜馬記念館の三浦夏樹主任学芸員は「息子の行動にショックを受けたのだろう。書くのがはばかられたのかもしれず、複雑な思いが読み取れる」と話す。
 日記は、緊迫した状況と一見無関係の出来事を多く記した。高知県香南市の安岡家で保管され、一般公開はしていない。


長崎
くんちさるく:参加者、心躍るシャギリの音--市民塾 /長崎
 長崎くんちの愛好家でつくる市民グループ「長崎くんち塾」(楊爾嗣(ようちかし)塾長)がこのほど、「くんちさるく」を開いた。祭り幕開けの神事「小屋入り」の日に参加した30人は奥深い伝統芸能に興味津々の様子だった。
 長崎市のまち歩き観光「長崎さるく」の一環。「くんちさるく」は今年で3年目だが昨年までは10月7~9日の祭り期間中が中心だった。今年は同塾の結成10周年を記念し、初めて小屋入りから9月の公開練習、直前の庭見せまで計12回開催する。
 昨年の踊町(おどりちょう)の一つ、筑後町の総監督だった平浩介さん(46)らが、1863年に始まったくんちの歴史や、キリシタン対策など当時の背景などを説明。踊町が関係団体を回って囃子(はやし)やシャギリを披露する「打ち込み」も見学した。
 参加した元会社員、黒田雄彦さん(64)は「勉強になったし、シャギリの音を聞くと『いよいよだな』と感じる。幕末に坂本龍馬も耳にしていたかも」と話した。【錦織祐一】


ニューヨーク
150年ぶり、NYでサムライお練り 遣米使節団を再現
 【ニューヨーク=田中光】幕末に結ばれた日米修好通商条約の批准書を「遣米使節団」が持参してから150年になるのを記念したパレードが6日、ニューヨークで開かれた。当時を再現した和装、帯刀姿の日米両国関係者がセントラルパークを練り歩き、ニューヨーク市民から歓声が上がった。
 遣米使節団は、江戸を出発した後、途中まで勝海舟や福沢諭吉を乗せた咸臨丸(かんりんまる)の護衛を受けながら、サンフランシスコ、ワシントンなどを訪問。1860年6月、最終訪問地のニューヨークに着き、約50万人の市民が出迎えるなか、目抜き通りを正装で行進したとされる。
 この日のパレードは、ニューヨーク市警楽団がアニメ「宇宙戦艦ヤマト」の主題歌などを演奏しながら先導。日本総領事館や日系企業関係者、ボランティアなど日米の約200人が参加した。
 米軍普天間飛行場の移設問題などこのところぎくしゃくしている日米関係だが、先頭を歩いた西宮伸一総領事は「次の150年の友情の一歩としたい」と話した。





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