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新選組・土方歳三を中心に取り上げるブログ。2004年大河ドラマ『新選組!』・2006正月時代劇『新選組!! 土方歳三最期の一日』……脚本家・制作演出スタッフ・俳優陣の愛がこもった作品を今でも愛し続けています。幕末関係のニュースと歴史紀行(土方さんに加えて第36代江川太郎左衛門英龍、またの名を坦庵公も好き)、たまにグルメねた。今いちばん好きな言葉は「碧血丹心」です。
 気が付くと、幕末関係のニュースがけっこうあった今日です。

千葉
江戸期の幟旗大祭に復活
幕末三筆の書か、昨年発見
 江戸時代の古い町並みを山車が練り歩く国指定の重要無形民俗文化財「佐原の大祭」(香取市、11~13日)で、江戸時代後期の文政8年(1825年)に作製され、祭りで使用されていたとみられる幟(のぼり)旗が“復活”することになった。

 佐原の大祭は江戸時代から続く、五穀豊穣(ごこくほうじょう)を願う伝統行事。夏は10地区、秋は14地区の山車が登場する。幟旗は幅約1メートル、長さ約13メートルの麻製の2枚で、130世帯からなる「本川岸」地区で見つかった。地区の祭りの責任者、松川忠史さん(65)の息子らが地区内の史誌を作るため、資料を探していたところ、昨年10月、山車が保管された倉庫で発見したという。市内の郷土史研究家の調査では、一部、解読できない部分があったが、「鎮守御祭礼 文政八年乙酉吉祥日 本川岸 米庵 河三亥書」と判明。米庵とは幕末三筆の一人、市河米庵とみられる。


静岡
岳南鉄道 60周年 今冬に“お宝市”
 鉄道マニアと工場ウオッチャーに人気なのが岳南鉄道、通称「岳鉄」だ。沿線には工場が立ち並び、車窓からはモクモクと煙を上げる煙突と、天候に恵まれれば富士山も見ることができる。
(中略)
 宿は吉原本町にある創業320余年の鯛(たい)屋旅館=(電)0545・52・0012=だ。〓客(きょうかく)・清水次郎長や幕臣・山岡鉄舟の定宿としても知られ、鉄舟直筆の看板など往時を追懐する品々も。ご主人の佐野大三郎さん(75)は「次郎長親分が子分を引き連れて泊まった時には出入りがあるから、高価な平皿は全部隠したそうですよ。ケンカの時はサラシの下に皿を入れて出掛けたそうですから」と笑う。幕末ロマンを感じさせる宿だが、1泊2食付きで5550円とリーズナブル。帰り際には若女将(おかみ)が火打ち石で宿泊客を送り出してくれる。


京都
連載「ぎおんゑ」
<9> 休み山
居祭、お囃子・・・自然体で

 祇園祭1100年余りの歴史で、争乱と大火が幾たびも京のまちをなめつくした。懸装(けそう)品やご神体が焼失を免れたものの、巡行が途絶えてしまった山と鉾が3基ある。
(中略)
 巡行では、「出陣の船」の船鉾(下京区新町通綾小路下る船鉾町)に対し、大船鉾(同区新町通四条下る四条町)は「凱旋(がいせん)の船」と呼ばれた。「どんどん焼け」と呼ばれる1864年(元治元年)の「禁門の変」の大火。幕末の動乱のなか、京都の市中は三日三晩燃え続けたと伝わる。大船鉾は、船型の木組みや車輪が灰になった。


兵庫
夭折の天才作家・久坂葉子 生誕77年の記念誌発刊 
 神戸の「久坂葉子研究会」が、会誌「久坂葉子研究」第四号を発刊した。生誕七十七年記念号とうたった資料編で、久坂の習作戯曲やモデル小説のほか、新旧の論考、新聞・雑誌記事などを網羅的に収録。“夭折の天才作家”も生きていれば喜寿とあって、顕彰活動も結実の時期を迎えている。(平松正子)
(中略)
 今号では、巻頭に故・前田純敬氏の小説「自殺者」を掲載。久坂とみられる「K」の自殺の顛末(てんまつ)について、「フジ(富士正晴)」「シマヲ(島尾敏雄)」といった人物を登場させつつ書いたものだ。久坂作品からは、十三、四歳で書いた戯曲「涙の袖」を収めた。幕末の志士・久坂玄瑞の最期を描いており、筆名の由来にもなった。


広島
広島城下幻の祭り再現
146年ぶりエビやタコ舞い踊り
 江戸時代末期の広島城下で、一度だけ行われた幻の祭り「砂持加勢(すなもちかせい)」を再現するイベントを広島市文化財団広島城が進めている。城下の町人たちが意匠を凝らし、タコやエビなどをかたどった山車を、当時の資料を基に市民が作成、町人にふんしてパレードをする計画。城下町の活気を伝える時代絵巻が、146年の時を経た広島の街で再び繰り広げられる。

 幕末の広島城下を流れていた本川の河口付近は、土砂が堆積しやすく、船の往来の妨げや、川が氾濫(はんらん)する要因ともなっていた。このため広島藩の指示を受けた町人たちが、定期的に川砂を運び出して川床を低くする川掘りを行ったという。


山口
東行庵:初代庵主の百回忌法要 二代目は五十回忌 /山口
 幕末の志士、高杉晋作の墓がある東行庵で9日、初代庵主の梅処尼(ばいしょに)の百回忌と二代目庵主の梅仙尼(ばいせんに)の五十回忌の法要が営まれた。
 梅処尼は元の名をおうのといい、晋作に終生をささげた。晋作の死後、尼になり、晋作の号「東行」から名付けた東行庵を墓のそばに創設。亡くなるまで42年間、法灯を守り続けた。二代目を継いだ梅仙尼は、三代目庵主の玉仙尼を「東行庵の中興の祖」とたたえられるまでに育てた。
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