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新選組・土方歳三を中心に取り上げるブログ。2004年大河ドラマ『新選組!』・2006正月時代劇『新選組!! 土方歳三最期の一日』……脚本家・制作演出スタッフ・俳優陣の愛がこもった作品を今でも愛し続けています。幕末関係のニュースと歴史紀行(土方さんに加えて第36代江川太郎左衛門英龍、またの名を坦庵公も好き)、たまにグルメねた。今いちばん好きな言葉は「碧血丹心」です。
 本宅にて、帆船「あこがれ」見学記アップしました。

宮城
帆船「あこがれ」石巻漁港に入港
 リンク先は河北新報(閲覧には会員登録が必要、無料)です。
 榎本武揚没後100周年記念事業で、北海道小樽港を目指している大阪市所有の帆船「あこがれ」(362トン、久下剛也船長)が16日、宮城県石巻漁港に入港、一般公開された。
 徳川幕府海軍副総裁の榎本が、戊辰戦争(1868―69年)時に艦隊を率いて江戸を出港、仙台、石巻などに寄りながら北海道に向かった軌跡をたどる航海。大阪港を8日出港した。
 岸壁であった歓迎式で、土井喜美夫市長は「明治維新の舞台の一つとなった石巻に寄港してもらい光栄だ」と歓迎した。
 一般公開は無料で、石巻は19日午前10―正午と午後1―4時にもある。塩釜は18日午後2―4時。19日に石巻漁港を出港、次の寄港地の宮古市を目指す。


■帆船「あこがれ」石巻に入港
榎本武揚の軌跡たどる
19日一般公開/

 旧幕府海軍副総裁で明治政府でも活躍した榎本武揚(一八三六-一九〇八年)没後百周年記念事業で、東京-小樽間を航海する帆船「あこがれ」が十六日、石巻漁港西港に寄港した。帆船運航事業に協賛する石巻実行委員会(委員長・阿部和夫石巻市教育長)が主催となって入港式や一般公開、歴史講演会などのイベントで寄港を歓迎した。
 榎本は戊辰戦争で八隻の艦隊を率いて江戸を出港、石巻などに寄港しながら北海道に向かった。
 記念事業は、あこがれで榎本の軌跡をたどる。十三日に乗組員十人、一般市民十六人を乗せて東京を出港した。
 石巻漁港西港での入港式では、土井喜美夫市長が「遠路おいでいただき感謝する」とあいさつ。一般公開では多くの市民が興味深く船内を見学。夜は石巻グランドホテルで榎本と戊辰戦争にまつわる歴史講演会があり、関心を呼んだ。
 十八日は石巻漁港-塩釜港を航海、応募者二十六人を対象にしたセール・トレーニングを実施。十九日は石巻漁港で一般公開(午前十時-正午、午後一-四時の二回)が行われる。二十日には航海体験の小中学生らを乗せて宮古港に向かう。


福島
北方警備記念展図録を学校に贈呈
 会津若松市内の小中学生や高校生に地元の歴史への関心を深めてもらおうと市観光公社は、鶴ケ城天守閣で開催中の北方警備200年記念展「会津藩蝦夷地を守る」の図録を市内の42校に贈る。
 15日は公社の若林時彦専務理事が会津高を訪れ、小森新一郎校長に図録を手渡した。
 若林専務は「会津の高校生が地元の歴史に疎いようでは恥ずかしい。
 展示会に足を運び歴史を知るきっかけにしてほしい」と話した。
 小森校長は「日本史では課題研究などで幕末の歴史を学ぶ機会を設けている。
 大いに生徒の刺激になる」と感謝した。
 企画展は8月24日まで。
 200年前に会津藩が幕府の命令で赴いた樺太、北海道での警備に関する106点の資料を展示している。



京都
京都新選組同好会がパレード
池田屋騒動の日に合わせ

京都新選組同好会がパレード 池田屋騒動の日に合わせ
 京都市民らでつくる「京都新選組同好会」によるパレードが16日夕、市中心部の四条通であった。祇園祭の宵山で囃子(はやし)が響く中、だんだら羽織をまとった隊士姿の34人が負けじと高げたの音を響かせた。
 新選組が討幕派を鎮圧した池田屋騒動の日に合わせて毎年行っており、33回目。パレードに先立ち、会員は中京区の壬生寺で隊士をしのぶ慰霊祭を開いた。
 「誠」と書かれた旗を先頭に、八坂神社に向けて引き締まった表情でゆっくり歩いた。観光客は「新選組だ」と驚いた様子で、追いかけてカメラで撮影する外国人もいた。


福岡
涼やかに「ジャパンブルー」
 日本の伝統的な色、藍で染め上げられた江戸時代の衣類の展示会が、福岡市博物館で開かれています。
 福岡市博物館で開催中の「出藍のほまれ青のきもの」展には、江戸時代に作られた藍染の小袖や裃など、20点あまりが展示されています。
 江戸時代後期のこの浴衣は、細かい模様の中に天狗などの面が隠れている遊び心のあるものです。
 日本人は、微妙に違う藍色を紺や縹、浅葱などと多くの名前で使い分け、古くから愛してきました。
 明治維新後に来日した外国人の中には、藍染めが日本人の生活に行き渡っていることから、藍色を「ジャパンブルー」と呼んだ人もいます。
 会場には、様々な藍をまとった当時の日本人の夏の装いを、巧みに表現した錦絵も展示されています。
 この展示会は9月15日まで、福岡市博物館で開かれています。



長崎
ものがたりに出会う旅:「沈黙」 長崎・外海 風琴の賛美歌澄みて里そよぎ
 ◇穏やかに息づく切支丹の道をたどる/89歳のシスターが奏でるオルガンの音色に歴史の重み

 豪雨があがり一転して晴れ渡った夏の一日、遠藤周作の代表作「沈黙」の舞台となった切支丹(キリシタン)の里・長崎市外海(そとめ)地区を訪ねた。
 早朝のバスで長崎新地ターミナルを出発、乗り継ぎを含めて1時間半ほどで、外海地区に入った。長崎市に編入されたものの、西彼杵(にしそのぎ)半島の地形は険しい。国道202号が整備されるまでは「陸の孤島」と呼ばれただけに、江戸幕府のキリスト教禁制下、切支丹たちが潜伏するには格好の土地だったことが分かる。
 「沈黙」の冒頭、ポルトガル人司祭ロドリゴらはマカオからこの浜辺に漂着、山中の炭小屋にかくまわれた。そして後に捕らえられ、キリスト像を踏み、転び伴天連(バテレン)となる。
 作品を追体験しようと、山道を歩いてみた。緑の中にひっそりたたずむ大野教会が始点だ。ウグイスの鳴き声が聞こえ、畑にはビワの実が黄色く色づいている。眼下には角力(すもう)灘の青い海が広がり、炭鉱として栄えた池島が見渡せた。
 汗がにじみだしたころ、森の中に石積みの平屋が現れた。西洋人神父が処刑された後、信徒を指導した日本人伝道士バスチャンが隠れ家に使ったものだという。彼は「苦難は7代続くが、その後に宣教師が戻ってくる」と言い残した。
 予言どおり幕末になって、来日したフランス人神父によって切支丹が発見された。禁教令が出てから250年がたっていた。
 しかしカトリックに復帰しなかった人々もいた。長きにわたった潜伏期間、その信仰は迷信や仏教、神道が混交した独自のものになっていたのだ。
 そんなことを考えていると道に迷ってしまった。畑を手入れする男性に声をかけた。旅の目的を話すと、「わたしがそのカクレキリシタンです」。率直な答えに驚いた。今でも表向きは仏教寺院の檀家(だんか)だが、家では先祖から伝わる経文のオラショ(ラテン語で「祈り」の意)を唱えているという。「結局、明治のころ、どっちを選ぶか考えた時、今までかくまってくれたお寺さんへの義理が勝ったわけです。そりゃあ自分の中に今でも引き裂かれはありますよ。でも私らの代で終わりでしょう。若者は受け継ぎませんから」
 山を下りると白壁の出津(しつ)教会が高台に建っていた。明治の初め、フランス人ド・ロ神父によって建てられたこの教会は、後にバチカンの枢機卿(すうききょう)となる2人の日本人信徒を送り出した。ド・ロ神父は貧しい村人のために救助院と名づけた授産所を建ててマカロニなどの製めんや鰯(いわし)網作りを指導、山を切り開き農場も作った。
 その足跡を紹介する記念館で、シスターの橋口ハセさん(89)が神父愛用のオルガンで賛美歌を聴かせてくれた。お母さんが神父に仕えていたため、小学校を出てからすぐ修道院に入ったという。橋口さんは「若い人が少なくなり、教会も寂しくなりましたが、遠方からのお客さまを迎えるのが私の務め」と言ってほほ笑んだ。ビワのなる庭から、風が心地よく入ってきた。<文と写真・鈴江康二>

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 ■メモ
 外海地区(黒崎、出津、大野)へは、長崎新地ターミナルから長崎バス「板の浦」行きで70分(長崎駅前からの乗車も可、直行便でない場合、桜の里ターミナル乗り換え)。カトリック出津教会やド・ロ神父記念館、外海歴史民俗資料館へは出津文化村で下車。
 遠藤周作文学館(0959・37・6011)へは、「道の駅(文学館入口)」で下車。年末年始以外は無休、9~17時(入館受け付けは16時半まで)。一般350円、小中高生200円。併設の「アンシャンテ」では名物のド・ロ様そうめん、パスタなど軽食が食べられる。
 長崎バスは3~11月の土日祝のみ(夏休み期間中は毎日)、定期観光「そとめ潮風コース」を運行。始発・終点は長崎駅前で9時発、所要4時間40分。黒崎教会、出津文化村、遠藤周作文学館などを巡る。大人2990円。問い合わせは同バス(095・826・1112)まで。




佐賀
佐野常民の功績を顕彰 佐野記念館「文明展」
 佐賀市川副町の佐野常民記念館が企画展「佐野常民文明展-文化と伝統を求めて-」を開いている。日本赤十字社の創設などで知られる佐野常民(1822-1902年)が、幕末から明治にかけて「文明開化」に取り組み、日本の文化向上に果たした功績を中心に顕彰している。
 佐賀藩精煉方(せいれんかた)で活躍した佐野は、1867年のパリ万国博覧会に佐賀藩の出展責任者として参加。6年後のウィーン万博でも明治政府の出展責任者を務め、文明開化を担った。一方で、博愛精神や文化向上にも着目。急激に西洋化が進む中で日本文化が衰退することを危惧(きぐ)して美術団体「龍池会(後に日本美術協会)」を創設するなど、日本文化の保護育成に力を注いだ。
 企画展は同館所蔵品のほか、日赤県支部や東京国立博物館などの収蔵資料から52件、67点を展示。パリ万博、ウィーン万博や国内で推進した「内国勧業博覧会」の資料などで、佐野の足跡をたどっている。
 このうち龍池会関連資料では、同会が主催し、佐野自らもコレクションを出品したという古美術鑑賞会「観古美術会」の出展規則や出品目録、日本古来の美術の保護を訴えた「佐野伯演説集」などを展示。1894年に人材育成を目的に創設した「美術育英会」に関しては、趣旨や規則などの資料を公開している。
 佐野常民記念館は「佐野は産業の発展のみに焦点が当てられがちだった当時の風潮に警鐘を鳴らし、精神的な面からも日本を真の文明国にしようと志していた。これまで広く知られていなかった教養人としての佐野の一面を知るきっかけになれば」と話している。
 9月7日まで。月曜休館。観覧料は大人300円、高校生以下100円(常設展観覧料も含む)。



鹿児島
恒吉の歴史を語る会発足 60人が地域の将来模索/曽於
足元の財産掘り起こせ

 曽於市大隅の恒吉地区の歴史を掘り起こし地域の財産を再認識しようと、住民らでつくる「恒吉の歴史を語る会」が12日発足した。2カ月ごとに会を開催。成果を冊子にまとめて後世に伝えていくとともに、過疎・高齢化が進む地域の将来を考える場にしたいとしている。
 恒吉地区は江戸-明治期の恒吉郷、昭和半ばにかけて恒吉村だった。中世の山城・恒吉城跡がある地域はその中心地で、「幕末恒吉郷麓図」に記された神社や寺院、道筋、郷士の居宅などが当時のまま残っているという。
 「昔にタイムスリップしたような土地は多くなく貴重」と、同会立ち上げに奔走した神主の後藤大志郎さん(61)。「このような恒吉の魅力を住民みんなの宝として共有し、地域おこしにつなげたい」と話している。
 定例会では郷土資料を読みながらの勉強のほか、長老から昔の暮らしや村の様子、出来事など話してもらう。郷土史の専門家を招いた学習会や史跡の現場見学・調査なども予定。語る会だよりを住民全戸に配布するほか、数年後には講演録や談話録をまとめた冊子発行、案内・解説板設置も計画している。
 発足式には約60人が参加。県歴史資料センター黎明館学芸専門員の梶原武さんが「絵地図等の歴史資料に見る恒吉郷・恒吉村」と題して記念講演した。
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