新選組・土方歳三を中心に取り上げるブログ。2004年大河ドラマ『新選組!』・2006正月時代劇『新選組!! 土方歳三最期の一日』……脚本家・制作演出スタッフ・俳優陣の愛がこもった作品を今でも愛し続けています。幕末関係のニュースと歴史紀行(土方さんに加えて第36代江川太郎左衛門英龍、またの名を坦庵公も好き)、たまにグルメねた。今いちばん好きな言葉は「碧血丹心」です。
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昼間の強風(時々熱風、時々涼風)もやや収まり、今はいい感じの涼風になった東京の宵です。中国四国地方の豪雨の被災者とその関係者にお見舞い申し上げます……最大で600ミリとか、年間降雨量の3分の1とか、すさまじい雨量でしたね。
北海道
高田屋嘉兵衛まつり始まる、顕彰・慰霊式典や淡路島特産品フェア
函館開港150周年事業、ライブチケット売り上げ低調
宮城
力強く龍踊り 観光客を魅了
2009.07.26
きょうまで金華山黄金山神社
石巻/
三重
三重本草:医師・鎌井松石の代表的著書、四日市市立博物館で展示 /三重
三重本草:医師・鎌井松石の代表的著書、四日市市立博物館で展示 /三重
大分
別府八湯・名人への道:/48 亀陽泉(亀川中央町) /大分
高知
手長足長絵馬台祭りに29年ぶり
福岡
江戸中期に日食予測 中津藩の古文書解読中 驚きの発見 吉富町歴史文化の会 蘭学盛ん、時刻も正確
長崎
「みなとまつり」あいにくの雨模様 きょうまで長崎で
コラム
遺跡写真、保存の危機 デジカメ普及、フィルム激減
遺跡データを撮影した媒体データが残るようには、どうしたらいいんでしょうね。
北海道
高田屋嘉兵衛まつり始まる、顕彰・慰霊式典や淡路島特産品フェア
「第34回函館高田屋嘉兵衛まつり」(実行委主催)が25日、函館市内で始まった。初日は同市宝来町の嘉兵衛像の前で顕彰・慰霊式を開く予定だったが、雨のため近くのホテル函館山(元町)で行い、嘉兵衛の古里、兵庫県淡路島の特産品フェアもが行われた。
高田屋嘉兵衛は、1769(明和6)年、現在の同県洲本市で生まれ、96(寛政8)年に「辰悦丸」で来航。99(同11)年に国後島と択捉島間に航路を開いた後、箱館に基地を構え、造船所を建てるなどし、箱館発展の基礎を築いた。慈善や奉仕にも力を入れ、日露間の紛争も円満に解決するなど活躍した
祭りは、嘉兵衛の没後150年に当たる1976年、嘉兵衛の業績をたたえ、北方領土返還運動の機運を高めようと始まった。顕彰・慰霊式典には、嘉兵衛の7代目、高田嘉七さん(77)東京など約60人が参列。称名寺の須藤隆仙住職の読経の中、献花するなどした後、花泉舞衛社中が「高田屋嘉兵衛まつり音頭」などの舞踊を奉納、谷地頭保育園ちびっこ太鼓の太鼓奉納が行われた。
26日は嘉兵衛像前で北方領土返還署名運動、同市末広町のアクロス十字街で北方領土関係写真パネル展が行われる。また、最終日の8月1日は午後3時半から、嘉兵衛像前から西波止場までパレードが行われる予定。
函館開港150周年事業、ライブチケット売り上げ低調
函館開港150周年記念事業(同事業実行委主催)のメーンイベント「ドリーム・ボックス150」の催しの一つで、函館港「緑の島」野外特設ステージで8月13日に開かれる「COP10スペシャルライブ」の前売券の売り上げが低調だ。同ライブは札幌出身のシンガーソングライター、大黒摩季さんや熱帯JAZZ楽団ら著名なアーティストが出演。数ある催しの中でも、同実行委(会長・西尾正範市長)が集客力を期待しているライブで、「ぜひ1枚購入を」と協力を呼び掛けている。
COP10は生物多様性条約第10回締約国会議の略称で、名古屋市で来年、同会議が開催されることを記念してライブを企画した。記念事業のメーンイベントはさまざまな催しが予定されているが、特に同ライブは同実行委が窓口となって準備を進める肝いりのイベント。
入場券は6月中旬から市内の松柏堂プレイガイド各店やローソンチケットで販売を始め、目標の1500枚に対し、24日現在、約600枚と4割にとどまっている。前売券はいす指定席3700円、立見2000円と、実行委がある程度負担する形で相場よりも安く設定したという。
市民の反応は「アーティストは知っているが、函館でやるのは知らなかった」「平日で日程が調整つかないのでは」などの声が上がっている。メーンイベントを紹介するリーフレットが7月17日に全戸配布されたばかりで、今後発行予定の公式ガイドブックも完成しておらず、実行委の周知、宣伝活動が後手に回っている。
ライブの開始時間は午後6時半で、屋外特設ステージで開かれる。ライブは大黒さんがボーカリスト&フリューゲルンホルン奏者のTOKUと、熱帯JAZZ楽団がフィリピン出身のジャズシンガー、マリーンさんと、それぞれ特別ユニットを組んで出演する。問い合わせは同実行委TEL0138・21・3493。
宮城
力強く龍踊り 観光客を魅了
2009.07.26
きょうまで金華山黄金山神社
石巻/
石巻市の金華山黄金山神社(奥海聖宮司)で25日、伝統行事「龍神まつり」が始まった。大勢の観光客が伝説と自然が残る牡鹿半島突端の島を訪れ、勇壮な龍(蛇)踊りを楽しんだ。26日まで。
メーンの龍踊りは3回奉納された。龍衆(じゃしゅう)と呼ばれる氏子10人が、長さ1・5メートルの棒を使って全長20メートル、重さ約100キロの龍をまるで生きているように操った。
太鼓やラッパ、爆竹などで勇壮な雰囲気を醸し出す中、龍が力強く舞うと、観客たちは大きな拍手を送った。
龍神まつりは、海上安全や大漁、五穀豊穣(ほうじょう)などを願う同神社の伝統行事。
明治維新時に途絶えていた。1983年、金華山近くの海中で「八大龍王神」の石碑が発見されたのを機に、翌年から再開した。
26日の龍踊りは、午前11時と午後1時の2回披露される。
三重
三重本草:医師・鎌井松石の代表的著書、四日市市立博物館で展示 /三重
三重本草:医師・鎌井松石の代表的著書、四日市市立博物館で展示 /三重
幕末から明治時代に県内の自然や生物について研究した鎌井松石(1815~91年)の代表的著書「三重本草(ほんぞう)」が、四日市市安島の市立博物館3階常設展示室で紹介されている。医師で日本画家でもあった鎌井は挿絵に多くの動植物や昆虫などを鮮やかに描き、親しみやすい貴重な資料に市民らが見入っている。8月30日まで。無料。
同博物館によると、鎌井は現在の鈴鹿市神戸地区の出身。京都で医学を学んだ後、30代で四日市へ移り住み、中国由来の薬学「本草学」に打ち込んだ。
展示品は、鎌井が明治政府の文部省に献納した「三重本草」(全50巻)を清書するのに使った本と、付録の計16冊。目を引くのが挿絵で、トンボ、チョウ、ハチ、カラス、キクなどが岩絵の具で写実的に描かれ、当時の方言による呼び名や、どんな薬に利用できるかといった説明が記されている。今回は虫などの絵が多いページを開いて展示している。
担当の学芸員は「地元の先人が残した貴重な資料で、多くの人に見てほしい」と話している。【井上章】
大分
別府八湯・名人への道:/48 亀陽泉(亀川中央町) /大分
◇幕末・明治に思いはせ
衆院解散を目前に控えたある日。長女日向子(4)を連れて亀陽泉(きようせん)に出かけた。この夏休みは、いつ一緒に遊んでやれるか分からない。せめてもの「罪滅ぼし」だった。
変わった名前の温泉だ。地元の歴史に詳しい龜カメ倶楽部の高橋東洋雄さん(67)によると、亀川村の庄屋で、幕末に勤王の志士をかくまって投獄された経験を持つ高橋敬一の号「亀陽逸人」が起源ではないかという。
明治維新後は日田県知事・松方正義の元で働いた。1890年、中津江村で起きた一揆の鎮圧に向かい、殉職した。その子廉一は「松方に育てられ、後に坊主地獄の近くで世界で3番目の地熱発電に取り組んだ」(高橋さん)という。
亀陽泉は1902(明治35)年、現在地に移転。巨大な浴槽で「千人風呂」と称された。近くに住む男性は「子どものころはここで泳いでいた。旅館の客もみな入りに来ていた」と振り返る。65年の建て替えで浴槽は以前より小さくなったが、それでも相当な大きさだ。管理人の陽増美さん(70)は「『広くて入りやすい』とよそから来る人は今でも多い」と話す。
日向子は鏡の前で踊りすっかりご機嫌だ。筆者が「今年の夏は遊園地に行かれんかもしれんで」と言ったら、こう答えた。
「仕方ないな。一生懸命働いてな。お父さんが働かんと、みんなご飯も食べられんもんな」【祝部幹雄】
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◇亀陽泉(亀川中央町)
隣接地の泉源(70~80度)と、約200メートル西側の泉源(30~40度)を使う弱食塩泉。2階はステージ付きの集会場や会議室がある「亀陽泉ホール」。営業時間は午前6時半~午後11時半で、立ち寄り湯は100円。定休日は毎月5、15、25日。
高知
手長足長絵馬台祭りに29年ぶり
香美・八王子宮、修復 幕末の絵師・金蔵(通称・絵金)らの屏風(びょうぶ)絵を飾る手長足長(てながあしなが)絵馬台(香美市文化財指定)が24日、29年ぶりに香美市土佐山田町の八王子宮夏祭りにお目見えした。香南、香美両市の商店主らの寄付で今年1月に修復したことを受けての展示。25日午前10時~午後10時にも見られる。
絵馬台は高さ約4メートル、幅約10メートル、奥行き約2メートル。幕末から明治初期にかけて、同町の宮大工・原卯平によって作られたという。屋根部分を支える4本の飾り彫りの柱が特徴。社殿を模した台の正面には、江戸時代の漫画絵「手長」と「足長」をかたどった柱があり、その外側には「上り龍」と「下り龍」が彫られている。台には、絵金と弟子河田小龍の屏風を5枚はめ込むようになっている。
1980年の夏祭り以降、損傷が激しく展示できなかったが、今年1月、同宮に隣接する市立美術館での展示をきっかけに寄付が集まり、虫食い個所や、組み立て部分を取り換えることができた。甲藤(かっとう)栄一宮司(62)は「先人の残した物を後世に伝えたい」と話していた。
(2009年7月25日 読売新聞)
福岡
江戸中期に日食予測 中津藩の古文書解読中 驚きの発見 吉富町歴史文化の会 蘭学盛ん、時刻も正確
吉富町歴史文化の会は24日までに、中津城下の事件事故を記録した「惣(そう)町大帳」の解読作業の中で、中津藩(大分県中津市)が、1786(天明6)年の皆既日食の時刻を正確に予測していたことを突き止めた。同会の山本初男顧問は「江戸中期すでに下級武士まで日食の時刻を知っていたのは驚き」と話す。
同会は「惣町大帳」の中で、同年正月元旦に日食の記述を発見。また同日の下級武士の職務日誌「郡方小頭月番帳」には「午(うま)の刻(こく)(正午ごろ)に日食が予想されるため、藩主への正月の祝賀記帳を5つ刻(どき)(午前8時ごろ)に行った」と記されていた。
当時の中津藩は、医学書「ターヘル・アナトミア」の翻訳書「解体新書」の実質的編さん者、前野良沢(1723-1803)が活躍するなど、日本屈指の蘭(らん)学先進地。特に天文学、医学、物理学など自然科学分野では、他藩を圧倒していた。
17世紀後半から18世紀初頭の長崎では、オランダ通詞で洋書の収集家として有名な吉雄耕牛や「惑星・恒星・彗(すい)星」などを造語した本木良永、万有引力やケプラーの法則などを紹介した志筑(しづき)忠雄などが活躍。中津藩は、前野良沢をはじめ、幕末までに約100人の藩士を遊学させ、先進科学を取り入れたという。
九州大大学院のW・ミヒェル教授らと「九州の蘭学‐越境と交流‐」(思文閣出版)を共著し、同藩の蘭学史に詳しい川嶌整形外科病院(中津市)の川嶌真人院長は「蘭学者にとって天文学は、医学と並び基本。日食は、予測可能な自然現象の1つになっていたのでしょう」と話している。
長崎
「みなとまつり」あいにくの雨模様 きょうまで長崎で
長崎の本格的な夏の訪れを告げるイベント、ながさきみなとまつり(長崎開港記念会、実行委主催)が25日、長崎市の長崎水辺の森公園一帯で開幕した。貿易港として栄えた歴史を持つ長崎港をPRしようと毎年開催。26日まで。
初日はあいにくの雨で、打ち上げ花火などほとんどのイベントが中止になった。だが、浴衣姿の市民らは次々と会場を訪れ、コピーバンド演奏や出店などで祭り気分を味わった。
26日は、長崎ゆかりの幕末の志士たちをたたえる「先賢行列長崎さるき『幕末パレード』」などのほか、打ち上げ花火が約8千発上がる予定。問い合わせは実行委(電095・822・0111)。
コラム
遺跡写真、保存の危機 デジカメ普及、フィルム激減
デジタルカメラ全盛時代にもかかわらず、古代遺跡の発掘現場ではいまだに、フィルムカメラが活躍している。デジタルカメラで撮影した画像データを保存するCDなどは湿気や熱でデータが消える危険性があるためだ。しかし、フィルム出荷量について、昨年は10年前の1割近くに激減し、遺跡写真に最適なフィルムの入手にひと苦労の状態で、半永久的な保存が不可欠な文化財写真が危機にさらされている。
あと数十枚分
デジタルカメラは今ではフィルムカメラを圧倒。写真感光材料工業会や写真出版社「フォトマーケット」の統計によると、35ミリなどのロール式フィルムの出荷量(推計)は、平成9年の約4億8283万本をピークに、10年は約4億5788万本、20年は約5583万本にまで落ち込んだ。
「フィルムはあと数十枚分しかない。一(ひと)現場撮れればいいほうだ」。奈良文化財研究所(奈良市)で遺跡撮影を30年以上続ける井上直夫さん(59)はため息をついた。
撮影現場では、遺跡や遺物を実物と同じような質感で写すために、専用の大型フィルムを何種類も使い分けているが、生産縮小によって代替用フィルムも容易に見つからないという。
再現保証ない
坂本龍馬や近藤勇といった幕末の英雄たちを撮影した写真は、色あせながらも現在に伝わっている。「(電子データではなく)写真なら150年以上保存できることは歴史が証明している」と井上さんは強調する。
一方、デジタルカメラの画質はフィルムとほとんど変わらないものの、画像データを保存するCDやDVDは割れるなどすると再生は不可能になる。
5~10年前まで使われていたフロッピーディスクやMOディスクはすでに「時代遅れ」となり、最新のデジタル機器に付属しておらず画像の読み込みは困難。井上さんは「デジタルは万能に見えても、数十年後に画像を再現できる保証はない」と話す。
高松塚古墳も
全国各地から出土した木簡などの赤外線撮影を行う奈良文化財研究所では、赤外線専用フィルムの生産が打ち切られたため、数年前からデジタルカメラに切り替えた。
飛鳥美人など国宝壁画の描かれた高松塚古墳(奈良県明日香村)の石室解体や壁画調査にも、デジタルカメラを使用。フィルム交換時にカメラが接触して壁画損傷を招く危険があり、画像のコンピューター処理が必要なためだ。画像はCDなどではなく、データの破損を防ぐため2台のハードディスクで保存している。
文化財写真の保存問題に詳しい岩崎仁・京都工芸繊維大環境科学センター准教授(画像情報)は「発掘された遺跡は二度と元には戻らない。現状を正確に記録した写真は後世に伝える手だてとして不可欠。写真データの保存は緊急的課題」と話している。
遺跡データを撮影した媒体データが残るようには、どうしたらいいんでしょうね。
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