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新選組・土方歳三を中心に取り上げるブログ。2004年大河ドラマ『新選組!』・2006正月時代劇『新選組!! 土方歳三最期の一日』……脚本家・制作演出スタッフ・俳優陣の愛がこもった作品を今でも愛し続けています。幕末関係のニュースと歴史紀行(土方さんに加えて第36代江川太郎左衛門英龍、またの名を坦庵公も好き)、たまにグルメねた。今いちばん好きな言葉は「碧血丹心」です。
 午後4時過ぎから東京でも雨が降り出しました。気温がぐっと下がるのはありがたいりですが、かなりの降水量になりそうですので水害が心配です。
 群馬県館林市では竜巻と見られる突風が発生してけが人が出たとか……被災お見舞い申し上げます。

北海道
函館開港150周年:絵画や写真で、過去へ時間旅行--道立函館美術館 /北海道
函館開港150周年:絵画や写真で、過去へ時間旅行--道立函館美術館 /北海道
 開港150周年を記念し、函館の街の移り変わりを絵画や写真などで振り返る企画展「箱館→函館・ビジュアル時間旅行」が、函館市五稜郭町の道立函館美術館で開かれている。9月6日まで。
 幕末から現代までの街並みを描いた地元芸術家の作品や、当時の世相を映し出した宣伝用ポスターなど約300点を展示。明治初期に開拓使が現在の国道5号に当たる函館-森間の道路周辺を描いたとされる長さ約10メートルの絵図や、当時の金森洋物店など歴史的建造物を再現したミニチュア模型なども展示され、市民らが興味深く見入っていた。【昆野淳】


新潟
受け継ぐ藩校精神 長岡・崇徳館「剛健質樸」、与板・正徳館「藩民皆学」
 「未来へつなげ! 藩校教育と米百俵の精神」をテーマに6月下旬、長岡市で「第8回全国藩校サミット」が開かれた。会場には全国の藩主の子孫をはじめ、約1600人が参加。人格教育を重視した江戸時代の「藩校精神」を振り返った。県内にはかつて11の藩校があり、今もその流れをくむ学校がある。校風や学習に息づく「藩校精神」を探ってみた。(三沢敦)

 ●名物レース40年 長岡高

 6月10日、県立長岡高校(長高〈ちょうこう〉)の体育祭。グラウンドからスタートした生徒たちは、近くの栖吉(すよし)川をひた走る。対岸の土手を駆け上り、再び川を引き返してグラウンドを目指す。長高名物の「渡河レース」だ。

 近くに橋があるのに、なぜ――。実はその橋、かつて「健児渡らずの橋」と呼ばれていたという。40年ほど前、橋の向こう側に長岡大手高校(当時は女子校)が移転してきた。男子が9割以上(当時)を占める長高生は興味津々。橋を渡って見に行く者が相次ぎ、怒った風紀委員会が通行を禁止した。だが、川を渡る生徒が現れた。それが創立100周年の年に誕生した名物レースの由来という。

 「長高生のモットーは『剛健質樸(ごうけんしつぼく)』や『豪爽快活(ごうそうかいかつ)』。女の子にチャラチャラするなんてもってのほか。当時の風紀委員会はそれは怖かった」と、同窓会事務局長で元英語教諭の岡村清さん(62)は振り返る。

 長高のルーツは、1870(明治3)年に、長岡藩の小林虎三郎らが建てた国漢学校だ。北越戊辰(ぼしん)戦争の敗北で飢えに苦しむ中、虎三郎は分家の三根山藩から見舞いとして届いた米百俵を配分せず、将来の人材育成のためにと学校設立の資金に充てた。いわゆる「米百俵」の故事である。

 国漢学校の国学・漢学部門は阪之上小学校などに、医学局は長岡赤十字病院に、それぞれ引き継がれる。そして洋学局が長岡洋学校となり、旧制長岡中学を経て戦後、長高に生まれ変わった。

 国漢学校の教育の根底にあったのが、1808(文化5)年、第9代藩主牧野忠精(ただきよ)が創設した藩校「崇徳館(そうとくかん)」の精神だった。当時、幕府が朱子学以外を学ぶことを禁じていたのに対し、忠精は儒学の原典にさかのぼって究める古義学を併用。一つの見方に偏らない多様な人材を育てようとしていたとみられる。長高の校章は牧野家の家紋「三つ葉柏」。「剛健質樸」や「豪爽快活」といったモットーも牧野家の家訓だ。

 長高の生徒会は、「和して同ぜず」の意で「和同会」と呼ばれる。大先輩の一人で東洋大を創設した哲学者井上円了が在校中の1876(明治9)年、生徒の親睦(しんぼく)や演説の練習のために創設。今も、生徒会長は和同会長、文化祭は和同祭だ。「仲良くしても、けっして同じ色に染まらない。円了が論語から取ったその名称にも、多彩な人格形成を重んじた藩校精神が込められている」と岡村さん。

 再来年で創立140周年を迎える長高。その精神は確実に受け継がれていると信じている。

 ●「米百俵」学び英語劇に 阪之上小

 長高と同じく「三つ葉柏」を校章に据える阪之上小には三つの記念日がある。開学記念日、開校記念日、創立記念日だ。

 「開学」は、昌福(しょうふく)寺の一室を借りて国漢学校が始まった1869(明治2)年。「開校」は校舎が完成した翌1870年。そして「創立」が阪之上校と称した1874年だ。開校140年目を迎えた先月12日の記念集会。4年生が学校の歴史を振り返る演劇を披露した。

 「高学年になると、学校の生い立ちを知らない児童は一人もいませんね」と、教頭の高橋和人さん。「わたしたちの学校」と「わたしたちの悠久山」。先生たちが独自に作った2冊の副読本を通じ、地域と学校の歴史をじっくり学ぶからだ。

 6年生は6年前からほぼ年に一度、英語劇の「米百俵」を市内のホールで演じてきた。修学旅行先も、北越戊辰戦争に敗れた河井継之助が命を落とした会津だ。「授業で学んだことを現地に行ってさらに調べる。高学年が低学年に教えてあげる。それを繰り返して子供たちは歴史に強くなっていく」と高橋さんは話す。

 ●統合新設で校名に採用 正徳館高

 一方、05年に与板高校と寺泊高校が統合して誕生した長岡市の県立正徳館高校。新しい校名は与板藩校「正徳館」から取った。この藩校は戊辰戦争で一度閉校したが、1869(明治2)年に再興。その際、最後の与板藩主となった井伊直安は藩士の子弟だけでなく広く領民に就学を呼びかけたという。

 史料によれば、「極貧者でもよし。衣食住に欠ける者は校内に寄宿してもよい」と藩民皆学を奨励したとあり、こうした先人の志を、新設校の精神に取り入れた形だ。

    ◇

長岡・多士済々

 旧制長岡中や長高は多彩な人物を輩出してきた。仏文学者で詩人の堀口大学、太平洋戦争で連合艦隊司令長官だった山本五十六、作家の関川夏央、ジャーナリストの櫻井よしこ、女優の星野知子。「るろうに剣心」などで知られる漫画家の和月伸宏、05年の神戸国際フルートコンクールに最年少で優勝した小山裕幾もOBだ。


長崎
花火8000発でみなとまつり閉幕 長崎、幕末パレードも開催
 長崎の夏のイベント「ながさきみなとまつり」(長崎開港記念会、実行委主催)は26日、長崎ゆかりの幕末の志士をたたえるパレードや打ち上げ花火などを行い、閉幕した。 貿易港として栄えた歴史を持つ長崎港をPRしようと毎年開催。悪天候で、主会場の長崎水辺の森公園の昼間のステージイベントは中止となった。
 夕方以降、天気が持ち直し、坂本龍馬や勝海舟などの山車を引いて練り歩く「先賢行列長崎さるき『幕末パレード』」や、約8千発の打ち上げ花火などが観衆を魅了した。








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