新選組・土方歳三を中心に取り上げるブログ。2004年大河ドラマ『新選組!』・2006正月時代劇『新選組!! 土方歳三最期の一日』……脚本家・制作演出スタッフ・俳優陣の愛がこもった作品を今でも愛し続けています。幕末関係のニュースと歴史紀行(土方さんに加えて第36代江川太郎左衛門英龍、またの名を坦庵公も好き)、たまにグルメねた。今いちばん好きな言葉は「碧血丹心」です。
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今日は一日曇りがちで気温もあまり上がらなかった一日でした。そして、先ほどから凄い量の夕立が……雷も鳴ってるし(汗)。
北海道
野外劇に高橋知事出演
東京
シーボルト次男の子孫が没後100年展
富山
金沢の技術吸収し発展 高岡学で銅器講演
岐阜
中津川宿の間家で発見 平田篤胤の「鬼神新論」印刷本初版
京都
川面照らす慰霊の光
伏見万灯流し
川面照らす慰霊の光 伏見万灯流し
北海道
野外劇に高橋知事出演
特別史跡・五稜郭跡(五稜郭公園)で開かれている市民創作・函館野外劇の第21回公演「星の城、明日に輝け」(NPO法人市民創作「函館野外劇」の会主催)の8日の公演に、高橋はるみ知事がゲスト出演した。箱館戦争の場面で大鳥圭介役を務めた渡島支庁の畑秀叔支庁長とともに舞台に立ち、蝦夷共和国を誕生させた榎本武揚役を演じた。
道知事が野外劇に出演するのは、1993年の第6回公演に出演した横路孝弘元知事(現衆院議員)以来。高橋知事は開演前、キャスト村でキャストやスタッフに対し「きょうは北京オリンピックの開幕と重なったが、観客に喜んでもらえるように一生懸命頑張りましょう」と呼び掛けた。
さらに約1200人の観客を前に、「市民ボランティアで成り立っている国内的にも大規模な市民創作劇で、以前から出演したいと思っていた。活動を通じて、北海道の活性化につなげてほしい」とあいさつした。
劇では刀を携えた軍服に帽子姿で登場。土方歳三が最後の決戦に向かうシーンでは、新政府軍に撃たれ絶命した土方に駆け寄り、フランス軍砲兵少尉ブリュネとの別れでは、ブリュネと握手を交わし、敬礼で見送った。
終演後、高橋知事は「とても緊張しましたが、スポットライトを浴びるシーンでは感動しました」と話していた。
東京
シーボルト次男の子孫が没後100年展
幕末の日本に影響を与えたドイツ人医師フィリップ・シーボルトの次男で、日本考古学の先駆者として近年注目されるハインリッヒ・シーボルトを顕彰する企画展が、没後百年の命日に当たる十一日に限り東京都文京区の文京シビックセンターで開かれる。
企画したのはハインリッヒの子孫の会社経営関口忠志さん(66)=新宿区。「多くの人にハインリッヒを知ってもらうきっかけになれば」と話している。
ハインリッヒはドイツに生まれ、一八六九(明治二)年に来日した。外交官として活躍する一方、父の日本研究を継承し考古学や民俗学の分野で才能を発揮。モースが発見した大森貝塚についてハインリッヒが先行調査したとの説もある。
関口さんは日本で家庭を持ったハインリッヒのひ孫に当たり、シーボルト父子の研究や資料収集を積み重ねてきた。「モースとハインリッヒが競争したことで日本の考古学が進歩した面もある」と関口さん。企画展は、ハインリッヒが生涯をかけた日欧友好に役立てようと発案した。展示は十一日午前十一時-午後五時。入場無料。
富山
金沢の技術吸収し発展 高岡学で銅器講演
富山新聞文化センター高岡スタジオの開設を記念した特別講座「高岡学・第二期」の第二回は九日、高岡市の富山新聞高岡会館で開かれた。市文化財審議委員の定塚武敏氏が「高岡銅器は金沢の加賀象眼の技術を吸収したことで、海外で評価されるレベルに高まった」とし、高岡と金沢の職人の交流が発展の基礎になったと説いた。
定塚氏は、明治維新後、職を失った旧加賀藩の細工師を高岡の商人が抱え、技術を伝えたことで、高度な彫金技術を加えた高岡銅器が誕生したと説明。明治初期に海外の万国博覧会で入賞を果たしたことを取り上げ、「短期間で技術をマスターしたことは高岡の職人の技術と熱意の高さを示す」とした。
定塚氏は問屋制家内工業の確立など、時代を先取りした生産販売体制を取ることで日本一の銅器産地になったとし、「現在も厳しい時代だが、復活に向けて模索が続いている」とエールを送った。
次回は二十三日で、高岡読書史談会の藤澤正美会長が「服部嘉十郎と古城公園」と題して講演する。問い合わせは富山新聞文化センター高岡スタジオ=電話0766(26)7000=まで。
岐阜
中津川宿の間家で発見 平田篤胤の「鬼神新論」印刷本初版
平田国学の祖、平田篤胤(あつたね)が著した「鬼神新論」の印刷本の1冊が、中山道中津川宿(中津川市)の間(はざま)家から見つかった。人名部分が黒く塗りつぶされ、3冊しかないといわれる“初版”の1冊。江戸幕府に攘夷(じょうい)をさせようと挙兵した水戸浪士天狗(てんぐ)党との密接なかかわりを示す史料として注目される。
中山道歴史資料館(同市本町)によると、この3冊は1865(慶応元)年に製本される過程で誕生し、販売されなかった。
その前年、天狗党は幕府方に敗れ、京都に向かう途中の11月、中津川宿で昼食をとる。本陣の市岡殷政(しげまさ)は、隊長の一人から「(古代の天皇の権威のもとに人心の統一を図るとする)平田国学のために使って」と20両を託され、総帥の平田銕胤(かねたね)のもとに金額を足して送った。
銕胤から中津川宿の市岡や間秀矩(ひでのり)に届いた書状も複数残っており、そこに、鬼神新論の版を彫ることに金を使い、まず3部刷ったこと、あとがきの「美濃国人市岡殷政」の部分は、危害が及ばないよう黒く塗りつぶしたことなどが記されている。
印刷本は、市岡が名を出してよいとしたため、黒塗りせずに販売され、10年で3250部売れたという。
資料館の仁科吉介主任指導員は「国学を学んで日本がどうあるべきかを共に考えた市岡、間らと天狗党との密接な関係が分かる」と話している。
この本と書状の一部は、特別企画展「明治維新と中津川の人たち-島崎藤村『夜明け前』の世界」で展示している。10月19日まで。
京都
川面照らす慰霊の光
伏見万灯流し
川面照らす慰霊の光 伏見万灯流し
幕末の「鳥羽伏見の戦い」の戦没者を供養し、無病息災などを願う「伏見万灯流し」が9日、京都市伏見区の寺田屋浜と大手橋東詰周辺で行われた。万灯を流された宇治川派流は、幻想的な明かりに包まれた。
伏見観光協会などが、地元の歴史を伝えるとともに地域活性化につなげるため、5年前から取り組んでいる。毎年約1200個の万灯を流しており、伏見の夏の風物詩として定着しているという。
先祖を供養する鉦(かね)の音が鳴り響く中、万灯は流された。地元住民や観光客らは、時折吹く風に揺られながら赤や緑の明かりで川面を照らす万灯を見送っていた。
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