新選組・土方歳三を中心に取り上げるブログ。2004年大河ドラマ『新選組!』・2006正月時代劇『新選組!! 土方歳三最期の一日』……脚本家・制作演出スタッフ・俳優陣の愛がこもった作品を今でも愛し続けています。幕末関係のニュースと歴史紀行(土方さんに加えて第36代江川太郎左衛門英龍、またの名を坦庵公も好き)、たまにグルメねた。今いちばん好きな言葉は「碧血丹心」です。
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昨日は北京五輪の開会式をテレビで見ていましたが、途中で眠くなって潰れました^_^;。
北海道
明治の北海道開拓史1冊に…屯田兵制度研究会・若林代表
茨城
「桜田門外ノ変」映画化へ 水戸に支援の会
「桜田門外ノ変」映画化へ 水戸に支援の会
散歩道:映画「桜田門外ノ変」支援図る--水戸 /茨城
散歩道:映画「桜田門外ノ変」支援図る--水戸 /茨城
東京
谷中の全生庵で「圓朝まつり」-落語芸人が集合、屋台の出店も
長野
用水路か 石遺構発見 諏訪・高島城 柳口役所跡
北海道
明治の北海道開拓史1冊に…屯田兵制度研究会・若林代表
北海道屯田兵制度研究会代表で元読売新聞記者の若林滋さん(74)が、「新たなる北へ 会津屯田兵の物語」(中西出版)を上梓(じょうし)した。屯田兵に応募した旧会津藩士・三沢毅(つよし)の生き方を通じて、明治期の北海道開拓の歴史を描いている。幅広い史料に基づいた労作だ。若林さんに今回の作品への思いを聞いた。(聞き手 飯田政之)
――屯田兵に関する著作は「北の礎」(2005年)から数えて4冊目。なぜ屯田兵にこだわりを。
私の曽祖父は会津の出身で、明治39年に上川地方の剣淵町に入植、その後、士別に移りました。父から何度か聞いた入植時のことを書かねばならないとの気持ちがまずあった。それに当時、剣淵、士別には現役を退いた屯田兵がいたんです。たたずまいがきちんとして教養があり、武士道精神を持っていた。屯田兵には賊軍の旧会津藩士ら東北諸藩の士族が多かったのですが、彼らの薩長藩閥に対する怨念(おんねん)を書き記しておかなければならないと思いました。
――最初の屯田兵は1875年(明治8年)、札幌近郊の琴似村に入植します。主人公の三沢はその一人ですね。
三沢は実在した人物です。彼の日誌など貴重な資料の閲覧を許されたからこそ、まとめることができました。物語は、史実に則していますが、事実と事実のすきまを埋めるために、自分なりの推理や解釈をしています。
――「西南の役」にも北海道の屯田兵たちがずいぶん駆り出されたのですね。
8人戦死しています。北海道で最初に靖国神社にまつられたのではないかな。ただ、北海道から赴く必要はなかった。黒田清隆(開拓長官)が政府に対する“点数かせぎ”で、屯田兵を送ったのだと思います。旧会津藩士ら下士官にとっては戊辰戦争の敵討ちという気持ちもあるが、薩摩出身の将校たちは西郷隆盛を相手に気合が入らない。屯田兵は釈然としない思いだったでしょう。
――三沢とともに、黒田清隆や中央政界にも筆が及んでいます。
負け組代表が三沢で、勝ち組代表が黒田。北海道の行政組織がどう形成されたかを理解するには、当時の政府の政治的思惑、動きについても描く必要がありました。
――次の著作は?
屯田兵のいた地域のうち約30か所歩きましたが、「開拓をしたのは女なんだ」という声をよく聞きました。屯田の女たちを描きたいと思っています。
茨城
「桜田門外ノ変」映画化へ 水戸に支援の会
「桜田門外ノ変」映画化へ 水戸に支援の会
水戸藩が開藩して来年、400周年を迎えるのを記念した「『桜田門外ノ変』映画化支援の会」の設立総会が7日、水戸市三の丸の県立図書館で開かれた。茨城活性化のための地域発案型映画。国の「地方の元気再生事業」にも採択され、事業費2400万円が援助されることになった。(杉山広)
水戸藩士・関鉄之助を通して幕末のひとコマを浮き彫りにした吉村昭の小説「桜田門外ノ変」を原作に、「大型エンターテインメント時代劇となる映画を起爆剤として、地域振興を図る」のが趣旨。
散歩道:映画「桜田門外ノ変」支援図る--水戸 /茨城
散歩道:映画「桜田門外ノ変」支援図る--水戸 /茨城
小説「桜田門外ノ変」(吉村昭氏作)の映画化支援の会の設立総会が7日、水戸市であり、狩野安元参院議員を会長に選んだ。
小説は幕末、大老・井伊直弼(なおすけ)を暗殺した水戸藩士らの姿を追っている。来年の水戸藩開藩400年を記念してオール県内ロケでの映画化構想が進み、09年春ごろのクランクイン、10年正月過ぎの全国公開を目指している。
総会では、支援の会がシンポジウムなど約80のイベントを開いたり、ロケ支援に取り組むなどの事業計画が承認された。狩野会長は「地域の誇りを持つことが大切。映画を通じて、水戸、茨城の地域の発展につながれば」とあいさつした。
東京
谷中の全生庵で「圓朝まつり」-落語芸人が集合、屋台の出店も
谷中・三崎坂沿いにたたずむ全生庵(台東区谷中5)で8月10日、幕末から明治にかけて活躍し、江戸落語中興の祖を築いたとされる落語家・三遊亭圓朝(さんゆうていえんちょう)の命日にちなんだイベント「圓朝まつり」が開催される。落語協会が主催する。
同イベントは、2001年まで同庵で行われていた「圓朝忌」が元となっている。圓朝忌は、落語協会と落語芸術協会に属する芸人らの手によって開かれ、代表者が奉納を目的として落語を披露するなど「法事」の要素が濃いものとして開かれていたため、一般には公開されていなかった。
来場者と芸人が直に触れ合う「圓朝まつり」として生まれ変わったのは2002年のこと。若手理事が中心となり「ファン感謝祭」として再興、足を運ぶ人々が楽しめるような企画を数多く提案し、毎年まつりを盛り上げてきた。現在は同地域の風物詩として定着、2005年には約1万人の落語ファンを集めるイベントに成長した。
長野
用水路か 石遺構発見 諏訪・高島城 柳口役所跡
【長野県】江戸時代に諏訪・高島城の入り口にあった「柳口役所」跡から、用水路だったとみられる石を並べた遺構が見つかり、諏訪市教育委員会は「役所に関連した建物遺構もある可能性が高い」として、発掘調査を決めた。高島城の城下町は市街化が進み、過去ほとんど発掘されておらず、調査結果が期待される。
諏訪市諏訪1の通称サンロード街路事業に伴う土地区画整理事業地内。遺構は市教委の6月の試掘調査で出土した。石を並べた石列遺構で、地表から約60センチの深さに石の平らな面が規則正しく並べられていた。幕末から明治初期とみられる。
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