新選組・土方歳三を中心に取り上げるブログ。2004年大河ドラマ『新選組!』・2006正月時代劇『新選組!! 土方歳三最期の一日』……脚本家・制作演出スタッフ・俳優陣の愛がこもった作品を今でも愛し続けています。幕末関係のニュースと歴史紀行(土方さんに加えて第36代江川太郎左衛門英龍、またの名を坦庵公も好き)、たまにグルメねた。今いちばん好きな言葉は「碧血丹心」です。
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有休を3日連続で取ってましたが、今日で最終日です。
東京
<見田盛夫>第2回 かんだやぶそば
福井
戦没者名簿を足羽山招魂社が公開へ 27日、本殿前に8092柱
石川
「梅田日記」映像で紹介 北陸銀 金沢資料館、北陸先端大と連携
愛媛
第19回わらじで歩こう坂本龍馬脱藩の道
福岡
朝青龍の土俵入りあるかなぁ 12月3日に「柳川場所」 柳川商議所 27日からチケット販売
沖縄
琉大図書館、ベッテルハイム日記修復 DVDで公開可能
東京
<見田盛夫>第2回 かんだやぶそば
日本のフランス料理店ガイドの定番とされる『エピキュリアン』の著者、見田盛夫さんはそば好きとしても知られている。『東京五つ星の蕎麦』(東京書籍刊)は、東京のそば店はもちろん、巻末には全国の蕎麦の名店と寸評も掲載した、見田さんのそばへの情熱がうかがえる本だ。東京のおすすめの蕎麦店から5軒を紹介してもらった。
(中略)
創業は1880年(明治13年)、通称「やぶそば」と呼ばれた幕末からあるそば屋「団子坂蔦屋」の支店を初代堀田七兵衛が買い取って始めたそうです。風情のあるこの建物は東京都の歴史的建物にも指定されています。
福井
戦没者名簿を足羽山招魂社が公開へ 27日、本殿前に8092柱
福井市出身の戦没者の霊をまつる市内の神社「足羽山招魂社」は八千九十二柱の戦没者名簿の公開に向けて準備を進めている。名簿は二十七日に本殿前に掲げる予定。「戦争の苦しみを忘れないように」との願いを込め、戦後六十二年目の夏に初めて表に出す。
(中略)
祭祀名簿の公開は、四年前に事務局長に就いた元市職員の川中洋治さん(65)が決断した。川中さんは神社内にバラバラに保管されていた祭祀名簿を二年間かけて整理。旧字を解読するため図書館にも通った。幕末の禁門の変(一八六四年)で倒れた福井藩士を筆頭に、第二次大戦までに没した市内出身者らの名前を紙に書き出した。福井市に合併した清水、美山、越廼の旧三町村分も今後加える。
石川
「梅田日記」映像で紹介 北陸銀 金沢資料館、北陸先端大と連携
北陸銀行は、北陸先端科技大学院大と連携し、二十四日に金沢支店でオープンする「金沢金融歴史資料館」に、江戸後期に金沢で暮らした町人の日記「梅田日記」を映像で紹介するコーナーを設ける。日記には、百四十年前の庶民の生活が描かれ、地名や名物も数多く登場することから、同行は「金沢の観光振興に役立てたい」としている。
(中略)
「梅田日記」は、江戸後期の金沢町人、梅田甚三久が書き記したもので、一九七〇(昭和四十五)年、当時金大教授だった若林喜三郎氏が「梅田日記―幕末金沢町民生活風物誌 ―」(北国出版社刊行)として翻刻、編集した。
甚三久は当時の金沢町浅野川岸に妻と暮らし、一八六四(元治元)年から三年間の日記を残した。記述からは、東山で芸者遊びをした翌日、二日酔いで仕事を休んだり、那谷寺詣での帰りに松任で名物のあんころを買い求めるなど生き生きとした暮らしぶりがうかがえる。
愛媛
第19回わらじで歩こう坂本龍馬脱藩の道
龍馬の足取りをたどり歴史の浪漫を追体験するAコースは「脱藩の道オンリーコース」(約15km)。出発地点のふるさと公園から榎ヶ峠までバス移動し、封事ヶ峠・三杯谷を経て泉ヶ峠に至る、という実際に龍馬がたどった道を歩く。Bコースは「浪漫八橋と脱藩の道コース」(約17km)。『美しい日本の歴史風土準百選』に選ばれた「浪漫八橋」を巡り、脱藩の道に合流する。
福岡
朝青龍の土俵入りあるかなぁ 12月3日に「柳川場所」 柳川商議所 27日からチケット販売
九州場所を終えた力士たちが柳川にやってくる。12月3日に柳川市民体育館で開かれる大相撲の冬巡業「柳川場所」(柳川商工会議所主催)のチケットが、今月27日から発売される。
同商議所の創立60周年記念事業の一環。同市は、幕末の第10代横綱「雲龍」の出身地で、昔から相撲が盛んな土地柄。最近では、同市出身の琴奨菊関が幕内上位で活躍している。
沖縄
琉大図書館、ベッテルハイム日記修復 DVDで公開可能
琉球大学付属図書館は13日、日本に初めて布教で訪れ、幕末期那覇で伝導したプロテスタント宣教師、ベッテルハイムの琉球滞在手稿日記を修復したことを発表した。
同館にはベッテルハイムの手稿日記の原史料が5冊、そのうち3冊は同館のみの所蔵だが、劣化、酸性化が著しく保存も危ぶまれる状態だった。文部科学省からの2006年度予算交付により原史料の修復、レプリカ(複製)と正像製本、DVDを作成し、一般への公開、閲覧を可能にした。
ベッテルハイムは1846年から54年までの8年間、那覇波之上の護国寺に滞在し、その間に琉球について膨大な手稿日記、手稿公文書簡などを残している。
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さて、ここのところ我が家では「お片付け」がブーム(汗)
そのような、中で、あるパンフレット発見。
2004年発行の「新文書」です(笑)
じもてぃが知らない、我が町のことが載ってました♪
新発見1:伊藤博文の別荘はなかった(爆)
井上馨の別邸近くに、地元の大地主の家を借り ていただけでした(笑)
しかし、ここで「閣議」が開かれているとのこ と。ただの「ダベリ会」だろっ!(苦笑)
新発見2:明治憲法草案の地の碑が建立されてい た(笑)へそで茶を沸かしますよ>地元の古老
新発見3:ヘボン先生の別荘
ヘボン先生の別荘があることは知っていたので
すが、ヘボン先生は、健康の為、海水浴を提唱
ここの海岸が「日本の海水浴発祥の地」の一つ
になっているそうです。
(ケースケ、泳いだかしらん♪)
新発見4:三条実美の別荘
三条実美の別荘がありました。敷地が広大すぎ
て気がつきませんでした(爆)
「富岡海荘」と名前付き(海の家??笑)
> ヘボン先生は、健康の為、海水浴を提唱
ここの海岸が「日本の海水浴発祥の地」の一つ になっているそうです。
「発祥の地」の一つということなので、諸説あると理解していいんでしょうかね。
というのは松本良順先生が海水浴を提唱したと記憶してますので、ヘボン先生とどちらが先かなと思ったもので。
実際の所、こちらでは分かりません(汗)
日本古来から「遠泳」があり、シンクロナイズドスイミングの先を行っていた(笑)「楽水」はありましたが。
「海水浴」となると・・・
一応、諸説あるうちのひとつと思っています。
(新選組ファンとしては、マツジュンに軍配を上げたいところですが)
横浜では、上野彦馬と下岡連杖のどちらが先に写真館を開いていたかでも論議があります(笑)
ユリウス暦がそのまま日本の暦に移せないタイムラグをどう評価するかで、違ってきます。
> 横浜では、上野彦馬と下岡連杖のどちらが先に写真館を開いていたかでも論議があります(笑)
そうかー、横浜ではそれも論議のネタなんですね^_^;。