新選組・土方歳三を中心に取り上げるブログ。2004年大河ドラマ『新選組!』・2006正月時代劇『新選組!! 土方歳三最期の一日』……脚本家・制作演出スタッフ・俳優陣の愛がこもった作品を今でも愛し続けています。幕末関係のニュースと歴史紀行(土方さんに加えて第36代江川太郎左衛門英龍、またの名を坦庵公も好き)、たまにグルメねた。今いちばん好きな言葉は「碧血丹心」です。
×
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
北京観光の記事をアップしましたので、続けて18日以降の幕末関係ニュースをご紹介。
秋田
県内の校長300人が意見交換、潟上市で研究大会
「続いて、地域文化研究会AKITA主宰で秋田大名誉教授の佐々木久春さんが『郷土の偉人七十八人―秋田の風土と文化から』と題して講演。幕末に秋田藩が東北地方で唯一官軍についた史実などを挙げ、『秋田の人は、無鉄砲なところもあるが先見の明がある』と述べた」……東軍贔屓の白牡丹(東北戊辰戦争では「東軍」「西軍」、箱館戦争では「新政府軍」「旧幕府(脱走)軍」という表記を好みます)には、史実とはいえ、複雑な気持ちになります。
文化財の旧金子家住宅を復元 秋田
「秋田市大町1丁目の市民俗芸能伝承館の隣接地に、江戸後期から昭和にかけての大店(おおだな)、旧金子家住宅(市指定文化財)が市によって改築・復元された」。
「旧金子家住宅は、いずれも2階建ての店舗兼住宅の母屋1棟と土蔵1棟からなり、延べ床面積は約300平方メートル。2棟は幕末の1850年代に建てられたとみられ、うち母屋は明治中期に火災で焼失し翌年、再建された」……ということで、実際には明治中期の建物ですね。
入館料が2館セットで100円とは(@_@)。
福島
資料展:幕末の外国奉行・小栗上野介の業績や足跡、80点展示−−会津若松 /福島
「幕末の外国奉行で会津にゆかりのある小栗上野介忠順の資料展が、会津若松市の文化センターで21日まで行われている。今年4月に同市が神奈川県横須賀市と姉妹都市を締結したことを受け、横須賀港の発展にかかわった小栗の功績を知ってもらおうと会津歴史研究会が主催している」……なるほど、小栗さんと会津藩の繋がりは横須賀にありましたか。
「戊辰戦争で意見が食い違った徳川慶喜から追放され、群馬県倉渕村に下ったが、官軍に謀略の罪をかぶせられ殺害された。その直前に妻らを以前から交流があった会津に逃れさせた」……妻子は会津に逃れたのですね。会津を舞台にした戊辰戦争と以降はどうなったのでしょうか、勉強不足なもので気に懸かりました。
群馬
養蚕伝える建物守ろう 六合村が条例提案へ
「養蚕農家の建物が残る六合村赤岩地区。伝統ある集落の景観を後々まで守り、観光資源にもつなげようと、村は、文化庁の制度に基づく『伝統的建造物群保存地区』の県内初の選定を目指している」。
「この地区は幕末の蘭学者であり医者でもあった高野長英がかくまわれていた湯本家住宅があり、『長英の隠れ里』ともいわれる」……おぉ、そうだったのですか。
京都
120年前の再建工事、写真を発見・東本願寺の御影堂
「世界最大級の木造建築・御影堂の修復事業が進む真宗大谷派本山の東本願寺(京都市下京区)で18日までに、約120年前の御影堂再建現場を収めた写真原板1枚が見つかった」。
「御影堂は南北76メートル、東西58メートル、高さ38メートルで、宗祖・親鸞の木像『御真影』を安置する。幕末に焼失し1880年から15年かけて再建された」。
東本願寺といえば、西本願寺に対抗して幕府側についた教如上人が……(以下略^_^;)。
長崎
政商グラバーの息子 魚市通い図鑑制作没頭
「幕末から明治初期にかけて長崎で活躍した政商トーマス・B・グラバーの息子、倉場富三郎(1870〜1945)が画家に写生させた絵画を集めた『グラバー魚譜200選』=写真=を、長崎文献社(長崎市)が出版した。マダイやイセエビ、カブトガニと、明治末から昭和初期にかけて長崎で水揚げされた魚を網羅している」。
「倉場富三郎」という日本語名から推測すると三男でしょうか。イラストの鮮やかさが印象的です(美味しそう……^_^;)。
秋田
県内の校長300人が意見交換、潟上市で研究大会
「続いて、地域文化研究会AKITA主宰で秋田大名誉教授の佐々木久春さんが『郷土の偉人七十八人―秋田の風土と文化から』と題して講演。幕末に秋田藩が東北地方で唯一官軍についた史実などを挙げ、『秋田の人は、無鉄砲なところもあるが先見の明がある』と述べた」……東軍贔屓の白牡丹(東北戊辰戦争では「東軍」「西軍」、箱館戦争では「新政府軍」「旧幕府(脱走)軍」という表記を好みます)には、史実とはいえ、複雑な気持ちになります。
文化財の旧金子家住宅を復元 秋田
「秋田市大町1丁目の市民俗芸能伝承館の隣接地に、江戸後期から昭和にかけての大店(おおだな)、旧金子家住宅(市指定文化財)が市によって改築・復元された」。
「旧金子家住宅は、いずれも2階建ての店舗兼住宅の母屋1棟と土蔵1棟からなり、延べ床面積は約300平方メートル。2棟は幕末の1850年代に建てられたとみられ、うち母屋は明治中期に火災で焼失し翌年、再建された」……ということで、実際には明治中期の建物ですね。
入館料が2館セットで100円とは(@_@)。
福島
資料展:幕末の外国奉行・小栗上野介の業績や足跡、80点展示−−会津若松 /福島
「幕末の外国奉行で会津にゆかりのある小栗上野介忠順の資料展が、会津若松市の文化センターで21日まで行われている。今年4月に同市が神奈川県横須賀市と姉妹都市を締結したことを受け、横須賀港の発展にかかわった小栗の功績を知ってもらおうと会津歴史研究会が主催している」……なるほど、小栗さんと会津藩の繋がりは横須賀にありましたか。
「戊辰戦争で意見が食い違った徳川慶喜から追放され、群馬県倉渕村に下ったが、官軍に謀略の罪をかぶせられ殺害された。その直前に妻らを以前から交流があった会津に逃れさせた」……妻子は会津に逃れたのですね。会津を舞台にした戊辰戦争と以降はどうなったのでしょうか、勉強不足なもので気に懸かりました。
群馬
養蚕伝える建物守ろう 六合村が条例提案へ
「養蚕農家の建物が残る六合村赤岩地区。伝統ある集落の景観を後々まで守り、観光資源にもつなげようと、村は、文化庁の制度に基づく『伝統的建造物群保存地区』の県内初の選定を目指している」。
「この地区は幕末の蘭学者であり医者でもあった高野長英がかくまわれていた湯本家住宅があり、『長英の隠れ里』ともいわれる」……おぉ、そうだったのですか。
京都
120年前の再建工事、写真を発見・東本願寺の御影堂
「世界最大級の木造建築・御影堂の修復事業が進む真宗大谷派本山の東本願寺(京都市下京区)で18日までに、約120年前の御影堂再建現場を収めた写真原板1枚が見つかった」。
「御影堂は南北76メートル、東西58メートル、高さ38メートルで、宗祖・親鸞の木像『御真影』を安置する。幕末に焼失し1880年から15年かけて再建された」。
東本願寺といえば、西本願寺に対抗して幕府側についた教如上人が……(以下略^_^;)。
長崎
政商グラバーの息子 魚市通い図鑑制作没頭
「幕末から明治初期にかけて長崎で活躍した政商トーマス・B・グラバーの息子、倉場富三郎(1870〜1945)が画家に写生させた絵画を集めた『グラバー魚譜200選』=写真=を、長崎文献社(長崎市)が出版した。マダイやイセエビ、カブトガニと、明治末から昭和初期にかけて長崎で水揚げされた魚を網羅している」。
「倉場富三郎」という日本語名から推測すると三男でしょうか。イラストの鮮やかさが印象的です(美味しそう……^_^;)。
PR
この記事にコメントする
この記事へのトラックバック
トラックバックURL:
カレンダー
10 | 2024/11 | 12 |
S | M | T | W | T | F | S |
---|---|---|---|---|---|---|
1 | 2 | |||||
3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 |
10 | 11 | 12 | 13 | 14 | 15 | 16 |
17 | 18 | 19 | 20 | 21 | 22 | 23 |
24 | 25 | 26 | 27 | 28 | 29 | 30 |
カテゴリー
最新記事
(08/11)
(05/19)
(05/15)
(02/12)
(08/11)
最新コメント
[11/25 ร้านดอกไม้ราคาถูก]
[11/24 ร้านดอกไม้ใกล้ห้าง]
[11/24 ดอกไม้ไว้อาลัย สีดำ]
[11/24 จัดดอกไม้งานขาว ดํา ราคา]
[11/23 ช่อดอกไม้งานศพ]
[11/22 iqos มีกี่รุ่น]
[12/14 白牡丹(管理人)]
[12/14 ゆーじあむ]
[11/08 白牡丹(管理人)]
[11/07 れい]
最新TB
ブログ内検索
アーカイブ
最古記事
カウンター
プロフィール
HN:
白牡丹
性別:
非公開
自己紹介:
幕末、特に新選組や旧幕府関係者の歴史を追っかけています。連絡先はmariachi*dream.com(*印を@に置き換えてください)にて。
リンク
アクセス解析
Livedoor BlogRoll
本棚