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新選組・土方歳三を中心に取り上げるブログ。2004年大河ドラマ『新選組!』・2006正月時代劇『新選組!! 土方歳三最期の一日』……脚本家・制作演出スタッフ・俳優陣の愛がこもった作品を今でも愛し続けています。幕末関係のニュースと歴史紀行(土方さんに加えて第36代江川太郎左衛門英龍、またの名を坦庵公も好き)、たまにグルメねた。今いちばん好きな言葉は「碧血丹心」です。
 かなり暑かったですが、この暑さも来週月曜日までのようですね。

東京
『龍馬』を世界に発信 ミュージカルオペラ下町でも
 幕末の志士、坂本龍馬を題材にしたミュージカルオペラ「龍馬」が今秋、全国を巡回する。十一月の東京公演では龍馬が師と仰いだ幕臣、勝海舟の生誕地・墨田区の住民らが協力。二〇一一年にはパリやニューヨークの舞台も予定している。

 舞台は高知県在住のオペラ歌手、岡本光正さんが企画。「社会が混迷する今こそ龍馬のスケールの大きさや輝きが求められる」と県内外に呼び掛け、二年前に実行委員会を発足した。ジェームス三木さんが脚本、俳優の江守徹さんが演出を担当する。十月二十四日に龍馬の出身地、高知県で初演。東京公演は十一月十七~二十三日、台東区の浅草公会堂で行われる。

 先月、浅草であった出演者らの顔合わせには「勝海舟を顕彰する会」代表世話人で墨田区在住の広田健史さんが参加した。同区役所前にある勝海舟像の建立に尽力した一人。来月には像の前で出演者らと成功祈願を行う。

 会場のある浅草の老舗そば屋のおかみで、「全国おかみさん会」理事長の冨永照子さんも実行委の一人。「東京の下町っ子と土佐のいごっそうはきっぷが似ている」と共感、東京でのけいこ場や宿泊先の準備など出演者らの受け入れ態勢を整える。

 勝海舟役は、歌手の野口五郎さん。「共演者らのチームワークに最高の歌と芝居と踊りで、下町の英雄を演じたい」と語った。龍馬役はオペラ歌手の平良交一さんが務める。

 東京公演の問い合わせは、スガジャズダンススタジオ内の龍馬東京オフィス=電03(5284)8440=へ。

 野口五郎が勝海舟役……『レミゼラブル』のマリウスとか演じられていた方が勝海舟とはなぁ。歳月の流れを感じます。

大阪
ちょんまげ道中 一覧
大坂に蘭学の適塾 学生も必死に勉強

 緒方洪庵は1838年(天保9年)、当時の大坂に適塾を開く。大坂は前年、大塩平八郎の乱が起きたばかりだったが、自由を謳歌する気風があった。

 北浜に当時の適塾が保存されていて、見学ができる。町屋造り1階の前方が教室、後方が居室。中庭に面した洪庵の書斎は涼しげで愛用の机も残っている。2階は塾生が寝泊まりする大部屋だ。塾生の生活は厳しく、定期的に蘭学のテストがあり、その成績で部屋の居場所が決まっていた。広さはひとり畳1畳のみ!

 奥には通称「ヅーフ部屋」があり、たった1冊しかなかった蘭語のヅーフ辞書を、塾生が奪い合うように学問をしたという。大名家から依頼されて、この貴重な辞書を1枚18文で書き写すのが、苦学生のいいアルバイトになったとか。大部屋の中央の柱には、エネルギーが有り余った塾生がつけた刀傷が残っていた。

 しかし、経営は大変。塾生の食事は毎月1と6の日はねぎとサツマイモ、5と10の日は豆腐汁などと決まっていたが、若者たちは魚屋で売れ残った雑魚をさばいて食べたりしたらしい。そんな彼らを見守ったのは、洪庵の妻、八重さん。塾生だった福沢諭吉も八重を大坂の母と慕ったそうだ。努力家の洪庵先生と必死に勉学する塾生たち。なんだかいい光景だ。(ペリー荻野 コラムニスト)
(2009年8月19日 読売新聞)

 あの2階部屋は迫力ありました。ここで増田蔵六(大村益次郎)がトップ塾生をキープしたんたなぁとか、大鳥圭介が芝居役者の声音をまねて同窓の友人を朝起こしたんだよなとか(マニアックでしょうか・笑)、刀傷をつけたのは一体誰だったんだろうとか考えたり(西本願寺に新選組が駐屯した時のお堂を移築した)亀山本徳寺の刀傷を連想しながら思ったり。

岡山
洪庵の医師の道 後押しした故郷
 緒方洪庵の足跡を訪ねて、岡山市足守へ。日本書紀にも名前がある古い里で、1810年(文化7年)備中足守藩士の子として生まれた洪庵は、数え16歳で父に従って当時の大坂に出るまで、この故郷で大きくなった。

 現在、江戸時代の武家屋敷や商家が保存・再建され、歴史散歩ができる。私たちはレンタサイクルで町並みを見物しながら、洪庵生誕の地を目指した。

 暑い暑い。が、ありがたいことに緑は豊かで木陰は涼しくてほっとする。「水辺にホタルが舞うのが名物だよ」と、自転車屋さんが教えてくれた。

 生誕の地には洪庵の業績を称えた大きな石碑と銅像が。顔は目が大きく好奇心旺盛といった印象だ。洪庵は足守に戻ったものの「体が弱くて武士には向かないので医学を志す」と置き手紙をして再び大坂へ。後に見込まれて江戸、長崎で学び、大坂に適塾を開く。そこでは福沢諭吉はじめ多くの才人を育て、種痘を広めて人々を救った。

 父は武士を捨てた息子を初めは嘆いたようだが、洪庵が大坂で塾を開き、種痘を広めることができたのは父の人脈もあったからとも言われる。種痘を早くから応援してくれたのも足守藩だった。洪庵は故郷のありがたさをかみしめたに違いない。(ペリー荻野 コラムニスト)

(2009年8月12日 読売新聞)


鳥取
中ノ御門の礎石出土 鳥取城跡 22日現地説明会
 鳥取城の正面玄関である大手登城路にあった中ノ御門の礎石2基が19日までに見つかった。幕末期の正門に当たる門で、当時の位置に原形のまま出土。門の構造を知る上で貴重という。
 大手登城路の復元を目指している鳥取市教委が発掘した。
 礎石は同市東町2丁目の鳥取西高通学路横から出土。幅と長さが各1メートルと、80センチ×65センチの2基で、それぞれ中央部に15センチ四方の柱のほぞ穴があった。礎石の上面には、四角い柱の跡が残っていた。
 さらに明治時代に中ノ御門が撤去された後、門の近くにあった石垣を解体して土中に埋め、整地してスロープ状の道にした跡も確認された。道を造るために土地の高低差を少なくしたとみられる。
 同市教委文化財課鳥取城整備推進係の佐々木孝文係長は「江戸時代の絵図や明治時代の写真がある中ノ御門の礎石がそのまま出土しており、門の構造や規模が分かる」と話している。

 現地説明会は22日午後1時から。雨天中止。

 

山口
高杉晋作も駆け抜けた 萩往還の起点「唐樋札場」跡が出土
萩往還の起点「唐樋札場」跡が出土 高杉晋作も駆け抜けた
 江戸時代に山陰の城下町・萩と瀬戸内の港・三田尻を結んだ国史跡の街道「萩往還」の起点とされる高札場「唐樋札場(からひふだば)」の遺構が山口県萩市で見つかった。長州藩主・毛利氏の参勤交代ルートで、吉田松陰や高杉晋作ら幕末の志士も駆け抜けた“歴史街道”の全容を知る貴重な資料になりそうだ。

 萩往還は、萩城(萩市)と、山陽側の港町・三田尻(同県防府市)を結ぶ全長50キロの街道で、江戸初期に毛利氏が参勤交代道として整備。幕末には、安政の大獄で死罪となる吉田松陰が江戸に送られる際に通ったり、高杉晋作や久坂玄瑞ら尊皇倒幕の志士たちが往来した道として知られる。

 萩市が今年2月から、同市東田町で行った発掘調査で、建物の基礎となる基壇の化粧石や柱穴などがみつかり、現存する絵図から江戸時代の高札場「唐樋札場」の遺構と分かった。

 高札場は、幕府や藩の掟(おきて)を庶民に知らせるため設けられ、罪人のさらし場にも使われた。とくに唐樋札場は、萩往還をはじめ、萩と下関を結ぶ「赤間関街道」などの起点にもなり、交通の要衝としてにぎわった。同市文化財保護課は「陰陽連絡道として、幕末の“星雲の志”を運ぶ重要な役割を果たした街道の起点。国史跡への追加指定を目指したい」と話している。

 22日午後1時半から現地説明会が開かれる。問い合わせは同課((電)0838・25・3654)。


コラム
【幕末から学ぶ現在(いま)】(24)東大教授・山内昌之 中山忠光
かかしと政治家

 静岡7区から無所属で立候補した城内実氏は、選挙ポスターに無断で写真を載せたとしてタレントから抗議を受けた。城内氏といえば、安倍晋三元首相の側近でありながら郵政民営化に反対し、前回選挙で刺客候補を立てられ、惜敗した政治家である。

 その主張への賛否はともかく、城内氏は苦節4年、政治家に必要な率直さと筋を曲げない誠実さで全国レベルでも知られるようになった。それだけに、芸能人頼みのポーズには落胆した人も多いのではないか。城内氏は、自分こそ新世代のスターになれる可能性を過小評価するか、うっかり忘れていたのかもしれない。一般論でいえば、本物のスターは“かかし”の助けなど必要としないのだ。

 たしかに幕末のように、身分制秩序が牢固(ろうこ)として残る時代の変革には、新たな理念を広めるために行動するスターが必要となる。この点では天誅(てんちゅう)組にかつがれた中山忠光ほどピタリと役柄にはまった男も珍しいだろう。

  

気性が荒く、直情径行

 忠光は、後に明治天皇となる皇子を生んだ慶子の父、権大納言の中山忠能の七男として生まれた。未来の天皇とすぐ血のつながる貴種が、天誅組という名を一度聞けば忘れない、過激派組織に担ぎ出されたのだ。ちょうど孝明天皇が大和に行幸(ぎょうこう)し、尊皇攘夷(じょうい)を決行すると聞きつけ、事前に大和五条の代官所を襲って、代官はじめ5人の役人の首を切ったのだから、忠光も相当血気あふれる若者というほかない。

 堺から楠木正成ゆかりの金剛山を越えて大和に入る道中、忠光は薄化粧して鉄奬(かね)、つまりおはぐろを付けて緋縅(ひおどし)の鎧(よろい)を着ていたので、村人らに旅役者の一座と間違えられたという笑えない話も残っている。

 この役者もどきの貴族はいたって気性が荒く、直情径行でもあった。八月十八日の政変で、長州藩と三条実美(さねとみ)ら尊皇攘夷派の公卿が京を追われると、大和を天皇親政の拠点にするもくろみは一夜にして崩れ去った。

  

徹底抗戦の末、非業の死

 それでもあきらめず、山中で徹底抗戦を続ける。やはり忠光は内裏(だいり)びなのようなお飾りだけのスターではなかった。鎮圧軍に包囲されても屈しなかった忠光は、各藩の兵士と戦い、追及をかわしながら長州へ逃げのびたのだから敢闘精神も見事である。

しかし、その地で徳川幕府への恭順を説いた俗論党などの魔手に襲われ、死を遂げたのは痛ましい。公家には珍しく卑怯(ひきょう)でなかったあたりも、並の大名より優れており、臆病(おくびょう)の貴種・徳川慶喜よりもはるかに侍らしい気概さえ感じるから歴史は単純でない。

  

指導者の運に見放され

 忠光は20歳で非業の死を遂げるまで、明治維新の指導者となる運に見放されながらも、健気(けなげ)に政治信念に殉じた若者にほかならない。もし彼が生きながらえ明治の政治家になっていたなら、甥(おい)の明治天皇と組んで、いかなる新政治を展開したのだろうか、想像するだけでも興味が尽きない。

 相撲など武張ったものが好きな天皇と、公家離れした激しさを秘めた忠光では相当に気が合ったかもしれない。そうした“歴史のイフ”も考えながら、忠光の残した名歌を読むと、つい政治家の資質についても考えたくなる。

 〈思ひきや 野田の案山子(かかし)の梓弓(あずさゆみ) 引きも放たで 朽ちはつるとは〉

 弓を抱き、月日とともに朽ち果てるとは思いもよらなかった、とは華やかなスターになりながら、指導者として成長せずに世を去る無念を告白するかのようだ。かかしには、地位や外見ばかりで相応の能力がない者の意味もある。

 平和な時代に政治を志す人びとには、かかしの弓のようにうわべで鳥を追い払うだけの政治屋にはならないでほしいものだ。(やまうち まさゆき)

                   ◇

【プロフィル】中山忠光

 なかやま・ただみつ 弘化2(1845)年生まれ。幕末の公家。父、忠能(ただやす)のもとに出入りする志士らと交友を結び、次第に尊皇攘夷(じょうい)派公家として頭角を現す。文久3(1863)年に19歳の若さで朝廷の国事寄人(よりうど)に任じられるが、ひそかに長州入りして官位を返上、下関の外国船砲撃に参加した。京都に戻った後は吉村虎太郎らと天誅組を組織し、孝明天皇の大和行幸をめぐって大和で挙兵、五条の代官所を襲った。八月十八日の政変後、幕府の討伐を受けて長州に逃れるが、元治元(1864)年11月、下関で刺客に暗殺された。享年20。

 「臆病(おくびょう)の貴種・徳川慶喜よりもはるかに侍らしい気概」というところに複雑な気持ちを感じました……^_^;。

【次代への名言】8月19日・『鼠小僧』河竹黙阿弥
盗みはすれど仁義を守り、富めるを貪(むさ)ぼり貧しきを救ふは天の道なり」(『鼠小僧(ねずみこぞう)』 河竹黙阿弥(かわたけもくあみ))


 ときは天保3(1832)年のきょう(旧暦)、お江戸を揺るがせた怪(快)盗、鼠小僧次郎吉が市中引き回しのうえ、処刑され、獄門にかけられた。

 さまざな資料を駆使した、子母沢寛(しもざわ・かん)の『鼠小僧次郎吉異聞』によると、実際の次郎吉はあまり見栄えのしない小男。なぜ町家ではなく、大名屋敷ばかり狙ったのかについては「表玄関は蟻の入るすきもない厳重さですが、裏や庭口からならこれほど入りやすいものはありません」。また、盗んだお金は貧民に-ではなく、ばくちですったのだ、という。

 それがなぜ、義賊なのか。

 後世からみれば幕末は近いが、まだ武家政権の崩壊など夢にも思えないころだ。本当のところはどうあれ、庶民は権力者を狙いうちにする次郎吉に痛快と反骨を感じ、半世紀前の怪盗、稲葉小僧(いなばこぞう)の伝説(黙阿弥の『鼠小僧』の主人公は「稲葉幸蔵(いなばこうぞう)」である)とあいまって彼は講談や歌舞伎の英雄となったのだろう。

 現代に生きる「鼠小僧」としては芥川龍之介の短編『鼠小僧次郎吉』や野田秀樹さんの『野田版・鼠小僧』がある。でも、からまった悪因果がほぐれた終幕、名判官が鼠小僧(幸蔵)をだまって見逃す「黙阿弥版」は、やっぱりいいなあ。






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