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新選組・土方歳三を中心に取り上げるブログ。2004年大河ドラマ『新選組!』・2006正月時代劇『新選組!! 土方歳三最期の一日』……脚本家・制作演出スタッフ・俳優陣の愛がこもった作品を今でも愛し続けています。幕末関係のニュースと歴史紀行(土方さんに加えて第36代江川太郎左衛門英龍、またの名を坦庵公も好き)、たまにグルメねた。今いちばん好きな言葉は「碧血丹心」です。
 よい天気になったので、早速洗濯しています。

京都
学生ら防犯訴え
京の繁華街をパレード

学生ら防犯訴え 京の繁華街をパレード
 京都学生祭典実行委員会は6日、学生による地域の防犯活動の一環として、新撰組をイメージした法被を着て、京都市役所(京都市中京区)からパレードした。

 祭典「グランドファイナル」(10月11日)で島田紳助さんが企画した「平成の新撰組」のステージが企画されていることから、五条署、東山署、京都市と共同で行った。

 「新撰組のように若い人たちが活躍してほしい」と門川大作京都市長らから激励を受けて出発。創作踊り「京炎そでふれ」の音楽に合わせ祇園甲部歌舞練場(東山区)まで行進、舞妓さんから拍手を受けた。


高知
土佐・龍馬であい博:巡回講座でイベントPR--29日から /高知
土佐・龍馬であい博:巡回講座でイベントPR--29日から /高知
◇幕末の高知で活躍した人物など紹介
 来年1月から開催される観光イベント「土佐・龍馬であい博」の機運を盛り上げようと、県内の博物館学芸員らによる巡回講座「幕末ゆめ道場・幕末維新の土佐」が今月末から開かれる。坂本龍馬を中心に幕末の高知で活躍した人物などを紹介。来年3月までに33講座を用意している。

 主催は、県内の博物館や文化施設など約50施設でつくる「こうちミュージアムネットワーク」。歴史系の博物館8館を中心に実行委員会をつくり、企画を練っていた。

 29日から始まる巡回講座では、龍馬の人物像やゆかりの史跡などを紹介。さらに三菱財閥の基礎を築いた岩崎弥太郎や、万葉集を研究した国学者・鹿持雅澄(かもちまさずみ)など、幕末の高知で活躍した人物の講座もある。北川村から宿毛市の県内全域の11会場であり、各会場で3テーマを用意し、学芸員が講演する。

 加えて、同ネット加盟の12館では子ども向けの出前講座も準備。各館が板垣退助や龍馬を扱った漫画などをテーマに講座を開く。

 また実行委では、11月に幕末から明治維新の高知を知る冊子を作製する予定。観光客らの史跡探訪などに活用してもらいたい考えだ。

 同ネットの会長で、県立歴史民俗資料館の宅間一之館長は「講座などの一連の企画を契機にであい博を盛り上げ、幕末の歴史や人物に関心を持ってもらえたら」と話している。問い合わせは、同ネット事務局(088・866・8013)。【服部陽】


遺品展:下関出身の志士・笹尾卓馬、東行庵で /山口
 幕末の戦いで奇兵隊に従軍した志士、笹尾卓馬の遺品展が下関市吉田の東行庵で開かれている。長州軍1000人で2万人の幕府軍を破った小倉口の戦い(1866年)を中心に、卓馬の功績を顕彰している。

 卓馬は現在の下関市吉田地区で武道場を営む隠居笹尾家の長男として生まれた。幕末には奇兵隊総督、山内梅三郎の家臣団「正名団」の第1班長として従軍。明治政府で工部省営繕課長も務めた。

 遺品は、同市豊田町に住む笹尾家の親族男性がこのほど、東行庵に寄贈。卓馬が小倉口戦争で使ったよろいや大本営旗、鉄扇など約30点を特別展示している。下関にいた幕末の志士を身近に感じることができる。

 遺品展は31日まで無休。入場は午前9~午後4時半で、一般300円▽高校・大学200円▽小・中学生50円。【取違剛】




佐賀
三重津海軍所跡:新たな遺構を発見 金属加工用炉跡など--8日に一般公開 /佐賀
三重津海軍所跡:新たな遺構を発見 金属加工用炉跡など--8日に一般公開 /佐賀
 佐賀藩の三重津海軍所跡(佐賀市川副町、諸富町)の発掘調査をしている市教育委員会は5日、同所のボイラー工場の関連個所を調査したところ、金属加工用の炉跡やかまど跡とみられる遺構が新たに発見されたと発表した。現場は8日、一般公開される。

 海軍所跡は、同市が世界遺産暫定リスト入りを目指す幕末遺産の一つ。海軍所の存在を証明する遺構や遺物を探し当てるため、6月からボイラー工場、船大工小屋、ドックがあったとされる場所を順次調査している。

 ボイラー工場の調査では、01、02年に確認済みの炉跡に加え、新たな炉跡を発見。鉄くずや焼土も出ており、金属鋳造に使われた可能性が高いという。

 また、長さ約4・5メートル、幅65~70センチの溝が3本並んだ遺構も見つかった。かまどの底部とみられ、大量の水の煮沸などに使われた可能性がある。

 これらの遺構は出土した磁器から1820~60年代のものとみられ、海軍所の時期と合致する。

 一般公開は8日午前9時半~正午。埋め戻す前の貴重な見学機会という。雨天時は午前8時半に実施の可否を決める。問い合わせは市教委文化振興課(0952・40・7368)。【姜弘修】




コラム
【幕末から学ぶ現在(いま)】(22)東大教授・山内昌之 山内容堂
■鯨海酔侯、世紀の大失言

 政治は言葉の芸術である。古代ローマのカエサルとキケロの争い以来、政治家は雄弁術を磨き、弁舌たくみに政敵を論破してきた。

 しかし、時には弁論に自信をもつあまり、失言を犯すこともある。最近では麻生太郎首相が、高齢者は「働くしか才能がない」と発言した表現もかなり際どいものである。2000年6月の衆院選において、森喜朗元首相は有権者も「寝てしまってくれればいいが」と棄権を期待したため、自民党は大幅に議席を減らしてしまった。

 04年6月、小泉純一郎元首相も年金未払い問題で「人生いろいろ、会社もいろいろ、社員もいろいろだ」とやって、7月の参院選の改選議席では民主党に及ばなかった。今回も聞き様によっては、高齢者の余暇や自由を否定したような麻生首相の発言は、衆院選で自民党を苦戦させるきっかけになるかもしれない。

 ◆一時は議論をリード

 幕末政治史に目を転じれば、世紀の大失言は、あまりの酒癖の悪さから生まれた。この失言は、慶応3年12月(1868年1月)の小御所会議の席で起こった。

 会議に泥酔状態で遅参した土佐藩前藩主の山内容堂は、徳川宗家と列侯会議の温存をはかる保守的な議論でその場を一度はリードし、大政奉還を果たした王政復古の功労者たる徳川慶喜を会議に呼ばない薩摩・長州両藩の陰険な工作をひそかにそしった。容堂は、岩倉具視や大久保利通が、徳川慶喜の辞官納地を主張しながら、薩摩などは何故に藩領を奉還しないのか、と正論を吐いたのである。

 ここまではまだよかった。問題はこの後に起きる。

 ◆言葉に酔い「幼沖の…」

 容堂は若い時分から酒を愛し、「鯨海酔侯(げいかいすいこう)」と称し、一日3升ともいう酒量を誇った。やや酒乱の気味もあったので、まさに自分の言葉に酔い、岩倉らを念頭において徳川慶喜を排除して朝議に参加させないのは、「これ恐らくは幼沖(ようちゅう)の天子を擁して権柄(けんぺい)を窃取(せっしゅ)し、自ら私せんとするものではないか」とやってしまったのだ。「幼い天皇をかついで権力をないがしろにして、私にほしいままにする」というのだから、表現は穏やかでない。

それまで容堂の正論に押されぎみだった岩倉と大久保は、この失言をとらえてすぐ切り返した。このあたりの切所を見抜く岩倉の勝負勘は、公卿(くぎょう)ばなれしている。岩倉はすかさず、「帝は幼くていらしても不世出の英主であり、今日の事業はすべて天皇のご決断である。それを幼い天皇とは大失言であるぞ」と攻め立てた。

 容堂の言葉を「妄言」と断じ、まるで芝居のように「土州(どしゅう)、土州、返答せよ」と大喝したのである。面前で叱責(しっせき)されては、泥酔した容堂には答える論理も筋道も浮かばなかったに違いない。

 それにしても、失言を逆手にとって「土州」(松平土佐守を名乗った山内容堂)と連呼しながら、政治的に不利な形勢を逆転する手腕はたいしたものだ。

 ◆武力倒幕路線ほぼ確定

 容堂は謝罪、沈黙させられ、幕府擁護の論を張れなくなったのだ。こうして薩長中心の新政府による武力倒幕路線がほぼ確定したのである。

 容堂は、苦労して分家から本家に入って国主大名に上りつめた分だけ、おのれの力量や弁をたのむ自信家タイプであった。酒の勢いが舌を滑らかにしたにせよ、将軍から天皇に国の新たな象徴が移ろうとしているときに語るべき言葉ではなかった。

 ゆきすぎた酒は何によらず政治家を油断させ、時には大きな失言を吐かせることに注意しなくてはならない。(やまうち まさゆき)

                   ◇

【プロフィル】山内容堂

 やまうち・ようどう 名は豊信(とよしげ)。土佐(高知)15代藩主。文政10(1827)年、分家の山内豊著(とよあきら)の長男として生まれる。第14代藩主・豊惇(とよあつ)が急死し、家督を継ぐ。13代将軍・徳川家定の継嗣問題で一橋派にくみし、安政の大獄で隠居謹慎となる。幕府から謹慎を解除されると、公武合体に尽力し、土佐勤王党を弾圧する。慶応3年、後藤象二郎の提言を受け入れ、大政奉還を将軍の徳川慶喜に建白。その後も幕府の権力保全を図るが、王政復古クーデターで望みを絶たれた。明治政府では議定や上局議長などを歴任。酒と詩を好んだ。明治5(1872)年、46歳で死去。

 小御所会議での発言「幼い天皇をかついで権力をないがしろにして、私にほしいままにする」は、実は真実を突いていたと思っています。でも、政治家のディベートとしては言質を取られる大失言だった。山内教授も指摘している通り、劣勢にありながら失言を見逃さず、土俵際で足下を掬った岩倉の勝負勘に山内容堂公は負けたのだと思います。




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